失業!?
日曜日。今日は家庭教師はお休みだ。孔子ちゃんに会えないのは何となく、いや、かなり寂しい。初めて孔子ちゃんに会ったのが今週の月曜日だというのが信じられないくらい、孔子ちゃんは僕の中で存在感を増しているようだ。
宿題は午前中に終わらせてしまっているし、もうすべきこともない。孔子ちゃんのことを考えると、ゲームも読書も手に付かない。
「別に、家庭教師はダメでも、普通に遊びに行くのはいいよね?」
僕の独り言に答える人はいないけど、言葉に出すと大丈夫な気がしてきた。日曜日は、恐らく孔子ちゃんのお父さんが家にいるのだろう。家に上がるのはダメでも、一緒に遊びにいくのは大丈夫なはずだ。そう考えると、居ても立ってもいられなくなって、僕は丘さん宅を訪ねた。
「あら、貢君……今日は、家庭教師はお休みの筈だけど……」
チャイムを鳴らすと、出てきた弘美さんがびっくりした顔で言う。
「はい、それはわかってたんですけど、孔子ちゃんと少し外で遊べないかなと思って」
「えっ、外で!? それは、ちょっと……」
弘美さんが困ったように口ごもる。様子が変だ。この間は、孔子ちゃんが家から出るのをあんなに喜んでいたのに。気まずい沈黙は、もう一人の声で破られた。
「どうしたんだ、弘美」
中から出てきたのは、四十代半ばくらいか、渋いおじさんだった。間違いなく、孔子ちゃんのお父さんだろう。
「あ、あなた。こちら、孔子の家庭教師をしてもらっているお隣の貢君よ」
「は、はじめまして、端木貢です」
「君が貢君か。孔子が世話になっているようだね」
「いえ、そんな……」
孔子ちゃんのお父さんの顔は、感謝しているようには見えなかった。休日を邪魔されて怒っているのかも知れない。
「それで、何の用だね? 日曜は家庭教師をお断りしているはずだが」
「そ、そうなんですけど、孔子ちゃんと少し遊べないかなと……」
僕が、遊ぶ、という言葉を口にした瞬間、孔子ちゃんのお父さんはぎろりと僕を睨み付けた。
「何を考えているのかね、君は。孔子が引きこもって学校に行っていないのは知っているはずだ。この間も、孔子を家から連れ出したようだが、引きこもりの分際で遊びに出るなど許されるはずもない」
「そ、そんな……」
一方的な断言に、僕はとっさに反論もできない。口をパクパクさせる僕に、丘さんは追い討ちをかけた。
「君は何か勘違いをしているようだね。私が頼んだのは勉強を教えてくれる家庭教師であって、遊びに誘ってくれる友達、ましてや男友達などではない」
「そ、それはわかっています!」
何とか口にしたものの、それ以上言葉が続かない。確かに、僕は家庭教師としてではなくて、友達、いや、友達以上として孔子ちゃんと遊びたいと思っている。見事に図星を刺されている引け目から、有効な反論が出てこないのだ。
それ以上何も言えない僕を、『わかっていない』と判断したのだろう。丘さんが続けた。
「学校にも行かずに街をうろうろしては非行に走る可能性もあるし、犯罪に巻き込まれる恐れもある。引きこもるならせめて外出も禁止するというのは、親としては至極当然のことだろう」
「それでは世界が狭くなり過ぎるんじゃないですか? ずっと家に閉じ込めるなんて……」
何とか言い返した僕の言葉に、丘さんは首を横に振った。
「異常に見えるかい? しかし、私は引きこもりという今の状況自体がそもそも異常だと思っているんだ。孔子の幸せを考えれば、出来るだけ早く学校に復帰すべきだ。引きこもり中の外出許可は、引きこもりを助長するだけだと思うが」
正論だった。理にも情にも適っている。僕には反論の言葉は思い付かなかった。敗北感に打ちひしがれる僕に、丘さんは非情にも言葉を続けた。
「正規の金額が貰えないとあっては、君も身が入らないだろうし、遊んでいるだけでも少しは貰えると開き直られても困る。一週間試して無理だったのなら、もう無理だろう。悪いが家庭教師は断らせてくれたまえ」
「ちょっ、ちょっと、あなた!?」
弘美さんが丘さんを引き留めようとしてくれたけど、丘さんは聞く耳を持たず、さっさと家の中に入ってしまった。
「 ごめんなさいね、貢君……私からあの人に話してみるから、今日のところは……」
そう言って頭を下げて、弘美さんも家の中に入っていった。
その日、それからどう過ごしたのかよく覚えていない。ただ、ちょっとした軽挙から、孔子ちゃんの家庭教師という素晴らしいポジションを無くしてしまったかも知れないという恐怖と後悔は、一日中頭から離れなかった。
そして、月曜日。僕は学校から帰ってすぐ、丘さん宅訪ねて、その恐れが現実のものとなってしまったことを知った。
「あの人が金輪際家庭教師は認めないって……ごめんなさいね、貢君」
弘美さんは本当に申し訳なさそうに僕に謝った。弘美さんにとって、旦那さんの決定は絶対的なものらしい。
「そう、ですか……。孔子ちゃんに、よろしくお伝えください」
僕は何とかそれだけ言い残して、丘さん宅を辞した。
もう二度と孔子ちゃんに会えないかも知れない……その考えに、僕の心はいつまでも晴れなかった。




