第22話 ※皇帝フリードリヒ4世 ~夢の終わりに~
「やっと晴れ間が見えたか」
鉛色の空の隙間を突いて伸びる一条の陽光を見ながら、俺はつぶやく。
「まだまだ、この空のようなものだな」
「陛下、いかがなさいましたか?」
側近の一人で、今回の御幸で護衛を務めるエアハルト・フェルゼンラントが尋ねる。
「なに、晴れ間が出て縁起が良いと思ってな」
俺はごまかした。
エアハルトは生粋の武人。兄のディートリントとは違って単純な男だ。俺のこの心情はわかるまい。そして、説明してやった所で全ては理解できないだろう。
「左様でございますか」
「で、いかがした?」
「伯父う……じゃない!侯爵閣下が参りました」
「お前も慣れんなあ。で、侯は?」
「はッ、申し訳ございません。あちらに控えております」
ローゼンブルグ侯は、跪き、頭を垂れて俺を出迎えた。
相変わらず丁寧なことだ。
侯は、あれ以来、反抗的なそぶりを見せたことは一度もない。
それだけではない。
あれだけ可愛がっていた娘のエミリアを文句も言わず自領に幽閉したり、軍役に積極的に参加したりと、恭順の姿勢をとり続けている。
その上、昨年、嫡男のエルケンバルトを突然の病で失った後も、エミリアの赦免を求めて陳情に来ることもなかった。
予想以上に、機を見るに敏である。
俺は侯を見直していた。
だからこそ、それなりの役目を与えているのだ。
「ローゼンブルグ侯、苦しゅうない。面を上げよ」
「陛下お楽しみいただいておりますでしょうか?」
「さすがだな。料理といい酒といい申し分ないぞ。特にこの庭園はすばらしい」
「娘の件で陛下には大変な御迷惑をおかけいたしました。せめてものお詫びでございます」
「もう4年だ。エミリアも反省していよう。戦の前祝いである。この席を借りて宣言しよう! ローゼンブルグ侯爵令嬢エミリアの罪を赦し、その謹慎を解く!!」
「もったいないお言葉にございます。このご恩に報いるためにも、必ずや敵を打ち破ってご覧に入れましょう!」
「伯父上! おめでとうございます!! 従姉上も喜びましょう!!」
エアハルトも涙を流さんばかりに喜んでいる。
彼はエミリアを本当の姉のように慕っていたからな。今日は連れてきてやって良かった。
その時、エアハルトが、予想もしていなかったことを、いきなり言い出した。
「ちょっと気が早いかも知れませんが、伯父上、お願いがあります。従姉上を僕のお嫁さんに貰えませんか」
「「はあっ?」」
「いや、だって、ディート兄さんだって従姉上のことが好きなんだよ。兄さんより早く申し込まなきゃ、兄さんに勝てない」
もう、そう口走った段階で、ディートリントが結婚相手としての選択肢の内に入ってきてしまったことに気がつかないのは、エアハルトのまぬ……、いや、かわいらしいところだ。
しかし、その願いを叶えてやることはできなかった。
ディートリント、エアハルトのフェルゼンラント兄弟は確かに素晴らしい能力を持った忠臣である。
功に報いてやりたい気持ちはあるが、兄への恩返しとは比較できない。
事情を知らないローゼンブルグ侯が、甥かわいさにと行き遅れた娘を心配して、申し出を受諾してしまっては大変だ。
そう考えた俺は、慌ててその一言を付け加えた。
「エミリアの結婚相手については、朕にも考えがある。エアハルト、勝手に話を進めるな」
「陛下、申し訳ございません」
……エアハルトに気をとられていた俺は、ローゼンブルグ侯の顔色が変わったことに気付くことはなかった。
「陛下、我が領の特産の薔薇を使った酒を準備いたしました。出陣の祝酒としたいと存じます。お供の皆さんにもお配りしてもよろしいですか」
「おう、配慮痛み入る。皆の者、めでたい席だ、遠慮せずに飲め!」
「ではまず、それがしが毒味をいたします」
「侯自ら毒味とは……。重ね重ね痛み入る。では、朕が乾杯の発声をしようではないか!
皆の者、杯を掲げよ! 乾杯!!」
「「「「「「「「「「「「「「「「乾杯!!」」」」」」」」」」」」」」」」
俺が体の異変に気付いたのは約30分後だった。手に力が入らぬのだ。
俺は杯を落とした。
「おや? 陛下いかがなさいましたか?」
「ああ、侯か。少し酔いすぎてしまったらしい。今日はこれで帰ろうと思うが……」
「おやおや。まだまだおもしろい趣向を用意しておりまして、陛下には是非お目にかけたいと存じておったのですが。もうお帰り遊ばしますか?」
ローゼンブルグ侯の言葉に、ひどく軽薄な響きを感じ、俺は急いで立ち上がろうとした。
が、できなかった。
俺は足をもつれさせ、庭園の白薔薇の中に倒れ込んだ。
「「「「陛下!?」」」」
「陛下はお疲れだ、お休みいただけ!!」
近臣たちの悲鳴に混じり、内容とは不釣り合いなほど大きなローゼンブルグ侯の声が響く。
すぐさま邸の玄関が開くと、数十名は居ようかという、完全武装した集団が駆けてくるのが見える。
「おのれ、逆賊! 謀りおったな!!」
集まってきた近臣たちは、剣を手に取ろうとする。
が、剣の束を握れず落としてしまう者、足をもつれさせ転んでしまう者、ほとんどは役に立ちそうにもない。
立ち上がって剣を構えた者も、侯の兵に次々と討たれていく。
「積年の恨み、いまここで晴らしましょうぞ。お覚悟召されよ!」
家臣に支えられながら立ち上がったローゼンブルグ侯は、俺に啖呵を切りながら、懐から丸薬のような物を取り出し、飲み込んだ。
毒消しか!
希望が蘇る。あれを奪い取れれば勝機はある!
だがどうやって?
考えがまとまる間もないうちに、目の前に敵兵が立っていた。
「陛下、まだまだおもしろい趣向もありますんで、こんな所でお休みになっては困りますぜ。へへへ」
下卑た笑いが響く。
「おい、ワシはまだうまく動けん。こっちに運んで転がしておけ!」
「へい! かしこまりました!! それ、こっちに来るんだよ! ご主人様がお待ちかねだぜ!!」
ゴツゴツした松の幹のような男の手が俺に触れ……
寸前。
白刃一閃。
男の首が宙を舞う。
「陛下、遅れて申し訳ございません!」
「エアハルト! 無事だったのか!」
「幸か不幸か、私、下戸でして。酒も毒もあらかた吐いてしまったようです」
「敵は毒消しを持っているぞ」
「そのようですな。まもなく手に入れて参りますので、今暫くお待ちください」
エアハルトは俺を近くの庭石に腰掛けさせると、敵を見やった。
「エアハルト目を覚ませ! そやつはエミリアやワシを陥れた極悪人ぞ!!」
「伯父上こそ目をお覚ましください! 行いを悔い改め、今ここで自害なされば、陛下も憐憫をお示しくださいましょう」
「味方になればエミリアの夫としてやっても良いのだぞ!」
「ははははは。伯父上は面白いことをおっしゃる。いくら好きな人とはいえ、女のために主君を裏切るのはフェルゼンラントの男ではありません。それよりも、ここで大功を立てれば、従姉上の助命と結婚の許可を、自力で勝ち取れるというものです」
「この戦馬鹿めが! こうなったら是非も無し! 甥であろうと関係はない。包み込んで討ち取れ!!」
「「「「「「「「「「ハッ!」」」」」」」」」」
エアハルトの剣技は神がかっていた。齢18にしてクラウゼン流抜刀術の折紙を受けた腕前は、3年たってさらに磨きがかかっており、俺では太刀筋が見えないほどだ。
先ほどから剣は刃こぼれし始めているが、本人はまだ息が上がっていない。既に二十人近くの敵兵が戦闘能力を奪われていた。
「伯父上、毒消しをいただきましょうか」
エアハルトはローゼンブルグ侯に向かって歩を進める。
侯とその取り巻きの兵はじわりと後ずさる。
侯はまだ自力で動けない。
勝利は時間の問題だ!
そのとき、後ろから、かすかに声が聞こえた。
『……××××我が僕なる薔薇よ。絡み合いて何人たりとも寄せ付けぬ藪となり、我を囲め』
突然、エアハルトの姿が消えた。
……いや、消えたのではない。突然、地面から槍のように突き出し、瞬く間に枝を伸ばして絡み合い、分厚い生け垣と化した薔薇に視界が遮られたのだ。
植物魔法『プラントウォール』か?
……いや、ありえない。
あの魔法は高位の魔術師でも幅数メートル、高さ2メートル程度が限界のはず。
先が見通せないような密度、手も届かないような高さ、そして完全に周囲を取り囲んだ長さ。これだけの規模で展開するのは、一人では到底無理だ。
2桁以上、高位の術師をそろえれば可能かもしれないが……
……いや、魔術師をそれだけ集めたら、必ず帝国の情報網に引っかかる。
しかも、皇帝暗殺に関わるような状況で、いくら金を積まれようが、その全員が協力するはずがない。
では、これは、何だ……。
俺は痺れる体にむち打って周囲を見回した。
……どうやら、この白薔薇の箱庭の中にいるのは俺と、呪文の主だけのようだ。
そこにはほほえみを浮かべた元婚約者の姿があった。
「……エミリア」
「お久しぶりですね。フリードリヒ様。いえ、陛下」
「……なぜ、ここに?」
「魔法でございます。つい先ほど謹慎も解けたようですので、『御礼』をしなければと、こちらにやって参りましたの」
透き通るような銀髪。白磁のようなどこまでも白い肌。20代も半ばに達していながら、彼女の美しさは衰えるどころか輝きを増して見えた。
これで生け垣の外から聞こえる喧噪が無ければ、既に天上にいると錯覚していたかもしれない。
「私、あなたを愛しておりましたわ。最初は、短慮で皇后にふさわしくない行動をしてしまった、と自分を恥じました。そして、あなた様に心からのお詫びをいたしまして、修道院で一生罪を償うつもりでおりましたわ。
……でも、聞いてしまいましたの。コンラート様との会話を。あなた方は、私たちを陥れて喜んでいらっしゃいましたね。」
聞かれて、いたのか……。
「あなたは私に『皇后としての品格に欠ける』とおっしゃいましたが、私はあなたが『皇帝としての品格に欠けていらっしゃる』としか見えませんでした」
その通りだ。余人はともかく、彼女に対して俺は反論できない。いや、してはいけないのだ。
俺は普通にしていれば何も問題の無かった彼女の運命を弄んだのだ。
あまつさえ、その結果を喜びもした。
その後、反省しようが何をしようが、それは紛れもない事実なのだ。
「……ふまん」
痺れる口から出たのは、ただ一言の謝罪の言葉だった。
「その御言葉。あまりにも遅うございました。たった一刻前、父が私のことを話題に出したとき、その言葉をおっしゃっていただきましたら……。
ローゼンブルグ家が破滅することも、優しく将来有望な従弟が巻き込まれることも、陛下の夢が潰えることも、この後きっと起こる帝国の混乱もなかったでしょうに……。
この4年間、あなた様の行動をよく見てまいりました。あなたがなさろうとしていることはこの国のために必要であることも、私利私欲のために動いているのではないこともよくわかっております。
だからこそ、今日の今日まで、私も父も逡巡していたのです。
でも、あなた様は今までその言葉を口にすることができなかった。知らないのだから隠し通してやれという邪な考えを改められなかった。
そして、その上、この期に及んで、まだ私を政略の道具として御利用なさる……。
先日、ヴィルヘルム殿の使者が、我が家に来ました。その者によりますと、『罪人』である私はヴィルヘルム殿の妾になることに決まったのだそうですね」
な、なんだ、それは!? そんな話、俺は知らんぞ!
驚いて目をむいた俺は、反論をしようと試みた。
「い、いが……。」
だ、だめだ、舌が痺れて話すことができぬ!
エミリアは、そんな俺を冷たい目で見下し、話を続けた。
「いくら大切になさっている弟君のためとはいえ、兄が身罷った今、私が後を取らなければ、我が家は潰れるのです。それをわかっていらっしゃるはずなのに、あんまりなお言葉。
しかも、あのような方です。正妻でもご遠慮申し上げたいのに、妾とは! 私、耳を疑いましたわ!」
そうではないと否定したい。しかし、もはや俺は、何も話すことができなかった。
「ヴィルヘルム殿や、その取り巻きの嘘かもしれない。それに、一縷の望みをかけておりました。
ところが、陛下はエアハルトにおっしゃいましたね『エミリアの結婚相手については考えがある』と。
それを聞いて、父も私も確信いたしましたわ。陛下は本気で私をヴィルヘルム殿に与えるつもりだったのだと」
ヴィルヘルムを甘やかし、つけあがらせたのは誰か?
「餌をぶら下げるようにして父を戦場に送ってすり潰し、娘の私はかわいい弟君に与えて慰み者とする。これを『鬼畜の所行』と言わずしてなんと呼ぶのでしょう。」
許してもいいエミリアの罪を、そのまま放置していたのは誰か?
「全ての上に立つ皇帝が、臣民を目的のために罪に陥れ、都合の良い道具として扱って、平然としている国などあってはなりません」
そもそも、エミリアに罪を着せ、都合の良い婚約破棄をしたのは、誰か?
「いずれ、そのような国は滅びます」
そして、今日のこの事態を招いたのは誰か?
「滅びの混乱によって、より多くの無辜の民が亡くなる前に、私がその原因を除いてさしあげるます」
すべては俺が自分で招いたことだ。
こうなっては、もう、命は惜しむまい。
彼女の持つ、複雑な文様の施された短剣が、俺の胸に押し当てられた。
ああ、神よ。こんな俺の願いですが、聞き入れてください。
願わくば、俺のせいで、この後、不幸になる人間が、1人でも少なくなりますように……。
(「……夢の終わりか」)
もはや俺の声は、目の前の彼女にすら届いていないだろう。
この塀で囲まれた小庭の中にあるのは、無数の白薔薇、そして俺と彼女だけだ。
陽光に輝く白薔薇と彼女の銀髪。諦観をもって眺めれば、美しさだけが際立つ。
それもだんだん暗くなってきた。
先ほどまで塀の外から響いていた、兵たちの怒声、剣戟の音も聞こえない。
「さようなら。陛下」
……その声を最後に、俺の意識は途切れた。
そして……。
明日は『歴史資料エミリアローゼンブルグの日記2』。ローゼンブルグ事件後、エミリアはどうなったのか。日記形式で彼女の追います。お楽しみに!




