第2話。殺されかけて聖銀と呼ばれる特別な竜と融合して異世界に来た、歌えることだけが取り柄の私。異世界でどうなるの!?
第2話です。
「…ん…?」
目覚めると、高い青い空に白い雲がゆったりと流れていた。
私はどうやら、仰向けに倒れているみたいだった。
さわさわさわ。
草が風に揺れる音が近くでする。
ああ、頬に当たる風がさわやかで気持ちいい。
ピチピチとあちこちで鳥の声もするし、大きく息を吸い込めば草や花の匂いが胸いっぱいに満ちた。
えっと…ここは…どこだろう?少なくとも、最期に私が倒れたアスファルトじゃないよね。
仰向けのまま視線を左右に泳がせれば、見たこともない色とりどりの花が咲き乱れる草の中に私は倒れていた。
どこも痛くない。どこも、熱くない。むしろ気持ちいい。
あっ!そうだ、洗濯しなくちゃ。ワンピースが汚れちゃったんだから…そう思って飛び起きようとした私の顔の上に、いきなり何かの影が落ちた。
「えっ?」
ぺろりん。
なっなに!?
何かに顔を舐められてる!?
ぺろぺろ、ぺろぺろ。
私の顔をいったん舐め始めた大きな動物は、顔中を連続して舐め始める。
ひえー、やめてー。私お化粧してるのにー。
「ちょ、ちょっと待って、やめて、こら、やめてってば…!」
覆い被さられているからいったい何の動物かわからないけど、大きな舌でぺろぺろ舐められてはたまらない。私はあわてて両手を顔と舌との間に差し込んで、草の上に倒れたまま体を捻って逃げつつ、舌の持ち主の顔を両手で押し返す。
むにゅっ。
「むにゅ?」
その動物の顔は意外なほど柔らかくて温かかった。舌ばかりじゃなく鼻が大きい。フンッ、と盛大な鼻息が両手のひらにかかって、私は背けていた顔を戻して押しのけた動物の顔を見た。
間近で見たそれは。
「え、馬?」
それは綺麗な明るい栗色をした馬だった。しかも、眩しい太陽の光を避けてよくよく見れば、額には一本の白い角が光っている。
馬に白い角がついてる?それって…。
それってまさか…つまり、ゆっユニコーン!?
いや体は白くないけど!テレビの競馬番組で見た普通の栗毛の馬だけど!角あるってことはそうだよね?白くないユニコーンっているんだ…。
ていうか、ユニコーンに舐められてたの私!?
そういえばナギから何も聞いてなかった、異世界とは言ってたけどどんな世界なのか全然聞いてなかった!
ええ…ユニコーンがいるんだ…そうよね、ドラゴンがいるんだからユニコーンがいたっておかしくない…?いやいやいや。
ナギ!ちょっとナギ!どういうことこれ!?
あっだめだ、今は起きそうもないや。
私の頭は混乱でクラクラしていたけれど、ケラケラと楽しそうな笑い声が響いたせいではっと我に返った。
「うふふ、おねえちゃんおもしろーい」
ええ!?
う…馬が…いやユニコーンが喋った!?
しかも可愛らしい女の子の声で!
ユニコーンって喋るの!?伝説の獣だから?やっぱり普通の動物とは違うってことだよね?
すると馬らしく鼻をフルル…と鳴らして、栗毛のユニコーンは数歩下がって私の上からどいてくれた。
見上げると、くりっと可愛らしく顔を傾げて口をもごもごさせ、また話しかけてきた。
「きれいなおねえちゃん。すてきなドレスね。どこかのお姫さまなの?」
よく見れば、ユニコーンの口はもごもごと動いてはいるけれどはっきりとした日本語を話しているようには見えないし、よく考えてみれば、そもそも異世界のユニコーンがいきなり日本語を話すっていうのもおかしな話だよね。
もしかして、ユニコーンの言葉がわかるのは、私の中にいるナギのおかげなのかな。
それなら助かるんだけど。だってこれから出会うだろう、言葉を話す生き物が何を言っているかわからないのはちょっと困るもの。
「ねえ、きれいなおねえちゃん」
いやいや、私自慢じゃないけど地味めの容姿よ?一般的な日本人女子だし。歳は二十八歳だからまだ若いと胸を張りたいけど、黒い髪に黒い瞳で普通なんだけど。
そう思いながらも、私はおそるおそる、この世界で初めて出会った栗色のユニコーンに向かって話しかけてみた。もちろん、私が話せる唯一の言語である日本語で。
「素敵なドレスって…ただの白いレースつき水色ワンピースだけど。それに血で汚れちゃって…」
すると栗毛のユニコーンはびょんっと見事に垂直に飛び上がり、綺麗な青い瞳を見開いて叫んだ。
「えっ血!?どこ!?どこについてるの!?」
あっ良かった。私の言葉もちゃんと通じてる。
そう安心したのもつかの間、今度は男の子の声が遠くから響いてきて私は驚いた。
「血ってどうしたキア!誰と話してる?」
いつまでも倒れてなんかいられない。私はおなかに力を込めて、勢いよくガバッと起き上がった。周囲の草花が舞い上がり、いい薫りが鼻をかすめて、栗色のユニコーンが驚いたようにもう数歩下がった。
起き上がってまず自分のワンピースを見下ろしたけれど、白い総レースに包まれた水色のワンピースには、血どころか何のシミひとつなかったのだ。
「えっ…汚れてない…」
私は呆然と呟いた。喉も痛くも熱くもないし、本当は私、死んでいない…とか?
…いや、それはないか。あの喉の痛みを、噴き出した血の熱さを私は覚えている。決して忘れられるものじゃない。
きっと、この世界に飛ばされてくるときにナギが綺麗にしてくれたんだろう。それも助かるなあ…血まみれの服のままだったら、まず洗濯からしなくちゃならないけど、まず水辺がどこかわからないし、聞こうにも血だらけの三十歳近くの女性に親切にしてくれる人がいるかと言われたら難しい。
そもそもユニコーンって穢れには近づかないって聞いた気がするし。だから血って聞いた時にあんなに驚いたのかな。でも私に血がついてないから、逃げずにいてくれてるのかな。
新しく買った、初履きだった靴もそのまま履いていたけれど、カバンは見当たらなかった。文字通り着の身着のまま、他の持ち物は持たずに飛ばされてきたみたい。
カバンの中には新しく買って、使うのを楽しみにしてたものも色々入っていたんだけど…残念だなあ…でも命があるだけ有難いと思わなくちゃだね…。
立ち上がった私が自分の身なりを確認するうちに、蹄の音ではなく二本足で走る音が近づいてきて、私のすぐ前で止まった。
「はあっ、はあっ、はあ…キア、大丈夫、か…って人間じゃないか!」
「えっ?」
駆けつけてきたのは男の子だった。
人間じゃないか…って、君だってそうなんじゃ…ってあら?
額に角がついてる?
「だめだ、逃げるぞキア!只人の傍に寄ったら角を切られちゃうんだ!」
えっ何、どういうこと。角を切る、なんて。
そんなことするわけないじゃないの。
大体、どうやって何を使って角を切るっていうのよ。
いや、考えたくもないけれど。
こんな可愛いユニコーンの角を切るだなんて、そんな残酷なこと…と考えて、私は可愛い?と首を傾げた。
色んな説があるけれど、私が絵本で知っているユニコーンは馬に似た生き物に角がついている架空の生物…つまり、馬と同じくらいの大きさのはず。
だけど、大きな馬を想像して振り返った視線の中にキアと呼ばれたユニコーンの姿はなく、目線を下げれば私の腰くらいの大きさの仔馬がちんまりと佇んでいた。
あ…あら?ちっちゃいのね?
下から見上げていた時には大きく見えたのに。
キアの首を抱えた男の子も私の胸くらいまでしかないし、私は気が大きくなって二人に微笑んでみせた。
心なしか、キッと私を睨んでいる男の子の目元が赤らんだように見えた。
「角なんて切らないわよ。大丈夫、心配しないで。ほら、ね、私なにも持ってないし。あなたたちを苛めたりなんかしないわ」
すると男の子はキアを抱えたまま、キアと同じ青い瞳で私をじっと見つめた。
まるで、何かを私の中に見つけようとするかのように。
私の中のナギを感じ取られてしまうんじゃないかと心配になったけれど、男の子はすぐに力を抜いてこう言った。
「…そっか。確かにあんたからは、只人にはない力の流れを感じる。何との混じりものなのかわからないけど、あんたはおれたちと同じなんだな。乱暴者の只人呼ばわりしてごめんよ」
「えっ、いいえ、気にしないで。あなたたちは子供なんだし、初めて会った人を警戒するのはいいことだと思うわ」
強気な発言をしたけれど、簡素な服に身を包んだ男の子はまだ十歳から十二歳くらいに見えた。
この子は人間なのかな…と思った私の目に飛び込んできたものは。
あっ…。
「額に、ちっちゃな角がある」
「ち、ちっちゃくて悪かったな!ヒト型になれば誰だってこのくらいなんだよ!あんまり大きかったら邪魔だろ!」
「ダグおにいちゃんはケリーおにいちゃんのよりもっと大きい角を持ってるよ?」
「ダグは大人だからだよ!おれはまだ子供なんだから、伸びしろがあるの!ていうか改めて聞くけど、あんた誰?さっき血の話とか、してなかったか?」
ヒト型になれば、っていうことは、この男の子もユニコーンになれるんだろうか。
キアとは兄妹みたいだし、同じ青い瞳をしてるから、同じような毛色のユニコーンなのかな?
「自己紹介が遅くなってしまったけど、私は鞠絵。沢村鞠絵よ。血はついてないから大丈夫。心配させちゃってごめんなさい。それであなたたちは、誰?」
ユニコーンなの?と聞きたくなったのをかろうじて飲みこんだ。この世界では違う呼び方かもしれないし、下手に口に出してそれ何だよ、とまた警戒されてもなって思ったからだ。
「そっか…血がついてないならいいんだ。キアは穢れに触れさせたくないし」
あっ、やっぱりユニコーンは穢れには触れないのね。
でもキアは、ということは、大人になったら大丈夫だとかかな?
「おれはケリー。混ざりもののユニコーンだ。この子は妹のキア、まだ五歳だから何かいたずらをしたのなら許してやってくれ」
あっ、やっぱりこっちでもユニコーンって呼ばれてるんだ。それは助かる…てことは、ナギもドラゴンで合ってるのかな?
他はまだわからないけど、とりあえず私の知ってる名称を使ってる世界で良かった。すごく難しい知らない名称がばんばん出てきたら大変なところだった。
すると、ケリーの腕を振りほどいたキアが私を大きな青い瞳で見上げ、小首を傾げて挨拶してくれた。
「こんにちは、マ・リエ。きれいなお姫さま」
「あー、だから…」
私は特に綺麗じゃないってば。
それにやっぱりこの子も鞠絵って発音できないんだあ…。まさかもしかして、この世界の人たちみんなそうなの?
私はがっかり半分、諦め半分な気持ちになりながら、キアが言った一言が気になって聞いてみた。
「綺麗なお姫様って、どういう意味なの?私のどこが?」
するとキアは大きな青い瞳をまた見開いて、私を覗き込んだ。
改めて見るととても綺麗な馬だ。体は薄い栗色で、タテガミと尻尾が金色に光ってる。こういうの、尾花栗毛っていうんだっけ。本で読んだことあるけど写真はなかったし、いざ見るとあまりに綺麗でお伽噺のお馬さんみたい。しかも額には小さめとはいえ白くてまっすぐに伸びた角が生えてるし。
「だっておねえちゃん、髪も目もとっても綺麗だし、お肌は白いし…何より、そんなすてきなドレスを着てるんだもの。きっとどこかのお姫さまなんでしょ?」
「うん、確かにすごく綺麗だけど…だけど…」
「?」
キアがドレス、っていうのは私が着てるワンピースのことだろうか。確かに膝下まであるし水色の生地の上に白い総レースがかかってて見た目豪華な感じだけれど、生地も化繊だしお値打ち品で安かったんだけど。まあ、それでも私にしてみれば思い切った買い物だったから、誉められるのは嬉しいなあ。
すると、私の足元を見たケリーが口ごもって目線を逸らした。
「?どうしたの?」
「い、いや、その…えと…ちょっとドレスが、短いかなって…」
「ちがうでしょおにいちゃん、マ・リエおねえちゃんが綺麗だから照れてるんでしょ?」
「ちちち違う、ぜったい違うからなキア!そ、それよりほんとにあんた…マ・リエだっけ、どこから来たんだよ?そんないいドレスや靴を着てるのに、お供もいないし荷車も見当たらないなんて」
「それが…私にもわからないの。だって私は気が付いたらここにいたんだもの」
「たった一人で?」
「そうよ。キアに舐められて起きるまで、ここで一人で倒れていたの。だからこれからどうしようかなって、困っていたところだったの」
「じゃあ、あんたは何との混じりものなの?どの村から来たかわかればさ」
「それは…」
ドラゴンです。
死の間際に、ドラゴンのナギと融合してこの世界に来ました。
それが真実だったけれど、二人に告げることは何となくためらわれて、私は口ごもった。
ええと…何となく、ドラゴンとの混じりものだってことは黙っておいたほうがいいような気がするんだよね。やたらと怖がられても困るし。
私は眉を下げて俯き、沈んだ声を意識して言った。
「…ごめんなさい、それもわからないの」
「そっか…何かワケありってかんじだな」
すると今度はキアが、金色のタテガミの下りた栗色の首を傾げて聞いてきた。
「じゃあ、今まではどこにいたの?」
私は白いレースごと水色のワンピースを握りしめて俯いた。
「…ここじゃない、どこか」
ああそうだ。あの世界には、もう戻れないんだ。
私の部屋は…お母さんの御位牌は、どうなっただろう。
特に何の思い入れのある荷物があったわけじゃないけれど、四十九日が終わったばかりのお母さんの御位牌や、それが納まっている買ったばかりの小さな仏壇だけは気になった。
…お母さん。私、生きてるよ。
お母さんが私を産んで育ててくれたのとは違う世界だけれど、生きてるし声も出るよ。
まだ…歌えるよ。
その時、私を下から覗き込んだキアが優しくその角を私の頬に擦りつけてきた。
「泣かないで、マ・リエおねえちゃん。困ってるの、わかるよ。私も困ってることあるから、わかるよ」
細い角に頬に流れた涙をぬぐわれたのだとわかった時、私は顔を上げた。こんな小さな子に心配をかけちゃいけない。
「…ありがとうね」
にこっと笑って御礼を言えば、キアは嬉しそうに青い瞳を細めて無邪気に笑い、私の腰にその体をぐいぐいと押しつけてきた。
なのでつい、聞いてしまったのだ。
キアはこんなに可愛らしくて美しいし、まだ小さい子供なんだから明るい未来が待っているはず。守ってくれようとするお兄さんもいるし、家に帰れば優しい家族もいるだろう。
そんな五歳の美少女(ユニコーン的に)が、私の涙をわかってくれる訳を、知りたくなってしまったから。(続く)
2話めも読んでくださって、ありがとうございます。
鞠絵さんが出会った可愛らしいユニコーンが困っていることとは…。
次の投稿は火曜日の予定ですので、また読んでいただけたら嬉しいです。