第43話。炎竜の領地に向けて飛ぶ炎竜リヴェレッタとその背中の 鞠絵、眼下に見える風景。途中休憩する鞠絵に、精霊の声が聞こえてくる。
第43話です。
「ひゃあ…!」
高い。当然だけど高い。リヴェレッタ様が一度羽ばたいただけで、ユニコーンたちも木々もあっという間に下方へ小さくなって消えた。
見えるのはただ、白い雲だけ。
「結界があるから落ちませぬよ。しかし不安でしょうから、たてがみに掴まっていてください、しっかりと」
「はっはい…!」
言われずとももう掴まってます。怖くて。
結界があるとはわかっていても、それは見えないしそもそも壁みたいに寄りかかれるわけでもない。高所に浮かぶ全長十五メートルほどの巨大な竜の背中で一人きり。
遊園地のアトラクションでけっこう高いところまで上ったことがあるけど、それどころじゃない。
下は白い雲、見上げれば真っ青な空。こんなに空が近くにあるなんて初めてだ。私いま、雲の上にいるんだなあ。落ちたら…いやいや考えない。でも結界があるために吹きつけてこないだけで、ごうごうとその結界の周りには風が渦巻いているのがわかる。
こ…怖いです。
私はリヴェレッタ様の首の付け根、つまり両翼の間にいるのだが、竜が大きすぎてまたがって足で支えていることができていない。ただ座っているだけだ。掴まれそうなのは一人分だけだから、これなら一人しか乗れないというのも頷ける。
それでもリヴェレッタ様が私を揺らさないように、とても気を遣って飛んでくれているのがわかるから、これ以上何も言えないけれど。
私の左右で翼が上下しては、時折水平に伸びる。その翼も長く向こうに伸びていて、水平の時は先端まで走っていけそうだ。羽ばたくからまさかそんなことはしないけれど。
そういえば、竜の背に乗ったのはこれで二度目だ。細長い水竜、エデルに乗ってユニコーンの村に帰ってきたときは、括りつけられた椅子に座っていたし、風魔法も使って竜と併走していたユニコーンたちとスピードを合わせて飛んでくれていたから、ここまで速くはなかった。
少し落ち着いてくると、私はこの状態に慣れてきた。翼が動くたびに揺れるけど、大きな角度にはならないし私の周りは無風だ。音はすごいけど。
うん、よし。大丈夫。
改めて周囲を見渡すと、朝日が完全に上った空はどこまでも澄みきった青で、遠くは水色に薄くなっていた。ひゅうひゅうと風を切る音に下を覗き込む勇気はなかったけど、赤い竜の首の両脇から白い雲が、その雲の切れ目からは小さく大地の緑が見える。
そっと後ろを振り返ってみると、スーリエ様がすぐ後ろについて飛んでいた。うっ眩しい。白金のウロコが太陽の光を反射して、神々しいことこの上ない。背中と水平に伸ばした長い首の付け根に、こちらを覗くようにしている白い頭のルイが見えた。彼も白金色のたてがみに掴まっていたが、私の視線に気づくと片手を離して手を振ってくれた。
さすが男子。未だにたてがみからは両手を離せない私と違って、勇気があるわね。すごいわ。
私もようやく余裕が生まれてきて、見えないだろうけどルイに向かって微笑んでみせた。笑うと余計に気が大きくなって、じっくりと竜たちを観察してみる。
リヴェレッタ様も首から長い尻尾まで水平にして飛んでいて、風のない結界の中にいると、このまま尻尾の先まで走っていって後ろのスーリエ様の頭に飛び移れそうな錯覚さえ起こす。尻尾の付け根は太くて先端に向けて細くなっていて、ゆったりと左右に振れていた。
スーリエ様を見れば、その顔は鼻づらに向けてすっと細くなっていて、細かいウロコに覆われている。額からルイが掴まっているあたりまで続くたてがみはウロコと同じ白金色で、風にさらさらと流れていて、ヒト型になった時のスーリエ様の長い髪を思い出させた。リヴェレッタ様の角より細い、頭に向けて少しカーブを描くようなラインを描く角が左右のこめかみに三本ずつ、耳に向かって短くなる形で並んでいて、まるでライトのように光り輝いていた。
体に比べて小さいががっしりした手は胴体に添って伸ばされていて、手より太くて長い脚は尻尾のように後ろへ伸ばされて飛んでいるのがわかる。
スーリエ様がばさっ、ばさっと羽ばたいて、太陽の光が翼のウロコに照り返し、私は思わず目を細めた。角やたてがみだけでなく、本当に全身が光り輝いているみたい。さすが光竜というだけのことはあるなあ。
視線を前に戻すと、リヴェレッタ様の真っ赤なウロコも太陽の光を受けて燃え盛るように輝いていた。彼女の顔はウロコが立ち上がったような、恐竜のようにがっちりした顔立ちだったことを思い出す。大きな角と小さな角が左右にあり、シャープなラインの耳がある。後頭部からはそれこそ燃え上がるようなたてがみが、首の後ろを私が掴まっている両翼の付け根まで覆っている。
竜というと爬虫類みたいなイメージだけれど、座っているお尻の下は温かい。ふと横を見れば、長く広がったコウモリのような翼の、太い骨の合間に張った膜が朝の光を受けて薄赤に透けていて、その色合いに思わず目を奪われた。
どのくらい飛んでいたろうか。もう太陽が上って、何も食べていないからおなかもすいてきたし喉も乾いてきたのだけど、余裕が出てきたとはいえ未だにたてがみから手が離せないので、何かを取り出すどころではない。
困っていると、リヴェレッタ様がぐりっと私を振り向いてこう言った。
「そろそろ休憩にいたしましょうか。もう半分は来たと思いますので」
えっもう半分も!?と驚く間もなく、風はないけど今度はひゅーっと急激に下がる感覚…あっこれ知ってる、ジェットコースターで一番高いところから下りる時のヤツだ。ひえー。
ということは、垂直にじゃなくて斜め下に下りてるのかな。
急降下に私が目を白黒させているうちにみるみる地上が近くなって、木が大きく見えるようになるとふわり、と浮き上がるような感覚と共にリヴェレッタ様が大きく翼をはためかせて、私たちは地上に下りた。
うわあ…なんだかあっという間だったなあ。
「大丈夫でしたか、マ・リエ殿」
「は…はい」
そうは言ったものの、リヴェレッタ様の背中から降りた瞬間に膝が笑って、私はがくんと草原の地面に座り込んでしまった。
「あ」
「マ・リエ殿!」
ヒト型に戻ったリヴェレッタ様が駆け寄ってくるのを、私は手で制した。その手も情けなくもぶるぶる震えてはいたけれど。
「だ、大丈夫です。あまりに高くてびっくりしましたけど、大丈夫ですから。結界のおかげですね、ありがとうございます」
「そんなこと。マ・リエ殿をお守りするためなら、当然のことでございます」
そう胸の前に片手を当て、きっちりと頭を下げるリヴェレッタ様の背後に、スーリエ様がばさっ…と下りてきた。
「あの…リヴェレッタ様、その堅苦しい敬語はやめていただけませんか。何か違和感がすごくて」
「しかし…」
困ったふうに眉をしかめるリヴェレッタ様の気持ちもわかる。私だったらやっぱり堅苦しく礼儀正しくしようとするだろう。わかるけれど、でもやっぱり。
「お願いです。せめて、普通の敬語でいいですから」
「聖銀様に対して、どうして普通の言動などできましょうか。しかし…そうですね、わかりました。ではあまり堅苦しくなりすぎぬよう、注意いたしましょう。それでいいですか?」
「はい、お願いします」
ちょうどその時、スーリエ様の背中からルイが降りてきた。
「ふうー、緊張したー」
ルイはそう呟くなり、その場にふらふらと座り込んだ。無理もない、そういう私もさっきからへたり込んだままなのだから。
「ねー、すごいアトラクションだったよねー」
そうへらりと笑ってみせると、ルイはきょと、と首を傾げた。言われた意味がわからなかったらしく繰り返す。
「あとらく…しょん?」
「間違いなく人気ナンバーワンだよ」
説明は面倒くさかったから、ルイの問いはスルーしてしまった。ごめんね。
ごまかし笑いをしながら、リヴェレッタ様に支えられてようやく立ち上がった私は、今朝作ってきた干し肉を挟んだパンを、カバンから取り出して半分をルイに分けた。
しかしそこで私は重大なことに気づいた。
パンは一つしかない。
つまり…リヴェレッタ様とスーリエ様の分のごはんは…私の分を分けても全然足りないよね?
それでもパンを割ろうとする私の手を、リヴェレッタ様の女性にしては大きな、しかし白くて長い指が抑えた。
「リヴェレッタ様?」
見上げると、彼女は燃えるような髪の隙間から真紅の瞳を優しく細めて、そっと首を横に振った。
「我らは数日食べなくても大丈夫ですが、ここは森が近くてよき緑にあふれ、気が濃厚です。それを吸収しますゆえ、お二人はお気になさらず食事をされてください」
リヴェレッタ様がそう話してくれたので、私たちは有難くパンを食べ、水筒から水を飲んだ。
でもなんだか申し訳ない気がするなあ。
そう思ってそっと彼らを見ると、ヒト型の竜たちは天を仰いで目を細め、太陽に照らされたよい天気の緑の中で、気持ちよさそうにしていた。気を食べてる、のかな。さすがは真竜。
「少し休憩したら参りましょう」
「はい」
ふう。ほんとにいい天気だ。ぽかぽかする。でもやっぱり動かない大地はいいなあ。
草の上にルイと並んで座ってぼんやりしていると、小さな声が耳に入ってきた。
それはくすくす笑っていた。
『りゅうがいる。りゅうがいるわ。こっちにおいでよ』
ん?
振り返ったが私の傍にはルイ以外、誰もいない。でも確かに笑い声がしたんだけど。
耳を澄ますと、また聞こえてきた。
『ねえ、きこえてる?ぎんのりゅう。こっちよ』
これは…ナギ?いや、ナギは寝ているから、もしかしたらこれは夢の中で聞いた精霊の声かな?
精霊が、私に語り掛けてる?
『こっち。こっちにおいでよ。いいものがあるよ?』
その声に惹かれて、私は立ち上がった。(続く)
第43話までお読みいただき、ありがとうございます。
精霊は鞠絵をどこに連れていこうというのでしょうか。
また次のお話も読んでいただけましたら嬉しいです。




