バレンタイン番外編
2月14日。
またの名をバレンタインデー。
恋する乙女たちの手腕が競われる戦いの日である。
しかし私にとって、その日は想い人にチョコを渡す日ではなく、チョコをいっぱい作って自己満足に浸る日だった。
出来上がったチョコを家族や友人に食べてもらい「美味しい」と言わせることを毎年目標としていたのだ。
…でも、それは去年までの話。
今年のバレンタインはなんと“倉坂陽織”という自慢の恋人がいるのである。
彼女がいるのにチョコをばら撒くわけにもいかないので、今年は家族と陽織だけに作って渡すことにした。
あれで結構乙女なところもある陽織のことだ、他人にチョコを渡したら絶対不機嫌になる。
口では「気にしない」とか言っても、後から遠まわしにグチグチ文句を言われるに違いない。
根に持つタイプなので一ヶ月ぐらい余裕で怒ってそうだ。
だからバレンタイン当日の朝早くに、両親と小姫と瑠美と椿と、そして陽織にチョコを渡した。
みんなとても喜んでくれたし、美味しいと言って貰えたので大満足だった。
―――はずなのに
「どうしてこうなった」
何も問題なく終わると思われたバレンタインデー。
しかし、予想していなかったことが学校で起こってしまったのである。
「わ、わぁ…日向さん、これは凄いですね」
「おかしい。この学校は女子高ではなく共学のはず……それに私はお姉様でも学園のアイドルでもないのに…」
私の机の上には、綺麗にラッピングされたチョコやらクッキーが沢山置いてある。
溢れるほど沢山というわけじゃないけど、10個ぐらいは余裕でありそうだ。
誰かと間違えたんじゃないかと最初は思ったが、ご丁寧に私の名前が書かれたカードが張り付いていた。
チョコを貰うのは初めてじゃない。
去年のバレンタインは学校が休みだったから、その次の日に親しい友人から友チョコを貰った。
それ以前も普通に友人とチョコを交換していたけれど、こんなに沢山のチョコを一方的に貰ったのは初めてだ。
しかもクラスで人気のイケメン君より女子の私の方が数が多いってどういうことなの?
「日向さんはお友達が沢山いますし、人気もありますから、当然の量だと思いますけど…」
「え、何をおっしゃってるのかしら椿さん」
「ふふ、知ってました?私のクラスでもたまに日向さんの名前が聞こえるんですよ?」
え、何それ恐い。誰がどんな噂してるの?
「頭が良くて、頼りになる人だって」
「…聞き間違いじゃない?」
きっと私と名前が似た他の誰かだと思うよ。うん。
けれど椿は笑いながら首を横に振った。
「成績は常に上位、運動神経も抜群。それだけでも目立つのに、困った人を放っておけない優しい性格とか、たまに見せる大人びた雰囲気が良いそうです」
私ってそういう風に見られてるの!?
みんな変なフィルターでもかけて私のこと美化してるんじゃないの!?
「クラスの子たちが言ってましたよ。あまり面識もないのに話を聞いてくれたり、手伝ってくれたり、困ってたら助けて貰ったって」
それを聞いて勝手に自慢に思っちゃいました、と椿は可愛く笑う。
確かによく知らない同級生にお節介を焼いたことが何回かあるけど……。
別に大したことをした覚えはない。
「コレ全部…義理……いや、友チョコだよね」
机の上にあるチョコを恐る恐る1つだけ手にとって眺めてみる。
どう見ても店で売ってるものではなく、あきらかに手作りだと思われるものだった。
他のものもざっと見てみると、手作りのものもあれば、高そうな市販品のものもあった。
どれもこれも、気合の入った品である。
全部確認し終えて、気が重くなった。
「どうしよう……今年は身内以外のチョコは貰わないって陽織に宣言しちゃったのに……」
だから友人には今年はチョコ受け取れないし作ってこれないと、あらかじめ断っておいたのに。
まさか見知らぬ誰かからチョコを頂くとは思ってなかった。迂闊。
「直接持って来てくれれば受取拒否ができたんだけどな…」
朝、登校してきた時にはもう机の中にチョコが数個入っていた。
昼休み、椿と一緒に校庭でお昼ごはんを食べてから教室に戻ると、机の上にまた数個置いてあった。
そして放課後、ごみ捨て当番だったので廃棄場にゴミを持っていって帰ってくると、また増えていた。
…軽くホラーである。
私の名前は書いてあっても差出人の名前は書いてない。
なので返そうにも返す先がわからない。
「…直接渡されても、日向さんは受け取っちゃうと思いますよ?」
「む…そんなことは」
「ありませんか?」
「……………」
反論できなくて、口を噤む。
確かに椿の言う通り直接持ってこられたら、受け取ってしまうかもしれない。
「どんな理由があろうと、日向さんは好意を無下に断る人じゃありませんから。言うべき事はきちんと言って、受け取ると思います」
自信たっぷりに言われてしまっては、何も言えない。
「お母さんもきっと、許してくれると思いますよ」
「……そうかなぁ」
チョコを受け取ったと知られたら、嫌な顔をされそうなんだけど。
でも、椿が言うのなら、意外と大丈夫かもしれない。
それにどの道、受け取ってしまったことは正直に言うつもりだ。
……彼女に、嘘はつきたくないから。
「よし、覚悟を決めて陽織に報告しよう!椿は援護を頼む!」
「…お、大げさですよ」
「そうと決まれば早く帰ろう~っと。もう陽織も仕事終わった頃だろうし」
机に乗っているチョコ達を鞄の中に詰め込んでいく。
けれど五個ほど入れたところで、鞄がパンパンになってしまった。
え、どうしよう、これ。あと半分ぐらい残ってるのに……。
「私も今日は英和と国語の辞書を持ってきていたので、鞄の中いっぱいなんですよ…」
「お、重そうだね」
椿ってわざわざ辞書持ち帰ってるんだね…。
私なんか毎回持って帰るのは重いし面倒だからロッカーの中に置きっぱなしだよ。
でも椿も無理となると、どうやって持って帰ろう。
…手に抱えて持って帰るのは恥ずかしいから絶対嫌だ。
「へい、そこのモテ女!こいつを使いな!」
「は?」
どこからともなくフラフラと飛んできたビニール袋を慌てて受け取る。
教室の入り口を見ると、仲の良いクラスメイトの女子が変なポーズを決めてそこに立っていた。
なんて声を掛けようか迷っていると、彼女は良い笑顔でグッ!と親指を立てて颯爽と何処かへ立ち去っていった。
意味が解からず、椿と顔を見合わせる。
「何だったんでしょう?」
「……さあ? でも、このビニールに入れれば持って帰れそうだし、助かったかも」
貰ったビニールにチョコを詰め込むと、綺麗に全部入った。
うん、これで無事に帰れそうだ。
ビニールをくれた友人には明日お礼を言おう。
荷物を全部持って、誰も居なくなった教室を後にする。
「……………」
……廊下を少し進んだところで、ピタリと足を止めた。
すると遅れて少し後ろを歩いていた椿も習うように足を止める。
後ろを振り向くと、椿が首を傾げていた。
「荷物、重いでしょ?半分持つよ」
「え、でも日向さんだって沢山荷物があるのに……」
彼女の言葉には何も返さず、ただ、黙って手を差し出す。
椿は少しだけ困ったような顔をしたけれど、すぐに柔らかい顔ではにかんだ。
「さ、帰ろー」
「……はい」
自分の鞄を肩にかけて、片手にはチョコの入ったビニール袋、もう片手は椿の鞄を半分だけ持った。
そこでふと、なんだか懐かしい気持ちになる。
そういえば椿と出会った頃、こうして荷物を一緒に運んだことがあったような。
「日向さん?」
「なんでもないよ」
不思議そうに私の顔を覗き込む椿に、笑ってごまかす。
私たちは他愛のない話をしながら、二人並んで、同じ家に向かって歩き出した。
*
リビングには、私と陽織の2人きり。
椿は少しの間だけ自室に退避してもらっていた。
…緊張で、胃がキリキリする。
「いきなり沢山のチョコをテーブルに並べて、何を言い出すのかと思ったら……」
はぁ、と溜息を吐いて、呆れた目で私を見ている彼女。
…つい今しがた正直にありのままを全部伝えましたけど、これから何を言われるか凄く恐い。ぶっちゃけ逃げたい。
陽織は何を考えているかわからない顔で、一つ一つ私が貰ってきたチョコを眺めていた。
「で、なに?貰ったチョコを自慢しに来たわけ?」
「そんなつもりはないです……」
「……冗談よ。そんなに落ち込まないで」
伏せていた顔を上げると、陽織は意外にも優しい笑みを浮かべていた。
あ、あれ?怒ってないの?約束破ったのに?
「……ねえ、日向。貴女、ちゃんとメッセージカード読んだ?」
「メッセージカード?それって私の名前が書いてあるカードのこと?私の名前以外に何か書いてあったっけ?」
陽織はテーブルに並べているチョコの1つを取って、貼り付けてあるカードを丁寧に剥がした。
それを私に向けて差し出したので、恐る恐る受け取る。
あれ、表は私の名前が書いてあるだけだけど、裏に何か文章が書いてある。
――文化祭の時、一人残って作業している私を手伝ってくれてありがとうございました。
これは感謝の気持ちです、良かったら食べてください。
「え……?」
文化祭の時…?
そういえば放課後グラウンドで一人っきりで作業している子を手伝ったことがあった気がする……あんまり覚えてないけど。
じゃあこのチョコはその時のお礼ってことなんだろうか。
結構前のことなのに覚えていて、しかもわざわざお礼をくれるなんて、なんて律儀な人なんだろう。
「全部見てみたらどう?」
「う、うん」
一つ一つチョコの包装に貼り付けられているカードを剥がして、裏面を見る。
そこには先程と同じようなことが書かれていた。
―― 持久走で学校外を走ってた時、体調が悪くて無理して走ってた私に気づいて、声を掛けてくれたよね。
肩を貸してくれて、一緒に先生のところまで連れて行ってくれて、嬉しかった。
ずっとお礼を言いたかったけど、違うクラスで言い辛くて、なかなか言えなくて。
直接お礼を言えなくてごめんね。 あの時は、ありがとう。
―― 落ち込んでいた時、お菓子をくれて嬉しかった。ありがとう。助かった。
「…………これって」
全部、私に宛てた感謝の手紙だった。
確かにどれもこれも身に覚えのあることばかりだったけど、お礼を貰うようなことじゃないと思う。
「でも、だったらどうして名前が書いてないんだろう…好きな相手に渡すわけじゃないんだから、書いてもいいのに……」
「それは貴女に“お礼”がしたかったからよ。名前が書いてあったら、貴女のことだからわざわざホワイトデーに
お返しをあげるでしょう?それじゃあお礼にならないから、わざと名前を書かなかったのよ。
……みんな、ただ貴女にお礼がしたかったのね」
「………そっか」
「バレンタインデーにお礼をしたのも、きっと貴女がお菓子とか甘いものが好きだって、誰かに聞いたからじゃないかしら」
陽織は黙って私の傍に寄ってきて、後ろから抱きしめてくれた。
彼女の方から抱きしめてくれることは滅多にないので、ちょっと驚いた。
「陽織?」
「貴女のことだから、自分のしたお節介を“他人の為じゃなく自分の為にやったこと”って、思ってるんでしょう?
でも、そういう貴女だからこそ、きっとこんなに感謝されるんでしょうね」
「…………」
感謝されたくて、やったことじゃなかった。
自分がやりたくてやったことだった。
…けれど私が勝手にやったお節介で、みんなが喜んでくれていたのなら、それはとても嬉しいことだと思う。
チョコをくれた人を探したいけれど、それはきっと無粋なことだ。
そんなことをしたら感謝してくれた人たちの気持ちを踏みにじってしまうから。
だから、みんなの感謝を有難く受け取って、いただこう。
「えへへ」
「嬉しそうね」
「まあね。そんなつもりはなかったけど、感謝されるのは嬉しいよ」
「……正直、好意じゃなくて感謝の贈り物であっても、貴女がチョコを貰ってきたのは……ちょっと妬けるわね」
「ご、ごめん」
「でも、それ以上に貴女のことを誇りに思ってるわ。それに、私が好きになったのは“そういう貴女”なんだから」
そして彼女は私の手に何かを握らせる。
視線を下げて手元を見ると、茶色の毛糸で編まれたマフラーと手袋だった。
「私はチョコなんて作れないから…こんなものしか作れないけど」
「何言ってるの、凄く嬉しいよ!」
近くにあった陽織の手に、自分の手を重ねる。
「……いつもありがとう。私も、貴女に感謝してるわ」
「こちらこそ。マフラーと手袋もありがとう、大事に使うね」
「ええ」
軽く口付けを交わして、そっと身体を離す。
名残惜しいけれど、椿が家に居るのだからあまり甘い空気を作るのも躊躇われた。
それに椿が心配してるだろうから、無事に解決したことを教えないといけない。
さっそく椿の部屋に行って、もう大丈夫と伝えると、ホッとした顔で笑ってくれた。
2人でリビングに戻って、3人でテーブルを囲む。
「でも、このチョコレート日向さん全部食べるんですか?」
「うん。私が食べないと、くれた人に失礼だし」
「心がけは立派だけど……その量はさすがの貴女でも厳しいんじゃない?」
「……まあ、毎日少しづつ食べればなんとか」
日持ちのことを考えると、手作りのものを先に食べて市販品のものは後回しにしたほうがいいだろう。
頑張れば1週間で消化できるかもしれない。
「おじゃましまーす」
「あ」
突然やってきたのは瑠美と小姫。
二人とも片手に紙袋を持っているけど、もしかして。
「……今年もすごいのね」
「いや、あはは~」
「女子なのに毎年貰う側ってのも悲しいんだけど」
瑠美は困った顔で笑って、小姫はうんざりとした顔で溜息を吐いた。
この二人、毎年バレンタインは貰う側なのである。
瑠美は女子高の先生でおまけに評判もいいから、クラスの女子大半から「いつもお世話になってます♪」と言われて渡されるらしい。
学校にチョコを持ってきちゃ駄目と言っても聞かないようで、毎年大量のチョコを貰ってしまうとのこと。
小姫は小さくて可愛がられているので、主に上級生と同級生から貰ってくる。
チョコは好きだけど餌付けされてるようで、複雑らしい。
「気持ちは嬉しいんだけど、全部食べるのは無理だしお返しも大変なのよねー」
「そうそう」
チョコをたくさん貰う者同士、仲良く頷いていた。
確かにお返しを準備するの大変そうだなぁ…。小姫の分のお返しは私も毎年手伝ってるけど。
「あれ、そのテーブルに置いてある大量のチョコって」
「ああ、日向が貰ってきたのよ」
「ふ~ん?」
目を細めてじーっと疑惑のまなざしを向けられる。
きっと陽織がいるのにチョコを貰ってきたことを非難しているんだろう。
……後で説明して誤解を解いたほうが良さそうだ。
「お姉ちゃん、今年は家族だけにしか作らなかったのに、貰うだけ貰ってきたんだ」
「まさかのモテ期が来たみたい」
「それはありえない」
バッサリと否定された。
酷い。事実だけど酷い。
落ち込む私を見て、陽織はクスクスと笑いを漏らす。
ま、私には彼女がいてくれるから別に気にしないけど。
「でも今年は自分の分だけで精一杯だから、小姫はお母さんと2人で全部食べてね」
「えー!こんなに沢山あるのに2人で食えなんて無理だっての!」
「頑張れ」
「薄情姉!」
「…大変そうだなぁ、早瀬家の人たち。おっと、私も人ごとじゃなかった。
あの、陽織さんに椿ちゃん。今年も食べるの手伝って頂けると助かるのですが…」
「しかたないわね」
「はい、喜んで頂きます」
「ありがと~♪助かっちゃう」
それから私たちは、貰ったチョコを各自食べながら雑談して過ごした。
ずっとチョコを食べていたので、部屋は甘い香りで充満している。
甘いものは好きだけど、結構量が多くて二つほどでおなかいっぱいになってしまった。
しばらくチョコは食べたくないかも。
「あ、そろそろ帰らないとお母さんに怒られる」
窓の外を見ると、すっかり暗くなっていた。
もう母は仕事から帰ってきてご飯の支度をしてる頃だろう。
「うぇ、お腹いっぱいなんですけど…」
「気合でご飯も食べなさい」
「うう~」
「ごめん、陽織。もう時間だから今日はこれで帰るね」
「ええ、気をつけて」
「またね、ね…じゃなかった、日向ちゃんと小姫ちゃん」
「うん」
「うィー」
椅子から立ち上がって、小姫と一緒に玄関に向かう。
その途中で服の裾を引っ張られたので、驚いて後ろを振り向くと椿がそこにいた。
遠慮気味に、私の服の裾を握っている。
「どうしたの?」
「あの……これ」
差し出されたのは、綺麗にラッピングされた小さな箱。
今日この日に渡されるものと言えば1つしかない。
「日向さん、いっぱいチョコを貰ってたから迷惑かもって悩んだんですけど……その、今日どうしても渡したくて。……ごめんなさい」
控えめに渡されたチョコレートを、しっかり受け取る。
椿は私が持っているチョコの入ったビニール袋を見て、申し訳なさそうに俯いた。
……遠慮しすぎるのは、彼女の悪い癖だ。
謝る必要なんて、これっぽっちもないのに。
「えいっ」
「!」
俯いている椿の頭を軽く小突いてやると、彼女は驚いて顔を上げる。
その顔が可愛くて堪えきれず笑うと、椿は拗ねた顔をして顔を赤らめた。
「椿からチョコレート貰えるなんて、すっごい嬉しいに決まってるじゃん」
「……っ」
「ありがとう、椿」
「……はいっ」
笑顔になった椿に感謝と別れの挨拶をして、小姫と一緒に自宅へと帰る。
こうして、私たちのバレンタインは無事に終わったのだった。