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古い方が偉い?

 丘さん宅のチャイムを鳴らして、中に入れてもらった僕は、勝手知ったる、といった感じで孔子ちゃんの部屋に入った。毎日毎日、女子中学生の部屋に入り浸るなんて、よく考えるとすごいことだ。


 特に何か準備をしてきたわけでもない僕は、取り敢えず適当に話を振ってみた。


「孔子ちゃん、今、僕の家に面白い子が来てるよ」


「面白い子、とな?」


「うん。孟子って書いて、たけ子ちゃんって言うんだけど、名前の付けられ方が孔子ちゃんに似てるよね」


「孟子じゃと!? 同じにされたくはないな」


 孟子ちゃんと似たような反応だ。


「でも、思想史的には、孔孟思想っていって、同系統になるよね?」


 無駄とは思いつつも、一応反論してみる。


「ふん、『子曰く、ふるきをたずねて新しきを知れば、以て師たるべし』。孔子の方が古いのじゃ!」


「いや、孔子と孟子は100年ほどの差しかなくて、どちらも2000年以上前だよ! 現代からすればどっちも十分古いでしょ!」


「偉く大胆な説じゃな。その考え方を敷衍ふえんすると、1900年前も2000年前と変わらないから古い、1800年前も1900年前とかわらないから古い、中略、今年も、100年前と変わらないから古い、となるな」


「それはそうなんだけど……」


 数学的帰納法に近い、論理的な反論に、僕はぐうの音も出ない。


「つ・ま・り、歴史が違うんじゃよ」


 勝ち誇ったかのように、孔子ちゃんが、ちっち、と人指し指を振りながら舌を鳴らす。


「そこまで言うなら、直接孟子ちゃんと対決してみる?」


 悔しくなって、僕は孔子ちゃんに持ち掛けてみた。 曲者の度合いなら孟子ちゃんも負けていないはずだ。ただの思い付きながら二人の対決は少し見物な気がする。


「対決? 何のじゃ?」


「舌戦、かな。孟子ちゃんも、孟子の教えは現代に通じるって言ってたからさ」


「ふむ、よかろう。勝負にもならぬと思うが」


 根拠があるとも思えないのにこの自信。あやかりたいくらいだ。


 ともあれ、僕は孔子ちゃんを連れて家に戻ることにした。相変わらず、ジャージの上着にスパッツ姿の孔子ちゃんが着替えると言うので、僕は部屋を出て先に一階に降りる。


「あら、先生、もうお帰りですか?」


 驚いたように弘美さんが聞いてくる。


「いえ、今ちょうど僕の家に孔子ちゃんの同級生が来ているので、孔子ちゃんに紹介することになりまして。僕の家に連れて行ってもよろしいですか?」


「もちろんです!」


 目を潤ませて、弘美さんが僕に抱き付いてきた。


「ひ、弘美さん!?」


 あったかくて、むにむにとやわらかい……。豊かな胸が体に押し付けられて、僕は身動きもできない。


「孔子が家から出るなんて、一月以上ぶりです! 先生のお陰ですね」


 僕を抱き締めたまま濡れた瞳で僕を見つめる弘美さんを、僕は思わず抱き締めてしまった。その瞬間……。


「この、不埒もの!」


 威勢のいい声とともにスパーン! という小気味いい音が響く。遅れて、衝撃が僕の後頭部を貫き、僕は背後からスリッパの一閃を受けたのだと気付いた。痛みはそれほどでもないけど、目撃された状況が状況なだけに、僕はパニック状態だ。


「ち、違うんだ、孔子ちゃん、これは……」


 僕は慌てて弁解しようとした。今の僕はどうみても人妻に手を出す間男だ。僕は助けを求めようと弘美さんに視線を送る。


「そ、そうよ、孔子。これは貢君が無理やり抱き付いてきただけなのよ? 私が誘惑したわけじゃないの。だからパパには内緒にしてね?」


 僕以上に狼狽えている弘美さんは、非情にも僕を生け贄にした。


「やれやれ。『子曰く、吾未だ学を好むこと色を好むが如き者を見ず』、というやつじゃな。これで人に勉強しろとはよく言ったものじゃ」


 孔子ちゃんは露骨に軽蔑したような目で僕を見ている。その冷たい目に少し冷静さを取り戻した僕は、落ち着いて正直に事情を説明しようと試みた。


「聞いてよ、孔子ちゃん。すぐに孔子ちゃんが部屋から出てくると分かっているのに、このタイミングでわざわざやましいことをするわけないじゃないか」


「む、それは確かに……」


 よし、もう一息。


「これは、孔子ちゃんが一月以上ぶりに外出してくれるのを、弘美さんと喜んでいただけなんだ」


「そ、そうなのよ! 嬉しさのあまりお互い抱き合う形になっちゃったけど、別にえっちなことしてたとかそういうのではないのよ?」


 さすがに、今度は弘美さんもちゃんとフォローしてくれた。わざわざ誤解されそうな表現を使うのはどうかと思うけど。


「ふむ、つまり吾が家に引きこもっていることで、それほど母上に心配をかけているのじゃな」


 少し考え込むように、孔子ちゃんは声を落とした。外出するだけで喜ばれてしまうことの不自然さを、自分なりに重く受け止めたらしい。


「そ、それはともかく、孔子ちゃんその服似合ってるね!」


 暗くなりかけた雰囲気を振り払うように、僕は強引に話題を変えた。いつものジャージ姿から一変、孔子ちゃんは見事なスリットの入ったチャイナ服だ。チャイナドレスというほどきらびやかではないものの、生地も縫製もしっかりしていて、お洒落な普段着として街中でも十分通用しそうだ。烏帽子のような帽子はチャイナ服にもあまり合ってはいないけど、それでもその違和感を帳消しにするくらい魅力的ないでたちだ。


「でしょでしょ! 何を隠そう、私の見立てなのよ!」


 弘美さんが上機嫌で言う。


「手に構えたスリッパまでかっこよくて、まるで香港映画の女優さんだね」


「こ、こ、『巧言令色(すくな)し仁』! バカなことを言ってないでさっさとゆくぞ!」


 孔子ちゃんは真っ赤になって叫びながらも、慌てて手にしたスリッパを履き直した。


「はいはい、それでは参りますか、勇ましいお姫様。お連れするのが舞踏会ではなく隣のあずまやというのが切ないけど」


 照れた様子の孔子ちゃんがあまりに可愛くて、僕は柄にもなく少し気取って言ってみた。こうして、僕はなんとか孔子ちゃんを外に連れ出すことに成功した。


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