補習
缶ジュース2本分を浪費してしまったが、悪くない時間を過ごせたので良しとしよう。
クラスメイト兼メイドの影武者の事をほんのちょっぴりと知る事が出来て、やはり人間、どれほど明るい性格な人でも悩みや思っている事はあるのだな、と思いながらB組の教室へやって来る。
教室に入ると、知っている顔はいなかった。
着席している人は綺麗に整列して座っておらず、穴ぼこで適当に座っている所を見ると、座席はしていではないのだと理解する。
後ろの席は埋まっていたので真ん中辺りの席に座る事にした。
着席しながらふと思った。
そういえば何がいるのか全く聞いて無かったな。
返却されたテストでもいるのだろうか? しかし、そんな物は持って来ていない。
ま、大丈夫だろう。テストの問題と答えは何となく覚えているし。
救済処置なんだ、身体1つあれば良いだろ。
そんな事を考えていると「あら?」と先週までのキャラとは全く違う声が聞こえてくる。
まさか――。
そう思いながら声の方へ視線を上げると、目の前には予想通りの人物が立っていた。
「時人君も補習ですか?」
「何で瑠奈がいるんだ?」
「何でって……。補習だからですけど?」
何故か余裕綽綽の笑みで当然のように俺の隣に座ってくる。
「え? 瑠奈……が補習?」
「何ですか? その反応」
「いや、だって……。え? 頭良いんじゃ?」
そう聞くとドヤ顔で言い放ってくる。
「自慢じゃないですが、勉学は苦手ですよ」
「本当に自慢になんねーな。――あれー? でも……」
「私、時人君に勉学が得意とでも言いましたか? むしろ質問してたと思うのですが……」
言われてみれば……。何で俺は瑠奈の事を頭が良いと思っていたのだろう――。
「キツツキ……」
「キツツキ?」
「そうだよ。キツツキ。啄木鳥をキツツキと読んだんだよ……」
「――あー……あれですか」
瑠奈は理解した様で、右手を右耳に持っていく。
「完士君に教えてもらったんですよ。転校初日だからカッコいい姿をクラスメイトに見せたくて」
「授業中に通信するなよ……」
「だからテストは正々堂々挑みましたよ。ま! 結果は全て赤点ですがね!」
大きな胸を張り自信満々に言い放つ。
何故こいつはこうも堂々としてられるのだろうか。
しかし――お嬢様プラス難しい漢字を読んだだけで勝手に頭良い判定してしまってたのか……。人間決めつけるのは良くないね。また1つ勉強になったわ。
「ですが意外ですね。完士君の話では、時人君の成績は優秀と聞いたのですが?」
「――名前書き忘れて0点だとさ」
「まぁ! それはそれは……。この、おっちょこちょいさん」
言いながら脇腹をちょんとしてくる。
「――もっひぃ! や、やめろや!」
瑠奈が無邪気に笑う。
「ふふ。本当に脇腹が弱いですね」
「だから、脇腹強いやつなんていないっての」
「だから、脇腹強いですって。今度こそ試します?」
「――え? 良いの?」
「ええ。時人君なら良いですよ」
そう言われて人差し指を突き立てる。
その時に後ろの方から視線を感じた。軽くだけ見てみると、数人がこちらを見て来ていた。
「何しとんねん」
「うざいねん」
「きもいねん」
「どっかいけ」
そんな言葉を目で言われている気がして、俺は萎縮してしまった。
そりゃ補習前にこんなの見せられたらうざったいよね。すみません。
「――やっぱ……やめとく……」
「あら? 恥ずかしがって……。ふふお可愛いですね」
ぐっ……。言い返せない。
なので話題を変える事にした。
「――瑠奈は数学何点だったの?」
「ふふふ。良くぞ聞いてくれました」
含みのある笑いをした後に自慢げに言ってくる。
「なんと! 28点です!」
「――どうしてその点数を恥ずかしげもなく、むしろポジティブに言えるのか不思議で仕方ないよ」
「私がですよ? この一ノ瀬 瑠奈が数学28点ですよ!? 凄くないですか?」
「凄いな。低すぎて逆に凄いよ。ノーベンか?」
「なんと! なんとですよ! 今回は2時間も勉強したのです!」
Vサインをしながら俺に言ってくる。
「分かんねーよ。お前の基準が。あと、それ、一般的には全然勉強した事になんねーから」
「いやー。前の学校の頃は1桁が普通でしたからね。この学校合ってますわー」
「もう以前のお前のキャラが思い出せねーよ」
成金お嬢様からただのアホにしか見えなくなってしまった。
「しかし……お前良くそんなんでウチの学校転校出来たな。一応転入試験みたいなもんはあったろ?」
聞くと掌を広げて手首のスナップさせてくる。おばちゃんがよくやるジャスチェーだ。
「こういう時に権力を使うんですよ」
「お前……マジか?」
「使える物は使わないと」
言ってる事と表情のミスマッチを見せられて俺は開いた口が塞がらなかった。
「――冗談ですよ?」
「ホントか? お前本当に冗談なのか?」
「流石に完士君と勉強しましたよ。まぁ実際的にはテストの点数は絶望的だったみたいですが、面接で何とかクリアしたみたいです」
「へぇ。面接。公立校なのに面接なんかあんのか?」
確か、入試の時に面接なんて無かった気がするのだが……。
「はい。転入試験には面接が含まれているみたいですね」
「――まさかそこで圧力を?」
「いやいや。何もしてません。志望動機を言って質問に応えただけです。――しかし、面接が無かったら一ノ瀬家の計画がパァになる所でした」
「お前……よくもまぁターゲットの前でそんな事言えるよな」
「もうネタはバレてるし良いでしょ?」
「清々しいよ。逆に」
そんな会話をしていると数学担当の先生が入ってきて補習が始まったのであった。
♦︎
「――やっと……。終わりましたね……」
「おいおい。大丈夫かよ……」
補習が終わり、瑠奈はふらふら〜っと教室を出て行く。その姿があまりにも危なかっしくて声をかける。
心無しか頭から煙が立ち上がりプスプスと音がしている気がした。
「長かったです……。ここまで良く耐えました……」
「そうか……全教科赤点だったって事は全教科補習か……」
「そうなんですよ。めちゃくちゃテンション下がりましたけど、今は達成感に満たされています」
「テンション下がった――。あ……。もしかして元気無かったのって?」
「はい。補習だったからですよ?」
ケロっと言われて肩を落とす。
「なんだよ……。そんな事かよ……」
「そんな事とは心外ですね。放課後居残りが確定した時、本当に辛かったんですから」
彼女の言う通り、それはしんどいな。
「それをどっかの御曹司様が勘違いして元気付けてくれたんですよねー」
「色々勘違いがあったなー」
「ふふ。まぁ隠し事は苦手なので私としたら大分楽になりましたけどねー」
そう言いながら当たり前の様に俺の左腕を組んでくる。
「ちょ!」
「良いじゃないですか。放課後で校内には人もほとんど残っていないし」
「そういう問題じゃねーよ」
「それにこれはれっきとした練習です」
「練習?」
一体何の練習だと言うのだろうか? まさか夫婦の練習とか言うんじゃないだろうな?
「お忘れですか? 二人三脚。私達はペアなんですから今のうちに練習しとかないと」
「あー……。――って、いやいや、これじゃ何の練習にもならんだろ」
「細かい事は気にしない、気にしない。ほら。いっち、にっ、いっち、にっ」
「掛け声と出す足が全然合ってねーぞ」
「気にしない、気にしない」
気にするだろ。
そんな感じで廊下を歩き、階段を下りる手前で立ち止まる。
「はい。練習終わり。階段は危ないから離れなさい」
「えー。これも良い練習になりますよ?」
「二人三脚で階段何かあるかいな。ほら、早く離れて」
じゃないと、俺の理性が保たない。
「嫌ですよ。もうすぐ時人君の理性が持たずに既成事実を作るチャンスになるんですから」
こいつ鋭いな。
「俺に好意がないの分かってるからそんな事にはならないよ」
心の中でこの感触から離れるのは惜しい為、血涙を流しながらも彼女の腕を振り払う。
今回は素直に腕を解いてくれる。
「確かに階段は危ないですもんね」
「だろ。腕組んだまま歩いて転んだりしたら大怪我するわ」
そんな事を言いながら階段を下って行く。
「――でもさ。何で俺なんだ?」
階段を下りて4階と3階の間の踊り場にて、シンプルに思った事を彼女に聞いてみる。
この前までのキャラなら聞きにくかったが、今の瑠奈のキャラなら素直に自然と聞く事が出来た。
「何がです?」
首を傾げて聞き返される。
「政略結婚だよ。別に俺じゃなくても、他にもっといるだろ? それこそ同じ業種の奴の息子とか。そっちの方が企業拡大とか出来るんじゃないの?」
俺の質問に「あー」と言って答える。
「理由は簡単ですよ」
「何?」
「時人君の家がお金持ちの家系の中でもトップクラスだからです」
「――あっは! 清々しい程に素直だな」
「まぁこれはお父様のお考えなので、経営者特有の性格の悪さが出ているシンプルな考えですね」
そう言う瑠奈な顔は少しだけ苦い顔をしていた。
「そうか。政略結婚だから瑠奈の思いは完全無視なのか」
彼女の表情を見て聞くと思ってた答えとは違う返答をされる。
「完全無視という訳ではありませんよ?」
「そうなん?」
「はい。お父様の最低水準を超えた男性の中から選ばせてもらいましたので」
「その中で見事に俺が選ばれたと?」
「そうなりますね」
「何で俺?」
「――それは秘密です」
そう言って指を口元に持っていきウィンクをしてくる。
「なぁ? 瑠奈は政略結婚とか嫌じゃないのか?」
「私は特に抵抗は無いです。ですが、時人君の考えを否定する訳ではありませんよ? 相手を好きになり、告白して、恋人になり、愛を深めて夫婦となって家族が増える。理想的な人生だと思われます」
「だったら――」
「――ですが、その理想的な人生の道を歩ける人は何人いるのでしょうか?」
瑠奈は少し目を細めて語り出す。
「根本的な話ですが、好きな人が絶対に現れるとは限りません。私は巡り合えない誰かを待つよりも、理由はどうであれ、一緒になるパートナーを大事にしたいです。そこに愛があろうが無かろうが――。それでお爺様が築いた会社を守れるなら本望でもあります」
「瑠奈……」
「――だから、私と婚約してください」
俺は転けそうになった。
「このタイミングで良く言えたね」
「あまりシリアスな空気は好きではないので」
そう言いながらまた俺の腕を組んでくる。
「何でそんなナチュラルに組めるの?」
「それは時人君をメロメロにさせる為ですから」
「そんなに本音をバンバン言って惚れるとでも?」
「逆に効果があるかな? ――っと」
「ねぇよ」
「それは残念です。しかし、腕組みは効果ありますよね?」
「――ね、ねぇよ」
「ふふ。素直じゃ――ありませんね」
「――ひょふぃ! だから脇を――」
「あはは。本当に弱いですね。ツンツン」
「――ひょっ! や、やめー!」
その後も脇腹をツンツンされてしまった。