第20話 歴史資料エミリア・ローゼンブルグの日記より
これは、ローゼンブルグ事件を引き起こしたオイゲン・ローゼンブルグの娘で、事件の発端になったとも言われるエミリア・ローゼンブルグの日記である。彼女は、歴史的には皇帝フリードリヒ4世からの婚約破棄により、数奇な運命に巻き込まれた悲劇の女性として知られるが、魔導研究の分野でいえば、いくつもの先進的な魔導研究を成し遂げた天才としても知られている。
ローゼンブルグ事件の原因や、エミリア・ローゼンブルグの魔導技術の謎については、現在も諸説あるところである。西大陸歴1,228年、彼女の母の実家、フェルゼンラント城の書庫から発見された本書は、定説を覆すような記述から、偽書の可能性も指摘されてきた。しかし、昨年、今までに発見されている彼女の書簡等との比較から、本人の筆跡であると認定された。日記は、西大陸歴895年1月1日から西大陸歴899年10月23日まで記されており、この期間中に婚約破棄事件や、ローゼンブルグ事件が起こっている。本書を読み解くことで、これまで謎とされてきた部分の多くを解明することが期待される。
なお、彼女は日記が流出することを恐れたのか、固有名詞の多くをイニシャルや隠語を用いて表現している。これは当時の社会情勢を考えると致し方ないところである。本書では、そこを読み解くにあたって、前後の出来事や、当時のエミリア・ローゼンブルグの人間関係を鑑み、独自に注釈を加えている。ただし、これについては、今後、新しい資料が発見されるなどした場合は、変更されることがあり得ることを事前にお断りしておく。
注釈を加えた点は『※』をつけた。
《中略》
895年 2月21日
明日は、学院(※高等学院のこと)主催の舞踏会だ。陛下からは重大発表があるため必ず出席するようにと父(※ローゼンブルグ侯オイゲン)に連絡があったそうだ。きっと正式な結婚の話が出るのだろう。いろいろと苦労してきたが、これでやっと報われるというものだ。それにしても、私より父の方がそわそわしているのは、どうにかならないものだろうか。
※895年 2月22日は、日記の記述がない。なお、この日にフリードリヒ4世による婚約破棄が行われたとされている。
895年 2月23日
昨日は不覚にも倒れてしまった。屋敷の皆はとても優しい。私は今まで父や兄(※侯爵嫡男だったエルケンバルト)を、無意識に下に見ていたが、人間として優れていたのは明らかに私ではなかった。こんな優しい家族に、私の不始末のせいで迷惑をかけるわけにはいかない。この上は、修道院に入って、世のために尽くそう。そうと決まれば、早速陛下に許可をいただかなくては。
895年 2月24日
いかに自分の目が曇っていたか、よくわかった。あの輩ども(※複数形のため、対象は複数いると思われるが、フリードリヒ4世が含まれているものと考えられる)の性根を見抜けなかった自分を恥じるばかりだ。D(※ディートリント・フェルゼンラントか。フェルゼンラント辺境伯嫡孫で、エミリアの従兄弟。フリードリヒ4世の側近の1人だった)は国のため有為な存在に成長していた。よく知っているだけに驚いた。ただ、公的にはともかく、私的な立場からすると、なんともいえなかった。
それにしてもM・M様(※時の宮廷魔導師長マルティン・マイヤーハイムか)の素晴らしさ。あのような方が中枢にいらっしゃるなら、まだ救いはある。
このことは、私のだけの胸の内にとどめておかねばならない。それがあのお方(※M・M)のご意志に報いることになるはずだ。
※23日と24日の記述の落差を見るに、この1日の間に、エミリア・ローゼンブルグは、事の真相を知ったようだ。そして、前後の記述の差から、皇帝を中心としたグループによる陰謀があったことが想像できる。どのような手段で知ったのか、具体的にどのような陰謀であったのか等は、今後の研究と、新たな資料の発見が待たれる。
※この日以降、日記の中には『M・M』氏が登場することが多くなる。『M・M』氏については魔導の師の略とする説もあるが、いずれにしてもマイヤーハイム卿が有力と考えられる。ただし、謹慎中のエミリア・ローゼンブルグと頻繁に遣り取りができたかについては異論があり、この点についても今後の研究が待たれるところである。
895年 2月25日
M・M様からお手紙をいただいた。お心遣いに溢れたお手紙であった。伝えることができないながらも、何とかそれを伝えようとなさる、あのお方の苦心が読み取れてしまうのが、何とも心苦しい。謹慎中ではあるが、こちらから、お手紙を差し上げることは問題がないようなので、早速お返事を認めた。
《中略》
895年 3月 1日
謹慎処分は下ってしまったため、帝都からは離れなければいけないそうだ。ただし、帝都では『謹慎』であるものの、帝都以外の出入りはについては一切関知しないとのお達しがあった。これは、帝都以外なら自由に行動しても良いということの裏返しに他ならない。おそらくこれもM・M様のおかげだろう。本当にお優しい方だ。ただ、その優しさに直接感謝を示すことができないのが残念でならない。
《中略》
895年 3月11日
帝都を離れる日となった。幼年学校入学以来、私の生活の軸はこの帝都であった。幼年期を過ごし、ことあるごとに帰っていたローゼンブルグ領ではあるが、思えば帝都の生活の方が長くなっていたため、懐かしさより寂しさの方が強いのは否めない。
午後、フェルディナント殿下(※当時。フリードリヒ4世の庶兄。高等学院でエミリア・ローゼンブルグらと同学年であった)が高等学院の卒業証書をもってきてくださった。卒業前の謹慎処分ではあったが、卒業認定はしてもらったとのこと。このあたりの気遣いは、流石フェルディナント殿下だ。帝都を離れる前にお会いできて本当に良かった。これで、心残りが減ったのもありがたい。
※6選帝侯戦争(900~901年)を終わらせたシュネーヴィントの戦(901年)の立役者としても知られる皇兄フェルディナント(当時)は、内政、軍事など、様々な功績を残している。魔導分野においても、学生時代は、エミリア・ローゼンブルグのライバルと目されるほど、優れた魔導師であった。非公式であるが、高等学院在学中には両者が魔術勝負をしていたという記録もある。しかも、勝率はフェルディナントの方が上だったという記事も散見される。上位者への忖度の可能性は否定できないが、両者の交友関係を示すエピソードである。
なお、『M・M』をフェルディナントに比定する説もある。しかし、この日の記述を含め、フェルディナントの名は数か所登場するものの、マルティン・マイヤーハイムは登場していない。このため、本注釈では、「『M・M』=マルティン・マイヤーハイム説」を採用した。
《中略》
895年 3月22日
昨日、城(※ローゼンブルグ城)に着いたばかりだというのに、もうM・M様からお手紙が届いた。あの方の筆まめさには恐れ入る。今回のお手紙では、お気遣いをいただいただけでなく、魔導研究を再開してはどうかとお勧めいただいた。以前(※エミリア・ローゼンブルグは幼少期より宮廷魔導師の訓練場に出入りしていたとの記録がある)を思い出し、懐かしくなった。しばらく魔導研究から離れていたため、取り返せるかどうかは不安だが、再開してみようと思う。また、今回の返信では、いろいろとご相談しても良いか伺ってみよう。図々しくはあるが、お許しいただけるのであれば、答礼だけでなく、こちらからも手紙をお送りすることができる。でも、そんな手紙を送って、はしたないと思われないだろうか。かなりどきどきする。
※この後、『M・M』氏との書簡の往来は相当頻繁になっていることが日記からわかる。残念ながら、書簡の現物は発見されておらず、内容の詳細については不明だが、日記の記述から、エミリア・ローゼンブルグはこの書簡の遣り取りをかなり待ち望んでいたようで、『M・M』氏への敬愛・思慕の情の強さを窺い知ることができる。
《中略》
895年 8月 7日
弾丸系の魔法の発射方向と威力に相関関係があることは、以前に明らかにしていただいた(※885年ごろ発見された、魔法の威力を上げる方法のことか?)が、これはもしかすると他の呪文にも応用が利くのではないか。M・M様のことだから、既にご存じかもしれないが、伺ってみよう。まだ、お気付きではなかったら、M・M様のお役に立てるかもしれない。もしかすると褒めていただけるかもしれない。期待してしまう。
《中略》
895年 8月21日
流石はM・M様。気付いていらっしゃった。独力で気付いたことを褒めてはくださったけれど、魔力はともかく思考については、まだまだ足下にも及ばない。残念。ただ、周囲の自然条件や、事前準備によって、威力を拡大させる可能性について、アドバイスいただいた。早速実験してみようと思う。
895年 8月22日
城の庭園でプラントウォール(※植物を使って壁を作る魔法)を使ってみた。植栽の有無、その種類、水気・肥料の多寡、などをいろいろと変えながら実験してみたところ、明確な違いが出た。仮説は正しかった。早速M・M様に報告しなくては。
※このような記述があるが、当時の宮廷魔導師の記録に、そのような画期的な発見があったとの報告はない。マイヤーハイム卿が秘匿したか、エミリア・ローゼンブルグが報告しなかったのか、その後の戦乱で散逸してしまったのか、詳細は不明である。
《中略》
897年10月 1日
使い魔と精神リンクが可能なことから、遠隔通信の可能性について研究していたが、魔晶石(※魔物の体内からとれる石。照明等のエネルギーとして用いられる)を活用することで代用できそうなことが判明した。早速、報告しよう。これが実用化できれば、城に居ながらにして、都にいるM・M様とお話ができるかもしれない。最後にお目にかかってから2年半以上が経つが、お変わりないだろうか。
※この記述から、魔石通信の可能性が明らかになり、先日から試行実験が始められている。しかし、この日記が書かれたのは200年以上前である。そのような昔に時代を200年以上先取りする実験が行われていたことは驚嘆に値する。
897年10月 2日
久方ぶりに、M・M様と直接お話ができた。幸せな気分になった。そのうえ、今回の着想には相当驚かれ、大変褒めていただいた。今までも褒めていただくことはあったが、大人が子どもを褒めるようなものであった。今回の件でやっと手が届く所まできたような気がする。それにしてもM・M様はどれだけ引き出しを持っていらっしゃるのか。今回もいろいろなことを教えていただいた。中でも飛行方法についての知見は早速試してみたいと思った。
残念なのは、この魔晶石通信をしばらく使用できなくなったことだ。現在私は謹慎中であるし、「革新的すぎて命を狙われる可能性がある」などと言われると「確かに」としか言いようがない。M・M様は「謹慎が解けるのもそう時間がかからないから、焦らないで」と言ってくださった。あの輩(※フリードリヒ4世か?)も結婚したから、何とかなりそうだと言う意味だろう。焦らず油断せず待ちたい。
897年10月 3日
M・M様のおっしゃることは本当だった。確かにこうすれば、羽ばたかなくても長時間物を飛ばすことができる。それどころか羽ばたくよりも使用魔力が少ないのではないだろうか。方向転換や方角確認のアイディアもいただいたので、いろいろと試してみようと思う。
《中略》
897年12月 1日
試作5号の実験が成功した。やっと思った方向に飛ばせるようになった。せっかくなので、他人バレないように西の大森林の方向に向かって飛ばしてみた。途中で飛竜に追いかけられたのでちょっと焦ったが、振り切ることができた。この試作5号は、かなりの速度が出る。
それにしても大森林は広い。午後の半日飛ばしてみたが、まだ端が見えない。ただ、誰が住んでいるのかはわからないが、何か所か集落のような物を見つけた。どうやら大森林も、「人跡未踏」というわけではなかった。エネルギーはあと2日ぐらいは保ちそうだ。今夜は安全そうな人気のない砂浜にでも下ろして、明日もう一度飛ばしてみようと思う。
897年12月 2日
試作5号を朝から飛ばしたところ、2刻ほどで大森林の端に着いた。その先も半刻ほど飛ばしてみたが、人里は見当たらなかった。「大森林の先は地の果ての崖になっている」と言った人がいたが、それは違ったようだ。ちょっとした思いつきで、思いがけず大発見をしてしまった。上から見ただけだが、大森林の向こう側は、草原と岩山ばかりで、あまり人が住むには向かなそうな土地だと思った。
帰り道、また飛竜に出くわした。領地に竜など呼び寄せては大変なことになるので、海の方に逃げた。竜は去ったが、これだと陽のあるうちに陸地に戻れそうにない。機体を捨てるしかないかと焦っていたら島を見つけた(※ノイローゼンブルグ島か?)。そこそこ大きな島で、川もある。また、本島の南側の海は、ネックレスのように連なる、砂地の小さな島で囲まれていて、中の海はとても穏やかだ。もしかして、これはとても良い物を見つけてしまったのではないだろうか。明日にでも、お父様にお知らせしておこう。
※この2日間の記述が本当だとすればこの地域の探検の歴史が100年は早まる。
※これまでの記録では、ノイローゼンブルグ島は、大森林の開拓を願い出たローゼンブルグ家の船が、嵐で流された末、偶然発見したことになっていた。
897年12月 3日
試作5号は午前中に城に戻った。途中で変な方向に飛ばしたので、エネルギーはぎりぎりだったが、何とか戻ってくることができた。自分自身がしたわけではないが、すごい大冒険だった。早速お父様にお知らせした(※遠隔通信によるものと思われる)ところ、慌てて外に出て行かれた。後で聞いたら、宮城のM・M様に相談に行かれたそうだ。流石はM・M様。上手い理由を考えてくださった。これは今後が楽しみだ。
《中略》
898年 4月10日
いよいよ島(※ノイローゼンブルグ島)に向けて船が出航する。400人乗りの船5艘に物資と先遣隊800人を乗せての出発だ。人員のうち、650人と船1艘は島に残り、残りは帰還して、第2陣を送る予定だ。大森林の海岸近くに飛竜の縄張りがあることは、周辺では既に知られていたので、安全を担保する名目で、わざと船を沖に出し、島に向かわせる予定だ。このことは、旗艦の船長と航海士、開拓団長しか知らない機密事項となっている。ただ、他の艦にも空中から進路を確認できる秘密兵器があるという話はしてあるらしい。順調なら、5日ぐらいで着くはず。すごくうきうきする。
《中略》
898年 4月15日
予定通り船は島に着いた。お父様に報告すると、『エミリア島』などというとんでもない名前をつけようとしたので、説得するのに苦労した。島では危険な物がないか数日間調査をした後、予定通り開発を行う予定だ。先日新しく開発した新型魔導人形(※どのような物であるかは不明)がどれほど働けるかも楽しみだ。
※900年に始まったの6選帝侯戦争の後、ノイローゼンブルグ島と、大陸との間は、音信不通となる。950年に再発見された際には、島には飛竜が住み着いており、非常に危険な状態であった。また、その探険の際に、開拓のため入植したはずの住民は発見できず、残念ながら全滅したものと考えられている。
《中略》
898年 8月 5日
飛竜について、M・M様から1つの仮説を頂戴した。飛竜が飛行機(※飛行式魔導機械の略語か?)を狙うのは、魔力反応に引き寄せられているのではないかというものだ。思えば、速度差があっても、近くを飛行機が通れば必ず追いかけてきたし、魔物の多い所は飛竜の生息数も多い。稀に里山に住み着くと家畜よりも人を好んで襲うという話もある。M・M様がおっしゃるには、あれだけの図体のものを飛ばすには大量の魔力が必要なはずで、自力で生成するだけでは足りず、外部から摂取して補っているのではないかとのことだった。飛竜は飛ぶのが当然と思っていたから、私は何の疑問も持たなかったが、その柔軟な考え方にはいつもの事ながら恐れ入る。流石である。ああ、あの方と毎日語り合うことができたならどれだけ幸せなことか。
M・M様は魔物自体に何らかの魔力感知器官が備わっている可能性があるともおっしゃっていた。ということは、その習性を利用して、おびき出すことも可能なはずだ。また、魔力を隠蔽する装置が開発できれば、魔物討伐が容易になる可能性があるし、魔石に自爆術式を書き込んでやれば、魔物に取り込ませて、内部からダメージを与えられるかもしれない。今はちょっと忙しくてやっている暇がないが、一段落ついたらぜひやってみたい事業だ。
※魔物の魔力感知についての研究が始まるのは920年ごろ、大森林への本格的な探険・入植が始まった前後からである。この説が公表されていなかったことが惜しまれてならない。
《中略》
898年12月11日
とんでもないものを見つけてしまった。明日にでも
※この日の日記はここで途切れている。また、次に日記が書かれるのは3日後の14日からである。当時の記録によると、この日、エミリア・ローゼンブルグの兄で、ローゼンブルグ侯爵家の継嗣だったエルケンバルトが亡くなったとされる。享年27歳。死因は入浴中の突然死であった。エルケンバルトには、子がいなかったため、謹慎中のエミリアの去就に注目が集まることになる。
898年12月14日
朝は何もする気が起きなかったのだが、今わたくしは、どうしようもないぐらい憤っている。お兄様の死は、あいつらの仕業ではないかと疑ってしまったが、毒も呪いも痕跡がなかった。冬場、部屋の温度差があると、突然亡くなる方がいるという話は聞いたことがあったが、まさかお兄様がそうなってしまうとは。優しかったお兄様。もっとお話がしたかった。帝都での葬儀に参加することができないのは立場上仕方がない。ただ、列席した一部の連中。あの連中は一体何なのか。悲しみに暮れるお義姉様(※エルケンバルト・ローゼンブルグの妻。ポルメルン侯爵家出身のロベルティーネ)に自分を売り込む●●息子、お父様に息子を薦める●●親(※●は塗りつぶし。1度書いて消してある)。これを機に侯爵家を乗っ取るつもりだろう。人の死に喜びを隠しきれない連中。心底あきれ果てた。
898年12月15日
お兄様を乗せた馬車が帝都を発った。今朝お父様と話をしたが、お父様も怒りをこらえるのに必死だったそうだ。悲しむことすら自由にさせてもらえないとは一体何なのだろうか。お父様は「あんな連中にくれてやるくらいなら、養子を取った方がいい」とおっしゃっていた。私もそう思う。幸い、マリー叔母様(※オイゲンの妹。フェルゼンラント辺境伯家に嫁いだ)には、息子が2人いる。ディート(※ディートリント・フェルゼンラント)は長男だからいけないが、エア(※エアハルト・フェルゼンラント)を養子にして、誰かまともな家の令嬢を妻に迎えればいいのだ。ロベルティーネお義姉様が望むなら、我が家に残っていただくのも良いと思う。流石に今のお義姉様と、こんな話をするわけにはいかないが。
《中略》
898年12月22日
お兄様の葬儀が行われた。陛下の名代として、わざわざフェルディナント殿下が御参列くださった。お目にかかるのは久方ぶりであったため、葬儀後は、不謹慎だと思いつつも、少し長話をしてしまった。殿下からは、悔やみの言葉だけでなく、わたくしの謹慎についてもお話をいただき、悲しみは溶けないが、一筋の暖かさをいただいた心もちがした。
夜、お父様、お義姉様と、お話をした。お義姉様はここにいると辛い気持ちが湧いてくるので、ご実家(※ポルメルン侯爵家)に戻りたいとのことであった。残念だけれど、お義姉様のお気持ちが第1だ。後でお父様と話したのだが、実家に帰るときには「今後いい人が見つかったら再婚しても恨まないし、再婚をしない理由に我が家を使ってもらってもいい」と話すつもりだそうだ。わたくしもそれで良いと思う。お姉様の幸せを願うばかりだ。
《中略》
899年 4月22日
普段はこない、お父様からの連絡がいきなりあった。聞いてわたくしは耳を疑った。皇弟様(※6選帝侯戦争の当事者の1人で、フルードリヒ4世の同母弟ヴィルヘルム。暗愚だったと伝わる)が、わたくしを妾に望んでいるとのこと。しかも、ご使者の話では、陛下も了承済みと言うではないか。謹慎中とはいえ、ローゼンブルグ家の直系はわたくししかいないというのに! 皇家は我が家をどうするつもりなのだろうか。
899年 4月23日
お父様によると、ポルメルン侯爵家に戻られたロベルティーネお義姉様の所にも、皇弟様から、妾として召し上げる旨の連絡があったとのこと。ポルメルン家では、服喪中を理由に断ったそうだ。何かが起こっているらしい。
《中略》
899年 5月 1日
イリリア王国(※時の皇后ルイーゼの母国。リヴォニア帝国との戦争で危機に瀕していた)への援軍の将にお父様が選ばれたとのこと。ここ最近の流れが1つに繋がった。そうか、そういうことだったのか。そっちがそのつもりなら、こっちにも考えがある。派兵の準備のため、お父様はこの後、領都にお戻りになる。その時には、お父様に、わたくしが知っていることを全部お伝えせねばならない。
899年 5月12日
お父様とお話をした。長い長いお話をした。計画を練った。優先順位を決めた。お父様は怒りながらも迷いがあるようだった。わたくしは、もうどうなっても良いのだが、お父様としては、わたくしのことを案じてしまって、簡単には踏み切れないらしい。相変わらず優しいお方だ。しかし、これを逃してしまったら、こんな機会は二度と無いだろう。決行当日の最後のキーワードまで決めて、それをもって最終的に可否を判断することにした。赦免と結婚。あの輩の口からどのような言葉が出てくることか。
《中略》
899年 6月11日
とうとう明日が予定日だ。屋敷の準備も万全。料理の準備も万全。陛下に献上する宝も準備した。主人はこれから戦争に行き、娘は謹慎中だからと、ほとんどの使用人たちには紹介状を書いて暇を出した。それでも残りたいとすがる者は、領都に送った。後は明日を待つばかりだ。「もう何の憂いもない」と言いたいところだが、残念ながら1つだけ心残りはある。いつも良くしてくださったM・M様。優しい言葉をかけてくださったM・M様。あのお方にご苦労をおかけしなければならないのは、心が張り裂けそうに辛い。あのお方のためだったら、何でもいたしましたものを!
わかりにくかったかもしれませんので補足します。『M.M』は、マルティン・マイヤーハイムではありません。マギーマイスター(魔道の師匠)の意味の隠語としてエミリアは使っています。公式な記録があるところは包み隠さずに、バレるとまずい可能性があるところは隠語で表現したので、後世の学者が、騙されているという設定です。
また、視点が変わります。今度は皇帝視点です。若くして皇帝となったフリードリヒ4世。彼は何を考えて『婚約破棄』を実行したのか。『※皇帝フリードリヒ4世 ~夢の広がり~』。お楽しみに!




