鈴子・露子・菊乃 6
「え?一冊も、ですか?」
図書室の貸し出しカウンター前で鈴子が悲しそうな声を上げた。隣に立つ露子は、あまり立ち入ったことがない図書室を興味深げにキョロキョロと見渡している。
「えぇ、一冊も。このところ、1年生がこぞって借りていくのよね」
若い女性の司書はキーボードを叩きながら答え、やがて何かに納得したように“うん”と頷いた。
「やっぱり無いわ。すべて貸し出し中ね」
「そんな・・・」
「一番早くて・・・来週の火曜日が返却日になっているから、その頃にまたいらっしゃい」
図書館から出た鈴子は、納得のいかない様子でむくれている。
10巻まで出版されている童話のシリーズがすべて借りられていたのだ。
「そんなに人気のある本なの?」
「まさか。私以外の人が借りているの、見たことが無いわ」
事実、童話の棚にある本はあまり借り手がいない。鈴子が借りたいと思った本はいつでも借りられたし、新作を一番に読むのも鈴子だ。あまりに借り手がなければ本が撤去されるのではないかと定期的に彼女が借りるほどである。
「それが全部借りられているなんて・・・」
「童話ブームでも来たのかしらね?」
「それにしたって、急すぎるわ。信じられない!」
怒っている片割れに対し、“人気がないよりはいいんじゃない?”と露子は思う。だがそれを言えば、“そういう問題ではないの!”と返ってきそうなので黙って頷いた。
「まぁ、火曜日まではこれで我慢するわ」
「それ、新作なんでしょう?新しいの借りられてよかったじゃない」
ふくれっ面の鈴子の手には深緑色の真新しい本。悲しそうな顔をする彼女に司書が薦めてくれたものだ。
“まぁね”と言いながらパラパラと本をめくる鈴子に“歩きながら、危ないわよ”と言いかけたその時、彼女の足が止まった。
「あら・・・」
「なぁに、鈴子。どうしたの?」
「なにかしら、これ」
そう言ってページの間から一枚の紙を取り出した。2つに折られたそれはどうやら便箋のようで、何か書かれているのが透けて見える。
露子もそれを覗き込み、揃って首をかしげる。広げてみようとしたその時、“あの!”と思い切ったような声が後ろから飛んできた。
振り返れば、4人の生徒が2人に向かって駆け寄ってくるところだった。そしてその勢いそのままに1つの箱を差し出してきたのだ。
「あの、私達、家庭部の者です!!」
「これ召し上がってください!美味しくできたと思います!」
「衛生面には細心の注意を払っております!先生の付き添いもありました!」
「他の部員に味見もしてもらいました!」
口々にまくし立てられ、2人はただただ困惑するばかりだったが“お願いします!!”と更に箱を突き出される。緊張の面持ちで自分を見る4人のプレッシャーに押し切られるように露子がそれを受け取った。
「あ、ありがとう」
露子が引きつった微笑で言うと4人は歓声を上げ、“失礼いたします!”と声をそろえて駆けていった。
その背中に向かって鈴子が“走らない!”と声をかける。
「で、なぁにそれ」
「えっと・・・マドレーヌ、とクッキーね」
露子が箱を開け、中が見えるように鈴子に差し出した。箱の中にはマドレーヌが2つといくつかのクッキーを2つに分けてラッピングした物、そして小さな封筒が入っていた。
それが目に付いたのはお互いほぼ同時だったのだろう。どちらからともなく顔を見合わせ、首を傾げる。
鈴子に箱を預け、露子はその場で封を切った。
親愛なる一ノ宮お姉様
高等部に入学してすぐ、お姉様のお美しさに心を奪われてしまいました。
私にはとても手が届かないお姉様。
きっとご卒業のその日まで、私を見てくださることはないでしょう。
それでも、私という存在がお姉様をお慕いしていることだけは知っていただきたく、ペンを取りました。
友人達にも秘密で、お菓子に隠してお渡しすることしかできない臆病さをお許しください。
1年1組 笹川 桜子
露子が声に出して読みきるやいなや、鈴子も本に挟まっていた便箋を広げた。
「親愛なる一ノ宮様へ。私は図書委員で、貸し出しのカウンターに座っています。
本を選ぶお姉様の微笑をいつも見て、本を持っていらっしゃる度にお声をかけようと思いましたが叶いません。このお手紙も直接渡すことなどできず、本に挟もうと思っています。どうかこの気持ちだけでもご理解ください・・・」
尻すぼみしながら読み終えると、ゆっくりと露子を見た。露子もまた鈴子を見て、お互いに何の言葉も出なかった。
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「「ごきげんよう」」
「ご、ごきげんよう」
翌日の放課後、教室を出た菊乃を待ち構えていたのは、なぜか無表情の双子だった。
その迫力に彼女の笑顔が引きつる。
「ええと・・・今日は水曜日ではないですよね?」
「緊急招集よ」
「少しでいいわ。お時間作って頂戴」
予定は無い。断る理由はないが、双子の雰囲気が怖い。
できれば行きたくなかったが、菊乃は引きつったままの笑顔で頷くしかなかった。
「え、ご存知なかったんですか?!」
カフェにて、双子が手紙の件を話すと菊乃は目を丸くした。
「鈴の君と露の君、1年生の間では有名で、憧れの的ですよ」
「ちょっと待って、今のは何?“すずのきみ”?」
「“つゆのきみ”って私のこと?」
怪訝な顔を見せる2人に呆れたようにふぅっと一息ついて、菊乃は頷いた。
「学園では、上級生のお姉様方のことは名字に様をつけてお呼びする決まりですよね?」
双子が素直に頷くと、菊乃も1度頷き返す。
上級生は下級生に対し名字に“さん”をつけて呼ぶ。下級生は名字に“様”、あるいは個人名をつけず“お姉様”と呼ぶのが決まりだ。どちらにおいても名前が出てくるのは、特に親しい間柄のみなのである。
「ですが、お2人は双子ですから・・・“一ノ宮様”ではどちらのことかわからないのです。でもお2人の噂話はしたい。そこで、憧れとお慕いの意味もこめて“鈴の君”と“露の君”です」
“あだ名のようなものですね”と言って、菊乃はココアを一口飲んだ。
菊乃の話を難しい顔で聞いていた鈴子が、“あっ”と声を上げる。
「ねぇ、借りたい本が借りられているのって関係ある?」
「はい。鈴の君のファンの子達が借りているのだと思います。お姉様が読んだ本を読んで、少しでも近づきたいからかと」
“それから、”と今度は露子に目を向ける。
「露の君は以前、知らない1年生からのお菓子を受け取ったことがあるのでは?」
「あら、どうして知っているの?昨日もいただいたわ」
「噂になっていますから。手作りのお菓子、なんて嫌がるお姉様もいらっしゃるのに・・・露の君は笑顔で受け取ってくださったと。ですから、それに便乗しているんです」
そう言って、カップに口をつける。返事がないな、と双子を見ると妙に難しい顔をして黙り込んでいた。
親しくもない1年生達に追い回されるというのは、やはり気分の悪いものだろうかと心配になるほどだ。
「あの、やはり迷惑でしょうか?でしたら、それとなく・・・」
事実を伝えた立場である以上、“そういうわけなので、頑張ってください”とはいかない。
小早川菊乃という存在が1年生全体に与える影響というものはまったくのゼロに等しい。だが、友人達に頼んで沈静化を促す噂を流すことくらいはできる。
双子の平和な学園生活はきっと約束される。
「まぁ、借りたい本が借りられないのは困るのよね・・・」
「私も、こんなにお菓子ばかりいただいても食べきれないし・・・」
やはりそうか、と視線を落とす菊乃に対し、2人は“でも、”とため息交じりの声を漏らす。
「「悪い気はしないのよね」」
物憂げな表情で、しかし出てくる言葉はいたって素直。
そのギャップに菊乃は驚いたが、これが2人らしさだと気づくと声を出して笑い始めた。




