第21話 ※皇帝フリードリヒ4世 ~夢の広がり~
一面の白薔薇が咲き誇る庭園。薔薇の香りと柔らかな音曲が俺の心を和らげる。
空に晴れ間が見えないのは残念だが、今は雨期だ。いたしかたない。
俺は立ち上がり、辺りを見回した。
周囲の家臣たちの表情も一様に明るい。
ここは帝都のローゼンブルグ侯爵邸。
ローゼンブルグ侯は、同盟国であるイリリア王国への援軍として、明日帝都を発つことになっている。
その出陣をねぎらうため、今俺はここにいる。
俺の名はフリードリヒ・ザルツラント・シュバルツ。同じファーストネームの先祖が3人いるので、公式にはフリードリヒ4世と呼ばれている。
この国の皇帝だ。
『皇帝』と聞いて「すごい!」と思った者もいるだろう。
何がすごいことがあろう。内実を知れば誰もが驚くはずだ。
我が国の『皇帝』は支配権が全土に及んでいない。
「封建制度下では良くあることだ?」
では、「皇帝直轄領は首都周辺のみだ」と聞いたらどう思う?
誰だって「それは誰かの傀儡政権ではないか?」という疑問が湧いてくるだろう。
が、幸いなことに俺は傀儡ではない。自由に采配できる領地はちゃんとあるのだ。
『ザルツラント公領』という貴族領として。
我がシュバルツ帝国は、120年ほど前から『選帝侯』制度を採用している。
有力諸侯が話し合って皇帝を選出する制度だ。
周辺の大国からの干渉を撥ねのけて、国としてまとまるためには役に立つ。しかし、皇帝が死ぬたび、次期皇帝候補は『選帝侯』達のご機嫌取りをするはめになる。
部下のご機嫌取りをする上司。誰が尊敬するだろうか?
誰が畏敬の念をもつというのか?
それをどうにかすること。それだけが俺の目標だった。思えばこれまでの俺の人生は、皇帝権力の強化のためだけに使われてきたと言っても過言ではない。
権力強化の必然性にかられたのは、幼いころからの学習の成果だ。
現在、周囲の各国ではどんどん集権化が進んでいる。いちいち貴族家にお伺いを立てなければいけない現行の制度では、各国に立ち後れるのは必定だ。
今のまま手をこまねいていては、近い将来、我が国は周辺国の草刈り場にされるか、各貴族領が分離独立し、小国家の集合体に成り下がってしまうだろう。
俺は日々計画を練った。
どこにもそれは書かなかったし、誰にも話さなかった。
どこかに漏れたら ……良くて一生部屋住み、悪ければ暗殺だ。
俺には代わりを務められる2人の兄弟がいるのだ。
まず、1つ年上の兄フェルディナントだが、こちらはあまり警戒しなかった。
兄は優秀だが、庶子なのだ。しかも母親は準貴族扱いの騎士家の出。血縁重視の我が国では、まずあり得ない選択だ。
問題は、3つ下の弟、同母弟のヴィルヘルムだ。
こちらの方が危険だ。
弟は馬鹿だ。何も考えていない。
馬鹿に皇帝が務まるかって?
残念ながら、皇帝の権限の小さい我が国なら務まってしまう。
外征の必要も国内の混乱もない安定した状況で、自分たちの言うことを聞かず、既存の制度を変更しようとする英邁な皇帝と、「よきにはからえ」と家臣に素直に従い、現状を維持する傀儡皇帝。どちらが貴族にとって望ましい?
そのうえ、父も母も、賢しげな俺よりも、天真爛漫に見える(馬鹿なだけだが)弟の方がかわいいらしく、弟にべったりだった。
その弟を排除するために俺がしたのは、馬鹿を助長することだ。
弟に、何でも欲しがる物を与え、例え悪いことをしても、元気があって良いと褒めちぎり、見かねた家臣に注意されれば、必要以上に慰めてやり、注意した骨のある家臣は、裏からこっそり手を回して配置転換させる。etc……。
このように、思いっきり甘やかしながら、周囲をイエスマンで固めていった。
甘やかされた弟は、俺べったりになった。
そして、周囲に甘やかされるだけになった弟は、いろいろやらかしてくれた。
教会での礼拝中に、大司教の帽子を取って、残り少ない髪の毛をむしったり、皇城の門を通る貴族に、上から小便をかけたり……
日頃から暗に『教育』してやった結果は如実に表れた。
あまりの傍若無人ぶりを見て、弟に甘い母ですら『弟を跡継ぎに』とは考えなくなった。
これでヤツを皇帝に推す者がいたら、誰でも裏を勘ぐるだろう。
こうして、最大のライバルたり得た弟は、皇位継承争いから完全に脱落した。
ちなみに、弟は最低の皇族に成長したが、まだ、甘やかしは継続中だ。
もうここに至っては、あの弟に、家臣としての使い道はない。
しかし、長年の偽装のかいもあって、弟は俺の大のお気に入りだと思っている者がほとんどだ。
その誤った認識を生かして、俺に近づいて、甘い汁を吸おうと企む大貴族の、婿なり養子なりに送り込んでしまう予定だ。
奴はどうせ、すぐにでも不始末を起こすだろう。そうすればしめたもので、連座制を適用し、養家もろとも処分することができる。
不良皇族の処理ができるうえに、直轄領も増えて一石二鳥だ。
肉親に非情な仕打ちと考える者もいるだろうが、奴ももう成人した。
成人しても己の甘さや、俺の企みに気づけないような暗愚な者は、国を背負って立たなければならない皇族としては害悪でしかない。
今まで傍若無人に人生を楽しんだツケを払わなければならないのは当然だろう。
俺は継承後の準備を着々と進めた。
信頼できる友人の獲得。
忠臣の見極め。
そして、将来の皇后候補の選定。
その中で、候補になったのが、この邸宅の主でもあるローゼンブルグ選帝侯の長女エミリアだった。
教養も申し分なく、さらに100年に一人の傑物と言われるほどの魔法の才能をもっていたため、『皇位継承者候補』の妻としては申し分なかった。
……そう、この時点では。
まさに青天の霹靂だった。
俺が19のとき、父である皇帝が崩御したのだ。
死因は『魔法病』。
ごく稀に起こる、治癒魔法をかけられたことにより発症する病気で、治癒魔法をかければかけるほど悪化するというたちの悪い奇病だ。
高等学院から駆けつけた俺は、父の死に目には会えた。
が、玉体は元の倍近くにも膨れあがり、そこかしこに黒い斑点のような盛り上がりもできていて、見ていられない有様だった。
そして、一刻ほど苦しんだ後、父は死んだ。
速やかに7人の選帝侯が集められ、選帝会議が行われた。
そして、2週間後、俺は、齢19にして皇帝として即位することとなった。
これは少々誤算だった。父は引退するにしろ崩御するにしろ、即位まであと10年は期間があるだろうと考えて、計画を進めていたからだ。
遅らさざるをえない計画、破綻した計画がたくさんあった。
その最たるものが、俺の結婚だった。
エミリアは『皇位継承者候補』の妻としては申し分なかった。
しかし『皇帝』の妻としてはそうではなかった。
俺の目的のためには、どうしても目をつぶれないことがあったのだ。
それは、彼女の家族のことだった。
エミリアの父、ローゼンブルグ侯オイゲンははっきり言って無能だ。そして、嫡男である彼女の兄エルケンバルトも無能だ。
2人とも人畜無害で、悪い人間ではないし、野心もない。
そう、良く言えば2人とも『いい人』である。だからこそ、エミリアを婚約者として選んだのだ。
ところが、皇帝として即位してしまった後では、その利点は死に、欠点だけが際立つ。
俺は皇帝の権威を高めたい。そのために大貴族の力を削ぎたい。
ところが、国で5本の指に入る広大な領地を持つ貴族家に手を出せない。
明らかに当主も後継者も無能なのにもかかわらずだ。
この婚姻を、そのまま推し進めることは、俺にとって明らかに悪手だった。
しかし、当然だが、「お前の家族は無能だから婚約を破棄する!」とは言えるわけがないし、入念に調べはしたが、エミリアもローゼンブルグ侯も、悪事に手を染めているわけではなかった。
何か正当な理由が必要だった。1ヶ月ほど考えたが、よい案が思いつかず、悩んだ俺は、伯爵家嫡男として俺の学友に指名されていた、悪友コンラートに相談した。
その相談の結果、出た答えはこれだった。
『落ち度が無いなら作ってしまえばよい』
俺たちは、そのころ、俺に色目を使ってきていた男爵家の娘を利用して、エミリアを罠に掛けたのだ。
結果は大成功。何とかという男爵家の娘は国外追放。エミリアは謹慎処分にした。
エミリアは今も謹慎している。
もう4年もたった。そろそろ謹慎を解いてやってもいい頃合いだろう。
エミリアの犠牲から始まった改革だが、まだ道半ばだ。
麻薬取引や違法な人身売買に関わっていた悪辣な貴族家や、重税に苦しむ領民が蜂起した貴族家を、合わせて5つほど取りつぶしてやったが、巨悪はそう簡単に表には出ないもの。
今後も粘り強く進めていくつもりだ。
この4年の間に大きく変わったことがある。
俺の結婚だ。
3年ほど前、俺は隣国イリリアの王女ルイーゼを皇后として迎えた。
貴族どもが騒ぎ始めたとき、後ろ盾としての役割を期待してだった。
ただし、これには、予想もしていなかった嬉しい誤算がついてきた。
イリリア王国は、我が国にも対抗可能な、大陸有数の大国の1つであった。
ところが、昨年、北方の新興国リヴォニア帝国に戦争を仕掛け、まさかの大敗北を喫したのだ。
その後も劣勢が続き、援軍の要請も相次いだが、俺は言を左右にして引き延ばした。
首都も危うくなってきたという噂が聞こえてきたころ。よほど切羽詰まってきたようで、イリリアは破格の条件を提示してきた。俺とルイーゼの子を次代の王に据えるというのだ。
俺は内心ほくそえみながら、援軍の派遣を告げた。
散々じらしたので、ルイーゼには嫌われてしまっただろうが、彼女も離縁されれば、イリリア国王共々、北方で虜囚の辱めを受けるか、自害するかだ。強くは出られまい。
その皇后ルイーゼは、今年中に出産する予定だ。
生まれてくる我が子は、イリリア王国王太子兼シュバルツ帝国皇太子(候補筆頭)となることが決定している。
将来は両国で同君連合を組ませるつもりだ。
これで、イリリアを吸収することも、将来の選択肢の内に入るようになった。
そうすれば、ザルツラント家の力は飛躍的に増す。
国内問題の解決に四苦八苦することもなくなるであろう。
今回、出陣の前祝という名目でエミリアの赦免と名誉回復をしてやろうと思っている。
その上で、戦後は、兄フェルディナントを婿として送り込む予定だ。
実は、兄は以前からエミリアに気があったらしい。
俺の婚約者ということで、叶わぬ恋と諦めていたらしいのだ。
彼女の罪が、俺によって誘導された結果だったことを知ったあの日から、兄はエミリアと手紙のやりとりを始めた。
真面目な兄のことだ、当然、手紙には、沈む心を思いやる気持ちや、贖罪の気持ちも含まれていたのだろう。
しかし、4年も続くということは、未だ恋心は生きているに違いない。そう思ってちょっと聞いてみたら、真っ赤になって照れていたっけ。
兄はこれまで、陰日向なく俺を支えてくれた。面倒なことも厭わず働いてくれた。言いづらいこともきちんと言ってくれた。
その上、お家騒動の原因になることを気にして、25にもなるというのに、誰とも結婚しようとしない。
こんな兄に報いられるのは、俺としてもうれしいことだ。
こんな優しい兄なら、きっとエミリアも幸せにしてくれるだろう。
俺も胸のつかえが取れるというものだ。
この方針は、侯が勝とうが負けようが、大筋では変えない予定だ。勝ったら、褒美として、公爵に昇爵した上で、兄を婿に送る。敗れたら、兄を婿養子として送り込み、即、候には引退してもらって代替わり。そして、臣籍降下した兄を公爵に昇爵だ。
どっちにしても、公爵にしてやる代わりに、兄を婿養子として送り込んでローゼンブルグ家を乗っ取ることに違いはない。
違いは、オイゲン自身が公爵になれるかなれないかぐらいだ。
皇帝直轄領は増えないが、今の俺の権力強化のためには、全く問題がない。
数代経って関係性が薄まったとしても、その頃には皇家自体が、2か国の主として盤石の地位を築いていることだろう。
夢は大きく広がっていく。
皇帝は10代以前から、中央集権化のために行動していた。その成果もあって、権謀術数の経験値は上がったが、非情さが目立つようになった彼の、運命の6月12日。この日、皇帝に何が起こったのか。そのとき、主人公エミリアの果たした役割とは。『※皇帝フリードリヒ4世 ~夢の終わりに~』。お楽しみに!




