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白鷺の乙女たち  作者: 21。
絵画の逢瀬
21/31

琴美と一葉 6

奏から知らせを受けた揚葉は彼女の城、生徒会室へ急いだ。

少し息を切らせるほどに早足で、やっとのこと生徒会室の扉を開ける。いつもは愛してさえいる校則が今日はなんと疎ましいことか。

揚葉が中に入ってから数秒遅れて、隣の部屋から千鶴が戻ってきた。歴代生徒会長が“秘密の部屋”と呼ぶその小さな応接間は、生徒会室を経由しなければ入れない。校長室の隣に備え付けられた本来の応接間とは違い、どうして作られたのか今となっては誰もわからない部屋である。


「及川さんは?」

「今は落ち着いています。たぶん、大丈夫だと思います」


その言葉に少しだけ安心し、奏と千鶴には席を外してもらうこととした。

すんなりと了承した奏と対照的に、千鶴は少し迷っているようだ。あんなにも泣き崩れる友人を見たのだから無理も無いだろう。それでも奏に促されると大人しく従い、心配そうに2、3度振り返りながら生徒会室を出て行った。

それを見届けると、秘密の部屋へのドアノブを握る。ゆっくりと回せば扉は音もなく開き、中の様子を伺うと、こちらに背中を向けてソファーに座っている琴美が見えた。

少し背中を丸め、力なくうなだれているようではあるが、泣いてはいないらしい。



「・・・及川さん、大丈夫?」


対面のソファーに腰を下ろして声をかけると、“はい”と消えそうな声で返事をした。だがやはり顔は上げない。彼女の前には千鶴が入れたのであろう紅茶が置かれていたが、口をつけた形跡はない。

あまりの落ち込み具合に揚葉はため息が出た。


「奏と千鶴ちゃんから聞いたわ。一葉と何かあったのね」


一葉の名前が出たからだろうか、琴美が恥ずかしそうに顔を上げた。やはりもう泣いてはいない。だが、その目は赤く腫れぼったくなってしまっている。

揚葉に向かって何か言おうとした口が、半開きのまま止まった。不思議に思った揚葉が声をかけようとしてその視線すら自分に向いていないことに気がついた。


「あの絵・・・」


うわごとのよう呟いた声とその視線を辿れば、自分の後ろに突き当たる。恐る恐る振り返った揚葉は“あぁ”と安堵の声を漏らした。

後ろの壁にはシンプルな額縁に入れられた紫陽花の絵が飾られていたのだ。


「綺麗でしょう、これ。一葉の絵なのよ」

「知ってます」


返事に驚いて向き直ると、琴美はぎこちなく微笑んでいた。


「本に載っていたので、見せて欲しいとお願いしたら生徒会室にあるはずよって・・・」

「あら、そうなの?私、あの子の絵が好きなの。どんな有名な人の絵より一葉の絵が好きだわ」

「私もです。でも、怒らせてしまいました・・・」


自嘲気味に“えへへ”と笑った途端、涙が溢れてきた。すかさず揚葉は彼女の隣へ座りなおし、背中をさする。


「妹がごめんなさいね」


優しく背中を撫でながら謝る彼女に琴美は首を振る。スンッと鼻を吸うと、少し涙も収まったようだ。


「すみません・・・、私が悪いのです」

「何があったのか、教えてくれる?あの子、何も言ってくれないだろうから」


もう1度鼻をすすって、琴美はぐしゃぐしゃになった冊子を取り出した。その冊子の有様に早くも揚葉の表情が固まってしまったのだが、問題のページを開いて渡すと硬直を通り越して青ざめたのがわかった。


「これ、あの子に見せたの?」


その反応に、やはり自分はとんでもないことをしたのだと思い知らされる。

頷くと、悲しんでいるような困っているような顔で“そう、”と呟く。描かれている少女の笑顔がどこか白々しく見えてきた。


一葉の絵をもっと見たかったこと。教師に冊子を借りてこの絵を見つけたこと。一葉に見せた時の反応。

琴美が話す間、揚葉はただそれを頷いて聞いていた。

一度もさえぎることなく、琴美が話し終えて“本当にすみません。”と謝るとゆるやかに首を振る。


「あなたは悪くないわ」

「・・・高堂様、人物画は苦手だっておっしゃっていたんです。こんなに綺麗なのにどうしてそんな事を言ったのか、考えもしないで見せた私が悪いです」

「それでもね、あなたのせいではないのよ」


その後、揚葉は何か言いかけてやめた。琴美の顔をじっと見て、言うか言うまいか悩んでいるようだ。

んん・・・と口ごもる様子に琴美も気づくと、促すように首を傾げてみる。


「この絵が何なのか、知りたい?」


チクリと胸を刺されたような気がした。何がそんなにも一葉の逆鱗に触れたのか、気にならないわけがない。じっと自分を見る揚葉に気圧されそうになりながら、琴美が小さく頷くと彼女もまた頷き返した。


「それはどうして?」

「あの、高堂様に謝りたいのです。でも、理由も知らずに謝るのは・・・きっと聞いて頂けないと思うので」

「それだけ?」


また胸がチクリと痛む。心を見透かしているようなまっすぐな眼差しが痛い。


「・・・ただ、知りたい。っていうのもあります」


興味がある、という自分が恥ずかしく琴美が俯く。小さな声で答えた本心を揚葉は優しく微笑んで頷いた。


「あなた素直ね、いい子だわ」

「いえ、そんな・・・」

「誰にも言わないなら教えてあげる。一葉にも言っちゃだめよ?あの子、自分で言いたいかもしれないから」


“でも、言わないままかもしれないしね”と肩をすくめる。

実の姉といえど、一葉の頑固さと性格の難しさは図りかねるのだ。


「どう?言わない?」

「言いません!」

「一人にでも言ったら、あなた、学園(ここ)にいられなくなるからね」


たとえ相手が綾子でも、絶対に言わない。その決意はあったのだが、思わず息を呑んだ。この優しい微笑みと声から発せられたとはとても思えない言葉に背筋が凍る。

琴美一人をこの楽園から追放するなど、高堂家の力をもってすればたやすいことなのだ。

返事を待つ彼女になんとか頷いて見せると、揚葉は微笑を深めた。


「この子はね、私と奏、一葉の幼馴染なの」


揚葉の指先で指された少女は、この場の雰囲気など知る由もなく笑っている。

それは仕方のないことなのだが、あまりにも場違いで滑稽だ。


「私の1つ下、一葉達と同い年ね。幼稚舎に入る前から仲良しで、特に一葉はべったりだったわ」


幼い頃を思い出してうふふ、と楽しそうに笑ったかと思えばその表情はすぐにまた曇る。


「でも一葉が中等部2年の頃、ちょうどこの絵を描いてすぐね。急に疎遠になってしまって」

「え、急に?」

「あの子、理由を聞いても言わないのよ。それから人物画は一枚も描いていないの」

「そう、なんですか・・・」

「きっと久しぶりに絵を見て動揺したのね」


何があったのか、それは当人のみぞ知るところのようだ。

“私が知っているのはこれくらい”と言う揚葉の微笑みも少し困っているように見える。

しかし、琴美は1つ腑に落ちない。この3人の幼馴染ともなれば名前くらいは知っていて当たり前だと思うのだが、そんな存在は見たことも聞いたことも無いのだ。

描かれた絵を見ても、この少女に見覚えは無い。


「あの・・・それで、この人も高等部にいるのですか?」

「いないわ。疎遠になったまま、留学してしまったから」


それなら知らなくて当たり前だ。なるほど、と納得した頃にはもうすっかり涙も乾いていた。


「・・・あの子のこと、嫌になった?」

「え?!」


思ってもみないことに琴美が目を丸くする。

どこか悲しそうな微笑は、“嫌わないでやってほしい”と言っているようにしか見えなかった。


「そんな、嫌になんてなりません!」

「無理しなくてもいいのよ?」

「してません!きちんと謝って・・・高堂様が許してくれたら、また絵を見に行きたいんです」


“許してくれるでしょうか?”と自分に問う琴美に揚葉が呆れ半分に息を吐く。


「ねぇ、あなたは謝らなくてもいいのよ?別に、どうしても謝りたいなら止めないけれど」

「どうしても、謝りたいです」

「あらあら、あなたもなかなか頑固ね」


揚葉が笑って琴美の頭を撫でる。ただそれだけだというのに、まるで抱きしめられたかのような包容力は“姉”としての経験が生んだものだろうか。


「ありがとう、及川さん。一葉をよろしくね」


何をよろしくすればいいのかわからない。

だがその言葉が素直に嬉しく、琴美は“はい!”と力強く答えた。



「おかえりなさいませ」

「ただいま。安藤さん、一葉は?」


家についた揚葉を初老の家政婦が出迎える。

両親共に忙しい高堂家において母であり祖母のような役割を担う人である。


「一葉さんならお部屋にいますよ。なんだかお元気がないみたいで・・・」

「そう、ありがとうございます」


安藤には笑顔を向けたが、一葉の部屋の前に立った揚葉の表情は険しい。

数回ノックするが返事はない。


「・・・一葉、いるなら返事はしなくていいから聞きなさい」


部屋に鍵はついていない。返答がなくとも入ってしまえばこちらのものなのだが、そんなことはしたくなかった。

呼びかけにも返事はないが、揚葉は扉に鼻先がつきそうになるまで近づいて続ける。


「あなた、及川さん泣かせたでしょう?千鶴ちゃん達が見つけてくれたから良かったものの・・・」


と、これではただのお説教だ。お説教をしたいわけではないが、ならばなんと声をかけるべきか。

うぅ・・・と少し悩んでもう一度扉を叩いた。


「聞いてる?あの子のこと大切にしないなら、私の2人目の妹にしちゃうから!」


そんなつもりはまったくない。だが、どうにかしてしっかりして欲しかった。

捨て台詞のように言い捨てて、揚葉は相変わらず返答の無い部屋の前から立ち去った。

日が落ちようとする薄暗い部屋の中、一葉は制服もぬがずにベッドに横たわり、姉が去っていく音を聞いていた。


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