第30話。美しい水竜レイアばかりでなく、カルロスの傷まで癒した鞠絵。ドレスを着たまま水竜軍の砦まで行くこととなり、飛竜ワイバーンのところへ行くと、彼は傷ついていて…。
第30話です。
「あっ…!」
残ったのは、傷ひとつアザひとつない胸元の白い肌。
「………」
部屋の中に、静けさが満ちた。それを破ったのは、息を吸い込んで発せられたレイアの声だった。
「マ・リエ様…!私、苦しくありません!どこも、辛くありません…!紋は、隷属紋はどうなったのですか!?」
そうか、彼女自身からはちょうど見えづらい場所だものね。
「隷属紋はもうありません。あなたは自由です。何にも縛られることはありません」
すぐ近くで見ていたカルロスも、トリスラディ様も驚きの声を上げた。
「なんと…これがマ・リエ殿の御力か…」
「だから申し上げましたでしょう父上」
「この御力によって、雷虎の村をお救いくださったのか…これは納得です…!」
「ふにゃ~…」
あっ背後でタニアがへにゃへにゃになる声がする。
「マ・リエ姫様~…タニアはもう、もう、めろめろです…」
ナギも混じった私の魔力に酔ったのだろう。振り返るとタニアは虎の姿になってしまっていて、私の視線に気づくとその場でゴロリ、と腹を出した。
「ちょ、ちょっとタニア!」
「ふにゃ~ん、マ・リエ姫様~…」
「タニア、しっかりして。皆さんの前よ、はしたない」
私がちょっときつめに声をかけると、タニアははっとなってヒト型に戻り、恥ずかしそうに深く頭を下げた。
「すみません姫様…皆さま…」
「これから少しは慣れていってね」
「…はい…」
「なんと、雷虎の方がいらしたとは。縁を感じますね」
「そうですねカルロスさん。ところであなたの傷はどうですか?」
「え?」
カルロスはその時になってようやく、自らの怪我も治っていることに気づいたようだった。己が手を、足を、傷ついていた頬をさすり、胸や腹もぺたぺたと触って初めて、青い瞳を極限まで開く。
「こ…これは…私の傷まで…?」
「私の歌が届けば、大抵の『不具合』は治るらしいんです」
それが傷でも、病でも、不浄でも。
お母さん、私、また役に立ったよ。もう彼らは辛そうじゃないし…あっ、外にいるワイバーンも治してあげなくちゃだね。
するとソファから立ち上がったレイアと、彼女に並んだカルロスが、揃って私に向かい膝をついた。
「なんと、私の傷まで癒してくださり、ありがとうございます。マ・リエ殿、この御礼は必ず」
「ありがとう…ありがとう、ございます、マ・リエ様、―――!!」
胸に手を当てるカルロスの横で、泣き笑いの顔で私に礼を言ったレイアが、はっとしたように唇に手を当てた。まるで、何かに気づいたかのように。
そうよね、あなたも真竜ですものね。私が何者であるか、気づいたのでしょうね。
レイアは手で口を覆ったまま、ちらりとトリスラディ様を見た。ひとつ頷きを返されて、水色の瞳が驚きを乗せてまた私を見る。しかし隣のカルロスを気にしてだろう、彼女が私を聖銀竜と呼ぶことはなかった。
「お二人とも、もう顔を上げてください。隷属紋を私の歌で祓えたのは本当に良かったです。トリスラディ様、私も戦場に行って、他にも隷属紋を打たれた者がいれば祓ってあげたいと思うのですが」
「マ・リエ殿…本当は私はあなたを危険に晒したくはありません。しかしあなたの御力なら、戦場で傷ついた者を癒すことも可能でしょう。それでは我々が総力をあげてお守りいたしますので、ご同行いただけますか」
実のところ、私はけっこう怒っていた。女性の胸にあんな呪いを打ち込んだのもそうだが、幼い子供を痛めつけ、それを盾に親を脅していることも、それを行う只人たちの帝国とやらにも。
だから私の歌でどうにかできることがあるならば、戦場に行って歌いたいと思ったのだ。
「もちろん、オレも行く」
「ルイ」
「護衛としてオレも行くのは当然だな」
「ダグ」
「護衛なら私もお役にたちます!」
「タニア」
「戦場では女手も必要でしょう。私も行きます」
「サラ…皆、ありがとう。でもこの先は本当に危険よ。あなたたちはユニコーンの村に戻って、皆に危険を知らせたほうが」
「ユニコーンの村には早馬を飛ばします。他の街や村にも、危険を知らせなければなりません。勿論この首都までで帝国軍は食い止め、他の街や村には攻め込ませるつもりはありませんが」
「…トリスラディ様…」
私は胸がいっぱいになって、下を向いた。とても皆の顔を見られなかった。ひとつしっかりとした決意を持って、顔を上げる。
そうだ、私の歌が必要なんだ。皆そのために、私を守ると言ってくれているんだと。
決してそれだけではないのだとは気づかぬまま、私はきゅっと唇を噛んで頷いた。
「ありがとうございます。それでは皆で行きましょう。レイアさんとカルロスさんは、ここに残って首都を守る手伝いをしてください」
「そうだな、それが良い」
するとレイアが私も行きます、と手を挙げる。
「レイア殿は隷属紋が消えて傷が癒されたとはいえ、まだ体力が戻っていないでしょう。カルロス殿も飛竜が傷ついて飛べないですし。それよりは、ここに残って地竜の首都を守っていただきたいのです」
「…わかりました、トリスラディ殿、マ・リエ殿。私たちは一度
水竜の砦に立ち寄って、こちらへ向かい応援を頼む旨告げてきています。ですから砦には入れるはず。砦には屈指の戦士たちがまだ残ってはいますが、どうぞお気をつけて」
「それでは出発の用意をしましょう。私とセレストも同行いたします」
「えっトリスラディ様とセレスト様も?それでは首都の要は一体誰が…」
「私が受け持ちます」
進み出てきたのはトリスラディ様の奥方のハンナ様だ。凛とした雰囲気をまとった彼女は、首都サンガルの副領主である。
「フィルもおりますしお任せください。あなた、セレストも、皆さんも、どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ」
そう頭を下げた後、私に向かってハンナ様は微笑んだ。
「マ・リエ様、一言ご助言よろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
「あなたはとても美しいです」
「えっ?」
突然何を言い出すのかと、私は少し頬を赤らめたが、ハンナ様は構わずに続けた。
「女にとって美しさは祝福でもありますが、呪いでもあります。あなたが戦いを選ぶのであれば、どうせなら武器にしておしまいなさい。混じりものたちは姿以外のものも見るけれど、只人たちはヒトの姿しか見ないから、あなたの姿はとても強い武器になると思いますよ」
「あ…はい…ありがとうございます…?」
言われたことは正直よくわからなかったのだけれど、他の面々は何やら納得したようだった。うんうんと頷いて私を見るのに、まだパーティー用の白いドレスを着たままだったのに気づく。
「あっ、私、着替えないと」
「いいえ、そのまま行かれませ。そのドレスは差し上げますから」
ハンナ様がそう言って、私を促す。
「さあ、できればマ・リエ様は先に館を出られて、カルロス様が乗ってきたワイバーンを癒してやっていただけませんか。あの子はとても傷ついているのです」
あっ、それは私の役目ですね!
「はい、わかりました」
「オレたちで準備をして行くから、ワイバーンのところで待っていてくれ」
「ありがとう、ダグ。それじゃ先に行くわね」
「私がご案内いたします」
フィルが進み出てきて、私をワイバーンのところまで連れていってくれた。館を出てすぐ右手の庭のところにいたカルロスの飛竜は、激しい投てきの攻撃を潜り抜けてきたのだろう。あちこちに血を飛び散らせ肉は裂け、弓矢が何本も突き刺さっていた。
翼は右翼が特にひどく、薄い皮膜が破れてしまっている。
「ひどい…」
「クエー!」
ワイバーンは私が近づくとひと声叫んで後ずさったが、私の指がそのクチバシに触れると、縦長の瞳孔をした金色の瞳を見開いて固まった。
「クエ、セイギン、サマ…」
あっこの子、片言なら話せるんだ。それに亜竜といえど竜であるから、私が何者かわかったみたい。
ハンナ様が私を先にワイバーンの元へ行かせた訳がわかったわ。
ワイバーンは空を飛ぶ竜だ。背中は赤く、腹側は黄色い。薄い皮膜の張った翼の先に小さな手がついていて、爪もある。基本的に後ろの二本足で立っていて、飛ぶときバランスをとるための長い尻尾があった。頭の後ろに二本の大きな角があって、その体はヒト型が二人余裕で乗れるほど大きい。
彼か彼女かわからないけれど、飛竜は私がそのクチバシを撫でるのに、金色の瞳を細めた。
「クエ」
「大丈夫よ。あなたを治してあげるために来たの。少しそのまま、じっとしていてね」
「クエ、シテル」
「いい子」
私は微笑んで、もう一度大きなクチバシをそっと撫でた。そのクチバシにも血が飛び散っていて、あちこちが欠けてしまっている。
私はクチバシの傷ついていない部分を優しく撫でながら、息を吸い込んで歌い始めた。
「ラララ…紅き翼広げ大空をゆく竜よ
傷ついたその体 再び空駆けるよう ここに癒しの祈りを捧げる
さあ 自由の空へ 傷よ癒されよ 癒されよ…」
ワイバーンが金色に光り始め、キラキラと光の粒子が私が歌うごとに傷口を覆っていく。体に突き刺さっていた弓矢が金の光に溶けて消えていくのが見えた。
光が収束するのに合わせて歌を終わらせれば、赤い飛竜はすっかり傷ひとつない姿に戻っていた。
「クエー!」
痛みがなくなったワイバーンが大喜びで大きな翼をバッサ、バッサと羽ばたかせれば、ふわりとその体が地面から浮き上がる。風に煽られてよろめいた私に気づくと、ワイバーンは羽ばたくのをやめて地面に下り、私にクチバシを擦り付けて支えてくれた。
なんて、優しい子なんだろう。
「ありがとう。えっと…」
あっ名前をカルロスから聞いてくるのを忘れちゃったな。
フィルを振り返ったけれど、彼も名前は知らないようだった。
「クウ、クエ、セイギン、サマ、ウレシ、ウレシ、アリガト」
すりすりと顔まで擦りつけてきながら、金色の瞳を細めて礼を言うのが可愛い。
私は頭のウロコを撫でながら微笑んだ。
「いいのよ、もう痛くなくなって良かった。それから、私が聖銀竜なのは内緒。いい?」
「ナイ、ショ?」
「そう、あなたのご主人のカルロスさんにも。内緒にしてくれる?」
「パパ、イッチャ、ダメ?」
「ええ、パパにもダメよ。あなたと私だけの約束。してくれる?」
すると金色の瞳をぱちぱち、と瞬きさせたワイバーンは、こくりとひとつ、頭を縦に振ってくれた。
「ウン。ナイショ。セイギンサマト、ヤクソク。パパ、イワナイ」
「ありがとう。私が聖銀竜だって皆が知るまでは、内緒ね」
そんな時が来るのだろうか。
そんな時が来たら、私はどうするのだろう。
いいえ。
たとえ皆に知られる時が来ても、私は私にできることをするだけだわ。 (続く)
第30話までお読みいただき、ありがとうございます。
ドレスを着たままですが、砦に行くことを選択した鞠絵。皆もついてきてくれます。
また次のお話も読んでいただけましたら嬉しいです。




