第31話。水竜の砦へと向かう一行。途中で水竜レイアも加わる。砦の塔の上からレイアが見た光景は…。
第31話です。
すっかり元気になったワイバーンを撫でていると、姫様~、という声がして、荷物を持ったタニアとユニコーンたちが玄関から出てきた。
その後ろにはがっちりした鎧姿に着替えたトリスラディ様親子も。
「おお、ワイバーンを癒してくださったのですね。それではその竜はこちらで預かりましょう。フィル、頼んだぞ」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ、皆様」
ガラガラ、という音がして振り返ると、門から玄関に向かって幌馬車が入ってくるのが見えた。がっちりした造りで、馬たちも鎧をつけている。
私たちは持たされた荷物と共にその馬車に乗りこみ、首都の北方にあるという水竜の領域の砦を目指した。
馬車の中で、私たちは只人の帝国について話を聞いた。
昔、アトラス帝国は真竜のひとつである光竜に土地を譲られたこと。
建国の王はそれはそれは立派な方だったこと。
トリスラディ様は何故光竜がその土地を譲ったのかまではご存じなく、只人といえど立派な帝国であったのに、ここ数代で急に外部への侵略が始まったのだと話した。
「そうだったのですね。帝国というからには、大きな国なのだろうなと思っていましたけど」
「只人たちと我々はうまくやっていたのだ…そう、不可侵領域を設けてな。それなのに今回は、そこを抜け水竜の領域…領地に入り込もうとしている。そして我々地竜の領地の首都に攻め入ろうとしているのです。まあ、只人から見ればどちらも竜の王国ですが。…こんなことは、初めてです」
「そうですか…帝国軍と水竜軍の軍勢はどのくらいいるのですか?」
「報告によると帝国軍三万、水竜軍二千です」
「えっそれって大丈夫なん…」
なわけないよね。何その勢力差。どうしてそれで、食い止められるの。
しかしトリスラディ様は大きく頷いてこう話した。
「大丈夫です。真竜である水竜、特に水辺や水中の水竜には何人たりとも敵いはしません。伝説の神竜でもない限り。それに、混じりものの兵は只人の兵の数人に匹敵する力があります。三万対二千でも十分ですが、今は水竜の…しかも守護竜二頭が帝国軍に捕らえられています。それが問題なのです」
「そうですよね…」
私はこっそりと、私の中のナギに話しかけた。
ナギ、まだ起きてる?
『どうにか…な』
私たちの力で何とかできると思う?
『できるだろう。只人だけなら隷属紋を消すことより容易い』
そうなのね。
私とナギは、隷属紋を打たれているだろう夫婦竜を助ける方法や、攻め込んできている只人をどうするか、といったことを、こっそりと打ち合わせした。
『着いたら起こせ』
そしてナギはまたうとうとし始めてしまったので、私も景色に目をやった。
どのくらい走ったろうか。遠くに何やら喧噪が聞こえ始めてきた。戦場が近いのだろう。
「まずは水竜の砦に向かいます。そこで…す、水竜!?」
セレスト様が声を上げ、一同は幌馬車の後方へ目を向けた。そこには水色のウロコをした細長い竜が空中に浮いて、長い体をくねらせながら馬車を追いかけてきていた。
あれっドラゴン型じゃない、東洋風の竜もいるんだ?
「と、止めて、馬車を止めてください!」
あれっレイアの声じゃない?
慌てて七人の乗った幌馬車を止めると、すぐに追いついた水竜は馬車の後方ですっとヒト型になった。
「なんと、レイア殿!首都に残っていてくださいと申し上げましたのに…どうかされたのですか?」
トリスラディ様が馬車を降りてそう問えば、ヒト型になったレイアは少し息切れしながらも駆け寄ってきて、半ば叫ぶように訴えた。
「お願いします、やはり私も一緒に行かせてください!皆さんだけでも砦には入れるように話してきていますが、どうしても姉や義兄のことが…その子供たちのことが心配なんです…!」
「し、しかしそう申されましても…」
トリスラディ様が言いよどむのに、私は馬車を降りて二人の元へとセレスト様と一緒に向かった。
「トリスラディ様」
「マ・リエ殿?」
「レイア様の隷属紋はもうないですし、傷も癒されています。もう操られることもないですし、黙って首都で留守番をしていろというのも可哀想かなって思うんですけれど」
「私からもお願いします、父上」
「セレスト?」
「真竜であるレイア殿がおられたほうが、有事の際にはこちらに有利となるかと。それに、ここまで来られてしまったのです。砦はもう目の前ですし」
「うーむ…仕方がありませんな…ではレイア殿、ご一緒いたしましょう」
「ありがとうございます…!」
ヒト型のレイアは青い瞳を涙で潤ませて両手を胸の前で組み、深く頭を下げた。彼女の肩から水色の髪がさらりと流れ落ちるさまは、まるで水が滴るようだった。
レイアも乗せて八人になった幌馬車はやがて水竜の砦に到着した。そこは見渡す限りの大きな湖で、中央に大きな砦が設けられていた。どこにも橋のようなものは見当たらないのだが、一体どうやって渡るのだろう。
「水竜がいれば水をコントロールできます。だから帝国軍は、ここの守護竜であった姉夫婦を狙ったのです。まだ砦には水竜が残ってはいますが、若い見習いの水竜たちなので姉夫婦よりはずっと弱くて…。それでも彼らがいるからこそ、この砦はまだ持ちこたえているのですが、守るのが精一杯です」
私たちのことは話をつけてあるとの話の通り、私たちが湖のほとりに立ってしばらくすると、目の前の水が左右に割れて砦への道が現れた。
「わあ…モーゼの出エジプト記みたい」
「はい?」
「あ、いえ、なんでもないです」
「レイア様!お戻りになったのですね…えっ?お怪我が治ったのですか?」
迎えに出てきてくれたのは数人の、鎧を身にまとった混じりもの達だった。先頭にいるのはこの砦を守る軍人の指揮官なのだろう。首筋にウロコが見えたから、爬虫類系の混じりものなのだと思う。
私たちは戦況を見るべく、その人たちに砦で最も高い塔へと案内された。
そこは砦の高い壁に密着して作られていて、湖に密接している。アトラス帝国との境界は湖の向こうの更に先にあるのだろう。
先ほど遠くに聞こえた喧噪は、もうかなり大きくなっていた。
私が考えていたよりずっと近くて、すぐ傍にある戦争という事実に、元は日本人である私は今更ながらに恐怖を覚えた。
「この塔の上からアトラス帝国側が一望できます。岸から数キロ先の部分までは不可侵領域なのですが、帝国軍は既に湖のすぐ近くまで攻め込んで来ています。我が軍が食い止めてはいますが、ジリジリと押されてきていまして…御存じかもしれませんが、我らが水竜の砦の守護竜夫婦が帝国に捕らわれて使役されているため、とても敵わないのです…それに、湖まで到達されれば、水竜の力によってこの砦への道が開かれてしまいます」
「ああ…お姉様…お義兄様…」
レイアが青い瞳から涙をぽろぽろ零す。けれど泣き声を出すことなく気丈に、誰よりも早く塔の上に駆け上がった彼女が上げたと思しき悲鳴が上から聞こえてきて、私たちは急いで階段を登った。
「レイア殿、どうなさった!?」
塔の上に上がってみると、北側はぐるりと半円形に高い壁に囲まれており、あちこちに小さな窓が開けられていて砦の北側を見渡せるようになっていた。
レイアは己で己を抱き締めるようにして涙を零し、おねえさま…と呟いている。男性陣を押しのけて、サラとタニアが彼女に駆け寄った。サラがレイアの背中を撫でて、年長のタニアが優しく話しかけてみる。
「レイア様、どうしたのですか?何を見たのです?」
「…あ…あ…お…おねえ…さまが」
「レイア様。話してくださらなければわかりませぬ。お辛いでしょうが…どうか話してください。何を見たのですか?」
するとレイアはタニアを見て、サラを見て、そして私を見た。
まだ若い彼女の大きな青い瞳から、真珠が生まれ出るようにあふれ出た大粒の涙が、彼女の足を覆う衣にぱたぱたと水滴を落とした。
「お姉様とお義兄様が見えました…竜の姿で、我が水竜の軍と戦わされていました…その…その体、が」
レイアはそこでしばらくしゃくり上げてから、大きく息を吸い込んで吐き出し、そして意を決したように話し始める。
「隷属紋が…たくさん打たれていました…。私が見た時よりもずっとたくさん……額にまで…きっと、もう全身余すところなく、打たれているんだわ。あの隷属紋は私に打たれたものよりずっと強いから、あんなにされていたら、あまりの痛みと苦しみと呪縛にもう自分の意識なんてなくなって、ただ命じられることにだけ動く傀儡になってしまってると思う…私が…きっと私が逃げ出したから、更に隷属紋を打たれたんだわ…ああ…ごめんなさい、ごめんなさい…っ」
「あなたのせいじゃないわ、泣かないで。大丈夫、あなたにしたようにきっとマ・リエ様がお姉様とお義兄様の隷属紋を消してくださるから。だから勇気と元気を出すのよ、レイア様」
年上の女性らしく、優しくも力強くなだめるタニアの言葉を受けて、しばらくしてレイアは泣きやんで小さくもしっかりと頷いた。
「トリスラディ様、姉夫婦を殺してください」
「なんと!?」
「あんなに隷属紋を打たれて、姿も歪んでしまっています。もう心も壊れてしまっているでしょう。そうしたら…例え隷属紋を消したとしても、殺すほか…ありません。心を伴わぬ真竜の力は危険すぎます。それに姉夫婦を苦しみから解放することにもなります…どうか…お願いします…」
「しかし、そうと決まったわけでは…早まられるな、レイア殿。心が壊れてしまっているかどうかは、確かめてからでも遅くはないでしょう。確かに水辺か水中でなければ、水竜より地竜のほうが強いですから、不可能ではないですが…あくまで最終手段です」
ちらり、とトリスラディ様が私を見る。
そうだ、私も戦況をちゃんとよく見なければ。(続く)
第31話までお読みいただき、ありがとうございます。
彼らを鞠絵は救ってやることができるのでしょうか。
また次のお話も読んでいただけましたら嬉しいです。




