新しい朝
「日向~っ!そっちの片付けが終わったなら、こっち手伝ってちょうだ~い」
日向。
それが生まれ変わった自分に、二人目の母がつけてくれた自分の名前だった。
「はいはーい、ちょっと待っててー」
整理していた参考書を一旦置いてから、声が聞こえた部屋へと向かうと
そこには大量の服に埋もれた母親の姿があった。
おう、何をしているんだこの人。
「何してんの、お母さん」
「うっかり服の入ったダンボールを蹴飛ばしちゃってこの有様なのよ。手伝ってくれる?」
「しかたないなー」
「日向は優しいわぁ~。さすが私の娘よねぇ~」
「はいはい、わかったからどいて」
散らばっている服をかき集めて丁寧にたたみ、次々とタンスの中へとしまっていく。
夏物の衣類をたたんでいると、胸元の辺りにアニメ調の可愛いキャラクターイラストが描かれた見覚えのないTシャツを見つけた。
「……これってお母さんの?」
「あらやだ。その服あんたにあげようと思って買ってきたんだけど、行方不明になってたのよね」
「……あっ!そういえば小姫、新しい服欲しがってたでしょ?このシャツあげる」
「いらないよそんな恥ずかしいシャツ」
ちょうど部屋にやってきた妹の小姫にシャツを見せると、あからさまに嫌そうな顔で拒否された。
「じゃあお母さんが着ようかしら」
「「やめて」」
母のセンスは壊滅的に酷い。
なので服は母に頼まずに自分達で買うようにしている。
いつだったかシャツを買ってきてとお願いしたら、アロハシャツを買ってきたこともあったっけ。
母の七色に光る眩しい下着を見て、私はこっそりため息を吐いた。
「あ、そうそう日向。あんたの新しい制服が明日届くって電話あったから取りに行ってくれない?」
「もう出来たんだ、制服」
「ついでに小姫の制服もお願いね」
「了解」
この春から小姫は中学2年生で、私はピカピカの高校1年生だ。
色々と悩んだ末、私は以前通っていた高校の入学試験を受けた。
大学レベル程度の学力はあるのでどの高校を受けても良かったけど、家から近いという理由でこの高校に決めた。
また同じ学校に通うのは複雑な心境だけど、ギリギリまで寝ていられるという魅力は何よりも捨てがたいのだ。
まさかまた最初から高校に通うことになるとは思わなかったので、ちょっとした留年気分だが。
「春休みが終わったら新しい学校生活かぁ~、ちょっと不安かも」
私は新入生だからそうでもないが、妹は編入するので転校生だ。
すでに出来上がった友達グループの中に混じるのは大変かもしれない。
「大丈夫だって!小姫は可愛いからきっとモテモテだって!」
「やだよそんなの。普通で良いよ普通で」
「小姫は昔から男の子にも女の子にもモテモテだったものねぇ。さすがお母さんの娘!」
「はいはい、いいからお母さんも服を片付けるの手伝ってよ。ついでに小姫も暇なら…」
「おっと私はまだ自分の片付け終わってないからパース!」
私が言い終わるよりも早く、小姫は自分の部屋へと戻っていった。
「逃げられた」
まったく逃げ足の速い妹だ。
「ねぇねぇ日向。これ、似合う?イケてる?」
母に目を向けると、私が中学で着ていたセーラー服を身につけてくねくねしていた。
「さ っ さ と 脱 げ ――――っ!!!!」
「えぇ~まだまだイケイケじゃない~~?」
「胸に手を当てて自分の年齢を思い出してね!?」
「37…うん、余裕だと思う」
「余裕でアウトだね」
何度もふざける母を何度も叱りながら、予想以上の時間をかけて部屋の片付けを終えたのだった。
*
「ブフォッ!!!?」
「きゃあぁーッ!ちょっとぉ~、汚いじゃないのぉ!」
朝起きてテーブルの上にあった牛乳を飲みながら母の方を見ると
昨日発掘した痛いシャツを着ていたので、思わず口に含んでいたものを噴いてしまった。
「やだぁもう日向ったら、床が白濁の液体でビショビショじゃないのぉ」
「朝から妙な言い回しはやめてね!?そして今すぐ着ているシャツを脱いで!それで床を拭くから!」
「ぬ、脱いでだなんて……朝から大胆なこと言うじゃない…」
「頬を染めるな!下を脱ぐな!どうしてそういう考えに行き着くのか!!」
「あら。これは母と娘のコミュニケーションよ?」
激しく間違ったコミュニケーションだよねそれ!
母よ、それは親娘の絆ではなくまた別のイケナイ何かが築かれてしまうよ!!
「も~、2人ともうるさーい」
目をゴシゴシと擦りながら不機嫌な顔で小姫がやってきた。
「「ごめんなさい」」
「おなか空いたからはやく朝ご飯食べたいんだけど」
ガタンと大きな音を立てて座わってからテーブルを人差し指でトントンと叩き、私は不機嫌ですアピールをされた。
「すぐできるからちょっと待っててね」
母は慌てて台所に戻っていき、私は小姫に向かい合うように席につく。
そしてテーブルの上に置いてあった新聞を広げて、経済の欄にざっと目を通す。
紙面の『不況』の文字を何回も見て、数年後に自分は就職できるのだろうか不安になってしまう。
その時までに景気が少しでも回復してくれるといいんだけどなー。
やだやだ、不況って。
「…お姉ちゃんがこの時間に起きてるのも珍しいよね」
私はとっても寝ぼすけさんなのでよく学校に遅刻していたし、休みの日は昼過ぎに起きるのが普通だった。
そんなだらしない姉が、朝早くに起きているのが不思議だったのだろう。
「昨日あんまり眠れなかったの。新しい部屋に慣れてないからなかなか寝付けなくって」
「ふ~ん」
「ほら、私ってデリケートだから」
「寝言は寝てから言ってね」
「あ、酷い。私ってこう見えても実は繊細で傷つきやすい乙女なのに……」
「あっそ。それより芸能欄のところ見たいから新聞貸して」
小姫お得意のスルースキル発動……これは切ないなぁ。
「……はいよ」
広げていた新聞を閉じて渡してやると、小姫は大きくテーブルに広げて食い入るように見ていた。
私も覗き込んで見ると、有名な歌手と女優が離婚したとか大きな文字で書いてある。
流行に疎い私が見てもさっぱり分からん。
しばらく2人で新聞を読んでいると、母が朝食を持ってきたので読むのをやめて、食事をとる事にした。
いい具合に焼かれたいちごジャムつきのトーストをかじる。
「昨日の夜にね、お隣さんにご挨拶してきたんだけど」
母が突然話を振ってきたので、食べていたトーストを一旦お皿の上に置いて、牛乳を飲む。
「いつの間に。で、どんな人だったの?」
これから長いお付き合いになるのだから、ちょっぴり興味がある。
「日向と同い年の可愛い女の子だったわね。言葉遣いも丁寧で動作に品があってお母さん驚いちゃった」
「お姉ちゃんに見習わせたいくらいだったよ。超無理だろうけど」
「……あ、そう。小姫も一緒に挨拶にいったんだ」
「暇だったし」
「お母さんと二人暮しだって。挨拶に行ったときはお母さんはお仕事でいらっしゃらなかったけど」
「ふ~ん」
私と同い年……ね。
再びトーストをかじって、母の話を聞きながら隣の人がどんな子だろうか考える。
今日時間があったら私も挨拶に行くべきだろうか。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて食事終了の言葉を告げて、空になった食器を台所へ運んだ。
まだ朝食を摂っている母と妹の方を向いて、大きくあくびをする。
「それじゃ、お休み」
「はぁ!?二度寝するのお姉ちゃん!」
「ちょっと日向、せっかく早く起きたのにまた寝るの?食べた後にすぐ寝るとクジラになるわよ」
それを言うなら牛ではなかろうか。
「あんまり寝てないから眠たくてさ。ふあぁ、昼まで寝させて~」
私を呆れた目で見る2人にぶらぶら手を振ってさっさと自分の部屋に戻り、勢いよくベットに飛び込んだ。
うーむ、ふかふかのお布団と枕が心地いい。
「よいしょっと」
うつぶせの状態からあおむけになり、綺麗な天井をぼーっと見つめる。
「ふあぁ…」
寝不足と昨日の引越しの片付けで疲れが残っているのか、睡魔はすぐにやってきた。
未だ慣れない新しいこの部屋の匂いに違和感を感じながら、私はゆっくりと意識を手放した。