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白鷺の乙女たち  作者: 21。
絵画の逢瀬
18/31

琴美と一葉 3

完成間近の絵を一日見られなかったためか、今日の琴美は一層張り切っていた。

小会議室を借り切っての放送委員会定例会議。これが終わればちょうど美術部も終わる頃だ。“解散”の言葉を言う前にコソコソと帰り支度を始める琴美を委員長が咳払いで制する。その瞬間は小さくなった彼女だが、いざ解散となると誰よりも先に会議室を出た。

さぁ行こう、と一歩踏み出したのだが、次の二歩目にして邪魔が入ってしまった。


「琴美さん!待って!!」


振り返れば、少し向こうから見知った顔がやってくる。駆け寄りたいのだろうがそれはいけない。

できる限りの早足でやってきたのは千鶴だった。そういえば、3つ挟んだ隣は生徒会室である。


「千鶴さん?」


昨日の今日で、急にどうしたことかと驚いているうちに千鶴が琴美の袖をわずかに掴んだ。


「あの、美術部に行くのでしょう?」

「え、えぇ」

「あぁ良かった!あのね、お願いがあるの!」


そう言ってなにやら書類を差し出してきた。思わず受け取り、しげしげとそれを見つめる。


「それ、明日の放課後までに提出していただかなくちゃいけないの!」


どうやら部活動に関するアンケート用紙のようだ。2枚に亘って部員数や必要経費など細かな質問と、部長の署名捺印欄まである。

“お願い!”と手を合わせる千鶴は、琴美が最後の綱といった様子だ。


「私、これから生徒会の用があって!でもお姉様にバレたら叱られちゃうし・・・」

「部長さんに渡せばいいの?」

「そう!お願い!」

「それは構わないけれど・・・私、美術部じゃないのよ?」


“え?”と間抜けな顔をする千鶴に琴美がくすくすと笑う。

どうやら千鶴は、琴美が放送委員会と美術部を掛け持っていると思っていたようだ。


「え、違うの?ごめんなさい!いつも美術部に行っているって聞いたから私・・・」

「いいの、美術室に行っているのは本当だから。でも部員ではないから、今日部長さんが絶対にいるかどうかはわからないわ」


“それでもいい?”と問うと、千鶴は何度も頷いた。それなら、と琴美も頷いたその時、“千鶴?”と訝しげな声がした。

飛び上がりそうな勢いで彼女が振り返ると、揚葉と奏が2人を見ていた。


「何をしているの?早く来なさい」

「は、はい!」


チラリと自分を振り返る千鶴を琴美は笑顔で送り出す。

笑顔で軽く手を振る揚葉にも会釈を返して、奏には見えないように書類を背中に隠した。



千鶴に掴まった分、思っていたよりも遅くなってしまった。

部活棟にはもうあまり人の気配がなく、すれ違う生徒もいない。思わず小走りになりそうになるが、そこは堪えねばこの学園の生徒ではない。

やっと美術室の扉が目前に迫った時、琴美は目的地の異変に気がついた。


「何度言われましても、私は応じません!」

「一体何が気に入らないの?何でもするから言ってちょうだい!」


お互いに苛立っているのがよくわかる声、応じないと言う声は一葉の声だった。

これは一体何事かと美術室の扉を見ながら戸惑う。その間にも言い争いは続いていた。


「どうしてそこまで頑固なの?私、すぐに卒業してしまうのよ?!」

「そのままお返しいたしますわ。どうぞこのまま卒業してくださいな」


鼻で笑うような一葉の声に、琴美も冷や汗をかきそうだった。このまま大喧嘩になってしまったら、自分は止めなければならないのだろうか。それとも誰かを呼んだほうが。しかしそれでは、一葉ともう一人に恥をかかせてしまう。

どうしたものかとその場でしばらく戸惑っていると、ふいに目の前の扉が勢いよく開いた。

驚きで肩が跳ねた琴美と、苦々しい顔で出てきた生徒の目が合う。出てきたのは美術部部長だった。


「あなた・・・」


聞いていたことを叱られるかと思ったがその前に、聞いてなどいないことにしてしまえ。自分の囁きのままに、琴美は表情を繕った。


「ごきげんよう。えっと、部長さんですよね?これ、生徒会の方から預かりました」

「あぁ・・・ありがとう」


書類を渡しながら“明日の放課後までにお願いします”と付け加えると、了承と共に琴美を見た。

そしてにっこりと笑うその様からは先ほど浮かべていた苦々しい顔など想像がつかない。


「あなた、よくここに来ているんですってね」

「え、あ、はい。すみません、部員でもないのに・・・」

「あらいいのよ。ここは美術部だけのものではないわ。けれど、そんなに興味があるなら入ればいいのに」


ふふっと笑う彼女の後ろ、美術室は一葉がいるはずだ。それなのにどうしてこうも穏やかに話すのか。

それともさきほどのは琴美が思うほど深刻な状況ではなかったのか。

冷や冷やしながらも言葉を返していると、案の定冷たい声が飛んできた。


「その子に取り入っても、何にもなりませんわよ」


美術室を振り返る部長に便乗して、琴美も中を覗く。夕日を背に、両肘を抱えるようにして腕を組んで立つ一葉がいた。


「その子は絵を見に来ているだけです。特別親しいわけでも、ただの友人ですらありませんの」

「あら、そんなつもりないわよ」


部長はそう答えて微笑むが、虚勢であろう。声が震えて、少し可哀想にすら見えた。

琴美に対して改めてお使いの礼を言うと、彼女はその場を去っていく。その背中をしばし見つめていると、深い深いため息が聞こえた。

美術室の中、一葉は何かの糸がぷつりと切れてしまったかのように力なく項垂れていた。


「大丈夫、ですか?」


こんなにも疲労困憊している一葉を見るのは初めてで、さすがの琴美も動揺した。

入り口から入ることもできずにいる彼女の様子に気づいたのか、“えぇ”とまたため息をついて一葉が顔を上げる。


「大丈夫よ。このくらい、たいしたことではないわ」


それはまるで自分に言い聞かせるかのような。ちらりと廊下を見れば、部長はもういない。

琴美は一歩中に入ると、後ろ手に扉を閉めた。


「・・・ごめんなさい。今日は描けそうにないから、このまま帰るわ」


謝られたのも初めてだった。琴美が来て10分もしないうちに切り上げたこともある。彼女が来る前に帰ったこともある。けれどそれを琴美が責めるわけでもなく、一葉が気遣うこともない。

“一葉が居残りをしているところに、勝手に琴美が来て絵を見ている”。その関係が、一葉が一言謝ったことで崩れてしまった。

だが今はそんなことより、自分に謝るほど参ってしまっている一葉が心配だった。


「あ、あのぅ・・・」


おずおずと声を発すると、筆や絵の具を片付けようとしていた一葉の手が止まる。今しかない、と捲くし立てた。


「あの、私・・・嫌なことがあると友人に聞いてもらうんです!少しずつ吐き出すというか、そうしたらだんだん体が軽くなるというか!あの、だから・・・えっと・・・」


不思議そうな顔で一葉が見ている。早く言わなくては聞いてくれなくなる気がする。

どう言ったものかと懸命に考え、出た言葉はなんともお粗末なものだった。


「えぇと、だから・・・その、大丈夫ですか?!」


あぁ、意味がわからないと自分でもわかった。きっとまた眉間に皺を寄せて“何が言いたいの?”とでも言われるのだろうと覚悟するしかない。

だが予想に反し、一葉は少しだけ噴出したのだった。


「あなた、変な子ね」


そして笑ってしまったのをごまかす様に咳をする。その反応は予想外のものではあったが、同時に琴美を安心させた。


「だから、私にも話してみろということね?」

「といいますか・・・聞いてもよろしいでしょうか?」

「いいわよ、別に」


ふぅっと3度目のため息をつく。だがその表情は少し明るいように見えた。


「部長が私に妹になってほしいと言うのよ」

「え?!あ、そ、そうなんですか!」


思ってもみないことだった。よほど仲が悪いか、喧嘩でもしたものと思ったが姉妹の申し込みとなればおめでたいことである。そう、普通であれば。


「で、でも・・・お断りしていたような・・・」

「何度もお断りしているの。けれど・・・しつこい方ね」


ツンとした言い方で髪を耳にかける様は、もうすっかり元の一葉に戻ったように見える。


「あの方のお父様の会社とうちの父の会社、お付き合いがあるみたいなの」

「え?」

「娘同士を親密にさせて、色々と融通を利かせて欲しいのでしょうね。あの方も大変だこと」


一葉は知っていた。部長が父親に頼まれて必死になっているのだと。

だが琴美にとっては晴天の霹靂だった。そんなドラマのような話が実際にあるのかと足が震えた。

と同時に、憤りもこみ上げてきた。


「そんな・・・っ」

「よくある話よ」

「でも、でもそんなの、姉妹じゃないと思います!!姉妹ってもっと・・・お互いに想いあってなるべきもの、というか・・・っ」


白鷺学園高等部に入れば、かけがえのない姉や妹ができる。それは生涯の友であり、短い青春のかけがえのない思い出になる。想い想われてタイを交換するその日を夢見て高等部を目指す少女も多いのだ。

琴美も例外ではない。それだけに、契約のようなそんな関係には違和感しかなかった。


「そんなの、政略結婚みたいなものじゃないですか!!」


そこでハッとした。一葉が何も言わないのだ。恐る恐る見てみれば、怒る様子も悲しむ様子もなく、じっと琴美を見ていた。


「すみません・・・」


一葉はもちろん、部長とてこんな風に一葉と親しくなっても嬉しくないだろう。親にせっつかれ頼み込まれ、きっとやりたくないのにやらされているのだろう。そう考えると、軽率なことを言ったと思った。

望まない状況下にさらされているというのに、それを関係ない下級生に否定までされたのでは一葉も不快な思いをしたかもしれない。


「別に、謝ることではないわ。私もそう思うもの」


だが、返ってきたその声はあまりにも優しくて、琴美は声が出なかった。夕日を背に弱く微笑む一葉は本来の彼女そのもののようで、琴美は顔が熱くなるのを感じた。

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