第26話 ※皇帝フリードリヒ5世
フリードリヒ派・6万 対 ヴィルヘルム派・10万 の決戦は、見事、兄上率いるフリードリヒ派の勝利に終わった。
フェルディナント率いる本隊が囮になって、中央で持ちこたえている間に、第2近衛騎士団長を主将とする最精鋭の選抜部隊が、手薄になった敵本陣に奇襲をかけるという策が見事的中したそうだ。
最終局面まで圧倒的優位にあった敵軍は、ヴィルヘルムと、まとめ役のキール公が討ち取られたことで、あっけなく瓦解した。快心の勝利だ。
ただし、被害は甚大だった。
味方の軍6万のうち、死傷者数は2万以上に及ぶ。
近衛騎士団や宮廷魔導師団も半数以上が死傷した。
それだけではない。国を支えてくれていた重臣も何人も世を去った。
宮廷魔導師長マルティン・マイヤーハイム。第1近衛騎士団長アドルフ・フェルゼンラント。その嫡男で、前世の側近・友人だったディートリント・フェルゼンラント。
ここで亡くすには、惜しすぎる者ばかりだ。
マルティン・マイヤーハイム。大魔法を撃った後の、魔法障壁が消えた間隙に、流れ矢が頭に当たった。即死だったそうだ。
アドルフ・フェルゼンラント。3倍もの敵を一手に引き受けて最前線を支え続け、最後は敵に飲み込まれるように消えていった。戦後発見された遺体は無数の傷があったが、そのほとんどは正面から受けたものだった。
ディートリント・フェルゼンラント。父アドルフが敵軍に飲み込まれるのを見て、正面のキール公の大軍に突撃。折しも奇襲部隊に後方の本陣を攻められて、動揺した敵軍を突破。実質的な大将であるキール公を討ち果たすも、そこで力尽きた。
そして、兄上だ。
兄上は、自らが囮となって、死地に残られた。敵軍の総攻撃を支えるため、自ら剣を取って戦う姿も目撃されている。そして、ヴィルヘルム討ち死にの報が入り、本陣が沸き返る中、追撃の指示を下したまではわかっている。だが、その後の足取りは杳として知れない。
決戦からもう半年以上が経つ。戦場付近の捜索は、今なお行われているが、本人の痕跡はもちろん、遺体の欠片すら見つかっていない。
遺体が見つからないということは、一縷の望みはあるのだろうが、既に時が経ちすぎた。
兄上……。
「おい、フリードリヒ。起きろ」
「だ、だれじゃ」
「俺だ。フェルディナントだ」
「あにうえ! ごぶじでしたか!!」
「フリードリヒ。しばらく見ない間に大きくなったな。兄は嬉しいぞ!」
「あ、あじうえ~」
俺は兄上に抱きつこうとした。が、俺の体は、兄上をスッとすり抜けて、ベッドに倒れ込んだ。
「あじうえ!?」
「泣くな! フリードリヒ! お前はもはや『皇帝フリードリヒ5世』ではないか。皇帝がむやみに泣いてなんとする。しかも年相応の幼子ならともかく、お主は、本来なら30近くになるのだぞ」
「れもれもれも、おでは、もっと、あ、あ、あ、あじうえにおじえでてもだいだいごどが~」
兄上は、俺の気の済むまで、いつまでも泣かせてくれた。
実体はないはずなのに、兄上になでられている感じがして、少しずつ気持ちが安らいでいった。
俺が落ち着いたのを見計らって、兄上は言った。
「フリードリヒ。お前は最高の君主になれる逸材だ」
「そんなことはありません。わたくしのしっぱいのせいで、おおくのひとを、ふこうにしてしまいました。こたびも……。」
「それが、わかっているから良いのだ。
前世からお前は、才能があった、そのせいで、自分を過信し、周囲を見下すことが多かった。
人は感情のない道具ではない。以前は、それがわかっていなかった。
今はどうだ。回り道はしたけれど、人の情を理解したではないか。
元々の才能に、人を思いやる気持ちが加わったお前は、希代の名君になるだろう。
まあ、こんなことを言う俺も、失敗ばかりしてきた。
本当なら、お前にも、もう少し楽をさせてやるつもりだったんだがな。
それから、気に病んでいるといけないから言っておくが、俺は今、良いところで暮らしているから、俺の心配は何もいらないぞ。
逆に、幼子になってしまったお前に、全てを押しつけてしまったのを、申し訳なく思っているんだ。」
「あにうえが、あやまるひつようはありません。すべては、わたくしのまいた、たねなのです」
「そう言ってもらえると、少し気が楽だ。
もっと話していたいところだが、そろそろ時間だ。俺も行かなければならない」
「あにうえ! もう、おあいすることはできないのですか!?」
「いや、お前のために、この魔石を置いていこう。どうしても困ったことがあったら、魔石に祈るがいい。夜になったらやってきて、話を聞いてやろう。ただな、魔石の力は無限ではない。本当に困ったときに使えなくならないように、慎重に使うのだぞ!」
「あじがどうございばずぅ!」
「泣くな。フリードリヒ。今のお前は若い。できることは山ほどある。怠らず励めよ。そして、最高の皇帝になって、できるだけ多くの人を幸せにしてやってくれ。お前ならきっとできるはずだ。フリードリヒ 」
「あにうえッ!」
「陛下! いかがなさいましたか!」
添い寝の乳母が、俺の声にびっくりして起き上がった。
……夢か。
ふと手を見ると、俺の掌には、吸い込まれそうな深い緑色をした魔石が握られていた。
夢ではなかったのだ……!
俺は兄上の捜索をやめさせた。もう、そこに兄上がいないのがわかったからだ。
俺は辛いとき、あの魔石を握りしめる。そう、兄上はいつでもここにいらっしゃるのだ。
私が祈れば、必ずその夜、兄上は会いに来てくださった。
幼いころは、一月に1回は来ていただいていた。
成人したころは、年に1回ぐらいになっていた。
それが、3年になり、5年になり。
「成長した」と言えば聞こえが良いのだが、残念ながらそうではない。
魔石の力が失われて、2度とお会いできなくなる日が来るのを恐れたのだ。
思えば、もう20年近く、兄上とはお会いしていない。
この20年の間に、ルイーゼはこの世を去った。
現世の妻にも先立たれた。
俺も最近は妙な痛みを感じて、体が辛く感じることが増えた。きっともう長くはないのだろう。
帝位は息子が継いだ。後悔することも少なくはないが、もう思い残すこともない。
最後に兄上にお会いしよう。兄上はこんな俺を褒めてくださるだろうか。
俺は久方ぶりに魔石に祈りを捧げた。
――その夜。
「おい、フリードリヒ。起きろ」
「う、兄上!」
「……お前、しばらく見ない間に、ずいぶんと歳を取ったな」
「はい、あれから20年も経ちますので。兄上はお変わりない様子で何よりです」
「ん? お前、起き上がれないのか?」
「はい、もう、長くはなさそうです」
「お前、本当に頑張ってたからな。お前は、どこに出しても恥ずかしくない、俺の自慢の弟だよ」
「あ、あじうえ」
「泣くなよ。フリードリヒ」
兄上は、そう言いつつも、俺の気の済むまで泣かせてくれた。
こんなに泣くのはあの時以来だった。
そして、実体はないはずなのに、兄上になでられている感じがして、少しずつ気持ちが安らいでくのも一緒だった。
「申し訳ありません。久しぶりにお会いできて、少し取り乱してしまいました。
兄上。わたくしもそろそろ兄上の下に参れましょうか?」
「お前も頑張ったもんな。こっちに来るか? でも、家族はいいのか?」
「はい、妻にも先立たれましたし、帝位は息子が継いでおります。私に似ず、人の心の機微もわかる優秀な息子ですから、心配の種もございません」
「ただな、いきなりいなくなると、みんなびっくりするから、きちんと別れを済ませておけよ。あ、動けないと辛いだろうから、軽く治療しておいてやるからさ」
兄上が呪文を唱えると、私の体を光が包んだ。
「なんだ! ずいぶんやられてるな。ちょっと時間がかかるけど、我慢しろよ」
四半時も経っただろうか。光が薄れると、兄上が言った。
「よし、フリードリヒ起き上がってみな」
まさかそんなに簡単に……。
動ける! 動けるぞ!
「上手くいったみたいだな。明日また来るつもりだったけど、お前の体が悪すぎて、ちょっと力を使い過ぎたみたいだ。悪いけど15日後にまた来るから、それまでに、準備しておいてくれよ」
兄上は、そう言って、消えていった。
それにしても、別れを済ませる猶予までくださるとは。さすがは兄上。粋なことをなさる。
さて、15日もあれば大抵のことはできるな。これは明日から忙しくなるぞ。
西大陸歴 975年 8月15日
シュバルツ帝国中興の祖と讃えられた、時の上皇フリードリヒ5世陛下がお隠れあそばされた。
上皇陛下は7月末まで死の床についておられたが、8月に入ると突然元気を取り戻され、家族や旧知の方々と交友を温められた。そして、8月15日の夜自室に戻られ、翌16日の朝、部屋を訪れた侍女がお姿が見えないことに気付いた。大捜索が行われたが、外出された気配や侵入者の痕跡はなく、自室から忽然とお姿を消されたとしか考えられないと結論づけられた。
なお、上皇陛下は自室に手紙を残されており、それには、国民・友人・家族への感謝の言葉と「兄上の下に向かう」という言葉が残されていたとされる。
ただ、上皇陛下に兄にあたる方はいらっしゃらず、この「兄上」が誰を指すのかは、未だ解明されていない。
蛇足になりますが、補足です。皇兄フェルディナントは、戦争終結後、帝位を追贈されたため、帝国史上では【一日帝】フェルディナント1世とされています。
お待たせいたしました。次回は『ざまぁ』回です。まともな顔をしつつも色々とやらかしてくれていたコンラート。彼はどのような人物だったのか。そしてその最期とは。次回、『メクレンブルグ伯コンラートの最期』。お楽しみに。
※次回は閲覧注意です。前回に引き続き、読む人によっては、途中かなり不快に感じるかもしれません。




