序
ギグ歴302年。
魔術王国ギグの王都ウーリアより遙か遠くの辺境地に、今はほとんどの記録が失われた創世歴時代の遺跡があった。
深い森の奥にひっそりと佇む姿は、不気味で観光名所などには絶対にならないだろう。
男としては小柄なエイドは、痩せこけ窪んでしまった瞳に不安の色を宿していた。
その先を悠々と歩き、遺跡の姿に感心したように口笛を吹くナムザが振り向いてくる。
「すげぇな、おい……ってなんて面してるんだよ。
ただでさえ醜い顔が余計醜くなってるぜ。笑え笑え」
丸太のように太い腕を首に回され、寄りかかられたエイドはたたらを踏む。
乱暴な彼の行動に内心腹が立ったが、エイドの顔に出たのは卑屈な笑いだった。
「あ、ははは……。緊張しちゃって。
だってここ、地元の人も寄りつかない危険なところっていうじゃないか」
言外に帰りたいと言っているのだが、ナムザは無精ひげの伸びた四角い顔に品のない笑みを浮かべた。
彼にとっては地元民の恐怖など、根も葉もない妄信でしかないのだろう。
「凶悪な悪魔が封じられてるってヤツだろ?
どうせ迷信に決まってるさ。そんな迷信を信じて創世歴時代のお宝を逃しちゃ勿体ねェよ」
「で、でもっ……。
迷信にもその元になった理由があるはずだよ。
もしかしたら凶暴な野生の獣がいるのかも……」
必死になり、説得しようとするエイドにナムザの顔が歪み始める。
危険だと感じつつも、己の身の安全のため食い下がる。
「ここじゃなくても、創世歴時代の遺跡はあるよ。
わざわざ危ないと言われてるここを選ぶことはないじゃないか」
エイドの必死な訴えに、ナムザが息を吐く。
次の瞬間、エイドは頬を尋常ではない力ではり倒される。
「お前、勘違いしてねェか?
お前は仲間じゃねェ。俺の言うこと聞いてりゃいいんだ。
俺にはお前の知識だけありゃいいんだからよ?」
地面に這い蹲り、顔を鼻血と涙でぐしゃぐしゃにしたエイドは悔しさに唇をかむ。
反論してこないエイドに見下すような視線を向けたナムザは、鼻を鳴らし再び遺跡へと足を向ける。
その後をしおれたように追うエイドは、不意に全身を舐め回すような視線を感じて立ち止まる。
注意深く辺りを見回すが、鬱蒼とした森が広がるのみだ。
姿無き視線に身を震わせる。
「おい、このノロマ! なにしてやがる! さっさと来い!」
ナムザの怒鳴り声に身体を飛び上がらせると、慌てて走り寄る。
「ったく、このグズが。
ここだ。ここになんか書いてあんだよ」
卑屈な笑いを浮かべながら、指し示された場所を見る。
「これは……。
創世歴時代の文字だね」
「んなこた分かってるンだよっ。
読めって言ってんだよ、グズが!」
頭を叩かれる。
言い返そうとして、すぐに口を噤む。再び叩かれるのは目に見えている。
不満を押し殺し、解読を始める。
創世歴時代の文字は、現在ギグで使われている文字と共通点が多々ある。少し学べば比較的楽に習得出来るものだ。
王立大学では必須であるし、王宮学術士には必須スキルだ。
王宮学術士を目指していたエイドは、当然習得していた。
「ここに我らの叡智を残さん。願わくばこの遺産が使われることが無いことを。
私たちの子孫と、分かたれた兄弟たちに幸あらんことを」
「よっしゃ。やっぱりここにお宝があるんだな!」
「そういうことになるけど……。
やっばりやめた方がいいよ。嫌な予感がする」
「ここまで来て何いってやがる。それにお前だってチャンスだろ?」
ナムザの言葉に心臓が震えた。
チャンス。
確かにチャンスかもしれない。
「お前と同期ながら、家柄だけで王宮学術士に選抜されたヤツを見返せるかもしれないンだぜ?」
そう。
エイドには許せない男がいる。
今は主席王宮学術士として、華々しい活躍をしている男。ーーアレクセイ。
ヤツは名家というだけで王宮学術士に取り立てられた。
同期で同じ教授の下で学んでいた自分は見向きもされなかったというのにだ。
この遺跡は今までに調査されたどの遺跡よりも規模が大きい。
学術的価値が高いものも多そうだ。
もしかしたら王宮学術士に取り立てられるチャンスだってあるかもしれない。
「良い顔になったじゃねェか。
で、どうする?」
どうする?
そんなもの決まっている。
エイドの口が歪む。
先ほどの彼には考えられないほど、愉しげで意志が籠もった顔だった。
「行くに決まってるよ」
その選択が彼を栄光ではなく、破滅へ。
さらには、世界を混乱に陥れる最初の選択だと知る由もなかった。