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白鷺の乙女たち  作者: 21。
絵画の逢瀬
23/31

琴美と一葉 8

「ところで高堂様、何をなさっていたのですか?」

「あぁ・・・、イーゼルを買い換えるから、古い物を出しておいてと先生に言われていたのに、忘れていたから」

「え、1人でですか?」

「もうテスト期間だし・・・これくらいなら1人でできるから平気よ」


しかし、1人より2人の方が早いのが当然だ。“お手伝いましょうか?”と申し出れば、“大丈夫よ”と断ろうとするだろう。それならば、“お手伝いします”と宣言して美術室に入ってしまったほうが良い。

案の定、一葉は一瞬遠慮するそぶりを見せたが、勝手にイーゼルに向かっていく彼女を見て諦めようだ。


実際にそれを持ってみれば、運べないほどではないがやはり軽くもない。準備室に残っている数も1つ2つではない。これは自分が頑張らねばと張り切って準備室へ入っていく琴美の背中を、一葉は横目で見ていた。


「ねぇ」


そのあまりにも小さく短い声かけに、琴美は当たり前のように“はい?”と振り返った。

あっさりと気づいたことに驚いたのか、一葉は少し慌てた様子で顔を逸らす。


「あなた、その・・・人に話すと楽になるって言ったわね」

「あ、はい。まぁ、私の場合は、ですけれど」

「・・・私もそう、かしら」


そして、何かを探るようにゆっくりと琴美の方を振り返る。少し驚いたような顔をする彼女と目が合うと、やはりぎこちなく微笑んで見せた。

そこに垣間見える年相応の弱い姿に琴美の胸が高鳴る。


「・・・お1人で抱えるよりは、きっと」


早く早くと急かしそうになる自分にブレーキをかけるように、ゆっくりと頷いてみせる。すると一葉は“そう、そうね”と独り言のように呟いてふぅ、とため息をついた。


「手を動かしながらでいいわ」


そう言いながら運びかけたイーゼルに再び手をかける。琴美も慌ててそれに倣うが、視線は逸らせそうになかった。


「・・・あの絵、幼馴染を描いたものなの」


一瞬、揚葉の顔が脳裏をよぎった。


「父親同士が仲が良くて、生まれてからずっと一緒だったのよ」


その友情のざっくりとした結末を、琴美は知っている。そのせいか一葉の表情が悲しそうに見えてたまらなかった。

“知っていますよ”と言ってしまえばその表情が消えて“やだ、誰に聞いたの?”と言ってくれるような気がした。その時浮かべる表情が決まりの悪そうな顔でも、嫌そうな顔でも、悲しそうな今よりマシではないかとすら思う。

だが、揚葉との約束がその言葉を飲み込ませた。


「でも・・・本当に友達だったのは、いつまでだったのかしらね」

「え?」

「本当は・・・最初から違ったのかも」


琴美は違和感を感じた。揚葉の言うように喧嘩をしたとして、どんなにすさまじい喧嘩をすればそこまでの心境に突き当たるのだろうか。

自分と、もしかしたら揚葉も、何か思い違いをしているような気がした。


「あの、どういう意味ですか・・・?」

「宇都宮奏のことは知っていて?副会長の」


唐突に出てきた奏の名前に驚きながらも小さく頷く。


「姉と奏が姉妹になる約束をしたのは、姉が中等部3年の時なの。私もそれが当たり前だと思っていたから、特になんとも思わなかったけれど・・・あの子は違ったみたい」


そう言いながら、一葉は次のイーゼルを取りに準備室へ入っていく。琴美はといえば、運びかけのイーゼルに手を添えたままで一歩も動いていない。

自分の話に夢中になっている彼女を咎めることもない一葉は、平静を装うのが精一杯だったのかもしれない。


「あの絵を描いてすぐ、だったかしら。言われたのよ」


一葉が少し笑ったような気がした。


「“あなたに気に入られたら、あの方の妹になれるように取り次いでくれると思ったのに”」

「え・・・っ」

「“何のためにあなたに付き合ってきたのかわからない。全部水の泡になってしまったわ”って」


カタン、と一葉がイーゼルを下ろす。ふぅ、とため息をついたのはただ疲れたからか、それとも昔を思い出して辛くなったのか。

琴美は、思考がついていかなかった。“政略結婚”を知った時とは比べ物にならないほどの憤りと戸惑いで胸がいっぱいになり、気の利いた言葉一つ浮かんでこない。


「それで嫌になったのでしょうね。高等部に進むはずだったのに、留学してしまってそれきりよ」

「そのこと、生徒会長は・・・?」

「知らないわ。言っても仕方ないでしょう」


それもそうだ。もし知っていたなら、揚葉はきっと悔やみ続けるだろう。高堂姉妹が仲が良いことは生徒達にとっては周知の事実であったし、一対一で話した琴美はそれをより深く感じたのだ。

そうしてしばしの無言の後、一葉と目が合った。


「そんな顔しないでちょうだい」


自嘲気味な微笑みは、皮肉にも優しいそれよりも少しばかり自然に見えた。

自分がどんな顔をしているのか琴美にはわからないが、酷い顔をしているのだろうということは想像できた。

きっと当事者である一葉が同情してしまうほど、情けない顔を晒しているのだろう。


「言ったでしょう?慣れているって。みんな、私の向こうに姉や高堂家を見ているのよ」


長い髪をそっと片耳にかけて、まるで独り言のように彼女は言う。それはまるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。


「所詮、私は(にばんめ)だから」


目の前にいる人が遠く感じた。親友と思っていた人はそうではなく、近寄ってくる少女達は家のため、親のため、自分の存在価値を高めるため。

全てを諦めてしまったかのような一葉は、琴美からあまりにも遠い。


「・・・私のことも、そんな風に思っていましたか?」


しかし遠いなら、近づけばいいのだ。


「生徒会長や高堂様のお家が目当てであなたに近づいたのだと、今も・・・思っていますか?」

「・・・そう、思っていたわ」


言い訳もなく、一葉はそう答えた。わかりきった言い訳をされるよりずっといいとは思っても、やはりその言葉は琴美の心を抉る。

鼻の奥がツンと痛み唇が震えそうになる。たまらず視線を逸らし、堪えねばと右手首をグッと掴んだ時、一葉が続けた。


「でも、違うのでしょう?」


目を少し見開いて琴美が再び見た彼女は、やはりぎこちなく微笑んでいた。

だがそれは、“どうせ違うと言うのだろう”と蔑み疑う顔ではない。饒舌にそれを説くのではなく、ただぎこちなく微笑んでくれた事実に、琴美の視界が歪んだ。


「あったり前じゃないですか!私の父は、サラリーマンです!高堂様のお家に便宜を図って頂くようなことなんてないんです!」


涙を押し込むように大きな声を出した。腰に手を当てて、少し怒っているように一葉を見る。


「それに高堂様、忘れちゃったんですか?!私、初めて美術室(ここ)に来た時、高堂様のお名前も読めなかったんですよ?!」


“あ、”と一葉が小さく声を漏らす。

琴美と一葉が初めて出会ったのは、入学式より少し前の夕暮れ時だった。

まだ1年生だった一葉が一人居残っていた美術室に中等部の制服を着た琴美がやってきたのだ。手に一冊の冊子を持って。



ーこんにちはー・・・失礼します。

ー・・・どなた?


中等部の制服を着た見知らぬ少女に、一葉は怪訝な目を向ける。

だが彼女はそんなことには気づかず、美術室の中に一葉しかいない事に動揺していた。


ーえ、あ、あれ?ここ、美術部ですよね?ここって聞いたのですが・・・。

ー今日はもう終わったわ。あなた、中等部の方ね?入学説明会なら校舎が違ってよ。

ーあ、説明会は終わりました!あのですね・・・。


萎縮することも、ペースを崩すこともなく冊子を開き始めた彼女に少し苛立った様子で一葉が立ち上がる。

室内へは入らせないようにと琴美の目の前に立ったのと、彼女が冊子の1ページを一葉に向けたのはほぼ同時だった。


ーこれ!この絵の作者さんが、こちらにいると伺いまして!


満面の笑みで示されたのはまぎれもなく一葉の絵だった。いつ出したのか、正直ハッキリとはしなかったが、なんとなく見覚えがある上に作者名が明記されているので間違いない。


ーえと、“たかどうかずは”さん、もう帰ってしまいましたか?


堂々と読み違えられ、一葉の眉がぴくりと動く。


ー“こうどうひとは”よ。

ーえ?あ、なるほど。それで、その高堂さんは・・・。

ー察しの悪い子ね。私よ。

ーえっ



「・・・そうね、そうだったわね」


ふふっと一葉が目を細めた。

初対面の頃から琴美の天真爛漫ぶりは変わっていない。自分がどんな人間か知っても、媚びる様子一つ見せなかった。揚葉のことを知っても、“そう言われると似ていますね”と笑っただけだった。

そんな彼女を、どうして忘れていたのだろうかと鼻息を荒くする琴美を見て思う。


「あなた・・・私に会いに来たのだものね」

「そうですよ。私、高堂様の絵しか知らなかったんですからね!」


どうだといわんばかりにおおげさに胸を張って見せ、えへへと笑う。

その様子に釣られるように少しだけ笑って、一葉は浅くため息をついた。それは疲れから来るものや鬱々とした感情を撒き散らそうとするものでもない。

憑き物が落ちていくような、すっきりとした美しい顔をして一葉が呟く。


「帰りましょうか」


“はい”と答えた琴美も晴れやかな笑顔で、心が軽くなったような気がしていた。

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