プロローグ
「論語」や中国の思想を題材にした、ちょっと変わったラブコメです。論語の読み下し文や解釈等、詳しい方が見れば突っ込みどころ満載と思いますが、笑って見逃してください。
僕と、隣の女子中学生、孔子ちゃんとの出会いは、ひょんなことからだった。彼女は最近、家族と共に僕の家の隣に引っ越して来たんだけど、彼女の引っ越しから1ヶ月以上、僕は彼女に会うことはなく、隣に女子中学生が住んでいることすら知らなかったくらいだ。
僕の名前は端木 貢(はしき みつぐ)、ごく普通の高校二年生だ。趣味というほどの趣味はあまりない。もちろん、人並みに本を読んだりアニメをみたりゲームをしたりはするけれど、それに命を賭けているというほどでもない。
そんな僕だけど、最近興味をもっていることがある。それは、投資だ。不労所得、ああ、なんと甘美なるかなその響き! 毎日あくせく働いて、わずかばかりの収入に嘆く両親を見ているせいかも知れない。
なぜ投資をしていないのか、両親に聞いてみたことがある。両親曰く、投資に必要なものは勉強の時間と種銭、そしてリスクを取る勇気なのだが、働いて家庭を持ってある程度安定してしまうと、そのどれも確保するのは難しくなるらしい。
その点、学生ならば時間はあるし、リスクをとって失敗しても、失うものが少なくてやり直しもしやすい。なら、早いうちにリスクリテラシーを身に付けるためにも、いま始めるべきではないか……そう思い、僕は少しずつ投資の勉強を初めている。
今の僕に足りないものは種銭だ。株を買おうにも、毎月のお小遣い程度では全然足りない。そこで、僕はバイトを探すことにした。
ただ自慢にならないけど、僕には体力も根性もあまりない。一応、それなりの進学校に通っており頭はそれほど悪くないはずだけど、それだけでそう簡単にバイトが見つかるはずもない。しかし、長期戦を覚悟していた僕に、母がいい話を持ってきてくれた。
「最近お隣に越してきた丘さん、中学生の娘さんが勉強しなくて困ってるんですって。貢のこと話したら、よかったら是非家庭教師をしてみて欲しいって言ってたわよ」
女子中学生(JC) の家庭教師! 願ってもない楽そうな仕事だ。なぜ本職ではなく隣の男子高校生に頼むのかは謎だけど、僕は一も二もなく引き受けた。
平日の夕方と土曜日なら来られるときにいつでも、来られるだけ来てくれていい、ということだったので、僕は話を聞いた翌日の月曜日、早速、隣の丘さん宅を訪ねた。
「あなたが貢君ね。いらっしゃい」
笑顔で迎えてくれたのは、綺麗なお姉さんだった。てっきり自分の母と同世代のお母さんが出てくるものと思っていた僕は少し面食らった。年は僕と大して違わないように見えるのに、豊かな胸を中心に、色香がすごい。
「は、初めまして、は、端木貢です。よ、よろしくお願いします」
緊張で噛みまくりながらも何とか挨拶する。
「初めまして。私はヒロコの母の弘美です」
「えぇ!? お、お母さんなんですか!? お姉さんじゃなくて??」
「あら、お上手ね。まあ、わたしは後妻だから、ヒロコと血の繋がりはないんだけど」
ヒロコちゃんの義理のお母さんか。こんなに若くて可愛い奥さんと再婚するとは、旦那さんはかなりのやり手に違いない。
「えっと、家庭教師、僕なんかでいいんでしょうか?」
一応、誤解がないように確認しておく。そそっかしいうちの母のことだ、大学生と勘違いされている可能性もある。
「ええ。この際、藁にもすがりたい気分なんです。ヒロコはちょっと変わった子で……最近は学校にもいかなくなってしまって。せめて家で勉強させようと、普通の家庭教師も何人か試してみたんですけど、全然勉強してくれません。いっそ、年の近い子の方がいいかもって思ったんです」
「なるほど。僕で大丈夫ですかね?」
藁という言葉に少し傷付きながらも謙虚に聞く。
「それはなんとも……ヒロコが気に入ることが第一条件なので、もし無理なら、申し訳ないですけどお断りさせてください」
そういうことか。プロではなく、ただの高校生に頼む理由が謎だったけど、手当たり次第のダメ元なら理解できる。そんな難しい子に気に入られる自信はないけれど。
「わかりました。取り敢えずやってみます」
「ヒロコが続けたいと言えば、その時は時給2000円でお願いできますか?」
「そ、そんなに貰えるんですか!?」
家庭教師の相場としてはそんなものなのかも知れないけど、男子高校生がバイトで貰える金額としては破格だ。
「はい。但し、遊んでいた時間は除いて、ちゃんと勉強してくれた時間だけしかお支払いできませんけど」
機嫌を取って仲良くなって楽しくお喋りするだけではダメということか。なかなか難題だ。もっとも、そもそも僕はそれほどコミュニケーション能力が高くないから、仲良く他愛の無いお喋りというのが想定しづらいのだけれど。
「勉強していたかどうかはどうやって判断するんですか?」
「ノートとかを簡単に確認させてもらいますけど、それほど厳密にしようとは思っていないので安心してください。何よりも、続けられるかが大事なので……」
そういうと、弘美さんはいきなり俺の両手を握って、息が触れ合うばかりに顔を近付けた。シャンプーだろうか、香水だろうか、弘美さんの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ひ、弘美さん!?」
狼狽する僕に、弘美さんは真剣な顔で言った。
「今のまま学校にもいかず、勉強もしないようだと、あの子は本当に落ちこぼれてしまいます。私、血の繋がりはないですけど、本当にあの子のことを大事に思っているんです。よろしくお願いしますね、先生」
未だかつてないほどの、美女との接近だったけれど、それを楽しむ余裕は僕にはなかった。ただただプレッシャーだ。僕は逃げるようにして階段を上がり、教えられたヒロコちゃんの部屋の前まで来た。
部屋には、『孔子』というネームプレートがある。孔子と書いて、ひろこ、と読ませるらしい。僕は恐る恐る部屋をノックした。
「入るがよい」
可愛らしい声ながらも鷹揚に、部屋の主は答えた。僕は戸惑いつつも扉を開けた。そこは、お世辞にもキレイとは言い難い部屋で、各種ゲーム機や漫画、ラノベ、その他の本や、アニメのジャケット等が所狭しと散乱している。
でも、部屋の中の何よりも僕の目を引いたのは、この部屋の主だった。中に居たのは、見たこともないような美少女だったのだ。
さすがに、弘美さんには似ていない。肉感的な美女の弘美さんと違い、かなり幼い感じではある。ファッションも独特だ。烏帽子(?)というのだろうか、何やら古めかしい帽子をかぶって、片メガネをしている。その他はジャージの上着にスパッツというラフで色気のない格好だけど、彼女には輝くような存在感があった。
華奢な体も、腰まで伸びた艶やかな美しい髪も、白磁のような肌も、まるでお人形さんだ。だけど、彼女が人形でないのは明らかだった。その半月形の大きな瞳は、吸い込まれそうなほど生気に満ちている。
「汝が吾の新しい家庭教師か」
「え、えらく時代がかった喋り方だね……」
可憐な容姿と声に対して、老人のような語り口のギャップがすごい。孔子ちゃんは僕の感想には答えず、呆れたように溜め息を吐いた。
「生憎じゃが、勉学は、吾にはまだ必要ない」
きっぱりと明言する。
「そんな、どうしてだい? お母さんが心配してるよ?」
「決まっておろう。吾はまだ十四だからじゃ」
「もう十四、だよ。来年には受験生なんだし、今から頑張らないと……」
「勉学は来年からでいい。論語にも、そう書いてある」
「論語? あの、孔子とその弟子たちの言行録?」
僕の言葉に、孔子ちゃんは満足げにうなずいた。
「然様。『子曰く、吾、十有五にして学に志す』。つまり、勉学を始めるのは十五になってからでよい、ということじゃ」
孔子ちゃんはびしっと人差し指を立て、勝ち誇ったかのように断言した。何を言っているんだろうか、この子は? 絶句する僕に、孔子ちゃんは付け加えた。
「因みにその続きは、『三十にして立つ』。つまり、自立するのは三十になってからで良いということじゃな」
大胆不敵、30歳までのニート宣言を堂々と行って、希少価値のありそうなささやかな胸を反らしている。
これが、僕と隣の不思議な少女、孔子ちゃんの出会いだった。