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白鷺の乙女たち  作者: 21。
大和撫子
4/31

綾子と香澄 3

夢を見た。あの放課後の夢。

「内緒よ」

と言ったあの悲しそうな微笑みに、私は恋をしたのかもしれない。


----------


風の強い日。街路樹のざわめきを背に受けて綾子は一人登校する。歩きなれた初夏のコンクリートの道も、この風ならば少しは涼しい。

正門が見えてくる頃になっても生徒たちの姿はまばらである。

足元に落としていた視線を、何ともなしに前に向けると、正門の前で香澄と笹川が談笑しているのが見えた。一際大きな風が吹いて、綾子はとっさに目をつぶる。

そしてゆっくりと開けた時、そこには自分を振り返る香澄だけが残っていた。


「ごきげんよう。柏木さん」


優しく微笑む彼女に、笑顔を返す。


「ごきげんよう、お姉様」


小走りで駆け寄り、香澄の前に立つと細い指が綾子の髪に触れた。


「さっきの風、驚いたわね」


そう言って引っ込めた手には青々とした葉っぱが一枚。恥ずかしそうに笑う綾子を香澄はじっと見ていた。


「…お姉様?」


いつにも増して優しく、儚い微笑に綾子の胸がざわつく。“どうしたんですか?”と問おうとした瞬間、また強い風が吹いた。


「っ…」


またとっさに目をつぶった彼女に優しい声が届いた。


「…あなたはいつも、来てほしい時に来てくれるのね」


風にかき消されてしまいそうな声。ハッとして目を開けると残った風に黒髪が揺れ、その持ち主が泣きそうな笑顔で綾子を見ていた。


「…放課後、茶道部の部室に来てほしいの」


綾子にしか聞こえないような細い声。綾子は無意識のうちに、それを一言一句逃すまいとジッと香澄を見つめていた。


「…今日は、部活…お休みですよね?」

「えぇ、そうね。…でもお願い。来てほしいの」


甘えるような、懇願するような声。綾子は小さく頷いた。

それを見ると、香澄は美しい黒髪を耳にかけ、正門の中へ消えて行った。



----------


「あーやこさん!カフェに寄っていかない?」


終礼と同時にゆるやかに動き出した生徒たちの中、綾子は早々に教室から出た。それを後ろから呼び止めた声に振り返れば、隣のクラスで友人である及川琴美が満面の笑みで歩み寄ってくるところだった。


「琴美さん。ごめんなさい、これから部室へ行く用があって・・・」

「あら?今日は部活、お休みではなかった?」

「それはそうなんだけど・・・」


“ちょっとね”と言葉を濁す。


「残念。聞いてほしいお話があったのに・・・」


大げさにため息をつく琴美に綾子は苦笑を返す。


「また大好きなお姉様のお話でしょう?」

「だって、凄いのよ?!またコンクールでグランプリなの!」


琴美には、既に契りを交わした上級生がいる。彼女と何かあるたびに綾子に惚気るのだ。

いつもキラキラとしている友人の笑顔が、今日はより一層眩しく見えるような気がした。


「・・・ねぇ、琴美さん」

「なぁに?綾子さん」

「琴美さんは、どんな風に・・・今のお姉様を好きになったの?」


独り言のように言いながら暗く俯く友人の様子に、琴美の顔から緩みが消えた。


「お慕いしている方がいるのね?」

「・・・特別なことなんて、何もないの。ただ、お名前を覚えていただいて、少しお話しただけ」


瞬きの瞬間、綾子の脳裏をよぎったのは、部室で見た夕日に照らされた香澄の横顔だった。


「でも・・・悲しいお顔を見るのが辛いの。何をしてほしいかなんてわからないのに、何かしたいって思うのは・・・思い上がり、よね」

「大丈夫よ、綾子さん」


頭に降ってきた声にゆっくりと顔を上げる。いつもの朗らかなものと違う、優しい笑顔の琴美がいた。


「私は綾子さんが困っているようなら、どんな些細なことしかできなくてもしたいと思うわ。それは綾子さんにとって迷惑?」


ゆるやかに首を横に振る。


「それを綾子さんはどう受け止めてくれるかしら?」

「・・・嬉しい」

「それと同じではない?」


“うん”と言いつつも歯切れの悪い綾子に、琴美は“んー”と少し考えるような素振りを見せる。


「勝手に何かしておいて偉そうにしているのは思い上がりだと思うわ。けれど、大好きな人の助けになりたいと思うのは当たり前のこと」

「当たり前・・・」

「“一、学園内ではみな姉妹である。お互いに慈しみ助け合うこと”。三か条で決められている大事なことよ」


“何も悩むことなんかないわ”と琴美が笑う。

じっと見つめる顔に“ね?”と念を押せば、やっと笑顔で頷いた。


「ありがとう。琴美さん」

「どういたしまして。それじゃ、また明日」


帰路につく友人の背中をほんの数秒見送ると、綾子は再び歩き始めた。


----------


「失礼いたします」


静かに部室の扉を開けると、もう既に上履きが一足。それを横目に畳へ上がる。見れば、窓際でカーテンに隠れるようにして階下を見ている香澄がいた。

綾子に気づくと一瞬微笑み、人差し指をそっと唇に当ててまた外に顔を向ける。引き寄せられるように彼女と反対側のカーテンに隠れながら下を覗いた綾子は“えっ”と小さく声を上げた。



太い枝を絡み合わせる藤棚の下、向かい合う女子生徒が2人いた。


『部長と・・・笹川お姉様・・・?』


何か言葉を交わしているだけではあるものの、その場所の意味を知っている綾子は戸惑い、説明を求めて香澄を見た。


「以前からね、水上様に相談されていたの」


淡々と香澄が語る。しかし目は2人から離さなかった。


「由紀さんと親しくなりたいって。私、同じクラスで幼馴染だから・・・」

「そう、なんですか・・・」

「柏木さんと初めてお話した日も、相談をしていたのよ」


部室の前で水上と香澄を見たあの日。何気ない光景に思えたその映像が急に特別なものに思えた。


「それでね、今朝・・・由紀さんに言われたの。“部長に呼び出された”って・・・」


再び2人に目を向ける。どことなく雰囲気が変わっているのがわかった。


「とても、嬉しそうだったの」


聞き逃してしまいそうなほど細く小さな声。


「緊張して、何か失敗してしまうかもしれないから、ここから見ていて欲しいって。応援していてほしいって言われて・・・」


綾子の視界の端で細い指先が外に手を伸ばすように、窓ガラスに触れた。


「あの時、柏木さんが来なかったら・・・泣いてしまっていたかもしれない」


綾子の肩がピクリと跳ねる。その言葉の意味を理解するのに時間はかからなかった。

水上と話していた時の穏やかな笑顔。その後2人を見ていた横顔。あの言葉。



――お慕いしている方はいるわ。



言葉を紡ごうとした唇がカタカタと震えるのがわかった。


「お姉様の・・・お慕いしている方・・・って・・・」


心臓が痛いほどに速くなる。目はリボンタイを解いている水上から離せなくなり、それでも意識は香澄にしかいかなかった。

何も言わない、答えない彼女が少し動いた気がして恐る恐る振り返る。彼女はまっすぐに自分を見て、人差し指を唇にあてた。


「内緒、ね?」


まるで秘密の告白をされたあの放課後のように、微笑む。

堪える間もなく綾子の目から涙が零れた。


「す、すみません・・・っ」


顔を伏せ、必死でそれを拭った。それでも、とめどなく溢れてくる涙は収まらずそれを隠そうとしゃがみこむ。


「すみません、違うんです・・・!違う・・・っ」

「柏木さん・・・」


決して同情の涙ではなかった。香澄の事情に気づきもしなかった恥ずかしさと、それでもここにいる彼女の美しさに涙が止まらなかった。


「すみません、すみませんっ」

「柏木さん」


瞬間、綾子の体が温かい感触と香りに包み込まれた。

壊れた機械のように繰り返していた謝罪が、驚きのあまりに止まった。


「大丈夫よ。ありがとう」


抱きしめる力がほんの少し強くなった。


「…最後まで、つきあってくれる?」


囁きに頷き体を離す。涙を拭う香澄のハンカチがくすぐったい。

微笑み合って立ち上がると、後は黙って儀式を見守った。

各々タイをほどき、まず上級生が下級生へ自分のタイを。続いて下級生が。

そうやって特別な“姉妹”が完成する。

儀式が終わった後、階下の2人が香澄を見上げ、手を振った。そこに綾子がいることに気づくと少し驚いたようだったが、彼女にもまた笑顔で手を振る。

友人と尊敬する上級生の門出に、笑って手を振りかえす香澄の表情は、やはり聖母を思わせるほど穏やかであった。




「柏木さん、もう一つお願いがあるの」


いつの間にか日は傾き、2人をオレンジ色の光が照らし始めていた。


「なんでもおっしゃってください」


もうすっかり涙は止まり、笑顔で向き直った綾子の左手を香澄の両手が包む。

ほんの少し頬を染める綾子を数秒見つめ、香澄が言った。


「私だけの、妹になってくださらない?」


刹那、時間が止まってしまったような気がした。


「え・・・」

「驚かせてしまってごめんなさい。今すぐお返事はしないで、考えてちょうだい」


綾子の眠れない日々が始まった。


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