破傷病
「やった!やつらを追い出したぞ!」
歓声を上げたのは、大将軍を弓矢で討ち取ったロビンである。
彼らは王国軍がやってくる前に森の各地に散り、樹に登って身を隠しながら待ち伏せしていた。
「信じられない。あの大軍に勝てたんだ」
「まあ勝ったというより奴らの自滅を誘っただけだけどな。危険果物は背が低くてジャンプ力もないから、樹の上にいたら安全だ。その程度のことも、予備知識がないと思いつかないのさ」
ロビンは旧ビクトリア兵士たちを集めて自慢する。
「さすが婿殿です」
ビクトリア兵士たちのロビンを見る目が尊敬するものに変わっていった。
しかし、ロビンは森に散らばる王国軍の死体を見て難しい顔になる。
「ちょっと殺しすぎたかな。もう少し生きて戻らせるつもりだったが」
『婿殿は侵略者であるこやつらに情けをかけられるのか?」
旧ビクトリア兵士をまとめていた将軍のジョンが不満そうな顔になる。
しかし、ロビンは笑って首を振った。
「慈悲?とんでもない。生きて戻った方が奴らは地獄を見るのさ」
ロビンは騎士たちに命令する。
「仕方がない。もう一手しかける必要があるな。『山蛇の道』に行くぞ」
ロビンたちは退却した王国軍を無視して、ビクトリア領とフード領を結ぶ山道に行くのだった。
王国軍はフード領都フンボルトの広場で逗留していた。
「奴らの罠を突破する作戦を考えて攻めないと、また同じことの繰り返しだ」
そう思った宰相は、生き残った兵士を再編して力を回復しようと思っていたが、思い通りにいかなかった。
「おかしい。何か体調が悪い。あの森は呪いでもかかっておったのだろうか」
なぜか口があけにくくなり、首筋が張ってきている。
それは宰相だけではなく、兵士たちも同じ症状が出ていた。
「おい。お前何笑っているんだ。何がおかしい」
皮肉そうな笑みを浮かべた同僚に、元気な兵士が不審そうな目を向ける。
「ち、違う。おかしいんじゃない。顔の筋肉が思うようにうごかないんだ」
そういわれた兵士は必死に弁解する。
そのうち、彼らの体に異変が起こっていった。
「あ、あれ。なんだ?体から力が抜けて……苦しい!」
あちこちで兵士たちが倒れて、体を引きつらせている。彼らはかすり傷しか負っていなかったのに、いつの間にか体に黒い斑点が浮かんでいた。
「呪いだ!」
仲間たちが倒れていくのを見て、兵士たちはパニックを起こす。倒れた兵士たちは笑いを浮かべたまま固まっていった。
「こんな所にいられるか!俺は帰る!」
恐慌を起こした兵士たちが騒ぎ出したので、大将軍に代わって兵士たちの指揮をとっていたウィルヘムは困り果てて軍医に相談した。
「兵士たちが呪いにかかったと騒いでいる。なんとかならないか?」
「これは呪いではありません。破傷病といって、環境の悪い不潔な場所で傷を負うとかかる病気です。おそらく、罠に糞尿の類がつけられていたのでしょう」
軍医はトラップで使われた砥や矢を確認して診断を下す。それを聞いたウィルヘムは怒り心頭に発した。
「どこまでも卑怯な奴らめ!正々堂々と戦え!」
怒りのあまり怒鳴りあげるが、軍医は冷静だった。
「ここではろくな治療ができません。撤退を進言いたします」
「馬鹿を申せ!栄えある王国軍が、たかが地方の一男爵に負けて撤退などできぬわ!しかも父上まで殺されて!」
ウィルヘムは父を失った悲しみと屈辱で、冷静な判断ができなかった。
「……しかし、どうなされるのですか?一人の兵士が病に倒れたら、それを介護する兵士が必要になるのです。このままでは人手が足りません」
軍医は周囲を見渡して事実を指摘する。
たしかに王国軍は大勢の病人とその介護にかかりきりになっている状態で、軍隊というより野戦病院のような有様だった。
「……どうすれば破傷病の治療ができるのだ?」
「高価な解毒ポーションがあれば何とか……」
軍医の言葉に、ウィルヘムはうなずく。
「わかった。王都に使者を出そう」
王国軍の陣地から使者が送り出される。その様子を、フンボルトの外にいた一団がじっと監視していた。
ビクトリア領都。バーミンガム。
後方部隊を率いてこの町を支配していたスイート子爵の下に、使者が訪れる。
「なに?解毒ポーションを送れだと?」
「はっ。一刻も早く、そして大量に必要です」
そう告げる使者の顔には、焦りが浮かんでいた。
「解毒ポーションは高価だ。その費用は?」
「あなたが立て替えて払うべきでしょう」
それを聞いてスイート子爵は渋い顔をする。
「だが……その、ワシの手持ちも乏しいので……」
「そういう問題ではありません。宰相様も罹患しているのです。もし解毒ポーションが届かなければ、王子の名においてあなたは処罰されるだしょう」
使者の脅しに、スイート子爵は屈してしまう。
「くっ……わかった。だが代金はきちん払ってもらうからな」
子爵は自分の身銭を切って、王都から大量に解毒ポーションを取り寄せるのだった。