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白鷺の乙女たち  作者: 21。
絵画の逢瀬
16/31

琴美と一葉 1

白鷺学園には多種多様な部活動がある。

委員会か部活動のいずれかには必ず所属しなければならないという規則を作った以上、学園側も選択肢を多く作ったわけである。

そして書道部や家庭部など、ほとんどの文化系に属する部の部室は一つの建物に集められている。通称“部活棟”と呼ばれる第三校舎がそれだ。


美術室は部活棟の一階にある。上は茶道部で、静かな立地だ。

そしてこの美術部には、“目立つ生徒”に分類される2年生がいる。



ポンポンポンポーン、それぞれの教室に備え付けられたスピーカーから木琴の音が響く。放送部員が毎日日替わりで放送する“夕べの放送”である。


『皆様ごきげんよう、夕べの放送です。今日も1日、良い日をすごされましたか?』


お決まりの挨拶が流れ始めると、しつこく居残っていた生徒、運動部以外の生徒たちは帰り支度を始める。そのうち見回りの教師達や顧問に帰るように促されるからだ。


『本日は夜にかけて雨が降るようです。傘をお持ちではない方は少しでも早く帰られた方が良いでしょう』

「高堂様、私達お先に失礼いたします」

「ごきげんよう、高堂様」


悲しいかな、この放送を真面目に聞いている生徒は少ない。ほとんどが木琴の音を合図に部活を切り上げるからだ。この放送と日に何度も聞くチャイムの音の価値はそう変わらない。

それは美術部員達も同じだった。放送委員の声を背に、にこにこと声をかける1年生達。その前には大きなキャンバスに向かい筆を走らせる少女が1人。黒く、背中までまっすぐに伸びた髪。右目元に小さな黒子を添えた切れ長の目を一瞬だけ一年生達に向けたかと思うと、口元がサッと動いた。


「えぇ、ごきげんよう」


涼やかな声で最低限の挨拶だけをする。2年生の高堂一葉(こうどうひとは)は正真正銘、社長令嬢のお嬢様である。血の繋がった姉である揚葉は、白鷺学園高等部生徒会長として学園に君臨している。

美しい姉妹だが、性格は月と太陽のようだった。社交的な姉と違い常に冷めた態度を取り続ける彼女は、ひそかに人気はあるものの1人でいることが多かったのだ。


『それでは、本日の夕べの放送を終了いたします。放送委員、及川琴美がお送りいたしました』


ポンポンポンポーン、半音低い木琴の音とマイクのスイッチを切る音がして部室に静寂が戻ってきた。


絵の具の匂いと、壁掛け時計の秒針の音。校庭から聞こえる運動部の掛け声。そこに溶け込むように筆を走らせる彼女こそが絵画のようだ。

そのうち、パタパタとこちらに向かってくる足音が聞こえ始めた。その音は明らかに美術室に向かってくるのだが、一葉は気にする様子もない。


「ごきげんようー。失礼いたしますー」


のんびりした声が扉の向こうで聞こえても、カラカラと引き戸が開いて生徒が1人入ってきても筆を止めるどころか、振り返ろうともしなかった。

やっと言葉を発したのはその生徒が隣に並んで、描きかけの絵を眺めはじめてからだった。


「また来たの」

「はい、来ました。見ていてもいいですか?」

「…好きになさい」


そっけない態度を気にする様子もなく“ありがとうございます”と笑って適当な椅子を引いてくる。

隣に座ってジッと筆の動きを見つめ始めた彼女を、一葉が一瞬だけ横目で見た。

肩につかない程度のウェーブがかかった茶色い髪に、口元はいつも真一文字に固く閉じている一葉とは違い、緩やかに口角が上がっていて見るからに親しみやすい容姿だ。

1年生の及川琴美(おいかわことみ)は毎日のようにこうして美術室にやってくるが、美術部員ではない。

自分では筆を持たず、ただ一葉が描いている絵を黙って見つめ続ける。一葉だけがいた絵画の中に描き足されたようにただそこにいるだけだ。


どれくらい経っただろうか、30分くらいかもしれない。ふぅっと一葉がため息をついて立ち上がった。

それを目で追うと、流し台で筆を洗い始めたのだ。


「今日はおしまいですか?」

「えぇ。傘、持ってきていないから」


琴美に背中を向けたままそう答えてほんの少しだけ振り返り、“雨が降るのでしょう?”と一葉が言う。先ほど流した放送のことだと理解した琴美の目が歓喜で輝いた。


「聞いてくださったんですね!良かったぁ!もうあの放送、聞いてくれている人がいるのかどうかも不安で・・・」


夕べの放送がチャイム代わりになっていることは放送委員達も知っている。

放送内容を考え、当番を持っている以上はなんとかチャイムの役割を脱しようとしているものの、結果が見えないのが悩みの種だ。


「あなたの声は聞き取りやすいから、勝手に入ってくるのよ」


はしゃぐ琴美に淡々と言いながら、一葉は最後の筆をしまう。

彼女が手を拭く姿を合図にするように琴美は椅子を戻し、少し離れた所から絵を見た。彼女の腰くらいまであるだろうか、大きなキャンバスに描かれているのは水彩画だった。キャンバスの向こうを見れば、中庭の藤棚が大きく枝を広げ、蕾を蓄えている。そしてまたキャンバスに目を戻すと、そこには満開の藤が描かれていた。

もうすぐ夏が来るな、とうっとりとそれを眺めていると後ろから声が飛んできた。


「何をしているの、もう閉めるわよ」


振り返ると、一葉は部室から出るところだった。“すみません”と謝って追いかける。




行く先は同じなので、帰りは正門まで並んで歩いた。どちらかが“一緒に帰りましょう”と言った訳ではない。だが行く先は同じで歩く早さも変わらないため、いつも自然とこうなっていた。


「あの絵は、どこかに提出するのですか?」

「姉妹校との交流会で、お互いに一枚ずつ出すことになっているの」

「あぁ、交流会の」


海外の姉妹校と年に2回ある交流会。いつもは5月に行われるものが今年は大幅にずれ込んでしまったと、なんとなく噂には聞いていたが一般の生徒にはあまり関係のない話である。

美術室からの長い道のり、会話といえばいつもこれくらいのものだ。

あとはお互い黙ったまま正門までたどり着くのだが、それを気まずいと思ったことは無い。


「それでは、今日もありがとうございました」


正門で向かい合い、琴美が頭を下げる。一葉は気恥ずかしいのか、スッと視線を逸らして答えない。

笑顔で顔を上げた彼女に“ごきげんよう”とそっけなく言って背中を向ける。

その背中に“ごきげんよう”と返事をして反対方向に歩き出した琴美だったが、ふと足を止めて振り返った。


「あの!またうかがってもいいですか?」

「許可なんてなくても、あなた、勝手に来るでしょう?」


振り返った一葉が呆れたようにそう言うと、琴美は恥ずかしそうに笑う。その表情にふぅっとため息をついて、また背中を向けた。


「好きになさい」


琴美の弾むような“ありがとうございます!”にも振り向くことはなかった。



“生徒会長の妹の下へ足しげく通っている1年生がいる”。そんな噂があった。

その噂の1年生というのが琴美である。

琴美は入学した直後からこうして人の出払った美術室に通っている。

彼女は一葉の絵を愛していた。一葉は自分の邪魔にならなければどうでもよかった。

友人でもない、それどころか会話もろくにない不思議な関係ではあったが、琴美は一葉の絵が見られるだけで満足だった。


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