動揺と高揚
「ただいマークシート」
補習が終わり、左腕に感じていた柔らかい感触を思い出しながら帰宅する。
それにしても瑠奈のおっぱい柔らか過ぎるだろ……。ありゃ兵器だぜ。
「おかえりなさいませ。時人様」
いつも通り雫が出迎えてくれて、いつも通り手を差し出してくるので、いつも通り鞄を手渡す。
その時にふと視線が胸にいってしまい、この世には平等という言葉はあっても実現される事はないのだな神よ……。なんて思っていると雫が睨んできた。
「失礼な事を考えていますよね?」
物凄い殺気だ。け、消される……。
「いえいえ! そんな事は一切合切! 微塵も! 考えていないです!」
そんな反応に「ホントですか?」と疑いの目を向けてくる。
「ホントです! 誓って何も考えてはいない!」
息をする様に嘘をつくと、ジーっと俺の瞳を見てくる雫。
幾ら見慣れているとはいえ、こんな顔の整った美女に見つめられると照れてしまう。
だが、ここで視線を逸らしたら負けだと思い、俺は雫の綺麗な瞳を見つめ返す。
「――ま、まぁ良いです」
根負けした雫が俺の部屋に鞄を置きに行ったので、心の中で勝手に勝利宣言しながら洗面台で手洗いうがいをこなし、いつも通りリビングのダイニングテーブルに着席する。
「――あ……。雫、お前俺を巻き込むなよ」
彼女がリビングに入ってきた所で、今日の応援団の件について話題を上げる。
「これも時人様を瑠奈さんから守る為です」
クールに言いながら雫も、いつもの席に座る。
「応援団に入る事が?」
「はい。瑠奈さんのリミットは外れていますので、もし応援団に入っていなければ、バイトのない日の放課後は猛烈なアタックをされる事になったでしょう」
言われて今日1日の事を思い返す。
瑠奈の奴、追いかけ回すならまだしも、男子トイレにも堂々と入ってきて引っ付こうとしてきたからな。それ位やる奴なんだから、放課後だって容赦なく磁石みたいに引っ付いてくるだろう。末恐ろしい奴だ。
「あー……。まぁ確かに……」
「その点、応援団に入ったなら、体育祭までは基本的に居残りになります故、自然と阻止出来るという戦法です」
「なーる……。流石の瑠奈も応援団の邪魔はしないってか」
「そうです。決して私が時人様と応援団をやりたいとか思っている訳ではないので、勘違いしないでくださいね」
念を押す様に言ってくるので「あいあい……」と軽く流す。
「しかし……。私には理解出来ませんね……」
ふと、愚痴る様な感じで雫が呟いた。
「何が?」
「瑠奈さんの行動がです。好きでもない男の子を追いかけ回す事がですよ」
呆れる様に言い放つ雫に俺も同感であった。
「確かにな。幾ら会社の為とはいえ、別に夫婦の間に愛なんて無くても良い、なんて言ってたもんな」
「水族館でその様に仰っておられましたね……。その考えも私には全く理解出来ません」
雫は首を横に振り、目を伏せて小さく言った。
「私は――夫婦間の愛は絶対に大事だと思います」
彼女は何を思い言葉を放ったのだろう。俺の想像通りなのか、それとも違うのか。それは分からないけど、雫から強い意志を感じる言葉であった。
「同感。だから、俺は絶対、瑠奈には絆されないよ」
そう言うとジト目で俺を見てくる。
「――じー……」
「なに?」
「いえ……。その割には今日1日スケベな表情をして楽しそうに瑠奈さんといたなー……と」
流石は雫様。心の内はバレてるか……。
好きとか嫌いとか、そういうのは置いといても、やっぱ美少女に追いかけられるのは――悪い気は全然しないよね。表には絶対ださないけど。
「そ、そんな事ないっての。俺の事を男とは見ずに諭吉に見てる奴だぞ?」
それらしい否定をすると、雫はあっさりと頷いた。
「――その点に関しては瑠奈さんと同感ですね。これを男性と見る事は出来ませんもん」
笑いながら追撃してくる。
「いくらATMになるからって、こんなATMは嫌ですよ」
「酷すぎない? 泣くぞ? 俺の何がそんなにいけないんだ?」
「メイドといえど、仮にも女の子と暮らしているのに堂々とAVやらエロゲーやらをする所ですかね?」
「男の浪漫なんだよ?」
「あっそ」
不機嫌に短く言い放ち、肘を突いて視線を逸らしてくる。
雫も耐性あるだろうが、そういう話はあまり好きじゃないもんな……。
「――そういや、応援団って何すんの?」
この話題を続けても雫が不機嫌になるだけなので話題を面舵いっぱいで切り替える。
すると、嵐から晴天になったみたいに不機嫌さは取り消されて機嫌良く答えてくれる。
「まずは団の皆で応援の台詞や振り付けを考えます。そこから声出しや振り付けの練習。そして衣装作成ですね」
「なるほど。シンプルな応援団の内容だな。でも、そんなに楽しいものなのか? 2年連続や――」
「楽しいです!」
食い気味で言われてしまう。
「皆で協力しあって計画をし、出来上がったものをやり遂げた達成感。短い期間でしたが、深い絆がそこにはあります」
珍しく青春を語る雫。
そういや去年も熱く語ってたな。
「――はぁ……。先輩かっこよかったな……」
雫は手を組んでキラキラのエフェクトを出し、去年を思い出すかの様に呟いた。
その姿はまるで恋する乙女である。
「へ、へぇ……。そうなんだ……」
何故だが心臓の鼓動が早くなった。
「はい。先輩は優しくてカッコよくて……身長も高くて……。はぁ……」
そんな彼女を見て心臓がチクッとした。
「な、なな、なんだよ? ほ、惚れてたの? その先輩に」
「――はい?」
「あれだ。あれ。イ、イケメンは性格悪いんだぞ? 惚れたら負け。後は騙されるだけだ。はっはー。あわれあわれ。雫ちゃん可愛そー」
「――いえ。惚れた腫れたという訳では……」
「う、嘘だね。はは。雫は嘘が下手だなぁ」
引きつった笑いになった所で雫が衝撃の言葉を放つ。
「先輩は女性ですが?」
「――へ?」
俺の頭をカラスが鳴きながらクルクルと回っている気がした。
いや、窓の外で実際にカラスが鳴いていた。俺を嘲笑う様に。
そんなカラスもご登場の夕暮れの日差しが入ってくるリビングで、雫は悪戯っ子の様な笑みを浮かべて俺に言ってくる。
「なんですかー? もしかして、私が男の先輩に惚れてしまったとでも思い嫉妬したのですかー?」
「は、ははっ。そんな訳ねえだろ。マジありえねー」
少し早口になってしまうと、彼女は勝者の様な笑みと余裕のある表情を作る。
「んー? ホントですかねー?」
「嫉妬なんかしゅるかよ!」
動揺し、噛んだ台詞を言ってしまうと、悟った目をして小悪魔的に言われてしまう。
「ハルくんは嘘が下手だなぁ」
「――グゥっふんぬ……」
グゥの音もでなかった。昼間の完士はこんな思いだったのだろうか……。
俺の反応が楽しかったのか、鼻歌混じりでご機嫌に雫は立ち上がり、俺を見下ろしながら言ってくる。
「多分、今年も使うと思いますので、学ラン借りますね」
「――え? あ、ああ……」
確かに去年も中学の時の制服を雫に貸したな。女子が学ラン着ると映えるよね。
そして鼻歌を歌いながらリビングを出ようとして俺を見てくる。
「あ、決して私の部屋を覗かないで下さいね。除いたら処刑です」
物凄くご機嫌口調で、物凄く恐ろしい単語を出すな。このメイドは。
しかし、機嫌が良かろうと、悪かろうと、このメイドは有言実行型のメイド。やると言ったらやる恐ろしい精神の持ち主だ。
「覗くかよ」
「ふふ。絶対ですよ」
雫は機嫌良くリビングを出て行ったのであった。