「今の、空耳?」
「あの頃も、おまえ『人魚姫』って呼ばれてたって、知ってた?」
「? あの頃?」
「……小学校の頃」
「はぁ?!」
日生高校の人魚姫、なんて恥ずかしい称号は、部の顧問が言い出したものだった。
フォームの見本になるから、と新入生の前で泳がされたときに、ふざけて呼ばれたのが始まりだったはず。
(いったい、いつの、何の話をしてるわけ?)
唖然としているあたしに、荻原はその反応が当然とばかりに頷きながら話を続ける。
「だよなー、知らないよな。でも、男子の間じゃ、有名だったんだ。おまえの泳ぎが女子の中じゃ断トツにキレイだって。で、面白半分に、人魚姫なんて呼んでたわけ」
でさ、と荻原の話はまだ続く。
「そんなときに、おまえに助けられて、渡部が助けてくれたんだって教えてくれたクラスの奴らが言うんだよ。人魚姫が助けたのは、俺がおまえの王子様だったからじゃないかとかって」
「!」
その言葉にドキッとする。
もちろん、あの時に溺れていたのが荻原じゃなくても、あたしは助けに行ったかもしれない。だけど、状況も考えず無我夢中で海に飛び込んだのは、やっぱり荻原だったからだ。
「ただ単にからかわれてるだけだってわかってても、照れくさくて。それに、さっきも言ったけど、自分の腹立たしさとか悔しさも加わって、で、思わず渡部に当たったんだ」
「…………別にいいよ。さっきも言ったけどさ、ちゃんと謝ってくれたし」
早く話を切り上げたくて言い切ったのに、荻原は再び俯いてしまう。
「荻原? あたし、気にしてないよ?」
ぽんぽんと軽く肩を叩きながらもう一度言うと、今度は盛大なため息が聞こえた。
「おまえが気になんなくても、俺が気になるんだってば……あいつら俺が渡部のこと好きなの知ってたから、完全にからかってただけだってわかってたのに……」
思わず、荻原の肩に乗った手が止まる。
(何、それ)
「………………」
「…………渡部?」
黙りこくったあたしに、荻原が顔を上げる。
「今の、空耳?」
「人の告白、空耳で流すなよ」
冗談で流されると思ったのか、荻原が怖い顔で睨んできたけれど、あたしはそれどころじゃないほど慌てて思考回路を繋ぐ。
(え? え? え?)
「だ、だって美波ちゃんは?!」
「? なんで、ここで美波ちゃん?」
ますます不機嫌な顔になる荻原に、だってだって、と言葉を続ける。
「あたしが人魚姫だったら、お姫様は美波ちゃんでしょ?!」
「…………は? どういう意味?」
「だから、あたしが荻原を助けたとき、浜辺で助けてくれたの美波ちゃんだったでしょ?」
「? 確かにあのとき美波ちゃんのタオル借りたけど、浜辺には他の奴らもいただろ?」
理解できない。
そういう表情を浮かべた荻原に、なんでわからないの? とあたしは口調を強める。
「そうじゃなくて! 人魚姫も助けてはくれたんだろうけど、浜辺に置き去りって、助けるだけ助けてフォローなしかよ! って言ってたじゃん! 王子様が、お姫様に恋するのも仕方がないって、あたしが人魚姫で、王子様があんただったら、荻原が好きになるのはお姫様の美波ちゃんでしょ?!」