第278話。高く舞い上がった邪気は、細かな虚無のすすとなって地上に降り注ぐ。それを浴びる逃げ遅れた人々は…。また地上の状態を見つめるマ・リエの言葉を待つ風竜の長ラナクリフは…。
第278話です。
舞い上がった邪気の煙は空高くまで達し、塔や城を中心とした街中に、細かいすすとなった虚無を降らせた。
それは黒鋼竜の結界に当たると弾かれて飛び散った。内側の人々から見ると、結界が透明であるため、虚無が降り注いでくる恐怖に人々は騒いだが、それは人々に降り注ぐことはなく、結界に当たって周囲に散ってゆく。
人々はほっとしながらも、降って来る虚無のすすをおののきながら見上げていた。
マ・リエとラナクリフは、咄嗟に自分たちを守る結界を張ったため無事だったが、逃げ遅れて結界内に入れなかった人々はそうはいかない。
細かな虚無のすすを浴びて、悲鳴を上げた。
人々に当たったすすは、みるみる黒い斑点となって肌に広がり、広がってゆく。
その痛みと恐怖に、結界近くまで逃げてきた人々はその中に逃げ込もうとしたが、結界の中に入ることはできなかった。
黒鋼竜の結界は透明な薄衣のようでありながら、虚無をはじく力は強固であったのだ。
透明な結界を必死に叩いて叫ぶ人々だったが、虚無に汚染された者は決してその結界をくぐることはできなかった。
虚無をはじく結界であるがゆえに、わずかでも体内に、否皮膚に虚無がついただけでも、虚無と同じと見なされるのである。
「入れて、お願い、助けて!」
「助けて、助けて、痛い! 痛い!」
「中に入れてくれ!」
「どうしてここから先には行けないんだ、助けてくれ!」
「お願いだ、その中に入れてくれ!」
人々は虚無に汚染される痛みと恐怖にのたうちまわりながら、必死に結界にすがりついた。最後には剣や棒を使って斬りつけたり叩いたりもしてみたが、結界はわずかにたわむだけで、彼らを無情にもはじき続けた。
ラナクリフはマ・リエをその背に乗せたまま、やって来た方向へ戻ろうと向きを変える。
「えっ、どこへ行くんですかミンティちゃん!?」
驚くマ・リエに、ラナクリフは振り返り大声で答える。
「ここから早く戻らないと! これ以上邪気が濃くなったら、私たちだって危ないよ!」
「でも…」
マ・リエは地上を見つめ、呟いた。
その視線の先で、家族だろうか、結界のすこし手前を一人の青年が、その背に老婆を背負いよろよろと歩いている。彼の横にはまだ幼いとみられる少年と少女が、手をつないでついていく。
黒いすすが、彼らの上にも容赦なく降り注いでゆき、老婆の背中や青年の肩には黒いしみが広がっていた。
結界にすがる人々の中には、まだ年若い、少女といってもよいような母親もいた。彼女はその胸の中に、すすから守ろうと抱きしめた赤ん坊を、結界に押し付ける。
「お願い、お願いです。せめて、この子だけでも…この子だけでも助けて…」
火がついたように泣き叫ぶ赤子の柔らかい手には、小さな黒い、泥がはねたような斑点があり、それは見るまに赤子の手に広がりつつあった。
結界の内側から女性が赤子に手を伸ばしたが、結界は赤子を通そうとはしなかった。
たとえ誰であろうとも、虚無に侵されたら結界をくぐることはかなわないのだ。
そんなことがあちこちで起きているのを、マ・リエは上空から見つめていた。今すぐにでも戻りたい気持ちを抑えて、ラナクリフはマ・リエの判断を待つ。
本当は、マ・リエが何と言おうとも、一刻も早くここから立ち去りたくて仕方がなかった。それは本能とも呼べるものであったが、彼女はここまで共にやって来たマ・リエの言葉を待っていたのだ。(続く)
第278話までお読みいただき、ありがとうございます。
マ・リエは地上の状態に対し、風竜の長ラナクリフに何を言うのでしょうか。
また次のお話も読んでいただけましたら嬉しいです。




