悶々と
帰りの電車はいつも混んでいる。本を広げるスペースもない。だから私は仕方なしにドアに張り付くようにして流れるように過ぎていく外の風景を眺めた。時折電車が揺れるのに呼応して乗客に体を押されながら。やがて私の脳は思考することを命令しだす。私の瞳は確かに外の景色を眺めているのだが、それはただ目で追っているだけで脳の方では景色の認識よりも今日あったことを整理して思考することを優先しようとしているのだ。
頭の中はぐちゃぐちゃとしていた。考えがまとまらない。
だけど、決めたじゃないか。宮野君と話して。私たちは部誌を作らない。このまま文芸部の消失を受け入れるのだ。
それでいいはず、なのだ。
「……」
それなら何故、まだ考えることをやめられない? 心が妙にざわざわとする?
リリなら、その答えが分かるのだろうか。
私の脳は自分から考え出したくせに結局考えることを放棄した。目を閉じる。なるべく意識を無の状態にする。でもやっぱり、リリの世界には行けなかった。
〇
翌日。昨日は疲れてしまって、ご飯を食べてお風呂に入ったらすぐに布団に入った。
ぼんやりとしたまま、学校に向かう。日常は続くのだ。世界が徹底的に破滅でもしない限り、夜に微笑んだ月は眠りにつき、太陽が姿を現す。人々の営みが途切れることはない。それは経験で分かっていた。
一晩経ってもまだ、ぐちゃぐちゃとしていた。電車の中でまた本を開こうと思ったのだけれど、今日に限って電車が遅延して、別ルートで目的地に向かおうとする普段なら相まみえないはずの学生やサラリーマンの方々が私の使う電車に乗り込んできたため、車内は混雑して本を取り出すことはおろか、身動きすらとれなかった。
駅を降り、ようやく解放されると思わずふうっと息をつく。誰かの腕が私のお腹を圧迫していてずっと苦しかったのだ。
朝から疲れた。重い気分のまま、学校への道をのろのろと歩く。
学校が見えてくるにつれて、サラリーマンの姿は消え、私の視界はほぼ同じゴールを目指して歩く学生の姿でいっぱいになる。少し先に見覚えのある後ろ姿をとらえた。
ぴょこんと寝ぐせが残った少しくせ毛の髪を揺らしながら、気だるげに歩いているのは、宮野君だ。一瞬、声をかけようか迷う。昨日の先生の声がフラッシュバックした。
――諦めるって?
私には諦め癖がある。事なかれ主義と言い換えてもいい。波風を立てるくらいなら自分が損をするほうがいい。この先も、ずっと。
鳥肌が立ったのがわかった。ずっと。即ち永遠。これからも私は変われないまま、逃げ続けたまま生きていくのだろうか。誠実とは程遠い、私の人生。自分の気持ちにも嘘をついて。本当は、文芸部を失いたくないくせに。
「……あ」
いつの間にか宮野君の姿を見失っていた。そのことに少しホッとしたような、残念なような、微妙な感情を覚える。せっかく少し開きかけた花弁がまた萎れてしまう。
宮野君とはクラスも違うし、文芸部だけが唯一の共通点だったから、よっぽど会おうという意思がない限り会うことはかなわない。もっとも、廊下ですれ違ったりはあるかもしれないけれど。
〇
お昼休み。四限目の終了を知らせるチャイムが鳴り始めるとまだ先生の話が終わらないうちにざわざわと話し声や物音が大きくなり、伝染していくかのように学校全体に広がっていく。
私は文庫本とお弁当箱を鞄から取り出すと、そそくさと教室をあとにする。お昼休みの時間の教室は少し居心地が悪い。私にも少ないながらも友達がいるのだけれど、お昼は大抵部活の定例会があるので別に行動をとることが多い。
そういう時、私も文芸部の部室に行ってお昼を食べる。たまに宮野君がいることもあるけれど、今日はどうやらいないようだった。早々にお弁当を空にすると、私は傍に置いていた本を手に取った。
ぱらぱらと適当にページを開く。数行読んで、どのあたりの場面か確かめると、私は目を閉じようとした。
まさにその瞬間、ドアがバンと勢いよく開いて静寂を破る。続いて、わらわらと部室に入ってきた集団に目を丸くする。
「あれ? なんだ、まだいるんじゃん」
「マジ? なんだよ、話違くね?」
突然の乱入者に私はにわかに腰を浮かせる。この空間から逃げたほうがいいと本能が警告していた。明るい色の髪に、派手な化粧。シャツは第二ボタンまで開けられ、スカートは膝上ではためいている。この人たちと私は明らかに住む世界が違う。関わるのは避けたほうが無難だ。
「まぁまぁ、しょうがないじゃん。屋上でもいこーよ」
後ろの方で携帯をいじっていた髪をお団子にした人が仲間に声をかけた。集団の先頭で不満そうにしていた一番派手そうなギャルはしぶしぶ頷くと、退屈そうに欠伸をしながら部屋を出ていく。
去り際に、お団子の人が一瞬だけこっちを見た。目が合うと、その人は謝るように軽く会釈して、すぐに仲間についていく。
嵐が通り過ぎたみたいだった。なんだったんだ、一体……。ため息をつきながら、今度こそ本を――
「……来てたんだ」
今の私に幸か不幸か、宮野君だった。なんともいえない空気が流れる。
宮野君は私とは離れた席に座り、総菜パンを食べ始めた。沈黙。ひたすら黙々と食べ進めているので、私も声をかけていいのかどうか迷う。けれどどちらにせよ何と言っていいのか分からなかった。人付き合いを器用にできない私にとって、こういう状況でどんな言葉を口にするのが正解なのかを判断するのは難しい。
食べ終えた宮野君が部室に備え付けてある棚から一冊の本を取り出して、読み始める。どうやらこちらと対話をする気はないらしい。それにならって、私も本を手に取った。
もういいや、リリの世界に行こう。大丈夫、お昼休みが終わるまではまだ十分時間がある――。
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