第13話 恋の始まり
いきなりコンラート様が吹っ飛んだのを、わたくしは呆然と見送りました。集中が切れたこともあって、魔法の発動はキャンセルされてしまいましたが、はっきり言って、これは助かりました。
使い魔を起点にする魔法は、その使い魔の魔力を消費します。リスであるシーちゃんの魔力は決して多くありません。怒りにまかせて大魔法を放っていたら、急激に魔力を消費したシーちゃんの命は失われていたでしょう。
本当に危ないところでした。
「ディートリント! コンラートを取り押さえておけ!!」
「はっ!」
コンラート様を吹っ飛ばしたのは、先ほどまで、真っ青な顔をなさっていた、フェルディナント殿下でした。
殿下は、ディートに命じて、床に転がり吐瀉物にまみれた(いい気味です!)コンラート様を取り押さえさせると、陛下の下に向かい、呆然としている陛下の胸ぐらをつかみ上げ、
「フリードリヒッ! 貴様のこの所行は何だっ!」
「あ、兄上……」
「私は幼年期に貴様の理想を聞いて素晴らしいと思った。
同じ皇族であっても、私にはできない、お前にしかできないことだと思ったから、ここまで付いてきたのだ!
それが何だ!? この有様は!
私欲のために人を利用して使い終わったら無残に捨てる! 何の落ち度もない人間のあらを探して罪を着せる!
とても人の上に立つ人間がすることとは思えぬ!!」
そう言うと、フェルディナント殿下は陛下をソファーに投げ飛ばし、コンラート様の下に向かいました。そして、ディートに引き起こされたコンラート様を怒鳴りつけたのです。
「コンラート! 貴様も貴様だ!
策を巡らすことが悪いとは言わん! ただな、人は人だ! 考えもすれば感情もある。言った通りに動き、捨てられても何も言わぬチェスの駒ではないのだ!
しかも、敵や悪人ならともかく、味方の善人を、このような卑劣な策にかけようとは、言語道断! 恥を知れッ!」
「し、しかし、陛下が……」
「黙れッ!この期に及んで陛下の名前を出すとは何事かッ!!
仮に汚れ仕事を引き受けるなら、最後まで全うするのが臣下の務めぞ!
手柄は主君に、穢れは臣下に。このようなこともわきまえておらんとは……。この恥知らずが!」
「………………」
「コンラート……。
貴様は頭も切れるし胆力もある。大業を成すに、貴様を欠かせぬ者と思ったからこそ、陛下も重用なさっておられるし、こちらに話が回ってこずとも『コンラートが付いているのだから』と、我らも信頼して任せていたのだ。それが何と情けない……。
確かに策を弄せば、一時の傷は少ないかもしれん。しかし、策ばかり弄する者を誰が信用する?
こたびの策は、一時の利を得るため、信用という大利を失う下策だ。本来であれば、このような策が出てきたなら、お主が陛下をお止めせねばななかったのだ。それを一緒になって進めるとは……
情けなくて涙が出るわ!!」
フェルディナント殿下は、話しながら幾分か落ち着かれていらした様子に見えます。わたくしも最初は怒り、その後はあっけにとられて見ておりましたが、やっと落ち着いてまいりました。
それにしても、フェルディナント殿下といえば温厚、且つ、冷静なお人柄。このようなお姿を拝見するのは初めてでしたので、わたくし、かなり驚いております。この驚きがあったからこそ、最初の怒りが治まったことは否定できません。
そして、わたくしの心の中は驚き一色ではございませんでした。国のためであって、わたくしのためではないのだと思いつつも、彼らの理不尽な所行に、こんなにも怒ってくださったことを嬉しく思う自分がいたのです。
うなだれるコンラート様を尻目に、フェルディナント殿下は、陛下の方に向き直り、そして、今度は丁寧に話し始めました。
「陛下、まず、どのような理由で、婚約を解消なさろうとお考えになったのですか? お聞かせください」
「そ、それはだな……」
……陛下曰く、わがロ-ゼンブルグ家は後ろ盾として心許ない。能力がない者に大領を預けておくのは国のためにならない。外戚ならば無能でも所領は削れない。エミリアは傲慢で、関わった役人が幼少時から何人も仕事を辞めている。魔法の才能が高いが、すぐに宮廷魔導師に勝負をふっかける戦闘狂である。勉学に秀でていることを鼻にかけている。皇帝として子孫を残すため側室が必要だが、エミリアは嫉妬深く、近づいてくる女を排除している。etc……。
幼少期の悪行の話は、事実ですから甘んじて受け入れるしかございませんが、家族の話など、呆れるしかない理由が、次々に出てまいりました。このようなお方をお慕い申し上げていたとは……。自分の不明を恥じるばかりでございます。
陛下のお話が一段落するのを見計らうと、フェルディナント殿下は、大きなため息をついてから、再び話し始めました。
「陛下。あなたは今まで何を見ていらしたのですか。
まず、ローゼンブルグ家の件です。失礼ですが、確かに、ご当主もご嫡男も切れ者とは言えませんし、武芸に秀でているという話も耳にいたしません」
「兄上もそう思うであろう!」
「最後までお聞き下さい。知にも武にも見るべきものがないからといって、駄目なわけでは決してありませんぞ。
たとえば、ここ数十年、ローゼンブルグ侯爵領で、飢饉や暴動が起こった話を聞いたことがありますか? そしてローゼンブルグ家のお歴々の生活の様子はいかがですか?
これは堅実な善政を敷かれている証拠ではございませんか。
さらに、能なき者が大領をもつことの害を説いていらっしゃいましたが、逆に能ある野心家が大領をもつ方が、よほど危険なことではありませんか?」
「……確かに。その通りだ」
「そして、エミリア殿のことです。陛下、あなたはエミリア殿の何をご覧になっていたのですか!
確かに幼少期に関わった方々が何人か職を辞したこと、宮廷魔術師に勝負を挑んでいたことは私も知っております。しかし、それは幼少期のこと。最近そのような話を耳にされたことはございますか?」
「……そういえば。ないな」
「職を辞された方については存じ上げませんが、宮廷魔導師たちには謝罪もしております。これは魔導師長殿にでもご下問いただければ、すぐに明らかになることでございます。
さらに、魔法の分野で言えば、魔法院との共同研究で、多大な成果も上げております。
彼女が傲慢であれば、他の者との協力が欠かせない共同研究で、成果を上げることなど出来ましょうか?
そして、エミリア殿が嫉妬深いとのことでございましたね。私、色恋に関しては詳しくございませんが、それも納得しかねます。
例えば、このたび名前の挙がった、ブラウン男爵令嬢ですが、彼女を正室は論外にしても、側室、または愛妾として、お引き立てなさるつもりはございましたか?」
「ないな。見た目だけのあのような女、一夜限りだとしても御免だ」
「陛下自身がそう思われるのです。エミリア殿を含めた周囲の者も、同じように考えたことでしょう。
さらに、ブラウン嬢は男爵令嬢。エミリア殿は侯爵令嬢。しかも選帝侯の令嬢にして陛下の婚約者であらせられました。
仮に、エミリア殿が嫉妬に狂っていたのなら、ブラウン嬢は作日を待たずに、この世から消えていたことでしょう。
誰が見ても陛下にふさわしくない娘が、何のとがめも受けることなく陛下の周りをうろうろできていた、そのことだけを取ってみても、エミリア殿が慈悲深い証拠になると思うのですが、いかがでしょうか?」
「………………」
「ちなみに側室候補が存在しない理由を、陛下は御存知ですか?」
「?」
「エミリア殿が優秀すぎて、他家が諦めてしまったのですよ。
エミリア殿が婚約者に決まったのを聞いて、多くの家では娘の婚約を急ぎました。『陛下にお世継ぎが生まれるまでは、結婚をしない』と宣言していた私にさえ、10数件打診があったほどですので、これは事実でしょう。
その結果、陛下と同年代の高位貴族家の令嬢は、全て婚約者が存在する事態となりました。子爵家以下なら婚約者のいない娘もおりますが、下位貴族では、よほど何か秀でた物でもない限り、側室としても、ちと厳しいのは御存知かと思います」
「たしかに、即位が決まってから近づいてきた女は、子爵家以下の者ばかりであったが……。いや、待て! 何人か伯爵家の者もおったではないか!」
「その者どもには婚約者が既におりました」
「なっ!」
「そういう怪しい者どもを、エミリア殿が抑えていたのです。
また、婚約者のいない下位貴族の娘を、エミリア殿は一人一人を呼んで、側室の役割を丁寧に説明していました。
その結果、ほとんどの娘が、『自分には荷が重い』と自ら退いたのです」
さらにフェルディナント殿下の話は続きました。
殿下曰く
『わたくしの周囲にいる令嬢は、権力に阿る取り巻きではなく、わたくしを真に慕っている友人である。そうでなければ、皇帝に物申すことなどできるはずがない』とか
『魔法実技を苦手にしている娘が落第しないように、練習につきあってやるような思いやりがある』とか
『最近植物魔法の研究を進めているのは、収量が増して農民が少しでも豊かになれば、と民の立場に立った思考ができるからだ』とか……
全て、わたくしのことを擁護する話ばかりでございます。
わたくしが意識していたことはもちろん、意識して行っていなかったことまで見ていてくださる方がいらっしゃった。
婚約破棄に打ちのめされ、心ない言葉に傷つけられたわたくしの心が、温かいものに包みこまれていくのがわかりました。
「陛下おわかりいただけましたか?」
「よくわかった。兄上、朕が間違っておった」
陛下の言葉を聞くやいなや、フェルディナント殿下は、いきなり床へ直に座り直し、頭を床におつけになりました。
「陛下。先ほど来、私は臣下にあるまじき言動をいたしました。どのように処断されようと異論はございません。私に罰をお与えくださいますように」
「立ってくれ。そして、顔を上げてくれ、兄上。良いのだ。言いにくいことをよくぞ言ってくれた。逆に礼を言わねばならぬ。朕が間違っておった。間違いを正してくれた兄上を罰してしまっては、今後、誰も意見を言いに来る者はいなくなる。そうなれば、転がり落ちるのは必定だ。今後も間違いがあれば、遠慮なく話してほしい」
「ありがたき幸せ! では、こたびのエミリア殿たちの罪をなかったことにするわけには……」
「陛下!フェルディナント殿下! それはなりませんぞ!」
声を上げたのは、ここまで黙っていたディートでした。
「フェルディナント殿下。陛下のなさったことは確かに非道でございます。
しかしでございます。陛下は国内の貴族はもとより、外国の大使も列席する中で、婚約の破棄と罪を与えることを宣言されてしまわれました。
その宣言を、数日もしないうちに撤回してしまうのは、さらなる混乱の基になります」
「しかしディートリント、エミリア殿には何の罪もないではないか!」
「殿下、だからこそでございます。
あれだけの方々の前で、『罪がある』と宣言してしまわれたのです。それをいきなり撤回なさっては、何らかの裏があると、言外に認めているようなものではございませんか。
そうなれば貴族たちの中に疑心暗鬼の芽が生じ、内乱につながることもありましょう。
もはや何も無しというわけには参らぬのです」
「………………」
「陛下。陛下のお言葉は大変重いものでございます。陛下が一度おっしゃったことは、そうそう曲げることはできません。
私も、親族としてエミリアの罪を帳消しにできるのならば、これほどうれしいことはございません。
しかし、我々がそれを求めることは、もはやできないのです」
「……そうか、ままならないものだな」
「その通りでございます。こたびの策はコンラート殿の発案ということでございますが、それを採用なさったのは陛下でございます。
そして、陛下が発表なさったということは、それは正しいこと……。いえ、正しくなければならないのでございます。
皇子であらされた時とは、言葉のもつ重みが全く違うのです。ご自身のお言葉を、ゆめゆめ軽く思われませんようお願い申し上げます」
「そうか。ディートリント。朕が不明であった。お主の言葉、肝に銘じる。どうか、これからも朕を支えてほしい」
「もったいないお言葉でございます」
「兄上。申し訳ない。望みを叶えることはできなそうだ。ただな、この件に関しては兄上に処理を一任する。罪を与えないわけにはいかないようだが。ぜひ悪くないようにしてやってほしい」
「わかりました。では、この件に関しては、私の方で処理いたします。ただ、先に許可を頂戴したいことがあるのですが……」
「兄上に一任したのだ。遠慮なく言ってくれ」
「では、エミリア殿については、数年以内に確実に名誉回復をすること、また、その際には、ローゼンブルグ家の名誉を傷つけることのない、きちんとした結婚相手を斡旋することについて、今、お約束をいただきたいのです」
「ああ、わかった。罪滅ぼしにもならないが、その程度であればこちらで考えよう。朕の斡旋となれば、それだけでも名誉回復の一部になるだろう。おおっぴらにはできないことであるから、兄上には苦労をかける。何か必要なことがあれば何でも言ってくれ」
「ありがたき幸せ。……ところで、コンラート」
「はっ!」
「先ほどは殴ってすまなかった」
「えっ!?」
「本来であれば、陛下を殴りたかったのだが、さすがに陛下を殴るわけにはいかず、陛下の分までお主を殴ったのだ」
「おい! 兄上!!」
「幸い陛下も考えを改めてくださった。此度のような独断は困るが、そなたのような切れ者が陛下のお側には必要だ。これに懲りず陛下を支えてくれ」
「はっ!心を入れ替えてお務めいたします!」
「では、清浄魔法と治癒魔法を……。おっとこのままでは警報が鳴ってしまうな! 陛下、一度結界を解く許可をいただけないでしょうか?」
「うむ、このままではコンラートが女たらしに見えないから落ち着かん。結界を解いて、魔法をかけてやってくれ」
「陛下! なにをおっしゃいますか!!」
「「「はははははは!」」」
結界が解かれたタイミングを見計らって、急いでシーちゃんを脱出させました。もっとお話を聞きたい気もしますが、もう大したお話は出てこないでしょう。それなのに、このままここにとどまっていては、シーちゃんもクーちゃんもかわいそうです。
それにしてもコンラート様も陛下も、あんな方だったとは!
コンラート様は、怪しい方だとは前々から思っておりましたので、『やっぱり!』といった思いしかありませんが、陛下が人を駒としか見ていないような方だとは、夢にも思いませんでした。あのような方をお慕い申し上げていた自分が恥ずかしいです。
……逆に、フェルディナント殿下には驚かされました。理知的で温厚で、大変優秀な方だとは思っておりましたが、あのような男らしい一面をお持ちとは。思い出すと顔が火照ってしまいます。
それにしても、コンラート様に向かって叫んだあのお言葉。あれが、わたくしだけのことをおっしゃってくださっていたとしたら、どんなに幸せなことでしょう。それだけではございません、わたくしのことを、あんなに良く見てくださっていたなんて……。
ああ、いけないいけない。また勘違いしてしまいそうです。
エミリア。勘違いしてはダメよ。殿下は国のため、皇家のために動かれたのよ。わたくしのためではないのよ。
でも、あんなに良く見てくださっているってことは……。
いえ違うわ。あれはきっと、わたくしの才能を惜しんでくださっただけよ。
でもでもでも……
その夜、わたくしは眠ることができなかった。そして、ベッドの上を転がりながら、答えの出ない対話を続けたのだった。
わたくしは、この日、フェルディナント殿下に恋をしたのだ。
自分の恋心に気付いたエミリアですが、次回からしばらく視点を別人物に移します。次回『もう1人の転生者 ~転生~』。「『もう1人の転生者』って、イッタイダレダ? ダレナンダー!」。お楽しみに!