第29話 天国への途 ~繋がり~
西大陸歴899年10月23日 ローゼンブルグ城。
城は、今、帝国軍に囲まれている。追討軍の編成が、思いの外早く進んでしまったのだ。
しかし、その情報は、毎日フェルディナント様からいただいていたので、今後の準備は万端だ。
ただ、結局、陛下の解呪だけは間に合わなかった。後は、彼にお任せするしかない。今までにわかったことは、もう引き継いであるので、フェルディナント様なら半年、いや数か月もあれば解呪は可能だろう。
また、フェルディナント様は、「誰かがとち狂って治癒魔法などを掛けないとは限らないので、呪具が発動してしまったとき、連動して転生の魔法が働くようにしておいてほしい」とおっしゃった。
これならば、万が一失敗しても、陛下はもう一度人生をやり直すことが可能になる。
今までの陛下の言動に問題があったのは事実だが、今回はこちらもやり過ぎてしまったことは自覚していたので、これでずいぶん気が楽になった。こういうところに気を遣ってくださるのもフェルディナント様の優しさだ。
今日は、フェルディナント様が、『陛下を含む虜囚の引き渡しと、降伏勧告のため』という名目で、全権大使としてお越しになる。
実のところ、戦争に関する交渉は既に済んでいる。
時にはお父様を交え、毎日魔石通信で話しているのだから、こんなものは済んでいて当然だ。
はっきり言って、交渉自体は茶番でしかないのだが、今日はそんなことよりも、もっともっと大切なことをしなくてはならない。
わたくしは今からかなり緊張している。あの舞踏会の朝だって、これほどは緊張しなかった。
わたくしは、きちんとこの大役を務められるだろうか。
しばらくして、軍の正装に身を包んだフェルディナント様御一行10名が、使者旗をはためかせながら、城内にいらっしゃった。
今、大広間で『交渉』が行われている。
まず口を開いたのは、手はずどおり、フェルディナント様だ
「ローゼンブルグ侯。そなたには、陛下を誘拐した容疑がかけられている。速やかに陛下を解放していただこう。そもそも陛下はご無事なのか?」
「殿下、『誘拐』とは人聞きが悪い。陛下は、ご自分のご意志で、この城に逗留されていらっしゃるのですぞ」
バンッ。
「そんなわけがあるか! 陛下がそんなことをおっしゃるわけがない。速やかに陛下を出せ!」
「やれやれ、仕方がない……。おい! 陛下をお連れしろ!」
「はッ!」
しばらくして、ストレッチャーに載せられた陛下が運ばれてきた。フェルディナント様は、それを見るなりお父様に向かって叫んだ。
「オイゲン! 貴様! 一体なんだッ! これは!!」
「陛下でございますが? 何か?」
「『何か?』ではないわ! これは、既に崩御されているではないか!」
「とんでもない。よくご覧ください。まだ生きていらっしゃいますぞ」
「はっ! 戯れ言を! どれ……。な、なんと! 脈がある! 息もある!」
「申し上げたとおりでございましょう。……ああ、治癒魔法をかけるのはやめておいた方が賢明ですぞ。陛下のお命を縮めたくないのでしたらな!」
「な! ん? こ、これは。呪!」
「流石はフェルディナント殿下。簡単に見破られてしまいましたな。確かに呪でございます。この傀儡の呪のおかげで、陛下はよく言うことを聞いてくださいましたぞ」
「おのれッ!」
「おっと、早まるのはよくありません。呪の大本になっているこの魔剣は、魔法をかけても、抜こうとしても、呪が発動して心臓を破壊するという、大変な優れものでございます。
陛下のお命を縮めたくなければ、大人しくこちらの要求を聞いていただきましょうか!」
「誰がそのような脅迫に応じるものか!」
「殿下!」
追討軍の随員の1人が、たまらず声を上げる。
「何だ!」
「(早まってはなりません。陛下のお命はローゼンブルグ侯に握られております。まずは陛下のお命が第1。侯の話を聞いてから判断しても遅くはございません)」
「(む! なるほど……。) して、ローゼンブルグ侯。要求とは何だ!」
「簡単なことにございます。我がローゼンブルグ家を辱めた、ヴィルヘルム・ザルツラント。貴奴めを下げ渡しくださいませ。
さすれば、すぐにでも陛下はお返しいたしますし、我々は、どんな罰でも受ける所存でございます」
バンッ
「そんなことができるかッ!!」
ダンッ
「出来ないなら、陛下にはこのまま死んでいただくまでよ!」
激昂して立ち上がった2人だが、周囲の制止で、徐々に落ち着きを取り戻したように見える。
「……ローゼンブルグ侯。家臣の前では、立場上話せない話もある。2人だけで腹を割って話をせぬか?」
「たしかに、せっかく来ていただきましたのに、これでは埒が明きませんな。殿下さえよろしければ、こちらに否やはございません」
「で、殿下! 危険です!」
「大丈夫だ。私に任せておけ!
ローゼンブルグ侯。下々の者も心配しておる。どうだ、制約魔法で、お互い害さないことを誓うというのは?」
「(チッ)……わかりました。そうすればお互い安心ですな」
その後、2人は、制約魔法を掛け合い、お互いを横目で睨みながら奥の扉へ消え……
そして、幾許もしない間に、にこやかな笑顔でわたくしの前に現れた。
「エミリア! どうであった、我らの演技は!」
「迫真の演技でした。フェルディナント様はともかく、お父様は、どこかで顔に出てしまうのではないかと、ハラハラしながら見ておりましたが、わたくし、お父様を見直しましたわ」
「……なにか、微妙に貶されている気がするのだが!?」
「そんなことはございませんわ。ね、フェルディナント様」
「 ……あ、ああ、最後の舌打ちなど、相当真に迫っていましたよ。我が随員どもは、かなりの難しい交渉になるとすっかり信じ込んでいる様子でした」
「そういえば、フェルディナント様。最後に副使の方に何か耳打ちしていたようですが。あれは何を?」
「ああ、あれは、『交渉は相当長くなる。待っている間、時々トイレに行く振りなどして、城内の様子を探るように。ただ、捕らえられたらおしまいだから、決して無理はするな』と、話しておいたんだよ。
オイゲン殿。彼らは、きっと内情を嗅ぎ回ろうと、蠢動するはずですから、無理のない範囲内で、よく監視してやってください」
「ははははは。殿下も人が悪い! 心得ました。彼らの意識が城内の探索に傾くように、部下には、『時々隙を作りながら、よく見張れ』と話しておきましょう。
これで、かなりの時間が稼げますな!」
「ええ、今日は我らの大切な日です。時間は長いにこしたことはありません。早速準備に取りかかります」
「それでは我々も支度を始めます。ほら、エミリア。急ぐぞ!」
「お父様は相変わらずせっかちですこと。それでは、フェルディナント様。もっとお話ししていたいところではございますが、時間も限られておりますので、また後ほど」
「ああ、エミリア。先に行って待っている。慌てずにね」
「ふふふ、かしこまりました」
そう言って、わたくしは、お父様と一緒に急いで準備に向かったのだった。
約四半刻後。準備を終えた、わたくしとお父様は、城の礼拝堂の前に立っていた。事前にある程度の準備は済ませてあったし、着替えについても相当急いだのだが、最終確認に手間がかかったため、それなりの時間になってしまった。
扉を前にして相当緊張してきた。深呼吸をして息を整える。ふと、横に立つお父様を見ると、目が潤んでいらっしゃる。わたくしも泣きそうになってしまったが、ぐっと堪える。そして一言。
「さあ、お父様。まいりましょう」
「ああ。しっかりな。始まる前に泣くなよ」
「もう! それは、わたくしのセリフでございます」
「「はははははは」」
「よし、行こう!」
「はい!」
扉が大きく開かれて、私たちは礼拝堂の中を歩む。
中で待つのは、お2人だけ。
父の叔父にあたるローゼンブルグ大司教のロタール様。
そして、フェルディナント様。
わたくしと、お父様は、礼拝堂の中を歩む。
そして、フェルディナント様のもとへ。お父様の目は既に真っ赤だ。
フェルディナント様はお父様に一礼すると、わたくしに手を差し出した。
「行こう。エミリア」
「 」
わたくしはフェルディナント様に導かれて、大叔父様の前に進み出た。
大叔父様は、わたくしたちを見ると、感慨深げに深く頷かれた。
大叔父様も、明日、わたくしたちとともに、2度とは戻れぬ所に旅立たれる、いわば同志だ。これが、この国での最後の大仕事になることだろう。
「ただ今より、ザルツラント家フェルディナントと、ローゼンブルグ家エミリアの結婚式を執り行う。
新郎フェルディナント。汝はエミリアを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、たとえお互いの身が遠く引き裂かれようとも、永遠に真心を尽くすことを誓うか?」
「はい。誓います」
「新婦エミリア。汝はフェルディナントを夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、たとえお互いの身が遠く引き裂かれようとも、永遠に真心を尽くすことを誓うか?」
「はい。誓います」
「神よ。照覧あれ! この新たなる夫婦に幸多からんことを」
「続けて指輪の交換を行う。夫フェルディナント」
フェルディナント様が私の手を取り、細緻に文様の刻まれた指輪をはめた。
続けて、わたくしも、フェルディナント様に指輪をはめた。そのときだった。
(「聞こえるかい。エミリア」)
突然、頭の中にフェルディナント様の声がした。驚きを隠せないわたくしに、フェルディナント様は続ける。
(「驚かせてごめんね。とりあえず、頭の中で、××××と念じてごらん。」)
××××(「これでよろしいのでしょうか?」)
(「うん、聞こえる。これで、どこにいても君と話をすることができるようになった。あ、煩わしいようだったら、取ってもらってもかまわないよ。1度外せばこの念話は止まるからね」)
(「まあ、酷いお方。わたくしが、あなた様とのお話を『煩わしい』だなんて思うわけがございません。だって、わたくしは、フェルディナント様が、ずーっと前から大好きなんですから! キャー言っちゃった!! ……あ、でも、もしかして、フェルディナント様は、お嫌でしたか?」)
(「そんなわけないだろう! わざわざこんな指輪を作ってるんだよ? 俺だってエミリアが大好きだし、大切に思ってるし、いつも一緒にいたいのを我慢してるんだぞ!」)
(「……いつでも一緒にいたい?」)
(「……ずーっと前から大好き?」)
(「フェルディナント様」)
(「そんな他人行儀な! エミリアには『フェル』と呼んでもらいたい」)
(「あら、それなら、わたくしだって『ミリィ』と」)
(「フェル」)
(「ミリィ」)
お父様と大叔父様は、指輪をはめた瞬間に固まり、見つめ合い、そして、お互いに真っ赤になったわたくしたちを、ほほえましげに眺めていたようだ。
しかし、2人が、いつまで経っても固まったまま、微動だにしないので、流石にしびれを切らしたらしい。
「うぉっほん!」
「「あっ!」」
「ご両人。気付かれたかな? それでは、新郎新婦。誓いのキスを」
フェルがベールに手をかける。
わたくしは、瞼を閉じて、彼を待つ。
見えていないにもかかわらず、彼の好意が流れ込んでくる。おそらく、わたくしの好意も、彼の心に流れ込んでいるに違いない。
わたくしのファーストキスは、一瞬くちびるが触れあっただけの、おままごとのようなキスだった。
しかし、お互いの心と心が通じ合った、天にも昇るようなキスだった。
これで儀式は終わった。後は2人だけの時間だ。わたくしはフェルを自室に招いた。そこで、わたくしの全てを彼に捧げた。そして、わたくしも彼の全てをいただいた。
今、わたくしは、人生に一点の悔いもない。今日、わたくしは、全てを得たのだ。
夕刻、フェルは疲労困憊で帰っていった。
表向きは、お父様との激しい交渉の末、陛下と、現在虜囚とされている人々の解放を勝ち取ったという『成果』を土産に。
逆に、わたくしたちが得た物は、残していく領民の安全と、ローゼンブルグ家の君臣一同が、誰にも邪魔されることなく、『天国』への旅路に出ることを、誰にも邪魔させない権利だ。
明日、この城は最期の秋を迎える。
西大陸歴899年10月24日。ローゼンブルグ城は、最期の日を迎えていた。皇帝を含む虜囚や、財貨の引き渡しが進む中、城内では別れの宴が催される。追討軍から参加するのはフェルディナントのみ。公式には人質としてだが。実はフェルディナントはエミリアとの婚姻を果たしていた。そんな中で行われるこの宴の真の目的とは。そして、宴の後、ローゼンブルグ家の面々は、エミリアはどうなるのか。次回、『天国への途 ~別れ~』。お楽しみに。




