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鳳はエンガノ岬沖に羽ばたく

作者: 山口多聞

 マリアナ沖海戦で戦没した短命な装甲空母「大鳳」が生き残り、エンガノ岬沖海戦に参戦します。ただし、そのために大分歴史を弄りました。楽しんでいただければ幸いです。

「左舷に敵雷撃機!」


「直上敵急降下!」


「面舵一杯!」


 見張りの絶叫に続き、艦を預かる艦長の菊池朝三少将も叫ぶ。艦は、いや艦隊全体が激しい対空戦闘の最中であり、その叫び声さえ爆音にかき消されそうだった。


 その直後、艦の前方で濛々とした白煙が立ち昇ると同時に、大量のロケット弾が左舷の海上と、直上へ向けて発射された。マリアナ沖海戦後、艦首方向両舷に増設したスポンソン。そこに据え付けられた28連装12cm噴進砲が、向かってくる敵急降下爆撃機と雷撃機に向かってロケット弾を発射したのだ。


 大量の散弾タイプのロケット弾を撃ち出せる兵器だが、実戦での使用は今回が初めてであり、その効果は未知数だ。これで本当に敵機を撃墜できるかはわからない。


 しかし。


「左舷の雷撃機避退!」


 見張りから朗報が入る。撃墜はできなかったようだが、接近した雷撃機は噴進砲の射撃に驚いて、退避したようだ。

 

 艦艇にとって、致命傷を負わせる魚雷を抱える雷撃機は脅威だ。その脅威を撃退できたのだから、マズマズの成績と言える。


 もちろん、それで安心できるわけではない。


「敵急降下1機撃墜!なおも5機が降下中!」


 直上から突っ込んでくる敵急降下爆撃機。こちらは1機を撃墜したようだが、残りの5機は急降下を継続し、こちら目掛け突っ込んでくる。


 転舵命令は出しているが、3万トン近い大型艦が急旋回など出来るはずもない。まだ舵は利かず、同じ針路を取り続けている。既に敵は、この針路で走るこちらの動きを読んで照準をつけている筈だ。


 小澤治三郎中将以下、艦の乗員全員が事態の推移を息を飲んで見守るしかない。舵が利くのが早いか、敵が爆弾を投下するのが早いか。


 ようやく舵が利き始めたのか、艦首が右にぶれ始める。


 その直後。


「敵機投弾!」


「総員衝撃に備えよ!」


 菊池艦長が叫んでから程なくして、連続した衝撃が艦全体に襲い掛かる。その数5回。この内4回は下から突き上げられるような衝撃であったが、1回は明らかに艦そのものを震えさせた。


「やられたな」


「被害報告!」


 小澤の呟きは菊池艦長の報告を求める声により、誰にも聞かれることもなかった。


「飛行甲板中央部に被弾!なれど装甲で弾き返した模様!」


 その報告に、菊池艦長が笑みを浮かべる。


「さすがは「大鳳」だ。爆弾の1発くらい屁でもない」


 これまでの空母であれば、敵の爆弾を喰らうと飛行甲板を貫通して、そのまま飛び込んだ格納庫内で爆発していた。このため、飛行甲板は捲れ上がり、格納庫内は滅茶苦茶となり、ただの1発の被弾が空母としての機能を奪い去っていた。


 しかしこの「大鳳」は違う。前部と後部のエレベーター艦と限定されてはいるが、飛行甲板に500kg程度の爆弾に耐えうる装甲を貼っていた。その装甲が期待通り、敵の爆弾を弾き返したのであった。


「うむ。この「大鳳」はな」


 一方の小澤提督の顔は厳しい。


 その十数分後、敵機が飛び去り味方の被害が集計されたことが、それを裏付けていた。


「我が方の被害は、空母「千代田」轟沈、「瑞鳳」大火災、「千歳」被雷により航行不能。「龍鳳」飛行甲板大破。巡洋艦「足柄」と「多摩」、それから駆逐艦「霜月」がそれぞれ被弾していますが、航行には支障なしとのこと」


「連続で空襲を受けて沈んだのは「千歳」だけか。城大佐には悪いが、よくそれだけの被害で済んだものだ」


 立て続けの空襲によって、相当な被害が出たと思っていただけに、小澤としては現在沈没が「千歳」1隻に留まったのは奇跡に思えた。


「敵が5隻の空母に分散したのと、こちらの護衛艦が比較的多かったために、効果的な弾幕を張れたのが一因でしょう」


「そうだな。やはり志摩君の艦隊がいて助かったよ。それから、直援隊も奮闘したようだね」


 空襲が終わったことで、唯一飛行甲板が使用可能な「大鳳」は、上空で防空任務に就いていた直援機の収容に掛かっていた。艦隊全部で当初は32機いたはずの戦闘機は、もはや20機あまりに減少していた。


 それでも、圧倒的な敵に対してよく敢闘したと言える。


 その戦闘機が、燃料と弾薬の補給のために「大鳳」へと着艦してくる。見慣れた零戦に加えて、「烈風」の開発の遅れから臨時艦上戦闘機として搭載した「紫電改」などが、次々と見事な三点式着艦を決める。


「マリアナの時もせめてあれくらいの・・・いや、過ぎたことを蒸し返すのは良そう。空母の喪失がなかっただけでも僥倖だったんだ」


 4カ月前のマリアナ沖海戦において、小澤が率いた第一機動艦隊は、米機動部隊との戦いで完膚なきまでの大敗北を決した。特に用意した490機あまりの艦載機は、敵の優秀な電波兵器や対空火器、数でも質でも勝るグラマン戦闘機に加えてパイロットの練度不足が祟って、実に350機以上を喪失した。対して敵艦隊に与えた被害は、軽微な損傷を数隻に与えたに留まると見られていた。


 しかしながら、その後の敵機動部隊による追撃は敵との距離や、敵の追撃が不活発だったことにも助けられ、空母「翔鶴」「飛鷹」が被弾した程度で済んだ。


「もっとも、あの時はヒヤッとしたが」


 第一次攻撃隊の発艦直後、1機の「彗星」艦爆が編隊から離れて急降下、海面に爆弾を投下した。最初は訳がわからなかった機動艦隊の乗員たちであったが、そこから伸びてきた雷跡にようやく潜水艦の襲撃だと気づいた。


 慌てて回避運動を行ったが、魚雷の1本は確実に「大鳳」に命中するコースを走っていた。小澤も菊池も命中を覚悟したが、先ほど爆弾を投下した「彗星」が今度は海中に突入自爆して、終にこの1本を止めた。


 勇気ある搭乗員の犠牲によって、「大鳳」は間一髪被雷を免れた。


 この後小澤は対潜警戒を厳にさせ、対潜哨戒機も増やした。結果さらに「翔鶴」に接近する敵潜の動きを未然に察知して、撃退に成功。


 その後の航空決戦で日本側は大敗北し、空襲により損傷艦艇も出たが、潜水艦による空母喪失は免れることができた。


 そしてこのマリアナ沖海戦による航空隊壊滅は、帝国海軍の空母運用に重大な影響を与えた。


 マリアナ沖海戦に参加した空母9隻は全て健在であった。さらに間もなく量産型空母の「雲龍」型が続々と竣工する予定であり、さらにミッドウェー海戦後の空母不足から「大和」型戦艦3番艦を空母化改造した「信濃」も年内には竣工予定であった。


 ところが、空母はあるのに艦載機はない。マリアナ沖海戦までに養成した約490機の艦載機は、今や100機余りを残すのみとなった。


 つまり空母と言うドンガラは大量にあるのに、肝心のその中に積める艦載機が圧倒的に足りなかった。と言うより、厳密にはそれに乗り込むパイロットが不足していた。


 機体自体は戦時生産体制が軌道に乗り、質云々を無視すれば開戦後最高機数を記録する見込みであった。しかしそれらの機体を操る肝心のパイロットの養成が間に合っていなかった。その候補者自体は開戦後大量募集された予科練生に、学徒動員の結果海軍に入隊した予備士官が数だけはいる。だが燃料不足などから、養成状況は芳しくなかった。


 燃料自体も開戦後占領した旧蘭印地域でドバドバと湧き出している。しかし日本への還送が全く計画通りに行っていない。タンカーが不足しているのに加えて、その貴重なタンカーも日本に辿り着く前に潜水艦に撃沈される事態が続発していたからだ。


 この状況に、海軍軍令部と連合艦隊司令部は前代未聞の作戦命令を発令した。それは全稼働空母を南方資源地帯との輸送任務に投入するという、これまでの常識からしたらあるまじき作戦であった。


 本来の空母は言うまでもなく、その搭載航空機を用いて敵艦や敵地を攻撃、そうでなくとも味方艦隊にエアカバーを提供するのが主任務だ。これまでにも輸送任務に用いられないことはなかったが、それにしても速力の遅い小型空母であったり、艦隊用空母を使うにしても一時のことであった。


 それを稼働全空母で、しかも期限無期限で行うのであるから、空母関係者からすれば噴飯ものである。


 だがもちろん、この作戦にはちゃんとした理由があった。第一に、南方地域への補給と南方地域からの物資の還送だ。ここの所の敵潜水艦の跳梁などによって、日本の輸送路は破壊されつつある。こうなると、日本からの補充の人員や物資の輸送に支障を来たす。


 輸送船は軍艦に比べて速力も遅く、防御力も無きに等しい。加えて護衛体制の不備も相まってその損害はうなぎ登りの天井知らず状態になっていた。


 一方空母の場合は軍艦である以上、輸送船に比べれば運べる物資は格段に少ない。それでも広い格納庫を有しており、まだ余裕がある。加えて最高速力は艦隊用空母となれば遅くても25ノット、速ければ30ノット超えである。優秀船であっても最高速力が20ノット、鈍足の旧式船や戦時標準船ならば10ノット程度と、輸送船とは比較にならない高速を発揮できる。それはまた、敵潜水艦を振り切りやすいことを意味する。


 もちろん、先に書いたように荷物を運ぶのが専門の輸送船に比べれば、いくら物資搭載も出来る格納庫があるとはいえ、その量はタカが知れている。しかし、仮に鈍足の輸送船の輸送量が100、空母が5としたとしても、輸送船が沈めば結局輸送量は0だ。それならば、5でもあっても持ち込める可能性が飛躍的に上がる空母ならば、総体的に本土へ還送出来る量は増えるという理屈だ。


 そして第二に、本土における燃料不足からくるパイロットの練度不足だ。燃料がなく養成に燃料を回せなければ、飛行時間が少ないパイロットをいたずらに前線に投入するしかなくなる。それどころか、このまま行くと飛行させることすら不可能になる可能性もあった。


 そうなると、パイロットの卵たちに与えられるのは、現在開発中の特攻兵器の操縦員しかなくなってしまう。いや、その特攻兵器の生産や訓練が出来なければ、もはや蛸壺堀りをさせるしかない。


 この状況を打開する手段は、燃料を本土に還送するのと同時に、燃料が豊富な地域へパイロットを送り込むことである。


 南方では燃料は相変わらずドバドバ採掘されており、製油設備もある。そして旧蘭印や仏印にはオランダやフランス、さらにはその後日本が整備した飛行場が数多くある。気象条件や風土など、酷な部分もあるが訓練を行える環境は整っていた。


 空母部隊は南方に向かう際は、南方への物資と合わせて訓練パイロットと練習用機材を送り込む。そして輸送が順調に進めば復路は養成を終えたパイロットを、発着艦訓練をさせつつ日本に連れ帰る。


 こうして最終的にパイロットも揃えて、機動部隊の復活へと繋げる。


 当初は反対した空母部隊関係者も、実際に国内の資源不足による生産低下や、パイロットの養成が進まない状況を突き付けられ、なおかつ輸送作戦が機動部隊復活に繋がると言われれば、黙るしかなかった。


 こうして総稼働空母を動員したシャトル輸送作戦、キ号作戦が開始されることとなり、早速マリアナ沖海戦終了約2週間後の7月3日には、第一陣として空母「隼鷹」「瑞鳳」「龍鳳」が、南方資源地帯へ出発した。


 各空母はそれぞれ6~12機程度の直掩ならびに対潜哨戒機のみを搭載し、それ以外は南方への補充兵器や、現地に送り込む訓練用機材、練習パイロットを乗せていた。


 総動員としながらも、編成が比較的脚の遅い商船改造空母や軽空母であるところに、連合艦隊司令部の出し惜しみ感が見え隠れする。


 しかし幸いにもこの第一陣は5日後には無事にシンガポールに到着し、3日かけて機材・物資の積み下ろしと搭載を行い、とんぼ返りでその6日後には佐世保へと帰港することに成功した。


 各空母は帰港時、格納庫を含む艦内の空きスペースにガソリンをはじめ、ボーキサイト、ゴム、米、砂糖、さらには本土への還送兵器、人員を満載しており、それら全てを日本本土に持ち込むことに成功した。


 もちろん、先述したようにその量は純粋な輸送船による輸送量に比べれば微々たるものだ。しかし、往復ともに輸送に成功したことには違いない。こうなると、味を占めるのが人間と言うものだ。


 第一陣帰還5日後には、第二陣がシンガポールへ向け出港した。前回と打って変わって、この第二陣は空母「大鳳」「瑞鶴」「翔鶴」という大型正規空母が動員された。前回と同じく、各艦は正規の3分の1から4分の1の艦載機だけを搭載し、余ったスペースを南方向け物資や人員の輸送スペースへ充てた。


 この第二陣は出港翌日に東シナ海で米潜水艦の襲撃を受け、「翔鶴」が魚雷1本を受けるという被害を受けたが、これは大事に至らず同艦はなんとかシンガポールへ入港できた。


 第二陣も第一陣と同じく、復路は南方からの資源を満載して出発した。ただし、往路で「翔鶴」が被雷したことに鑑み、艦載機のみならずフィリピンや台湾からの基地航空隊の哨戒をより厳重に行っての航行となった。


 またこの第二陣が復路にある中の7月25日には、マリアナ沖海戦の損傷修理が完了したばかりの「隼鷹」と「千代田」「千歳」による第三陣が出発した。


 こうして、機動部隊によるピストン輸送が10月初旬まで繰り返された。この間「隼鷹」と護衛に当たっていた戦艦「武蔵」「日向」が敵潜水艦の魚雷攻撃で損傷したものの、幸いにも沈没に至った艦はなく、程なく修理を終えて復帰した。


 しかし、空母「瑞鶴」「翔鶴」「雲龍」の3隻による輸送作戦実施中の10月10日、米機動部隊が沖縄を空襲したのを皮切りに、台湾やフィリピンへの猛烈な攻撃を仕掛けてきた。


 これに対して、再建途中の機動部隊は機材、人員ともに揃いつつあったものの、本土と南方に部隊が分散したために、この時点では有効な反撃を行うなど思いもよらぬことだった。


 そのため、反撃の主体は九州から台湾、フィリピンに至る各地に展開する基地航空隊が中心となった。

満を持して養成が進められたT攻撃隊と呼ばれる、陸海軍混成の対艦攻撃部隊である。


 マリアナ沖海戦に至るまでの航空戦において、小出しにした航空隊が米軍の圧倒的な航空戦力に踏みつぶされた教訓をもとに、これらの部隊は後方の基地でみっちりと訓練が行われた。機材も新鋭の「銀河」や「飛龍」「天山」「彩雲」などが集中投入された。


 しかし結果だけ言えば、T攻撃隊の米機動部隊の攻撃はその損失に見合わぬものであった。最大の戦果は米空母「ランドルフ」に魚雷を与えて戦線離脱を強いたくらいで、他に軽巡2隻撃沈と数隻に小規模な被害を与えただけであった。これに対して攻撃隊は300機近くを損失し、壊滅的な打撃を被ってしまった。


 確かに新鋭機を集中投入し、また搭乗員もマリアナ以後に機動部隊が苦労して持ち込んだ燃料によって、この時期としては比較的恵まれた訓練環境を得ていたが、それでも米軍の物量と優秀な兵器に抗することはできなかったのだ。


 そして米軍はその余勢を駆ってフィリピンへの空襲、さらには本格的な上陸作戦を開始した。マッカーサー将軍指揮の上陸軍、そしてその空をハルゼー率いる機動部隊が掩護する。


 一方この時点で日本の連合艦隊は、戦艦「大和」を中心とする砲戦艦艇がブルネイに集結しており、豊富な燃料を利用しての猛訓練に励んでいた。この艦隊は戦艦7隻を中心とする重打撃艦隊であり、連合艦隊司令部は予てからの作戦計画に則り、この第一遊撃打撃艦隊に、フィリピンへ殺到する米艦隊の撃破を下命した。


 だがこの艦隊には編成上、上空援護の戦闘機を出すべき空母がいなかった。そこで急遽シンガポール寄港中の3空母の内「瑞鶴」と「翔鶴」が上空援護用に動員されることとなった。竣工したばかりの「雲龍」は兵の練度が不十分なため外された。


 しかし、残る2隻にしても輸送任務中であったため艦載機が不足していた。2隻の空母の搭載機は合計しても戦闘機32機と艦爆・艦攻6機のみ。「雲龍」から移送、ならびにシンガポールや周辺基地に残っていた空母搭乗可能なパイロットが総動員されたが、それでもかき集められたものも含めて、総戦力は2隻合わせて戦闘機61機に艦爆・艦攻15機のみであった。


 この数ではとても心許ない。何せ敵艦隊には高速の艦隊空母だけでも10隻以上、さらに上陸援護の小型空母も10隻以上はいると見られ、その合計は1000機はくだらない筈であった。


 対して日本側は2隻の空母合わせて100機も満たず、基地航空隊も度重なる空襲や台湾沖での航空戦が祟って陸海軍合わせて500機を動員できるかどうかであった。


 そこで、連合艦隊司令部は苦肉の策に出た。本土にいる空母の中で、直ちに出撃可能な空母と護衛艦隊を動員、主力機動艦隊と見せかけて敵機動部隊を北方に誘因、その間に第一遊撃打撃部隊を敵上陸部隊に突撃させるというものであった。


 空母を実質的な使い捨ての囮にするという、これまでから考えると常軌を逸した作戦案であったが、既に戦力をすり減らし、加えてフィリピンを占領されれば南方資源地帯と本土が完全に分断される以上、もはやなりふり構ってはいられなかった。


 囮となる空母としては旗艦「大鳳」を筆頭に「千代田」「千歳」「瑞鳳」「龍鳳」の5隻が動員されることとなった。「隼鷹」「飛鷹」は輸送任務出撃準備中だったため、編成から外された。


 これに戦艦「伊勢」「日向」重巡「那智」「足柄」軽巡「阿武隈」「多摩」「五十鈴」「大淀」と駆逐艦15隻がかき集められた。


 数はある程度揃えられたが、艦隊の半分近くが台湾の澎湖諸島から急行した志摩中将指揮の第5艦隊を急遽編入した、寄集め感の強いものとなった。


 そして肝心の艦載機は、マリアナ沖海戦後必死に増強に努め、機動部隊用に用意された航空隊200機余りから150機が選抜され、5隻の空母に分乗させられた。全ての機体を動員しなかったのは、それらまで引き抜くと機動部隊の復活が絶望的になるからであった。


 米機動部隊の正規空母、軽空母各1隻分。栄光ある大日本帝国海軍機動部隊が、この時点でなんとか用意できた艦載機であった。


 小澤機動部隊は10月22日に呉を出港、翌日には台湾から急行した第5艦隊と合流。そして補給艦と護衛艦を入れ替わりで切り離して、一路南下した。


 そして10月24日、フィリピンに展開する福留中将指揮下の第二航空艦隊と呼応する形で攻撃隊を発進させた。戦爆合計82機。これが小澤艦隊、いや大日本帝国海軍の機動艦隊が発進させられた総力であった。


 この攻撃隊は無事に米機動部隊上空に到達、第二航空艦隊等の基地航空隊の断続した空襲に忙殺され、迎撃の穴が開いた所へと突入した。


 戦果は米空母「ワスプ」に直撃弾1と至近弾1を与えて航空機の運用を不可能とした。また雷撃機の1機が巡洋艦1隻を撃破した。


 その他に第二航空艦隊の艦爆が軽空母「プリンストン」を撃沈し、空母「エセックス」に爆弾を命中させて小破させた。 


 一方航空隊を発進させた後の小澤機動部隊は、米機動部隊を釣り上げるべく、電波を発進しながら北上を開始した。


 猛烈な日本側の航空攻撃によって2隻の空母を戦線から喪ったハルゼー提督は、日本の機動艦隊こそが最大の脅威と判断して北上を開始し、見事に小澤機動部隊に釣り上げられる格好となった。


 それを偵察機からの報告や、無線情報で探知した小澤提督はやった!とばかりに手を叩いた。


「よし!ハルゼーを引き付けたぞ!あとは栗田や西村君が上手くやってくれればいいのだが」


 ハルゼー機動部隊を釣り上げる囮役を成功させた小澤にとって、それだけが懸念であった。


 この時点で小澤の元には、低速ゆえに先発した戦艦「山城」を中心とする西村艦隊が、スール海で米潜水艦の攻撃を受けて、戦艦「扶桑」と「山城」が被雷したという情報を得ていた。


 しかしその後は、栗田艦隊がシブヤン海で空襲を受けたという情報しか、小澤の手元には入ってこなかった。何せ両艦隊は遠距離であるし、戦闘中なのである。いきおい無電の送受信は困難なものとなる。


「頼むぞ栗田」


 3度の空襲を受けた時点で、小澤艦隊の空母部隊は満身創痍であった。4隻の軽空母はことごとく沈むか航行不能となり、他に軽巡「多摩」が中破し、駆逐艦「秋月」が沈没していた。それ以外にも何隻かが被弾し損傷していた。


 旗艦「大鳳」も直撃弾3発と被雷1を受け、持ち前の装甲で航空機の運用こそまだ可能だったが、速力は25ノットまで落ちていた。


 それでも、懸命な被害復旧によって未だに空母としての堂々たる姿を何とか維持していた。


 そこへ、新たな報告が入る。


「駆逐艦「初月」より入電。敵水上艦隊が接近中とのことです」


「むう。こちらが空襲で大打撃を受けたとみて、トドメを刺しに来たか」


 3度の空襲で空母を叩いたと見たハルゼーは、夜間に突入するということもあり、水上艦艇を差し向けてきたらしい。レーダー技術では敵の方が優れていると判明している現在、大きな脅威である。ましてや、対艦戦闘力を持たない「大鳳」なら猶更だ。


 護衛艦も空襲で傷ついている。この状況に対応できるのか?小澤の胸に一抹の不安が過る。


 と、彼が命令を出さぬうちに。


「第3航空戦隊司令松田少将より入電!ワレ損害軽微。水上戦闘突入可能なり!」


「第5艦隊司令長官志摩中将より入電!我が部隊戦意旺盛にして、敵水上部隊への迎撃可能なり」


「松田君も志摩君も、こちらの不安を覆してくれるな・・・両提督に打電。残存艦艇を再編し、敵水上部隊を迎撃されたしだ!」


 どこまで出来るかわからない。だが艦隊の戦意は未だに衰えていない。


「まだだ。まだこの「大鳳」も機動部隊も終わりはしない」


 損傷しつつも祖国へ向かい驀進する「大鳳」。その先にあるのは、希望か破滅か?


 この時点でそれを知る者は誰もいない。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 史実よりましな陣容ですが、海戦の結末は明るいものにはなりそうにないですね。 あえて海戦の結末を書いていないようですが、この世界の栗田艦隊は突入できたのか?が気になります。
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