第2話 わたくしが『悪役令嬢』だったころ
あれは、わたくしが11歳の頃でした。
当時は第2皇子でいらっしゃった、現在の皇帝陛下であらせられますフリードリヒさまとの婚約も決まり、『100年に一度の天才魔導師』と、もてはやされていたわたくしは、まさにこの世の春を謳歌し、有頂天になっておりました。
今思えば、恥ずかしいこと、この上ないのでございますが、当時のわたくしは、まさに絵に描いたような、高慢ちきな小娘でございました。
その日も、幼年学校の帰りに、宮廷魔導師の訓練場をひやかしに行き、訓練中の新米魔導師に、勝負を挑んでいたのでございます。
ただ、それは勝負と言えるものではございませんでした。
わたくしの魔力量は、11歳の段階で宮廷魔導師長さまレベル。膨大な魔力に、ものを言わせた魔法の威力は、訓練に訓練を重ね、優れた技術を身に付けた、中堅の魔導師にさえ、優るとも劣らないものとなっておりました。
宮廷魔導師に採用されるくらいの、優れた資質をお持ちとはいえ、20歳そこそこの、新人がかなうわけもなく……。
「「アイスバレット」」
『ドスッ』
訓練場の土嚢に、見えなくなるほど深くめり込んだ、わたくしの氷弾と、土嚢に跡を残して落ちた、名も知らぬ新米魔導師の氷弾。この勝負も、わたくしの勝ちでございました。
「……ま、まいりました」
「おーっほっほっほっほ!! 氷魔法が得意とおっしゃるから、どんなものかと思えば、とんだ期待外れですわ!」
「いやー、さすがはエミリア殿! 100年に一度の天才と言われるだけありますな。我々も……」
「魔導師長さま!」
「……何、ですかな?」
「宮廷魔導師といえば国の柱、いくらわたくしが天才とは言え、大の大人が、しかも国の柱が、幼年学校の子どもに負けるようで良いのですか? その程度の力で皇族方をお守りできるのですか?」
「くっ!」
「あの者には暇を取らせて、もう少し修行させた方がよいのではなくて? おーっほっほっほっ……」
「へー、『100年に一度の天才』って言うから期待してきたんだけどな。この程度なんだ」
「なっ!!」
「これはフェ……」
絶句するわたくしを尻目に、宮廷魔導師長さまの発言を片手をあげて遮ったのは、1人の金髪の少年でございました。
線の細い儚げな彼は、わたくしと同年配ぐらいに見えますが、幼年学校で今まで見かけたことはございません。もっともその時は、人生で初めて、見下された発言をされた怒りで、完全に頭が真っ白になっていて、そんなことを考える余裕はなかったのでございますが……。
「魔導師長、今、負けちゃった、そこの彼をちょっと借りていい?」
「構いませんが?」
「お兄さんちょっと来てよ」
「はっ!」
先程、わたくしに負けた新米魔導師を呼んで、なにやら耳打ちをしていた少年。しばらくして戻ってきた彼に、わたくしは食って掛かったのでございます。
「あなた! 先程の無礼な発言は、わたくしを『天才エミリア・ローゼンブルグ』と知ってのものかしら!」
「無礼かどうかは知らないけど……。そうだよ」
「ローゼンブルグ侯爵家の長女にして、第2皇子フリードリヒ殿下の婚約者である、このわたくしと知って、あのようなふざけた物言いをするとは!! 許され……」
「アイスバレット」
『ダァァァァン』
訓練場全体に轟音が鳴り響きました。振り返ったわたくしが見たものは、激しく壊れた土嚢の山でした。
呆然と立ちすくむわたくしの耳元で、少年がささやきます。
「ね、新米の彼だって、このぐらいのことはできるんだよ」
「あ、あんなの……。そうよ! インチキ、インチキに違いありませんわ!!」
「へー、じゃあ、どんなインチキを使ったの?」
「それは、わかりませんけど…… でも、いきなり魔法の威力が上がるなんて、何か特殊な魔道具を使ったか何かに決まっていますわ!!」
「信じて貰えないか。じゃあ、勝負しようか」
「インチキ無しなら、あなたなんかにわたくしが負けるわけはございませんわ」
「へー。じゃあ負けたらどうするの」
「何でも言うことを聞いて差し上げますわ」
「じゃあ、僕が勝ったら、色々と馬鹿にしていた、宮廷魔導師たちみんなの前で、『大きな口をきいて、すみません』って謝って貰おうかな」
「では、わたくしが勝ったら、あなたは高等学院卒業まで、わたくしの下僕にして差し上げます」
「なっ、そ、それはいけま……」
「魔導師長、いいから。……わかったよ。それでいいよ」
「ふふん。負けてから謝ったってゆるしませんことよ」
「はいはい。……で、どんな勝負にするの?」
「あなたがインチキをしていないことがはっきりするなら、わたくしはどんな勝負でも構いませんわ」
「うーん、じゃあこんなのはどうかな……」
「でも、それでは違反していることがはっきりとは……」
「それなら宮廷魔導師長にお願いして……」
「なるほど!それなら……」
このような話し合いの結果、金髪の少年とわたくしの勝負は、こんなルールに決まったのでございます。
まず、お互いに、今回の勝負では『魔道具は使わない』との誓いを立て、違反すると体中に激痛が走る『ギアス』の魔法で違反がないようにする。
次に、わたくしがストーンウォールの魔法で石壁を2つ作り、金髪の少年が先に好きな方を選び、残った方をわたくしが選ぶ。
合図とともに魔法の詠唱を始め、先に破壊した方が勝ち。ただし、ストーンバレットなどの弾丸系統の魔法は、破片が飛び散ると危険なので使用しない。
この条件をつけたわたくしは、勝ちを確信しておりました。なぜなら、建造物を効率よく破壊できる魔法はあまり多くないからでございます。
木なら、火魔法でも破壊できましょうが、今回の課題は石壁でございます。先程の良くわからない威力のアイスバレットを使われるとやっかいですが、彼は自ら危険だからと封印してしまいました。
確かに他の子どもより、だいぶ魔力量は多そうに見えますが、それでもあの新人魔導師並み。特殊な魔道具のサポートでもなければ、絶大な威力を誇る大魔法を使用することはできそうにありません。
片やわたくしの魔力は、宮廷魔導師長さまレベル。大魔法の使用も可能でございます。
(ふふっ、詠唱に時間はかかりますが、大魔法のアースクェイクで、一気に決着を付けさせていただきますわ。)
双方が所定の位置に着いたのを確認された、宮廷魔導師長さまの手が上がります。
「始め」
「…………」
合図とともに、わたくしは詠唱を始めました。
詠唱も半ばにさしかかったところでしょうか。大きな音がするのと同時に、わたくしは詠唱を中断させられました。
「やめ、勝負あり」
「えっ!!」
驚いてわたくしが振り向くと、崩れた石壁が、湯気を噴き上げていました。
「やあ、僕の勝ちだね」
「くっ! 今度はどんな卑怯な手を……」
「あれぇ? 君は何で、負けるといつも『インチキ』だとか、『卑怯』だとか言うのかな?
まさか、自分は絶対負けるはずがないって思っていたって事かな? もしかして、天才エミリア・ローゼンブルグさまは、勝てそうな相手にしか、勝負を挑んでこなかったのかな? それこそ『インチキ』とか、『卑怯』って言うんじゃないかなぁ?」
彼の言葉を聞いて、わたくしは初めて気付きました。自分は自分より力のない人間を貶めて、悦に入っていたことに……。
恥ずかしさのあまり、走り去ろうとするわたくしの背に、彼は追い打ちをかけてまいりました。
「あれぇ!? 天才エミリア・ローゼンブルグさまは、約束もきちんと守れないのかなぁ?」
「えっ!」
「ほらぁ、宮廷魔導師の皆さんに、『大きな口をきいて、すみません』は?」
「くっ!! ……今まで大きな口をきいて、すみませんでした!!」
「おっ! 流石だね。僕の言った通りじゃなく、自分の言葉で話せてる。えらいねぇ」
「あんたなんかに褒められても嬉しくないわよ!! 覚えていらっしゃい!! 次は負けないんだからね!!」
「はーい。楽しみにしてますよ。天才エミリア・ローゼンブルグさま!」
結局、その後、彼に何度も勝負を挑んだのでございますが、幼年学校在学中、一度も勝つことはできませんでした。それだけでなく、負けるたびに、許可なく宮廷魔導師に勝負を挑むことを禁止されたり、彼の正体を詮索することを禁止されたりと、制約が増すばかりでございました。
それでも、わたくしは、彼との勝負を止めませんでした。挑んでは負け、捨て台詞を残して去る事の繰り返しではありましたが……。
初めて人に負けて、悔しかった。というのが、勝負を挑む主な目的であったことは、否定しませんが、それだけでなく、今考えれば、人生で初めての、ライバルの存在が、嬉しかったのだと思います。
転機は、その年の冬でございました。
わたくしはもう12歳になっていました。いつものように(笑)彼に敗れたとき、いつもの捨て台詞ではなく、「何であんなに威力があるのよ!!」と半ばキレながら尋ねてみたのです。
すると、彼は、その理由を、惜しみもなく教えてくださいました。
まず、アイスバレットは高所で生成した氷弾を、下に向けて撃ち出したからだそうでした。「だって、高いところから落とした方が威力が上がるでしょ」と彼は話していました。
また、石壁を壊したのは、生活魔法のヒートと、水魔法のウォーターを組み合わせて温度を急激に変えることで、石を脆くしたとおっしゃっていました。温度の変化で石が脆くなるなんて、存じ上げなかったわたくしは「何でそんなことを知っていたの!?」と尋ねましたところ、彼は少し言いよどんでいましたが、「ガラスのコップに熱湯を注いで割ってしまったことがあって、そこから思いついたんだ」と話してくださいました。
そして、わたくしにおっしゃったのです。
「君には100年に一度の素質がある。
ただ、ああやって、自分より才能のない魔導師をからかって喜んでいるようでは、10年に1人くらいで終わってしまうかもしれない。それがもったいないと思ったんだ。
僕を見てよ。魔力の才能では君に遠く及ばない。でも、身分や才能の上下を問わず、いろいろな人から話を聞いたり、身近ないろいろな出来事に目を向けて、いつも工夫しながらやっているから、君に勝てている。
君にそれができるようになったら、100年どころか、1000年に1人の大魔導師にだってなれると思うよ」
「でも、わたくしにできるかしら……」
「できるさ! だって、君には、負けても負けても諦めない根性があるじゃないか。今は慣れていないから、できないかもしれないけれど、頑張れば絶対できるようになるよ!」
「わかった! わたくし、がんばってみる!!」
「……あ、そうだ、君、フリードリヒ殿下のお妃になるんだろう?」
「え、そうだけど、……もしかして。わたくしを好きになっちゃった?」
「いやぁ、将来の皇后が、こんな言葉遣いで良いのかなって思っただけ!」
「ちょっ!この!……」
「あ、僕はエミリアのこと好きだよ! じゃあねぇ!」
「もう!!」
(でも、1000年に1人か……。だまされたと思って、頑張ってみようかな……)
彼の言ったとおりに頑張ったおかげで、人に教えを請うことも出来るようになりました。人の話に耳を傾けることも出来るようになりました。些細なことで、怒ったり、怒鳴ったりしなくなりました。
その結果、わたくしの魔法の威力は上がっていきましたが、彼は次々に対抗策を出してしていらっしゃるので、最終的には、わたくしの負けになってしまいます。かなり惜しいところまで行ったこともあるのですが……。
ただ、その頃には、勝ち負けよりも、新たな発見や工夫が楽しくなっていて、月2回の対戦が、本当に待ち遠しかったものです。
彼の正体がわかったのは、高等学院初等科の入学式でございます。わたくしの婚約者、フリードリヒ殿下の隣に座る彼の姿を見かけたときは、驚きのあまり、儀式の場であるにも関わらず、大声を出してしまうところでございました。
(「お父様」)
(「なんだい?エミリア」)
(「殿下のお隣に座っていらっしゃる、金髪の方は、どなた様でございますか?」)
(「ああ、エミリアが知らないのも無理はないか。あまりお体が丈夫ではないそうで、幼年学校には、通っていらっしゃらなかったからね」)
(「で、どなた様ですの?」)
(「あの方はね、第1皇子フェルディナント殿下だよ」)
これが、わたくしのライバルであり、恩人であり、親友である、皇兄フェルディナント殿下との出会いでございます。あの方がいらっしゃらなければ、わたくしは、有り余る魔力と家柄だけを鼻にかけた、無知で高慢な小娘に育っていたかもしれません。
ちなみに、殿下との勝負は、婚約者でもない男と一緒にいるのは望ましくない。というフェルディナント殿下の判断で、初等科修了時点で取り止めとなりました。
まあ、その頃には、勝率も五分五分になっておりましたので、わたくしとしても悔しい思いはございません。一緒に魔法の研究ができなくなったのは、少し残念ではございましたが、中等科に入ると、わたくしも皇妃教育が忙しくなり、趣味にかける時間も減ってきましたので、致し方ないことでございました。
「エミリア、準備はできたかい?」
お父様の声で我に返りました。こんな大事なときだというのに、少し思い出にひたってしまいました。わたくしとしたことが……。
それにしても、お父様ときたら……。準備ができたかと尋ねられるのは、もう4回目でございます。こんなことでは、結婚式本番では、卒倒してしまうのではないでしょうか。まあ、その小心で、悪いことをできないのが、お父様のとりえなのですが……。
とはいえ、さすがに、何度も同じことを聞かされると、少々イライラして参ります。少し準備を急ぐといたしましょう。
その後、わたくしは、もう1度同じことを、お父様から言われることになる。
お父様にせかされ、慌ただしく出発した私たちが、会場へ着いたのは、開会の2時間も前だった。
そして、わたくしにとっては永遠にも近い、その2時間が過ぎ、とうとう舞踏会が幕を開けた。
そして、わたくしの舞踏会は、その冒頭で終わったのだ。
ついに舞踏会の開幕。そのオープニングで皇帝から呼び出されるエミリア。全員が注目する中、皇帝の口から飛び出した言葉は。次回は『舞踏会』。お楽しみに!