第1話 困った男爵令嬢
「本日この場において、皇帝フリードリヒ・ザルツラント・シュバルツは、エミリア・ローゼンブルグとの婚約の破棄を宣言する!」
……この言葉から全てが始まったのだ。
「エミリア、準備はできたかい?」
「旦那様、女性の着替え中でございます。慌てずに。もう暫くお待ちください」
実は、このやりとりは今日3回目なのでございます。主人に対する返答であるにも関わらず、メイド長の返事にも、幾分かあきれの色が混じっているのが端から聞いていてもわかります。
わたくしは、自慢の銀髪を梳かせながら、扉越しにお父様に申し上げました。
「お父様。落ち着いてくださいませ。舞踏会までは、まだ4時間もあるではありませんか」
「しかしだな、きっと結婚式の日取りが発表されるのだ。そんな日に遅刻でもしたら……」
「だ・か・ら・こ・そ、入念な準備が必要なのではありませんか!」
わたくしが、着付けを受けながらたしなめてさしあげると、お父様は「むう」と唸って、引き下がられました。
ただ、お父様が、そわそわするのも、よくわかります。国立高等学院の舞踏会は、あくまで学院内の年中行事。例年出席者は、学生とその保護者が原則でございます。
ところが、今年の舞踏会には、保護者ではない有力諸侯や、外国使節等が列席することになっています。
昨年、先帝陛下が崩御され、今上陛下が在学中のまま、18歳で即位されたという特殊事情があるにせよ、いかにも不自然なことでございます。
さらに、陛下御自ら、婚約者の父親であるお父様に「重要な発表があるから、必ず出席するように」と念押しされたとのこと。
と、くれば「国内外に向けて結婚の日取りを発表するのだ」と考えたとしても、罰は当たらないでしょう。
かく言うわたくしも、うきうきしています。長年の苦労が報われたのでございますから。
特に陛下が即位された後の、ここ数か月は、急に増え始めた悪い虫を追い払う手間もあって、大変でございました。
陛下が皇子のお立場だったころも、婚約者があるのを知りながら、お近づきになろうと試みる不埒な方々は、いらっしゃったのですが、私が一睨みして差し上げると、こそこそ逃げて行かれたものでございます。
ところが、陛下の即位が決まりますと、側室の地位を狙ってか、公然と陛下に近づく輩が現れ始めたのでございます。
わたくしも本音はどうあれ、貴族として側室が悪いとは申し上げません。しかし、側室とは言え、皇帝の妻の1人となるからには、それなりの教養や才能が必要でしょうし、将来のお家騒動を避けるためにも、正室たるわたくしと良好な人間関係が築けなければ話になりません。
当然、わたくしの頭越しに陛下にお近づきになろうとする方々に、そのような深い考えは期待できず、悩みは深まるばかりだったのでございます。
その中でも、極めつきしつこかったのが、男爵家の令嬢、カトリーナ・ブラウン様でございました。2歳年下の下級生だった彼女は、ゆるふわのピンクブロンドという個性的な髪、大変可愛らしい顔つき、素晴らしいプロポーションといった、幾つもの天恵をお持ちでしたので、大変男性にもてはやされていらっしゃいました。
その反面、同性の評価は最悪でした。平気で人の陰口を言う。礼儀やマナーがなっていない。男性と女性で接し方が180度違う。決まった相手がいらっしゃる殿方にも平気でアプローチする。同時に複数の殿方とおつきあいする。等々。
そんなカトリーナ様が、陛下にアプローチを始められたのでございます。
最初は「婚約者のいる殿方に近づくのは淑女としていかがなものでしょうか」と、たしなめて差し上げたのですが、頭の作りが一般の方とはだいぶ異なっていらっしゃるご様子。たしなめた程度では、ご理解いただけませんでした。それどころか、陛下がお優しいのを良いことに、時と場をわきまえず陛下にまとわりつくありさま……。
さすがに私も腹が立ちましたし、想像するだに恐ろしいことでございますが、どなたの種かもわからぬ子を孕まれでもしたら……。
そう考えた私は、お友達のお力もお借りいたしまして、お手紙を差し上げたり、お呼び出しして、直接注意いたしましたり、彼女の行状を皆様に知らしめる文書を掲示いたしましたりと、あの手この手で、ご理解いただけるよう、手立てを講じてまいりました。
しかし、カトリーナ様には、全くといっていいほど、ご理解いただけません。
逆に私たちを「悪役令嬢」と呼び、「イベントが」とか、「フラグが」とか、訳のわからないことをおっしゃりながら、陛下へアプローチをかけることに、情熱を燃やす有様です。
この情熱を他の分野に向けられていれば、何らかの才能が開花なさったのではないかと、他人事ながら思ってしまったほどでした。
状況が変化いたしましたのは、半月ほど前のことでございます。
この日もカトリーナ様は、最上級生フロアへの階段を駆け上っていらっしゃいました。わたくしはそれを、学友であり、ともに子爵家の令嬢でいらっしゃる、フローラ様、コルネリア様と一緒に踊り場で待ち構えておりました。
……彼女の行動パターンなどお見通しです。
殿方がご覧になれば、百年の恋も冷めるであろう、だらしない笑みをお浮かべになられたカトリーナ様は、私どもに気がつくと表情を一変させました。そして、私を一瞥いたしますと、脇をすり抜けるようにして、上階へ上ろうとなさいます。
当然、フローラ様とコルネリア様に先を阻まれ、私どもに取り囲まれるような形になってしまわれました。
(あのように感情がすぐに表情に表れてしまうようでは……。その上あまりの無策ぶり……。側室どころか愛妾としても不合格ですわ)
心の中で深くため息をついてから、カトリーナ様にご挨拶いたします。
「カトリーナ様。ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
これまでに、さんざんご注意申し上げたかいもあって、挨拶を返すことが出来るようになられたようです。次は目上の人には、先に挨拶できるようになると良いのですが……。
ただ、振り向かれたカトリーナ様は、人を射殺せそうな目で、こちらを睨んでいらっしゃいます。
まあ、このような事で怯んでいるようでは、とても皇后は務まりません。涼しい顔で先を続けます。
「最上級生の階にどのような御用ですか?」
「あんたに関係ないでしょう!」
「いいえ。私たち、最上級生のフロアの、女生徒代表を務めておりますの」
「それがどうしたっていうのよ!」
「誰とは申しませんが、『最近、下級生の女生徒が、最上級生のフロアにお越しになり、誰それ構わず色目を使って困る』という苦情を受けております。噂では、婚約者のいらっしゃる殿方でも関係ないような、破廉恥な方だそうでございます」
「……人のことを破廉恥とか。どうせあんたらが触れ回ってるんでしょ!」
「あらあら、『誰それ構わず色目を使っていらっしゃる破廉恥な方』とは、カトリーナ様のことでございましたか! ……確かに、私という婚約者のいらっしゃる陛下に盛んに、アプローチしていらっしゃいますし、何よりご自身でお認めになったということは、間違いございませんね」
「くっ……、どうでもいいでしょ! さっさとそいつらをどかせなさいよ!!」
「それはいたしかねますわ」
「なぜよ!!」
「あら、おわかりになりませんか? カトリーナ様は、どうやらご自身でお認めになるほど破廉恥なお方。そのような方をお通ししては、最上級生のフロアの風紀が、乱れてしまうではありませんか」
「あんたって、ほんっっっとうに性格悪いわね!!」
「いえ、いえ、残念ですが、その点では、カトリーナ様の足下にも及びませんわ」
「……ふん! あんたみたいなお高くとまった、いやみったらしい女。きっと陛下だってえきへきしていらっ……」
「カトリーナ様。少々お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「……いきなり何よ!」
「はい。先程来の汚らしいお言葉遣いは、きっと、僻地の方言なのでしょう。
方言しか使えない方に、『共通語で話せ』と申し上げるのは無粋なことだと思い、ご指摘いたさずにおりましたが、今お使いになった『えきへき』というのは、どのような意味なのでございましょうか?
『辟易』でしたら『うんざりする』のような意味で使いますが、『えきへき』という言葉は、私、寡聞にして存じ上げないものですから……。あ、もしかして、ブラウン男爵領の方言でございますね。今日は一つ勉強させていただきましたわ」
「「「ほほほほほほほ」」」
「……あんたらねぇ! 何様のつもりよ! このっ!!」
カトリーナ様は、激昂なさり、いきなり飛びかかっていらっしゃいました。
まあ、その展開は予想の内でしたので、十分に引きつけてから、手で攻撃を受け流すようにして体を躱して差し上げますと、勢い余ったカトリーナ様は、その勢いを持続なさったまま、階下へ転げ落ちて行かれました。
「ずいぶん早いお帰りですこと」
「「全くでございますわ!」」
「「「ほほほほほほほ」」」
大きな音がいたしましたので、階下に人が集まっていらっしゃいました。あれだけの人だかり、中には治癒魔法の心得のある方もいらっしゃいましょう。私は階下を一瞥し、教室に戻ったのでございます。
噂で聞きますと、カトリーナ様は、結構な怪我をなさったそうでございます。自爆ですし、治癒魔法をかければ程なく完治いたしますので、同情はいたしません。逆に、痛い目に遭われたせいか、その後、陛下にまとわりつくことが無くなりました。
良いことです。
それにしても、痛みを受けて初めて気付くなんて、動物みたいなお方でございますね。こんなことなら、最初から動物と同じよう『調教』して差し上げれば良かったのかもしれません。
……それにしても、『お高くとまった、いやみったらしい女』で、ございますか。
相手がカトリーナ様とはいえ、そのようなことを言われてしまうとは、わたくしもまだまだでございますね。
わたくしは、自分が変わるきっかけとなった、幼少期の出来事を思い出しておりました。
主人公には『悪役令嬢』と言われても仕方ない過去があった。その過去をどのようにしてそれを克服したのかが回想で語られる。次回は『わたくしが悪役令嬢だったころ』。お楽しみに!