第一章
一
俺はある坂道を上っていた。雪駄を脱ぎ、袴をたくし上げ、一歩一歩少しずつ進んだ。あと三分も歩けば峠につくだろう。そうすれば道の左右から伸びてくる木々の間に海が見えてくる。
今朝、朝食を食べているとき、突然海へ出ようと思い立った。漬物をおかずに米を食べ、味噌汁を喉輪で締め上げた。いつもとなんら変わりない、ごく普通の習慣だった。しかし、異常なのはそれ以外の要因だった。起きたときからけだるい反面、すごく冷静で何かを渇望している自分を感じた。その感情は文化や摂理の枠に収まっていなかった。
したがって、俺は海へと誘われた。広くて危ない、自由で狭いところ。昼前の日差しにほとんど瞼を閉じたまま坂を上り、美しい水の世界に思いをはせた。
二
下り坂は案外急勾配で、あっけなく港へ着いてしまった。近くで見る海は小さく、少し切なかった。真上にある太陽が海の黒いうねりを青く照らしている。船は来た道の正面とその右側、直角に五隻ずつ停泊していた。俺はあらかじめ船を盗んで船出しようと決め込んでいた。所有する船もなければ、買う金もない。動機には充分だった。
俺は十隻の船を品定めした。ほとんどが薄汚れた何の魅力も感じないありふれた木製の船だった。しかし、一つだけはその例外だった。右手の一番奥に黒く塗られた、他よりも少し小ぶりな代物があった。あんな目立つものには乗れない。沖に出たとしたら、この船の持ち主がすぐに見つけてしまうだろう。盗むならありきたりな他の船……。だが見るだけなら問題ないだろう。なぜかとても興味をひかれ、右側の海岸を進んだ。
近くで見る船はやはり小さかったが、立派な帆船だった。いつかこんな船を俺も手に入れたい、そう思ったとき、帆柱の影から人が現れた。髪が短く、無精髭を生やした野蛮な青年だった。俺は自分の心の声を聞かれていた気がして赤面し、その場を去ろうとした。回れ右をし、一歩踏み出そうとしたその刹那、
野蛮な青年の奇妙な笑い声が響いた。俺に船に乗るよう誘ってきたのだった。
三
ここへ来る途中、一つ考えていたことがある。俺は人間との関係を断ち切りたくて海へ出ようと思ったのではないかと。今まで生きてきて様々な種類の人間と関わってきた気がするが、どれもこれもくだらない者ばかりだった。
俺はしばらく一人になりたいのだろうか。いや、それは少し違う。ただ船を眺めていただけだと青年に説明してる間に、自分の真意がわかった。今まで俺が出会った人間というのは、あまりにも少なすぎる。その反面、有象無象の中に魅力ある者もいる。俺は孤独を知り、人の大切さを知りたいのだ。あるいはもっと人と出会いたいのだ。
話しているうち、この青年には人を引き付ける力があると思った。男前には程遠いが、面構えがよく、品がある。こいつを知りたい、そう思った。会話を終え、海を眺めているふりをしていた俺は、船の上で昼寝の準備をし始めた青年に向き直った。そして、やはり船に乗せてほしいと請うたのだった。