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白鷺の乙女たち  作者: 21。
絵画の逢瀬
19/31

琴美と一葉 4

「お嬢様って大変なんだね」

「うん・・・。びっくりした」


図書室の片隅で事のあらましを聞いた綾子がため息をついた。なにやら元気の無い友人を心配して聞いてみれば、琴美の言う“政略結婚”が原因だったわけである。

美術の課題として使えそうな本を探しに来たのだが、琴美は時折ため息をつきながら棚から取り出した本をパラパラと捲り続ける機械と化していた。


「なんだか、姉妹っていうものを憧れでしか見ていなかった自分がお子様みたいな気がして・・・」

「そんなの、ほとんどの生徒が憧れでしか見ていないと思うよ?普通だよ」

「それはそうなんだろうけどさ・・・」


深くため息をついて本を戻し、新たな本を捲り始める。すでに2冊ほどキープしている綾子からしてみれば、彼女は本当にその本の中身を見ているのだろうかと心配になる。

美術の担当教師はなかなか厳しいのだ。

そろそろ昼休みも終わってしまうのではないかと綾子が腕時計を見たその時、“あっ”と琴美が声を上げた。

本の1ページをじっと見つめている彼女に“なぁに?”と問えば、綾子の目の前にそのページがつきつけられる。


「これ!」


声はきちんと抑えていたが、何かとても嬉しそうだ。友人に見せたページには一昨年の学生コンクールで入賞した作品が掲載されていた。そして、トントンと指先で指し示す箇所には1枚の絵。

佳作のうちの1つでそう大きく取り上げられてはいないが、作者欄には“高堂一葉”と記されている。

“あぁ”と綾子が気づくと、琴美は興奮した様子でその絵をじっと見つめ始めた。


「この絵、見たことないなぁ。高堂様、持ってないかな・・・」

「本当に好きなんだね」


うふふ、と本を抱きしめて笑う琴美は心から幸せそうだ。



放課後、美術室へ向かう琴美は一抹の不安を抱えていた。

昨日のことで気まずい思いをさせていたらどうしようか、ぎこちない接し方をされたりしないだろうか。

この学園内で一葉ほど存在感のある人の姉妹話が噂になっていないのは、それなりに隠してきたからだろう。それを知ってしまった自分に、彼女はいつも通りにしてくれるだろうか。

最悪の場合、今日は行ってもいないのではないだろうか。

そう思っていただけに、扉を開けてそこに一葉の背中を見つけた時にはホッとした。


「・・・何なの?」


いつまでも入ってくる様子のない琴美にしびれを切らしたのか、一葉が振り返った。訝しむようなその声も、いつもどおりであるという点においては安心させてくれる。

“何でもないですよ”と笑って、琴美が中に入る。


「あの、ちょっとお時間よろしいでしょうか?」

「何?改まって」

「これなんですけども・・・」


そう言いながら、琴美は美術室で見つけた本のページをコピーしたものを差し出した。わかりやすいように一葉の絵の部分に赤い丸をつけてある。


「この絵、実物ってもうお持ちじゃないですか?」

「・・・こんなのよく見つけたわね」


カラーコピーされた紫陽花の絵。一葉の反応を見るに確かに覚えがあるようだ。絵の存在すら忘れられているというどうしようもない事態は避けられた。

一葉はそのコピーをまじまじと見つめ、やがて琴美に返した。


「あると思うわ」

「本当ですか?!見せていただけませんか?」

「見たければ見てくればいいじゃない。生徒会室にあるはずだから」


なぜ?と琴美が首をかしげる。


「この絵、姉が気に入っていて生徒会室に飾ってあるのよ。架け替えていなければ、だけれど」

「そうなんですか!」


琴美と揚葉は趣味が合うらしい。生徒会室には千鶴に頼めば入れるだろう。

実物の絵を見られる上、新しい友人もできるかもしれない。素晴らしいことだと琴美の胸は高鳴った。

そんな彼女を不思議そうに見て、一葉は再びキャンバスへ向かった。


キャンバスの中の藤はもうすっかり色づいて美しく咲き誇っている。いつもはただまっすぐに筆の動きを見つめている琴美だが、今日は落ち着きなくチラチラと一葉を見ていた。


「あの・・・話しかけてもいいですか?」

「何?」


我慢できなくなった琴美が声をかけると、一葉は筆も止めず彼女を見もせずに答えた。

絵を描いている最中の一葉にこうして話しかけたのは初めてである。


「人物画は描かないのですか?」


それは、本当に他意のない質問だった。なんとなく思ったことを口に出しただけなのだが、一瞬一葉の筆が止まった。かと思えば、琴美が気づくより先に再び動き出す。


「苦手なのよ」

「あ、そうなんですか。高堂様にも苦手なものってあるんですね」

「あなた、人をなんだと思っているの?」

「すみません」


謝りながらもどこか嬉しそうに笑う。自分が見せた一瞬の動揺など気づくそぶりも無い様子に、一葉は密かに安堵していた。

そして後はお互いに何も喋らず、気づけば40分経過していた。

ふと一葉がキャンバスから筆を離す。そしてその筆は二度と戻ってこなかった。立ち上がって少し離れた所から絵を見る。これは時折あることだったが、今日は眺めている時間が長いようだ。その様子に、“もしかして、”と琴美の胸が高鳴った。

期待に満ちた眼差しで自分を見る彼女を一瞥し、一葉は絵に向かって小さく頷く。


「おしまい」


小さく呟いたその声に、琴美は大きく拍手をした。“おめでとうございます!”とはしゃぐ彼女と対照的に、作者は淡々と片づけを始める。

慌しく立ち上がり、一葉が立っていたのと同じくらいの距離からキャンバスを見れば、そこには堂々と枝を広げ日の光を浴びて咲く藤の花。隠すように置かれたベンチやその向こうに見える校舎がその鮮やかさを引き立てている。

うっとりと見ている琴美をよそに、一葉は隣の準備室へ入っていった。


「・・・まだ見ているの?もう片付けるわよ」


数分後に準備室から出てきた一葉は呆れてしまった。琴美は未だに絵を見つめているのである。

変わったところといえば椅子に座っている所くらいのものだろう。


「でもこの絵、外国へ行ってしまうんですよね」


一葉の言葉に動じる様子もなく、琴美は名残惜しそうにため息をつく。


「そうしたらもう2度と見られなくなりますから・・・今のうちに見ておかないと」


まるで親友を見送るような顔で絵を見る琴美を、これ以上急かすなどいう真似は一葉にはできなかった。




「あのぉ・・・」

「今日はよく喋るわね」


やっと帰路についた正門への道すがら、再び琴美がおずおずと切り出した。

“何?”とそっけなく返す一葉に恥ずかしそうに笑う。


「あの絵ができたということは、もうあまり居残りもしなくなりますか?」

「そうね、頻度は減るでしょうね」


琴美が入学したときには、すでに一葉はあの絵に取り掛かっていた。部活動が終わっても居残っていたのは、あの絵を早く仕上げるためである。それが仕上がった今後、琴美が一葉の絵を見るためには美術部に入ってでも横に張り付いているしかない。

しかし、一葉の言い方に琴美は目を輝かせた。


「じゃあ、まったく無くなるというわけではないのですね?」

「・・・まぁ、そうね。またコンクールに出す絵も描かなくてはいけないし」

「見に行っても良いですか?!」


被せ気味に食いついてきた後輩に一葉はため息をつく。


「別に、好きにすれば良いけれど・・・あなた、親しいお姉様はいないの?」

「いませんよ。ほら」


そう言って自分のリボンタイを裏返して見せた。そこには白銀の糸で彼女の名前が刺繍されている。

それを一葉はチラリと横目で見ただけだった。聞いたわりにあまり興味はないらしい。


「それなら結構。特定の相手がいるのに他の上級生について回って、それが原因で修羅場。なんて事態は避けたいものね」

「え、そんなことあるんですか?」

「あなた平和な子ね。よくある話よ」


そしてまた呆れたようにため息をつく。実際、珍しいことでもないのだ。

お姉様の友人に、自分の同級生に。妹の友人に、自分の同級生に。やきもちを焼いては痴話げんか、など見たければいくらでも見られる。そのまま関係を解消してしまうこともたまにはある。


「そういう高堂様はどうなんですか?」


仕返しのように聞くと、一葉は黙ってリボンタイの裏を見せてきた。そこには彼女の名前があった。

まぁそうだろうなとわかってはいた。一葉に妹ができたとなれば一気に噂になるだろう。


「“高堂一葉様って、いつも怒っているみたいで怖い”、そうでしょう?」

「そりゃ、友人もそう言いますけれど、私は怖くありませんよ!」


下級生達からの評価を一葉はちゃんとわかっていた。

かといって、怖い、怒っている、機嫌が悪い、近寄りがたい。プラスの評価を圧倒的に上回るマイナスの評価たちをどうにかするつもりもないのだが。


「どうして?」

「どうしてでしょう・・・」

「説得力がないわね」


何度目かの一葉のため息の後、2人は正門へたどり着いた。“それでは、”と琴美が一葉へ向き直り、深々と頭を下げる。


「今日もありがとうございました」

「ごきげんよう」


いつものようにそっけなく、一葉が背を向けて歩き出す。いつもと同じ別れ際、いつもより多く話したからだろうか、何か離れがたく気づけば“あの!”と呼び止めていた。


「本当によく喋るわね。何?」


呆れ半分、苛立ちも少し混ざっているだろうか。それでも振り返ってくれたことが嬉しかった。


「えっと、あの、私、高堂様とお話できたの嬉しかったです!だから、あの」


しどろもどろになりながら言う琴美を、一葉は不思議そうに見ている。


「邪魔にならないように気をつけますから、その、また話しかけてもいいですか?!」


その願いに一葉が目を丸くした。鳩が豆鉄砲を食らったような、とはこんな顔のことだろう。

だがそれも一瞬のことで、すぐに浅くため息をついて背中を向けてしまう。


「好きになさい」


言い残した言葉への“ありがとうございます!”は、なぜかいつもより嬉しそうに聞こえた。



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