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エピローグ

 月曜日、学校から帰ってしばらくすると、家のチャイムがなった。知らない人なら無視しようと思いながら、一応ドアの覗き穴から見てみると、来客は弘美さんだった。僕は慌ててドアを開けた。


「ひ、弘美さん? 何か御用ですか?」


「貢君……」


「わ、弘美さん!?」


 目をうるうるさせて、弘美さんがいきなり僕に抱きついてきたのだ。また後ろからはたかれそうな気がして、僕は慌てて距離を取った。


「一体どうしたんですか? ひょっとして、孔子ちゃんがまた家出したとか?」


「いえ、そうではなくて……貢君、ありがとうございます。今日、孔子が学校に行ったんです!」


「え!?  本当ですか?」


「はい。昨日、貢君が主人に意見してくださったことをきっかけに、主人が妥協して孔子の外出を認めたんです。そしたら、孔子も学校に行くと」


「良かった……あ、でも、ということは家庭教師ももう必要なくなっちゃったんですね」


 残念だけど、家庭教師をしたいからと孔子ちゃんの引きこもりを願うのでは本末転倒だ。ここはきっぱり諦めようと、珍しく男らしく覚悟すると、弘美さんが首を横に振った。


「それなんですが……貢君さえよろしければ、家庭教師を続けて貰えませんか? 孔子ったら、学校へは行くけどまだ勉強する気はないと言っているので……」


 思ってもいなかった申し出に僕は喜んで頷いた。


「是非、続けさせてください。まぁ、放っておいても、十五になったら勉強してくれると思いますけど」


 僕が笑うと、弘美さんは大きく首を横に振った。


「来年は高校受験ですよ! そんな悠長なこと言ってられません!」


 弘美さんが手をパタパタ振って抗議する。実は、僕には孔子ちゃんに勉強させることができるかも知れないアイデアが一つあった。ちょっと前に授業で習ったことが頭に引っ掛かっていたのだ。


「じゃあ、今からお伺いしてもよろしいですか?」


 二週間ぶりに訪れた丘さん宅は、当たり前だけど、前に来たときとあまり変わってはいなかった。僕は何となくドキドキしながら階段を上り、孔子ちゃんの部屋をノックした。


「入るがよい」


 相変わらず鷹揚な、だけど可愛い声だ。僕はドアを開けて部屋に入った。


「こんにちは。引きこもりやめたんだって?」


「うむ。引きこもりは、想像以上に父母に迷惑をかけることがわかったからな」


「そうだね、孔子ちゃんのお父さん、かなり怒ってたもん。怖かったよ」


「あのとき、吾を庇って父と戦ってくれた貢殿は、その、かっこよかったぞ……」


「え? 今、なんて……」


 孔子ちゃんが今なんと言ったか、聞こえなかったわけではないけど僕は自分の耳を疑って聞き返した。


「な、何でもないぞ! 何でもないのじゃ!」


 孔子ちゃんが真っ赤になって両手をばたつかせる。そんな孔子ちゃんが可愛くて、僕は聞き直すのを諦めた。


「まぁ、学校には、由宇殿も孟子殿もおるしな。退屈することはなかろう」


 少し落ち着いた孔子ちゃんが一人頷く。


「それは……退屈どころか、かなり騒がしくなりそうだね」


 他のまともな同級生の方々(いるよね?)に申し訳ない気がする。


「で、勉強は?」


 僕の言葉に、孔子ちゃんが顔をしかめた


「繰り返すが、吾はまだ十四ゆえ、今のところ勉学は必要ない。心配せずとも、十五になれば為政者を目指して受験勉強をするつもりじゃ」


 予想通りの返答だ。


「それなんだけどさ、孔子ちゃん。孔子ちゃんの誕生日はいつ?」


「むむ? 五月十四日じゃが……」


 今は六月だから、十四歳の誕生日が終わって一月ほど経っているということだ。


「そうか。早生まれでないなら、大丈夫だね」


「何の話じゃ?」


 孔子ちゃんが訝る。日本史の授業で元服について習った時から漠然と考えていたんだけど、ようやく今確信が持てた。


「残念だけど、孔子ちゃん、君はもう、十五なんだ」


「な、なにを言っておる! 吾はつい最近十四になったばかりじゃぞ!?」


「満年齢ではそうだね。でも、日本もそうだったけど、昔の中国では今みたいな満年齢ではなくて数え年を使っていたんだ」


「数え年とな? どういう意味じゃ?」


 孔子ちゃんが知らなくても無理はない。僕もこの間の授業で日本史の先生が元服の説明をするついでに、十五で元服と言ったときの十五は数え年だと、雑学として数え年の計算方法を教えてくれるまではちゃんとした意味を知らなかったんだから。


「数え年では、産まれた瞬間に一歳になったと考えるんだ。そして、産まれたあと初めての元日に二歳になる。それ以降は、元日ごとに一歳ずつ年をとる」


「むむ、その計算だと、吾は今年の元日に既に十五歳になってしまっているではないか!?」


「そうだね。もし孔子ちゃんが早生まれの中二だったら、次の元日で十五なんだけど、五月生まれの中二なら、数え年ではもう十五だね」


 今は6月だから、仮に中国で今も用いられている旧暦で考えても、結論は変わらないことも検討済みだ。


「な、なんということじゃ……知らぬ間に十五になっておったとは……」


 孔子ちゃんが蒼白な顔をしている。十五になったら勉強しようという前提あるいは決意が狂ってしまったのがショックなのだろう。


「まぁ、今からちゃんと勉強すれば受験には間に合うからさ」


「受験の問題ではない! これは吾のアイデンティティーの問題じゃ! 『子曰く、学は及ばざるが如くして、なおこれを失わんことを恐れよ。』 さぁ、貢殿、勉強するぞ。為政者となるために、受験勉強を極めるのじゃ!」


 ……こうして、とりあえず授業に追い付くまで孔子ちゃんの勉強に付き合わされた僕は、初めて無事にバイト料を手にすることができたのだった。



おしまい

この物語はこれで終わりです。読んでくださった方、ありがとうございました。

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