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人の性は……

 性悪説を否定できるといった孔子ちゃんを、荀子ちゃんが馬鹿にしたような冷ややかな目で見つめる。


「新聞やネットニュースを見てみるといいのですね。毎日夥しい数のロリコンどもが性犯罪で捕まっているのですね。それをみても尚、人の性が悪であるということを否定できるのですか?」


「いや、もっと凶悪な犯罪が沢山あるのに、そもそもなんでそんな特定の犯罪に限定して話してるのさ!?」


思わず突っ込んでしまった僕に、荀子ちゃんは、分かってないな、と言いたげに肩をすくめた。


「それはもちろん、性犯罪というものが、性癖それ自体が悪として断罪されてしまう典型的な例だからなのですね。一例をあげれば、14才未満とのえっちは、二人が愛し合っていても強姦罪が成立するのですね。すなわち、ロリコンは悪! ……なのですね」


 いわゆる強姦罪は、近年の法改正で強制性交等罪と名前が変わっているけど、そんなことはどうでもいい。ロリコンを否定されては黙っているわけにはいかないだろう。


「ちょっと待ってよ! それは聞き捨てならないよ! 小さい子は可愛い、可愛いは正義! 故に、小さい子好きもまた正義! 言い換えれば、ロリコンは正義だ!」


 僕の力説を、しかし孔子ちゃんも荀子ちゃんも無視した。まぁ、そんなものだよね。


「確かにロリコンは悪じゃが、それだけでは人の性が悪とは言えぬと思うが?」


 ロリコンが人の部分集合に過ぎないことを根拠とする論理的な反論だ。しかし、荀子ちゃんはそれを鼻で笑った。


「愚問なのですね。ロリコンでない男など存在しないのですね」


「人間は男だけではないことなど指摘する気にもなれぬが、当然、反論は用意しているのじゃろうな?」


「当然、女には女の業があるのですね」


「……なんとなく想像できたから言わなくていいよ?」


 僕の意見はまたも無視された。


「子をなすという自然の営みに反する人類最大の禁忌を嗜好してしまう背徳的な感情、それこそが二百万乙女の罪なのですね」


 予想通り、腐った話だったようだ。どこから出てきたのかわからない怪しい数字が気になったけど、孔子ちゃんは無視した。


「確かに、吾もBLは好きじゃが、汝は本当にそれを悪いと思っておるのか?」


「ど、どういうことですの?」


 孔子ちゃんのシンプルな問いに、荀子ちゃんが動揺を見せた。


「汝も当然、真善美という言葉を知っておろう? 」


「真善美……」


「そうじゃ。真なるものは善であり、美である。汝の心に聞こう。BLlは美ではないのか?」


「……美なのですね」


「真ではないのか?」


「くっ……真、なのですね」


 苦し気に、荀子ちゃんが認める。さすが、腐っても腐女子と言うべきか、自分の心に嘘はつけないらしい。


「では、善であることも認めるのじゃな?」


「そ、それは……」


 止めの問い、これは荀子ちゃんの価値観を完全に崩壊させる問いだ。


「観念して汝の過ちを改めよ。『子曰く、過ちて改めざる、これを過ちと言う』。また、『子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』。汝は今まさに、道を知ったはずじゃ」


「BLは美しいから善って、そんな道嫌なんだけど……」


 相変わらず、僕の正論(?)を誰も聞いてくれない。泣きそうな荀子ちゃんが観念したかのように口を開こうとした時、孟子ちゃんが荀子ちゃんを庇うように前に出た。


「当然、あんな美しいもの、善に決まってるよ! だって、人の性は善なんだから!」


 孟子ちゃんが中学生にしては大きめの胸を張って断言する。


「そこで性善説を持ち出すんかい!?」


「むむ、BLは別に善でも問題はないが……」


「ほらご覧なさい! これこそ性善説の大勝利だよ!」


「いや、じゃがしかし、性が悪である場合もあるわけで……」


「当然なのですね。人の性は悪なのですから。 先ほどは騙されそうになりましたけど、そもそも真善美という言葉自体が間違っているのですね。これからは、真悪美、と言うべきなのですね」


 孟子ちゃんと荀子ちゃんが、交互に孔子ちゃんを責める。言い負かされそうになると性善説と性悪説をころころ入れ変えるのでは決着がつかない。流石の孔子ちゃんも、反応に窮しているようだ。


 そんな、ちょっとした膠着状態を破ったのは、もう一人の登場だった。


「一人を相手に二人がかりとは卑怯です! 私が加勢します!」


「ふ、二口さん!?」


 そう、颯爽と現れたのは二口さんだった。用事か終わったのだろう。一応、僕も孔子ちゃん寄りなのに、無視されてしまったのは悲しいことだ。


「誰が助けに来ようと無駄だよ。私の性善説と荀子の性悪説、二つの説が合わされば!」


「人の性は善か悪かのどちらかだという、より汎用的な理論になるのですね!」


 孟子ちゃんと荀子ちゃんが二人でびしっとポーズを取る。


「善悪二元論か、そんなもの、孟子や荀子を待たずとも、祆教けんきょうで既に言われておるわ。珍しくともなんともない」


「けんきょう??」


 孟子ちゃんと荀子ちゃんが目を丸くしている。中学生では知らなくても無理はない。寧ろ、勉強をしないと公言している孔子ちゃんが知っているのが驚きだ。


「祆教、つまり、紀元前六世紀頃から栄えたゾロアスター教のことですね。善悪二神論からなる拝火教で、善の神アフラマズダへの信仰ですが、対になる悪の神アーリマンの存在も説かれています」


 すかさず二口さんが教科書的な知識を補足してくれた。


「よ、良くわからないけど、じゃあ、善と悪に中立を足した三元論でどうよ!?」


 孟子ちゃんが僕を引っ張って言う。どうやら僕が中立の役らしい。


「それは、何というメガテンじゃ? それとも、良い子悪い子普通の子か!?」


 孔子ちゃんの突っ込みの幅広い元ネタがわからないのだろう、遂に孟子ちゃんと荀子ちゃんが黙りこんでしまった。


「て言うか、人間の性は全て善だ、いや悪だ、と決めつけるところに学説の個性があるのに、善も悪もある、とか、中立もある、なんて日和ったら、そんなの当たり前になっちゃうよね」


 僕がしみじみと言うと、孔子ちゃんが追い討ちをかけた。


「大体、これだけ多くの人がいるというのに、その性を単なる思い付きで一般化しようとするのがそもそも浅はかなのじゃ。『思いて学ばざれば即ち危うし』、という奴じゃな」


 孔子ちゃんの容赦ない正論に、孟子ちゃんと荀子ちゃんはぐうの音も出ない。


「くっ、覚えてなさいよ……。次こそは、私の聴診器テクでめちゃめちゃにしてやるんだから!」


「わたくしも、とっておきの薄い本で、BLの持つ悪の美学を理解させてみせるのですね」


 相変わらず良くわからない捨て台詞を残して、逃げだそうとする孟子ちゃんと荀子ちゃんに、孔子ちゃんが声をかけた。


「最後に言わせて貰おう。これが孔子の言じゃ! 歴史が違うんじゃよ」


 孟子ちゃんと荀子ちゃんは、きー、と歯ぎしりをしながら部屋を出ていった。


「さすがは孔子ちゃん。私の認めたライバルだけのことはありますね」


 見事に小林姉妹を撃退した孔子ちゃんを見ながら、二口さんが何故か得意げに頷いた。いつの間にか二口さんの中で孔子ちゃんは矯正対象からライバルに昇格したようだ。しかし……。


「何じゃ、でか乳。また戒められに来たのか?」


 孔子ちゃんが両手をイヤらしくくねくねさせる。


「み、貢君、私たちも退却です!」


 残念ながら、二口さんは揉みしだかれる前に、僕の手を引いて逃げ出してしまった。


***


「ふぅ、危ないところでした」


 急いで丘さん家を出て、二口さんはようやくほっと一息ついた。


「あの、手が……」


「え、あ、ごめんなさいっ」


 僕の指摘に、二口さんが慌てて僕の手を放す。勿論、憧れの二口さんと手を繋げるなんてすごく嬉しいし、名残惜しいけど、家の前で手を繋いでいては近所でどんな噂を立てられるかわかったものじゃない。


「いや、本当はずっと繋いでいたいくらいなんだけどね」


 真っ赤になってうつむいている二口さんに、僕はおどけて言ってみた。


「貢君は、いぢわるです」


 頬を膨らませる二口さんはとても可愛い。今までになく二口さんとの距離が近くなった気がして、僕は気になっていたことを聞いてみた。


「そう言えば、来るの遅かったけど、二口さんは何してたの?」


「ちょっとしたアルバイトですよ。奨学金だけではちょっと厳しいので……」


 二口さんはそう言って、少し恥ずかしそうに僕の目から視線をそらした。


「あ、ごめん……」


 僕は地雷を踏んでしまったことに気付いた。


そう言えば、二口さんと同じクラスになったとき、噂話を聞いたことがあった。二口さんのお父さんは他人の借金を肩代わりさせられてしまい、遂には夜逃げしてしまったとかなんとか。だから、二口さん家は相当な貧乏で、返却不要の奨学金を貰っていても全然羨ましくないと、誰かが言っていたのだ。その時は妬み混じりの醜い噂話だと聞き流していたけど、今の二口さんの反応を見ると、あの噂はある程度は本当なのかも知れない。


「いえ、別に全然悪くないですよ! みんなが言う通り家は貧乏なんですけど、私はそれほど気にしてませんし。ただ、遊びに誘ってくれたりする友達に気を使わせるのが悪いので、ちょっとだけお小遣い稼ぎしているだけです」


 努めて明るく二口さんが笑ってみせる。釣られて僕も笑ってしまった。


「どんなバイトしてるの?」


 軽く聞いてみると、二口さんは人差し指を唇に当てた。


「それは、ひ・み・つ、です!」


 必殺のポーズで悩殺された僕は、別れを告げた二口さんが視界から消えるまで、その後ろ姿をぼーっと見送ってしまった。


***


 部屋に戻った僕は、二口さんのことを考えていた。二口さんは何故、貧乏なのにあんなに明るく振る舞えるのだろう? 僕は貧乏が怖い。とても怖い。何よりも怖い。数年前、父がリストラされて生活が困窮したときの恐怖を、僕は忘れられないのだ。幸い、父はほどなく再就職先を見付けることができたから、今ではなんとか普通に暮らせているし、僕も進学を諦めなくて済んでいる。あの噂が本当なら二口さんよりはかなり恵まれているはずだ。


 それでも、当時の、お腹がすいても十分に食べられないひもじさも、憔悴しきった父と母の様子も、僕の心にくっきりと爪痕を残している。


 だから僕は、お金が欲しいのだ。そのために勉強しなければと思うのだ。貧乏をあまり気にしていないと、二口さんは気丈に笑った。それは或いは、返却不要の奨学金を貰えるほどの頭の良さを持っているからこその強さなのかも知れない。もし僕が二口さんの立場だったら……考えただけで怖くて仕方がない。将来への漠然とした不安だけでこんなに怯えている自分が、何だかとてもみじめだった。


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