二十四色の残念
♪♪♪
一つの歌が鼓膜を震わす。体を震わす。心を震わす。喉が、震えそうになる。
口が歌詞を紡ぐ。
噤むように、啄ばむように、告げるように。
自分の声とマイクから流れる曲が交じり合い、溶け合い、左右の鼓膜から入り、脳に染み渡って一つの色彩を描く。色が重なっている。
一つではなく、三つ。
三つではなく、六つ。
六つから十二に。十二から二十四に。
混じらずに二十四色であり続ける音は、楓の喉が出せる音階数。赤系統が十三。黄色が七。紫が四。その色をもって楓は一つの楽曲を構成し、脳裏に幻想卿を再現する。
歌と一体になるその感覚に、楓は甘い吐息を零す。
ほう、と声を出した喉はブレスの動きに変わる。
動き出せ、から始まる歌詞はある一匹の犬の話だ。どこにでもいる野良犬で、どこにでもいる弱い者、その一個でしかない負け犬のストーリー。
……こんな形で、またこれを歌うようになるとは、ね。
すでに昔の話だ。過ぎ去りし、自分でも忘れたくて、何度も思い出してしまうお話。
情熱を持って上京して、ようやくメジャーデビューしたバンドが、急に情熱を無くしたボーカルの引退によって解散。残ったのはメンバーとファンとレコード会社からの不信感と、一時の流行は築けたけど、それ以上は行けなかった青臭いソングが数曲。
「上を望めよ――」
他のメンバーとは疎遠になってそれっきり。みんな同じ県内だが地元が違うので、会おうと思わない限り遭遇することはない。実を言うと有り難い。もしかしたらまだ恨まれてるかも知れない。まだあれから二年も経ってないのだ。楓にとっては遥か昔だけど、彼女らはそう思ってないだろう。
二回目のサビに入った。個人的に好きだった箇所だ。歌うのにも力が入る。
「飢えを望めよ――」
当時、どこかにいる誰かに向けて発していた歌が、今は自分のために歌っている。そんな気がする。あの時の方が上手だし、歌詞も理解していたつもりだったけど、今の方がこの歌詞を一つ一つにちゃんと共感して歌えている、ような、変な気分だ。
……これも、甘えなのかもだけど。
引退の理由は、誰にも言えない。誰にも話していない。こんな不義理な自分と今でも親しくしてもらっているアゲハにも、だ。
だけど、これは共感覚を持っている自分だからこそ陥った理由なのである。
他人の歌を『見て』、見蕩れて、自分の限界を悟ってしまった、なんて。
ああ、自分はニセモノなんだな、って思いを伝えるのが精一杯だった。
いつか話したいとは思っているが、どう話せというのか。どこから話せばよいのか。それで納得してくれるか。判断が付かぬまま、地元の商店街で働いて二年。
何も考えないように暮らしてきたが、忘れられずまま、今がある。
無様に、私が残っている。
「孤独を愛せよ――」
ああ、絶賛孤独と同棲中さ、熱ーく恋愛中だよ、私。そろそろ他の人が割り込めないくらい深い関係になりそうだ。それも仕方ないよね。それを選んだの私なんだから。
歌はもうすぐ終わる。夢の時間から覚める時間だ。
淡く、脆く、切なく。
儚い幻想はただ立ち去るのみ。
さあ、息を吸おう。フィナーレだ。夢は、最後まで美しくなければ。
「届かせろ――」
……ははっ、とブレスでも無いところで笑う。歌が乱れて汚くなるが問題ない。それを演出だと誤魔化せるくらいの技量は残っている。
「どこまでも、その咆哮を――」
……それじゃあ、夢を見るのはこれが最後だね。
楓は心の中でそう思いながら、最後のフレーズを出し切った。
♪♪♪




