昼寝は悪か
火曜日、今日も孔子ちゃんの家に行こうと思い、学校の帰りにコンビニに寄って、ビーフジャーキーを買った。束にはなっていないけど、分量的には十分だろう。
家に帰って、部屋で服を着替えていると、妹の由宇が部屋に入ってきた。
「うわ、馬鹿、着替え中にいきなり入ってくるなよ!」
「男のくせにそういう反応キモいって。そんなことより、お兄、隣の子の家庭教師始めたんだって?」
「あぁ。そう言えば、由宇と同い年だよな。孔子ちゃんのこと、知ってるのか?」
「知ってるよ。同じクラスだし」
「そうなのか!? 一度も学校に行ってないというわけじゃないんだな。どうだ、彼女?」
「どうって、会ったなら知ってるよね? 一度しか学校来てないけど、当然、かなり浮いてたよ」
それはそうか。あの口調だけでも浮くのは想像に難くない。
「転校してきてすぐにいじめられたとか?」
「いじめられてはいないけど、私の友達と、かなり派手にケンカしたよ。それで、こんなところに来てもムダだって捨て台詞を残して早退しちゃった」
「なんでケンカしたんだ?」
「友達が昼休みに机に突っ伏して寝てたんだけど、それを見たあの子が急に怒り出して」
「なんでそんなことで怒るんだ?」
「そんなのこっちが聞きたいわよ。そんで、お前は腐った木材だ! とか意味わかんないことを言い始めて、友達とケンカになったの」
その後、ひとしきり孔子ちゃんへの不満を吐き出して、由宇は部屋から出ていった。
「ほんとにそんなことがあったのかなぁ」
僕は腑に落ちないものを感じていた。まだ一度会っただけだけれど、僕の印象では、孔子ちゃんは意味もなく他人にケンカを売るような子じゃない。気難し屋だとは思うけど。
とは言え、由宇にしたところで、多少は生意気ながら、誹謗中傷をするような陰険な奴じゃない。そもそも、運動神経と食欲だけでできているようなあの脳筋単細胞に、話をでっち上げられるような知性があるとも思えない。さっきの話は、実際に由宇が見聞きしたことなのだろう。それでも、ケンカを売られた友達を贔屓目にみている可能性はあるかも知れない。
「本人に聞いてみるしかないか」
由宇の言うことだけを聞いて判断するのはフェアじゃないし、僕は孔子ちゃんの言い分も聞くことにした。
***
「ちょっと小耳にはさんだんたけどさ、孔子ちゃん」
「ん、はんじゃ?」
僕の持ってきたビーフジャーキーを噛みきろうと必死になりながら、孔子ちゃんが聞き返す。
「学校で友達とケンカしたって聞いたんだけど、ほんとなの?」
「ケンカ? ケンカなどしておらぬぞ」
「昼寝してた子にいきなり怒りだしって聞いたんだけど」
「あぁ、その件か。ケンカではないが、確かに一方的にしかりつけたな」
「ど、どうしてそんなことしたのさ?」
驚いて聞き返す僕に、孔子ちゃんが声を荒げる。
「あ奴は昼寝をしておったのじゃぞ!? それが許せるとでも思っておるのか!」
「たかが昼寝だよね? 何が悪いのさ」
「無論、『宰予昼寝ぬ』、というやつじゃ」
「さいよひるいぬ??」
「うむ。『宰予昼寝ぬ。子曰く、朽木はえる可からず。糞土のしょうはおすべからず。予に於いてか何ぞせめん。子曰く、始め吾、人に於けるや、其の言を聴いて其の行いを信ぜり。今吾、人に於けるや、その言を聴いて其の行ひを観る。予に於いてか是を改む』」
「いや、読み下し文で言われても、意味がよく分からないよ」
「つまり、宰予という弟子が昼寝をしているのを見て、孔子は、その怠惰を腐った木材に例えて、何の役にも立たないと憤慨した、という話じゃ。更に孔子は、それまでは人が何かを言えば、まずその言葉を信じていたが、これからは本当に実行されるのを見るまで信じないようにしよう、吾がこんなに疑い深くなったのも宰予のせいだ、とまで言っておる」
「たかが昼寝でそこまで……」
「じゃから、吾が昼寝する級友に憤慨したのも無理なからぬことなのじゃ」
「いや、ちょっと待ってよ。つまり孔子は、弟子が勉強もせずに怠けて昼寝してたから怒ったんでしょ? その子は孔子ちゃんの弟子でも何でもないじゃないか」
「むっ、確かに、それは、違うが……」
「じゃあ、その宰予とやらと同じように怒るのは違うんじゃないかな?」
僕の指摘に、孔子ちゃんが目に見えて狼狽する。
「じゃが、じゃが、昼寝じゃぞ?」
「昼寝を悪者扱いしてるけど、最近の研究では、お昼ご飯の後で軽く昼寝することで、午後からの勉強とか仕事の効率は向上すると言われてるんだよ? 宰予は、ひょっとしたら長時間だらだら昼寝をしていたのかも知れないけど、友達が休み時間に軽く寝ていたのはそんなに悪いことじゃないんじゃないかな?」
僕の言葉に、孔子ちゃんは神妙な顔で考え込んだ。
「そう言えば、あ奴も、昼寝は頭にいいとか言っておったな……吾が無知であったということか……」
「まぁ、あくまでそういう説もあるというだけだし、決めつけは良くないというだけだけどね」
一方的な断言は嫌いなので、僕は可能性を示唆するに留めたけど、孔子ちゃんは深刻な顔で考え込んだ。
「いずれにせよ、汝のいう通り、吾に非があったらしい。今度いつ会えるかは分からぬが、会ったら級友には非礼を詫びておこう」
孔子ちゃんは素直に自分の非を認めた。てっきり、孔子の教えは現代にも通じるとか言って反発されることを覚悟していたのに、意外だ。
「孔子ちゃんは良い子だね」
僕が微笑むと、孔子ちゃんは真っ赤になって首を振った。
「な、何が良い子じゃ! 吾を子供扱いするでない! 『過てば即ち改むるを憚る勿れ』。そんなことは、きみ子ならば当然なのじゃ!」
可愛い照れ隠しに、僕のにやにやは止まらなかった。
***
家に帰った僕は、孔子ちゃんに貰った論語を開いて、宰予昼寝ぬ、の一節を読んでみた。意味は孔子ちゃんが説明してくれたとおりだ。
驚いたのは、この宰予という人物、ただのダメ人間ではなく、孔門十哲の一人に数えられるらしい。孔門十哲というのは、孔子の弟子たちの中でも特に優秀な十人の弟子を指すそうだ。一説によれば孔門三千人、つまり、孔子の門下には三千人の弟子がいたと言うから、その優秀さは相当なものだろう。優秀な弟子だったからこそ、孔子の期待も大きかったのかも知れない。だけど、聖人君子の孔子が、弟子の昼寝くらいでこれだけ怒るのはなんだか大人気ない気がする。
少なくとも、寝るのが大好きな僕は、孔子の弟子にはなれないようだ。