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白鷺の乙女たち  作者: 21。
百合の花
27/31

奏と千鶴 3

“入りなさい。”と促されたのは【生徒会室】とプレートがかけられた部屋だった。

完全降伏の覚悟を決めた千鶴は抵抗もなく中へ入る。

真正面にカーテンが引かれた大きな窓が2つ。それを背に受けるように書斎机が一つ。そこからT字状に向かい合う2つの書斎机。どれも明らかに高価な物で、きれいに整頓されていた。壁には扉つきの本棚が2つ。何かのファイルが並んでいる。その脇には隣の部屋とを繋ぐ扉。

内線用だろうか、低い棚の上に置かれた電話の側には美しい花が活けられていた。


「そこに座って」


示されたのは窓縁だった。カーテンに隠れてるためわからなかったが、実際に座ってみると窓がかなり外へ突き出ているらしく、とても余裕がある。 借りてきた猫のように縮こまる千鶴の前に少女が立った。


「今から聞くことに正直に答えて頂戴。でないと、先生をお呼びすることになるわ」


その言葉に力なく頷くと尋問が始まった。


「まずは自己紹介しましょう。私は宇都宮奏(うつのみやかなで)。一年生です」


この振る舞いで一年生なのかと、感心するしかない。


「樫本、千鶴です。都立第一中学で・・・」

「中学生?!」

「えっと・・・中3です・・・」


上目遣いで見上げると、奏は眉間に皺を寄せて右手でこめかみを押さえていた。


「中3、ね。その制服はどうしたの?」

「あ、母が・・・ここの卒業生で、大事にしまってあって・・・」


だんだんと声が小さくなる千鶴と対象的に、奏は深くため息をついた後、声を荒げた。


「あなた、何をしているのかわかっているの?もし、あのまま風紀委員にバレていたら!あなたのお母様の顔にも泥を塗ることになるのよ?」


声を荒げた、といってもそれは一見静かな落ち着いてる声だった。だが、確実に怒っているのはわかる。

“ごめんなさい”とうなだれる千鶴を見て、またため息をつく。

“どうしてこんなことをしたの?”、その声色に怒りは無かった。呆れているような、肩の力が抜けたような声だった。


「あの・・・私、ここを受験することになりそうなんです。その、母の希望が強くて・・・」


膝に乗せた両手でギュッとスカートを掴む。


「でも、嫌で・・・。だから、私が実際に自分の目でこの学校を見て、“嫌だ”って言ったら、わかってくれるかもしれないと思って・・・」

「行動力があるのは素晴らしいことだけれど、受かるとは限らないじゃない。外部受験はかなり難しいのよ?」

「えっと・・・先生は、“今の成績なら問題ない”って言っています。あと、推薦も・・・」


奏は“あぁ、そう”とため息まじりの声を漏らし、“優秀なのね”と言った。

それは純粋な言葉だろうか、それとも嫌味だろうか、判断のつかない千鶴は何も言わない。


「“ご両親と志望校で食い違い、こちらの希望を聞いて欲しいから強硬手段に出た”。・・・そうね?」


千鶴が頷くと、またため息をもらして頷いた。


「いいわ、信じましょう。危ないものを持っているようでもないし・・・逃がしてあげる」


その言葉に、教師に突き出されるものとばかり思っていた千鶴が目を丸くして顔を上げた。鳩が豆鉄砲を食らったような表情に、奏の口元が緩む。


「でも、まだ帰らないほうがいいわね。残っている生徒も多いから」


千鶴の脳裏に風紀委員の顔がよぎった。彼女達はまだ校内を回っているのだろうか。

もしまた見つかれば、今度は逃げられないだろう。ほんの数分しか顔を合わせていないというのに、すっかり苦手になってしまった彼女達に再び遭遇する可能性を考えるだけで気が重くなった。

であれば、千鶴はあまりにもずうずうしいと自分でも思うお願いを奏に申し出なければならないのだ。


「こ、ここにいてもいいですか?」

「むしろ、そうしてもらわないと困るわ。あなたが捕まったら私までとばっちりを食うのだから」


あっさりとそう言いながら腕時計を見て“何時までに帰れば、ご両親にばれないの?”と聞く奏に、出張の旨を伝えると“それなら、ゆっくり待てるわね”と頷いた。


「ちょっと待っていなさい」


犬に“待て”をするように手で制されると、千鶴はまたしても壊れたおもちゃのように何度も頷いて無抵抗の姿勢を見せた。

その姿に満足したような微笑を残し、奏は隣の部屋への扉を開けてその中へ消えていった。

その背中を見送ると、ふぅっとため息をついて千鶴は頭を抱えた。どうしてこんなことになったのだろう、そっと忍び込んでそっと帰るはずだったのに。そんなことを考えていると泣きそうになる。

顔を動かせば涙が溢れてしまうそうな気がして、奏が戻ってきた気配がしても顔を上げられなかった。


「あれだけ走ったのだから、喉も渇いたでしょう?」


その声と、正面でカラン、と鳴った涼しげな音は思わず千鶴に顔を上げさせた。幸いにも涙はこぼれなかった。

お盆に載せられたガラスのグラスに少しの氷とオレンジジュース。学園の雰囲気のせいか、そのグラスも中身も高級な物に見えた。

千鶴は戸惑うが、どう見てもこれは自分のために入れてくれたもの。本来されるはずのないもてなしにおずおずと手を伸ばす。まさかグラスに触れた瞬間、その手を叩き落されたりするのではないかと怯えながら言った“ありがとうございます”に奏が微笑んだ。


その微笑みはやはり大人びて見えたが、やはり千鶴と一歳しか変わらない。幼さのような何かをその中に垣間見た千鶴はほんの少し、安心した。


「時間をつぶしましょう。あなたの話を聞かせてちょうだい」


そう言いながら奏が隣に座った。カーテンが少し動いて2人の間に光の筋を作り、奏の襟元に鎮座する百合のピンズをキラリと光らせた。

“あれはなんだろう?”と千鶴の目は釘付けになるが、持ち主は気づいていないようだ。


「どうして、ここに来るのが嫌なの?生徒の私が言うのもなんだけれど、この学園に憧れている女の子は少なくないと思うわ」

「それは、まぁ・・・そうなんですけど・・・」


とたんに千鶴の表情が曇る。

理由を話すのは嫌ではない。だが、今まさにこの学園に通っている彼女に自分の悩みが理解できるだろうか。そんな風に思いながらチラチラと奏を見る。

品行方正を絵に描いたような彼女。千鶴にとっては生徒代表である彼女の存在が、悩みを深めているなどと奏にわかるわけがない。


「他に、どうしても行きたい高校でもあって?」

「・・・いえ、そうじゃなくて・・・」

「じゃあ、なんだというの?」


言うだけ無駄だろうと思った。きっと一笑に付されて“くだらない”と言われるだろう。

だが、奏の視線に耐えかねたのか千鶴はやけになり、開き直ることにした。


「私、普通なんです」


その一言に、奏は虚を衝かれたような顔をした。念を押すように“本当に、普通なんです”と千鶴が言っても、驚いたままで噴出す様子もない。


「今まで、“普通”に生きてきたんです。幼稚園、小学校、中学校・・・高校だって、みんなと一緒に“普通”の高校に行くんだと思っていたのに・・・」

「あなたの言う“普通”ってどういうことかしら?」

「・・・この学校とは、全然違うのは確かです」


“そうなの?”と奏は興味深そうに千鶴を見ている。何か、動物でも見る目をしているような気がして、千鶴は恥ずかしくなった。


「たとえば?」

「えっと・・・休み時間は騒いだりすることもあるし、スカートの丈を少し短くしてみたり・・・。とにかく、そんな風に生活してきたのに急にこんな上品な学校に放り込まれても!」


友人と通学路を歩いている最中、白鷺の生徒を見かけたことがあった。

制服を見ればすぐにわかるお嬢様学校、友人達が思わず“白鷺だ”と呟くとそれに気づいた彼女は嫌な顔1つせず、笑顔で会釈して去ったのだ。

その時の彼女だけが特別なのかと思ったが、実際に忍び込んだこの校内にはそんな生徒はたくさんいた。

誰も騒いだり、大声で笑っていたりもしない。言葉遣いも丁寧で、あだ名らしきものも聞こえない。千鶴は軽い絶望のようなものを感じていた。


「無理です。そんな・・・絶対に浮いて、笑われるに決まってる・・・」

「・・・本物のお嬢様なんて一握りだけよ。大半はあなたと同じ、普通のご家庭の女の子。この日本にお金持ちのご令嬢がそんなにたくさんいると思う?」


“まぁ、私の幼馴染はその一握りに含まれるけれど”と呟いて体を少し千鶴の方へ向けた。


「あなたのお友達や同級生で、ここを受験する方はいる?」

「え?いいえ・・・」

「姉妹や親戚の方は?もう通っていらっしゃる方とか」

「それも、いません」


奏は“それなら好都合ではない?”と猫のように目を細めるが、千鶴は何が好都合なのか見当もつかない。


学園(ここ)に、あなたを知っている人はいないのよ。それなら、あなたの言う“上品な学校”の生徒を演じてみるのも良いと思わない?」

「・・・母を説得できたら、済む話ですから・・・」


目を逸らした千鶴に奏は“頑固ね”とため息をついた。

頑なな姿勢を崩そうとしない千鶴は、とたんに居心地が悪そうに目を泳がせる。


「あなた、変わってるわね」

「えっ」

「来たこともない学校に忍び込む勇気はあるのに、とりあえず入学してみるという勇気はないのね」


“私なら、忍び込むほうがずっと怖いわ”とくすくすと笑う。


「で、でも、一日だけですから」

「あら、失敗したら一生ついて回る事案よ。実際、危なかったし、ね」


それを言われると、千鶴は何も言えなくなってしまう。そんな彼女を見る奏の瞳は、ずっと上機嫌に細いままだ。

今の彼女に尻尾があったなら、ゆっくりゆっくり、まどろむように揺れているだろう。


「私、あなたが気に入ったわ」


微笑を含んだ声で、奏はそう言った。



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