綾子と香澄 2
「「柏木さんって茶道部よね?」」
ある日の休み時間、2人のクラスメイトが綾子の席にやってきた。
「え?えぇ」
この2人、一卵性の双子である。整った同じ顔に見つめられ、綾子は内心警戒していた。
普段あまり話したことのない人種に囲まれる時というのはろくなことがない、という信条ゆえである。
「國永お姉様、ご存知よね?」
「当たり前よね」
大きな目をパチパチとさせながら交互に口を開く。
「え、えぇ」
「「あなた、同じことしか言えないの??」」
「いえ、そんなことは・・・。それで、何?」
2人の迫力に押され、綾子は持っていた教科書で思わず口元を隠していた。
「國永お姉様って、もうどなたかと親しいの?」
「タイの交換はしていて?」
「えっと・・・わからないわ。ご本人に伺ってみたら?」
そう言うと、双子はつまらなそうに口を尖らせた。
「そんなの、突然ご本人に伺えないわ」
「面識だって無いに等しいのだから」
“う~ん…”と考え込んでしまった2人を見て気づいた。
「・・・お二人は、國永様の妹になりたいの?」
気が付けば、そんな言葉を口にしていた。
「当たり前でしょう」
「あんな素敵な方、なかなかいないわよ」
双子は不思議そうな顔をして綾子の元を去っていった。
急に自分が恥ずかしくなった。
周囲の同級生達はずっと香澄を慕ってきた。自分はただ“綺麗な人だ”と思っても追いかけてきたわけではない。
香澄にとっても、ただ“名前を覚えている下級生の一人”に過ぎない。
だというのに、名前を呼ばれた途端に喜んでいる自分が浅ましく思えた。
その日の部活時間になっても綾子の気は晴れず、モヤモヤとした霧の中にいるようだった。
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「ごきげんよう、柏木さん。また明日」
「ごきげんよう。・・・あっ」
部活も終わり、正門まで出た時、綾子は部室に腕時計を忘れたことに気が付いた。
茶道部には、“時間を気にせず穏やかに過ごす”という決まりがある。ゆえに、部屋のどこにも時計が無い。普段腕時計をしている者も外すのが決まりである。
このまま帰ろうかとも思ったが、生憎と明日は土曜日。週末をはさむのは落ち着かなかった。
『…戻ろう』
スカートを翻し、綾子は再び校内へ戻った。
人もまばらな校内を少し速足で歩く。決して走ることはせず、すれ違う教師には会釈をしながら、それでも急いで。
辿り着いた部室の扉に手をかけると、扉はすんなりと開いた。
『よかった。開いてる!』
施錠されていれば職員室まで行かなければならない。上級生が後片付けでもしているのだろうと、綾子は中に入った。
「失礼いたしま・・・す・・・」
だが予想に反し、中は夕日に照らされてシン、と静まり返っていた。
遠くの春蝉の声が昼間よりも静かに聞こえる。
『鍵、かけ忘れたのかな・・・』
上履きを脱いで畳に上がる。ふと部室の奥を見れば水屋の前に空の花瓶と花鋏が並べられていた。
まるで今の今まで誰かがそこに座っていたような。
少し薄気味悪さを感じつつ、ぼんやりしている自分にはたと気が付いた。
「・・・あ、時計!」
慌てて腕時計を探す。自分が座っていた場所、荷物を置いた場所。だがどこにも見当たらない。
「おっかしいなぁ・・・」
自分の鞄も探ってみるが、やはりない。窓枠まで丹念に見ていたその時、視界に人影が見えた気がして顔を上げた。
部室は二階。そこからは中央に巨大な藤棚をしつらえた中庭が見渡せる。今は青々とした葉に覆われているその藤棚の下に2人の女子生徒がいた。
何をしているのか。なんとなく眺めていた綾子の心臓は、次の瞬間一度だけ大きく高鳴った。
『あ・・・っ』
何か言葉を交わした後、2人はそれぞれ自分のリボンタイを外し、片方(おそらく上級生であろう)がもう片方へ自分のそれを巻いた。
たまたまとはいえ、神聖な儀式を覗き見てしまった気がして綾子の鼓動がだんだんと速くなっていく。
このまま見ていてはどちらかに気づかれるかもしれないと思いながらも、目を離せなかった。
先に巻かれた方が相手にも同じことをしようとしたその時、背後の扉が開いた音がした。
「あら・・・」
その声に、金縛りが解けたように勢いよく振り返る。
「柏木さん?どうしたの?」
キキョウを元とする花々を腕に抱えた香澄が上履きを脱ぐところだった。
「お姉様・・・っ」
焦る綾子が止める間もなく香澄も下を見下ろす。そして、“あぁ・・・”と微笑んだ。
「素敵ね」
「あ、は、はい・・・」
見ていたことを咎められるのではないかと思っていた綾子が、ホッと胸を撫で下ろす。
眼下の2人は笑顔で言葉を交わしながら校門へ向かっていった。
「あそこ、告白スポットなの。ご存知だった?」
「告白スポット?」
「そう。あの藤棚の下でタイを交換すると卒業してもずっと親しくいられるそうよ」
そう言って、外を見たまま黙ってしまった香澄を綾子はそっと横目で見た。
夕日に照らされたその横顔は何か深く考え込んでいるようだった。
「ところで、どうしたの?」
かと思えば、不意に微笑を湛えて振り返る。
「え?」
「忘れ物かしら?」
その言葉に急に時計の存在を思い出した。
「あ!あの、時計を・・・!!」
「時計?」
“時計・・・”と繰り返し呟きながら、香澄が水やの引き出しに手をかけた。
不思議に思いつつ背後から覗き込めば、そこから見慣れた腕時計を取り出した。
「あっそれです!」
「隅に落ちていたから・・・。柏木さんのだったのね」
“ありがとうございます”と言いながら時計を巻こうとする。だが、焦ってしまっているのかうまくいかない。
しばらくまごついていると香澄の手が腕時計をベルトに伸びてきた。
「ねぇ、柏木さん」
そのまま時計を綾子の手首に留め、にこりと微笑んだ。
「お時間大丈夫?少し、お話しない?」
室内にパチン、パチンと香澄が鋏を動かす音が染み渡る。
花で彩られていく花瓶を挟んで、綾子はその手先を見つめていた。
「・・・さっきの続き、ではないけれど・・・」
香澄の声にピクリと体が跳ねる。
「柏木さんは、もうどなたかと親しいの?」
「え、いえ。そんな、私なんて・・・」
「そう・・・」
パチン、と茎の先が落ちる。
「・・・お姉様は、どなたか、いらっしゃるんですか?」
緊張で声が震えた気がした。
“私?”と聞き返した口元が少し微笑んでいる。
「残念ながら、私も一人なの」
「本当、ですか?」
「えぇ」
「3年生のお姉様方からも、1年生からも人気があるのに・・・?」
「まぁ、そうなの?」
クスリと笑ってパチン、とまた一つ。
「けれど・・・」
パチン、
「・・・お慕いしている方はいるわ」
一瞬、何の音も聞こえなくなった気がした。
夕日の赤見がかったオレンジを後光に、何故か悲しそうに微笑む人。
あぁ、なんて美しい人だろう。と綾子は思った。