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Warm Place  作者: ころ太
番外編
40/41

背中合わせの二人*その2



私は椿を失ってからの数ヶ月間をどうやって生きていたのか……今になっても思い出せない。

あの時の自分は、もう二度と椿に会えない現実を否定したくて考えることを止めていたから。

そうしないと胸を切り裂くような悲しみと罪悪感に支配されて、押し潰されそうで耐えられなかった。


しかし、全く覚えていないわけでもなく、薄っすらと記憶に残っていることもあった。


詳しくは思い出せないけれど、椿のお葬式に参加したことは覚えている。

確か赤口のご両親に連れられて、式場の目立たないところに座っていたと思う。

参列者の話し声や嗚咽などは聞こえていたけれど頭に入ってこず、理解することも出来ず、ただの“雑音”として認識していた。


――それでも、たったひとつ。

とある参列者のひとりに言われた事だけは、鮮明に覚えている。


椅子に座ってうな垂れていた私の前に現れたのは、知り合いの少ない私の知り合いだった彼女。

その子は私と同じように真っ黒いな服を着て、顔は涙で酷いことになっているのに拭おうともせず、私に対する憎しみを隠すこともしなかった。

人を殺せるような、殺意のこもった視線が私を捉える。

けれど何の感情も抱くこと無く、私は彼女をぼんやりと虚ろな目で見つめ返した。


『アンタのせいだっ!!!アンタのせいで椿が死んだんだよっ!!!』


襟元を掴まれて、引き寄せられた。抵抗なんて無駄なことはしなかった。

彼女の罵声も蔑むような目も、私に痛みを与えない。

それどころか、心地よいとさえ思った。


誰も――私を責めてくれなかったから。


正面から私を悪者だと言ってくれたのは、彼女だけだった。

彼女が放った偽りのない言葉は、今でも消えることなく心に突き刺さって残っている。


『許さない』


何度も何度も繰り返し彼女が叫ぶ。

私はただ、それを受け止める。


『一生、許さない!』


憎まれたほうが、楽だった。

もっともっと追い込んで欲しかった。

誰でもいいから、私から生きる資格を奪って欲しかった。


だってもう、彼女に会えないから。


だったら生きてる意味なんてない。

死んで、彼女の元に行きたい。


けれど彼女が私に浴びせた恨み言は、皮肉にも私をこの世に繋ぎ止めた。


椿は私を守って死んでいったのだから、私が死んでしまえば彼女の行ったことが全て無駄になってしまう。

彼女……沢村明の言葉で、私はその事を自覚した。

それに、死んで楽になるなんて、許されない。彼女のあとを追う資格なんてありはしないのだ。

私のせいで、椿は逝ってしまった。なら、生きて償わなければならない。

彼女と、彼女に関わる全ての人達の為に、生きて、生きて、最期まで生き続けなければいけない。

それがどんなに苦しくても、悲しくても、寂しくても。

決して許されることがなくても、私の一生をかけて償うのだ。



それは、罪深い私に課せられた『罰』なんだと。



弱くて脆い私は


そう、ずっと思っていた。










椿が家に帰ったので、公園には私と彼女しかいない。

いつの間にか陽が落ちていて、辺りはすっかり暗くなっていた。

気温が下がり、冷たくなった風が私の髪を揺らす。


「……あの人の葬式以来かしら」

「そうね」


こうして二人でまた話す機会があるなんて思いもしなかった。

彼女は私のことを随分と憎んでいたはずだから、二度と姿を見せないだろうと思っていたのに。

いや、もしかしたら私に会うつもりはなかったのかもしれない。ここで会ったのは、本当に偶然なのだろう。

彼女が自ら私に会いに来るわけがない。


「どこか遠い街に就職したと聞いたけど」


「ええ。本当はこっちの大学に行くつもりだったけど、考え直してやっぱり就職することにしたのよ。

あれからずっと遠方にある知り合いの会社で働いてるわ」


「…………そう」


「この町に居続ければ、彼女のことを思い出して耐えられなかったからね。

帰ってくるつもりはなかったけど、やらなきゃいけないことがあったから、戻ってきたの」


彼女は目を細めて、深い息を吐いた。


「覚悟はしていたけれど、やっぱりキツいわね。町は結構変わってるけど、不思議と懐かしくて、色々思い出してしまう。

……でもまさか帰ってきて早々いきなり貴女に会うことになるとは、流石に思っていなかったけど」


こっちだって、貴女と自分の娘が一緒にいるところを見て、心臓が止まるかと思うほど驚いた。

彼女は私を心から憎んでいる。そんな相手が娘に近づいていたのなら、自分達に何かするつもりではないかと勘繰ってしまう。

もちろん今だって、油断できない状況だ。彼女は今でも私のことを憎んでいるだろうから、何をするか分からない。


以前の私だったら喜んで彼女の復讐を受け入れていただろう。

けれど、今の私は大切なものを沢山抱えていて、譲れないものが多すぎるのだ。

私の人生はもう私だけの物ではないから、易々と彼女に渡すわけにはいかなかった。


「そんなに睨まないで。一応言っておくけど、貴女に復讐する為にわざわざ帰ってきたわけじゃないわよ?」

「どうだか。私の娘に余計なことを話したじゃない」


「今更復讐なんて、するつもりはないわよ。ただ、やっぱり…貴女の娘を見て、昔を思い出しちゃってね。

つい、困らせてみたくなったのよ、貴女を」


「……憂さ晴らしをするのなら直接私にしなさい。娘を巻き込まないで」

「ええ、そうね。私がこの町に戻ってきたのは復讐なんてつまらない事じゃなくて、過去にケジメをつける為だもの」


彼女はゆっくりとベンチから立ち上がって、私の前に立つ。

それから小さく深呼吸をして鋭い目を向けた。


「復讐する気はないけれど、私はずっと貴女のことを憎んでいたわ……」

「当然でしょうね。椿は、私が巻き込んでしまったせいで死んだようなものだから」


私が彼女を頼らなければ。

全部一人で問題を解決できていれば、椿は死ななくても良かったかもしれない。

だから彼女が私を恨むのは当然のことだ。

たとえ本人が私の罪を否定しようと、間接的に一人の命を奪ってしまった罪は決して消えることはない。


「確かにあの時、そう思ってた。貴女に関わったせいで親友は悩み、苦しんで、命を落としたんだって。

でもね、本当は何もかも貴女が悪いわけじゃないって、解ってた。

ただ、認めたくなかっただけで……だからずっと……私は、都合よく押し付けてただけなのよ。

全部貴女のせいにして、憎んでいれば、椿がいなくなった悲しみを忘れていられたから」


「……………」


「私は、正面から貴女を憎む理由が欲しかっただけ。

事件が起こるずっと前から、私は貴女のことが憎かったから。嫌いじゃなかったけど―――妬ましかった」


「ええ、知ってたわよ。私も貴女と“同じ”だから」


沢村明と赤口椿はとても仲が良かった。

私と二人で話している時によく彼女の話題が出てきたので、面白くなかったのを覚えている。

椿は友達が多かったけれど、私が知る中で一番仲が良いのは彼女だった。


中学の時は椿と同じ学校だったが、学年が違うので一緒にいられる時間は少ない。

それに、学年が二つ離れているから同じ学校に通えたのはたったの一年だけだった。

でも、沢村明は彼女と同じ学年で、同じクラスで、高校も同じ所に通って、ずっと一緒にいた。

だから……学校でいつも椿の傍にいることのできる彼女のことが、羨ましくて、妬ましかったのだ。


そして。

彼女は、学校の外で椿といつも一緒にいる私のことが妬ましかったのだろう。

椿は学校が終わるとほぼ毎日のように私のところに来てくれていたから。


「親友という枠を超えるほど、私は椿のことが大好きだった。

空気を読まず思ったことを馬鹿正直に口にしてしまう癖が災いして

ずっと友達がいなかった私のことを理解してくれて、一緒に居てくれた。そんな彼女が好きだった」


私たちは、よく似ていた。

同じ気持ちを持つ者同士だったからこそ、仲良くなれなかったのかもしれない。

お互いが、お互いを羨ましく思っていたから。


「私の中で椿は特別だったのに、でも、彼女は違ったの。彼女にとっての特別は……悔しいけど、貴女だった」


何も言えず、私は黙って彼女の言葉を聞く。


「だから、全てを私から奪っていった貴女が許せなかった。椿の心も、命も奪った、貴女が」

「…………………」


「結局、貴女のことが憎かったのは、ただの嫉妬。八つ当たりだったのよ。

その事に気付くのに、随分と時間がかかってしまった。ほんと、救いようがない馬鹿よね」


「…私も、似たようなものよ」


彼女は苦笑して、目を細める。

今まで私に向けてきた表情の中で、一番穏やかな表情かもしれない。



「――私ね、結婚したの」


「……あ」


彼女の左手を見ると、薬指には高価な指輪が嵌っていた。

愛おしそうに指輪を見つめてそっと撫でている。


「…そう、良かったわね。おめでとう」

「ありがとう。まさか貴女からそんな言葉を聞けるなんて思ってもみなかったわ」


左手を撫でていた彼女の右手は、移動してお腹をさすっていた。

彼女が座っている時は大き目の服のせいで気付かなかったけれど、彼女のお腹は心なしか膨らんでいる気がする。


「もしかして、お腹に……」

「ええ。あんまり出歩くなって言われてるんだけど。さっき気持ち悪くなって吐きそうだった時、貴女の娘が心配して声を掛けてくれたのよね」

「はぁ……気分が悪いのなら家でじっとしていればいいのに」

「どうしても行きたい所があったから」

「行きたいところ?」


「ん……ひとつは貴女のところ。昔、貴女に全てを押し付けて、酷いこと言ったことを謝りたくて。

でも、なかなか踏ん切りがつかなくて、会いに行けなかったの。ここで偶然会えて、良かったわ」


「別に謝らなくてもいいわよ。貴女は間違っていないんだから」

「ううん。これは、必要なことだもの。貴女の全てを許せるわけじゃないけど、でも、謝らないと気が済まない」


そう言って彼女は頭を下げ、謝罪した。

謝る必要はないのだけど、彼女が過去の柵から抜け出すのに必要なことであれば、私は黙って受け入れよう。


「それから、あとひとつ。私が行かなければいけない所は…………彼女のお墓」

「……そう」

「逃げ出した過去と向き合ってから、真っ直ぐ前を向く為に私は帰ってきたんだから…彼女のところに行かないとね。もうすぐ、命日だし」

「……………」

「今までずっと目を背けていたのに、図々しいかもしれない。墓前に立つ資格なんてないかもしれないけど」

「そんなことないわよ。貴女がこの町に帰ってきたことを知ったら、大喜びだわ。………悔しいけど」

「そうかな?」

「ええ」


私が拗ねたように言うと、彼女は苦笑した。


「貴女はもう、吹っ切れてるみたいね。最後に会った貴女と…いえ、昔の貴女とはまるで別人みたい」


私も、彼女と同じようにずっと過去を引きずって生きてきた。

彼女は過去から逃げて、私は過去ばかりを見ていた。


「私の周りには、お節介で優しい人たちがいてくれたから」


ひたすら自分のことばかりで、周りの人のことを思う余裕なんて全くなかった。


けどそんな自分を、赤口の人達は責めなかった。

それどころか私や親族がしなければいけないはずの事後処理を変わってしてくれたり、面倒なことを全て引き受けてくれた。

大切な娘を失って辛かったはずなのに、一生懸命に私を元気付け、笑顔で支えてくれた赤口のご両親。

大好きな姉を奪われて私のことが憎くかったはずなのに、恨み言のひとつも言わなかった幼い瑠美ちゃん。

そして、気がつけば赤口さんのお宅にお世話になっていて、家族の一員のように暮らしていた。

大切な一人娘を失って辛かっただろうに、一生懸命に私を元気付け、支えてくれた赤口の人達。

それから……生まれてきてくれたかけがえのない娘。再び出会えることができた大切な人。


(日向……)


私は、恵まれていたから。

きっとみんなが支えてくれなかったら、今の自分はいないだろう。

ひとりでは、きっと生きていけなかった。生きていたとしても、それは生きていると言えない状態だったかもしれない。


「私も、椿に負けないぐらいお節介な人に出会えたから。こうして今、あなたの前に立っていられるのよ」


彼女は幸せそうに微笑む。

ああ……彼女にも支えてくれる人が傍に居たみたいなので、安心した。

私とは仲が悪いとはいえ、沢村明はあの人の親友なのだ。

親友が不幸になっていたら、きっと悲しむだろうから。


「ずっと言いたかったこと言えて、すっきりしたわ」

「良かったわね」

「ええ。帰ってきて、良かった。貴女に会えて、ちゃんと話すことができて、本当に良かった」

「そうね。私も、そう思うわ」


長い時間をかけてしまったけれど、私たちは変わることが出来た。


私たちは同じ方向を向いていたけれど、背中合わせだったから。

けれどこれからは、別々の方向を向いているけれど、背中合わせじゃない。


それに私も彼女も、昔のままじゃないのだから。

昔と同じ関係じゃなくてもいいはずだ。


「明」


「え?」


私の呼びかけに、彼女は驚いて目を丸くする。


「貴女の子供が生まれたら、連絡をちょうだい。――私の大切な人と一緒に、会いに行くから」


どんなに時間をかけてもいい。

許されるのならば、私は彼女との関係をも変えていきたいと思った。

憎まれたままでいい。けど、昔とは違う私達でいたい。


そう思うのは、贅沢だろうか?



「……………」



暫く口を開けたまま止まっていた彼女は、ゆっくりと照れくさそうに頷いた。




「……ええ、待ってるわ………陽織」




それが、彼女の応え。



明は今日一番の笑顔を見せてから私に背を向け、自分の家へと帰っていった。


もっと話すべきことがあったけれど、彼女と会うのはこれが最後じゃない。

近いうちにまた会うことになるだろうから、その時にまた話せばいい。

焦る必要は、ないのだから。



(さて、と)


彼女の後姿が消えるまで見届けてから、私も帰ろうとして、ベンチに置きっぱなしの買い物袋のことを思い出した。

それにしても、あの子はどうして持って帰るのに困るほどたくさん買ったのだろう。

ここまで運んでくるのも、大変だっただろうに。

まあ、それはいいとして。娘と同じように私も非力なので、この重たい荷物を歩いて持って帰ることは不可能だ。

やはりタクシーを呼んで帰るしかない。


「……………」


アドレス帳に登録しているタクシーの電話番号を呼び出そうとして、やっぱり止める。

その代わり、履歴に残っていた馴染みのある番号を押して携帯を耳に当てた。

数回のコールの後、すぐに繋がる。


『陽織?どうしたの?』


彼女の声を聞いただけで、頬が緩んでしまう。

声を聞いたら、受話器越しじゃなくて近くで彼女の声を聞きたくなってしまった。


『大丈夫?』

「ええ……ただ、すぐに貴女の声を聞きたかっただけだから」

『お、おぉ…照れるね。あ、もうお話は終わったの?今どこにいるの?』


既に日向は私が明と話していたことを知っているようだった。きっと、椿に聞いたのだろう。


「まだ公園よ。話は終わったからこれからタクシーで帰るつもり」

『わかった。今、陽織の家で椿とご飯の用意してるから早く帰ってきてね』


ああ、そうか。今日は泊まると言っていたっけ。

彼女と一緒に居られる時間が増えたので、嬉しくて胸が暖かくなる。

……でも少しだけチクリと胸の奥が痛んだ。


「ねえ……日向は、彼女と話すことはないの?言わなくていいの?」

『うーん。ねえ、明は今、幸せそうだった?』

「そう、ね。彼女、結婚したんだって。もうすぐ子供も生まれるみたい」

『そっか。それなら、私は何も言うことないかな。久しぶりに顔を見たいとは思うけど』

「大丈夫、近いうちに会うことになるわよ」

『うん』


話が途切れ、少しだけ沈黙が流れる。


『あー…陽織が帰ってきたらさ、バイト先で余りもののケーキ貰ったから、椿と3人で食べよう』

「うん」

『そうだ、たまには3人一緒のベットで寝ようか?陽織が新しく買ったあのベットならなんとか3人いけるかも』

「…うん」


どうしてだろう。


『じゃあ、気をつけて帰ってきてね。待ってる』

「………っ、うん」


よく、わからないけれど。


なんでもない、いつもの会話なのに、切なくなって涙がこぼれた。

悲しいわけじゃなくて、苦しいわけでもなくて……なんだか胸がいっぱいで、涙腺が緩んでしまった。

明と話をして、昔のことを思い出してしまったせいだろうか。


頬を伝う涙を指で拭って、しっかりと携帯を耳に当てる。


『陽織?』


彼女が優しい声で私の名前を呼ぶ。



「あのね……」



一呼吸置いてから、搾り出すように、囁くように―――



今、一番伝えたい言葉を、紡いだ。








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