プロローグ
「ソル・ラヴィアス。君の解雇が決まった」
「……理由をお伺いしても?」
「自分の胸に聞いてみた方が早いのではないか? 君に関するクレームは、いくらでもあるのだが」
突然俺へとそう告げた相手は、封印都市フィサエルの都市長にして魔術師協会長――つまるところ、俺の上司だった。
そして、俺はそんな風に告げられる心当たりが、何もない。
俺――ソル・ラヴィアスは、封印都市フィサエル直属の魔術師だ。
魔術学院を優秀な成績で卒業し、そのままこの封印都市フィサエルの魔術師として就職した。そんな俺に与えられた役割は、このフィサエルと隣接する大地――《魔境》とを隔てる大結界を管理するという仕事だ。
学院を卒業して二十二年、俺は決して、手を抜くことなく仕事に励んできた。励んできたはずだ。
人員を削られ続け、俺一人になって、それでも必死に大結界を管理してきた。
何せ《魔境》とは、一体で都市を滅ぼすような、凶悪な魔物たちの巣だ。
雲魔龍が優雅に空を飛び、単眼鬼が一つ目で睨みつけ、森巨人が家族連れで歩く――そんな光景が、大結界越しに見えるというのも、この封印都市フィサエルの一つの売りでもあり、観光地としても名高い。
そして、唯一そんな《魔境》に通じる道を隔てているのが、大結界だ。
既に失われたエルフの技術によって作られたとされるそれは、既に張られてから数百年の時が経っている古代遺産である。
そんな古代遺産の維持管理、時には魔術式を調整して損傷を修復する――そんな作業をしていたのが、俺である。
それも全て、この封印都市フィサエルの住民たちの安全のため――。
「大結界の調整部屋を、君は完全に私物化しているらしいじゃないか」
「……へ?」
「君の保冷庫が置いてあり、そこに酒も入っていると聞く。挙げ句には寝具まで持ち込み、寝泊まりまで行っているらしいじゃないか。あそこは、君の部屋ではないのだよ。住む場所がないなら、せめて宿屋を使ったらどうだ」
「……」
「引きこもる場所は、せめて考えたまえよ。職場を私物化して、給金を掠め取るのがそんなにも楽しいかね? え?」
上司の言葉に、俺は思わず言葉を失ってしまう。
住む場所がない――そんなわけがない。俺は独り身ではあるけれど、一応都市の中に自分の部屋は借りている。
だけれど、帰ることができなかっただけだ。何せ、魔物は二十四時間、いつだって大結界に攻撃を仕掛けてくる。時には雲魔龍が大結界に衝突したり、大巨人が殴ってきたりして、何枚か結界が破壊されることだってあるのだ。
そして破壊された結界はすぐに修復しないと、《魔境》からの瘴気が都市の中に漏れ出てしまう。だから、俺は二十四時間体制で、いつでも大結界を修復できるように、あの部屋で待機していたのだ。
何せずっと、人員を削られ続けたのだから。
「そもそも、私は何度も言っていたのだよ。偉大なるエルフの作った大結界が、魔物如きに壊されるはずがない、とね。だというのに前都市長はあろうことか、きみのような穀潰しに与える職として、大結界の管理者などという役職を作った。全く、信じがたいことだよ」
「……それ、本気で言っていますか?」
「無論、本気だとも。都市庁に務める職員たちも、『引きこもりのおっさんに給金が与えられている意味が分からない』と言っていたよ」
俺が仕事を始めた頃は、同じ役職が五人ほどいた。
その五人で交代しながら、二十四時間常に大結界を維持管理してきたのだ。だから俺も、八時間しっかり仕事をして別の者と交代し、家に帰って休むことができた。
そんな人員が、削られ始めたのはここ十年ほどのことだ。
十年前に、一人減った。七年前に、一人減った。五年前に、一人減った。そして三年前――今の都市長が就任してから、俺の最後の相方だった奴もいなくなった。
だから俺は、ここ三年ほど家に帰ることができていない。何せ、俺が帰っている間は、誰も大結界を修復する者がいなくなるのだから。
都市長の采配を恨みながらも、しかし都市に住む住民たちの安寧のため、俺は一人で頑張ってきたのだ。
だというのに――。
「とにかく、大結界の管理者などという役職は、今日で廃止だ。だが、私も鬼ではない。今、都市庁の清掃員を募集している。そちらに再就職できるよう、手を回しておこう」
「……」
「引きこもりのおっさんでも、それくらいはできるだろう?」
「……」
その言葉を聞いた時点で、俺はもう諦めた。
今まで、住民たちの安全のために、寝る時間も惜しんで大結界を修復してきたのに。
十八で魔術学院を卒業して、俺はもう四十だ。
ここ半年、床で寝る生活をし、辛く苦しい毎日に酒を飲み、体はボロボロだ。肩も腰も足も、痛くない場所がないと言っていいだろう。
それくらい、体に鞭打って、この都市のために頑張ってきたのに――。
ぷるぷると、体が震える。
俺は何のために、二十年以上も――。
「清掃員が嫌だと言うならば、先も告げたように解雇だ。どこへなりとも行きたまえ」
「……分かりました」
だからもう、どうでもいい――そう、諦めの気持ちが心を支配した。
ここ三年ほど、俺が一人で大結界を管理してきたから、魔術式をかなり独特に書き直していることだとか、俺にしか読めない識別番号で結界を区別していたりとか、一気に修復するための魔術式は俺の頭の中にしかないとか。
今後、大結界が維持できなくなったとき、彼らがどうすることもできないような状態であることを、全部かなぐり捨てて。
俺は、甘んじて解雇を受け入れた。
大結界、壊れても知らねぇぞ。