亜麻色の悩み
♪♪♪
脳内に軽やかで、しかし、落ち着いたサウンドが彩り豊かに広がっていく。
伴奏から展開されたフィールドは、見渡す限りの青緑、豊かな草原だ。
それを上から覆うのは瑠璃色の天蓋。宵の空に二種類の色。紫と狐色の雲がたゆたい、渦を描いて次々と形を変えていく。鷹、月、剣、巨魚、そして、神へと。
二つの積乱雲は雷神と嵐の竜となって争いを始める。互いはイカヅチの剣と暴風の牙をぶつけ、その波紋は地平線まで及び、草原をずたずたに引き裂く。
そんなテンポの激しい電子音の奥からふと、透き通った女声が響いてくる。女神の美しき歌に神々の争いは一時平定され、雲は一つに重なり、大きな大樹となる。
大樹が降らす白い光と淡い雨粒は新たな木々を産み、世界を緑に染める。
大樹はやがて世界樹になり、天の星々と大地を支える。大樹の成長からここまでがサビの部分だ。やがてボーカルの声がバックサウンドと共に変化しなくなり、世界を再生させた世界樹は地殻に飲み込まれ、沈んでいく。これで一番終了だ。
二番はこの焼き直しで、雲の変化のパターンと最後に世界樹が空に昇って消えてゆくところが違う。曲の最後にこれまでと違った狼の疾走のリズムを挟んでいるが、それがこの風景を汚すことはなく全体のイメージ内に上手く収まってると思う。
ここまで聞いて楓はヘッドホンを外し、目蓋をゆっくりと持ち上げた。
深呼吸を一つ。現実に自分を戻していく。
まばたきを一つして、目の裏に焼きついた先までの色を消す。灯りも付けていない店内を見渡して、正常に見えることを確認する。決して広いといえない店内に、所狭し並べられた楽器類は音を奏でることなく、ただ活躍の時まで静かにその身を休めている。
柚木楓が自分の中にある『色聴』という共感覚を自覚したのは学生の頃だった。
『音が色として見える』。
そういう感覚を幼少時から持っていた楓は、高校の音楽の授業で気に食わない教師と口論した際にやっと、自分の異常性に気づいた。
ある音を聞くと同時に色を『見て』しまう。という皆とのズレを。
甲高い声を黄色く見てしまうし、せせらぎには青を想起するし、苛烈な怒声を聞けば赤色を網膜に描いてしまう。心を研ぎ澄ませて、具体的な形を与えることも可能である。
小さい頃からずっと無意識に使っていたため、いつからこうなったのか把握していないが、もう十年以上の付き合いなのは間違いない。これでも症状を抑えられている方だ。聞き慣れない音を耳にすると勝手に『見て』しまうことが未だにあるが、生活音や他人の声をいちいち『見ていた』頃に比べると随分楽になった。
楓はその才能ともいえぬ偶然の産物を利用して、CDジャケのデザイナーをしている。まだまだ駆け出しだが確かな手応えを感じていた。
うむ、と楓は唸り、ヘッドホンの繋がったプレイヤーからCDを取り出し、レーザー面を眇め見る。表面には小さく鉛筆で『雨のヨル』。正題は『Rainy night』。
これが目下の悩みの種なのだ。
歌詞の内容は悲恋を歌ったもので、依頼してきた会社もその方向性で描いて欲しいと言ってるのだが、楓の『見た』ボーカルやメロディからはそのイメージはちっとも伝わってこない。アーティストのアルトは厳か過ぎるし、ミュージックは明るすぎる。女性の身をつまれるような切なさはこの音源にはない。
悲劇的なシーンも無いこともないが、全体の曲調のテーマはやはり再生と創世だ。だが、まさかそれをジャケットデザインにするわけにもいくまい。
この仕事をしてるとたまにこういうことがある。
向こうとのノリが合わないというか、波長が合わないというか。音楽性の違いといえるほど立派なものじゃないけど、向こうのセンスを疑うことが時折。
だが楓の身分はあくまでデザイナーであり、アーティストではない。あくまで『職人』であり『芸術家』ではないのだ。口出しすれば鼻で笑われる。もしくはお怒りを買う。
我慢して歌詞通りのデザインを仕立て上げれば良いのだろうが、自分に嘘を付くと、やはり手と思考が滞ってしまい、締め切り直前まで延ばしてしまうわけだ。
時計に目をやる。開店十分前だ。「OPEN」の札を回そうか。
スニーカーのペタペタした音を鳴らしてドアに向かう。ゴムの音は鶯色だ。
入り口に掛けてある「CLOSE」の札を「OPEN」に裏返して、気分を一新させようと小粋なステップを刻みながらカウンターに戻る。タタンタンで二匹のウグイスは羽ばたき、タタンタタン、タンタンタンで彼らはクルクルと遊ぶ。
鼻歌でも歌おうかと息を溜めて、カウンターに黒衣の端を見、喉で止める。
さっき拾った少女が引き戸から、憔悴した顔を覗かせていた。
そうだ。今は一人じゃなかったんだ。危ない危ない、恥を晒すところだった。
別の理由で心機一転し、楓は声を掛けた。
「もう大丈夫なの? 体の方は」
黒の少女が渋い顔をする。そういえば聞き慣れない言語を喋っていた。外見からして日本人じゃないのは確実だし、日本語が通じるわけないか。
「クジッフ、シォラディアン。ジャラッター、プト?」
少女が出した言葉はやはり聞いたことの無いもので、青と黄色がない交ぜになった色が目に映される。この年くらいの女子だと、声は大抵黄色系なのだが、黒服の少女はそこに奇妙な青色系がぶっ込まれている。恐らく言語のせいだろう。独特の発声法で喋っているため、聞き手側に微妙な違和感を感じさせる、とか。
まあ、それはともかく。意思相通ができないのは困る。助ける気は無いがここから追い出そうにも、言葉が通じないんじゃ話にならない。
「あー、あなた、倒れた。私、連れてきた」
自分を相手を交互に指して、ジェスチャーでのコミュニケーションを試みる。みようとしたが少女はこっちを見ずに、両手を合わせて目を瞑った。
お祈りか? と動きを止めた楓の、すぐ目の前に、
「……っっ!」
巨大な神獣。スフィンクスが降ってきた。
♪♪♪