少女が彼女を想うということ*その2
「おじゃましまーす」
「いらっしゃい」
玄関で靴を脱いでいると、奥の部屋から陽織が出迎えてくれた。
いつもなら椿が出迎えてくれるんだけど……珍しいこともあるものだ。
「椿は?」
「あの子ならさっき買い物に出かけたわよ」
「そっか」
話しながら2人でリビングに行く。
わりと頻繁にお邪魔しているので、この家の間取りや物の位置などすっかり覚えてしまった。
この家に出入りするようになってもう1年以上経つのだから、当たり前のことなのかも。
「お茶入れてくるから、座ってて」
「うん、ありがとう」
台所に向かった陽織を見送ってから、椅子に座ろうとテーブルに近づくと、本のようなものが何冊か雑に積み上げられていた。
それが何なのか妙に気になってしまったので、いけないと思いつつも適当な一冊を手にとって開いてみる。
「日向、何をして……あっ」
私が本から顔を上げて彼女を見ると、陽織はしまったという顔で表情を顰めていた。
あの……これって、もしかして。
「お見合い写真?」
「まあ…ね」
「陽織っ、お、おおおおお見合いするのっ!?」
自分の気持ちに気付いた矢先にとんでもない障害発生ですか…!?
しかし陽織は不機嫌そうな顔で溜息を吐いて、首を横に振った。
「…しないわよ。それは赤口のおば様が持ってきたものだから、一応目を通しておかないと失礼と思ったの」
「あ、ああ、なんだ」
陽織が自分からお見合いする気だったのかと思ったけど、そうじゃないみたいでちょっと安心した。
よくよく考えると彼女はお見合いなんてする性格じゃないし。
うぅ…それにしてもなんてことをしてくれるんだ、お母さん。
お母さんのことだから純粋に陽織のことを心配して持ってきたんだろうけど……複雑だ。
相手がどんな男なのか気になったので色々見てみると、イケメンとか企業のお偉いさんとかどれもこれもスペックの高い人物ばかりだった。
悔しいけど、私と違って陽織と釣り合いそうなので凄くモヤモヤする。
「どうしたの?」
気持ちが顔に出ていたのか、陽織は心配して私の顔を覗き込んできた……って顔が近いぃぃぃぃ!!
数日前の私なら何とも思わなかったかもしれないけど、今の私にその顔はある意味凶器だよ!
前から綺麗だと思っていたけど、恋愛フィルターがかかっている今はさらに何倍も輝いて見える。
そんな顔をずっと見ていたら…抱きしめたくなっちゃうじゃん……って、何考えてるんだぁああ恥ずかしいぃぃ!
まったく思春期の子供じゃあるまいし! ……いや、思春期の子供だった!
「な、なんでもないからっ!あ、あはははは」
「そう?」
甘い気持ちを振り払うように彼女から離れて、赤くなった顔を隠す為にお見合い写真を見ることにした。
あ、この人もイケメンで人の良さそうな笑顔がポイント高し……ってなんで敵をいい評価してんだろ、私。
「…………」
でも。
きっと私よりも、陽織を幸せにできるのかもしれない。
彼女の為を思ったら、真剣にお見合いを勧めたほうがいいのかもしれない。
例え想いが通じたとしても……私は何も持ってなくて、それに女で、ずっと年下で、頼りなくて、きっと苦労ばっかりさせてしまうだろうから。
ペシッ
「……痛いです」
どんどん気持ちが沈んでいく私の頭を、彼女は優しく叩く。
顔を上げるとすぐ近くに陽織の顔があったので、驚いて反射的に後ろに下がってしまった。
「いつも変だけど…今日はいつにも増して変ね、貴女」
「ひ、酷い」
「……何かあったの?」
「ううん、何でもないよ」
落ち着こう。
あまりにも挙動不審だから陽織が心配してるみたい。
いつも通りの自分を心掛けているつもりだけど、気持ちが暴走してしまって感情を制御できてないみたいだ。
このくすぐったい気持ちに慣れるまで一体どれくらいかかるのだろう。
なにしろ初めての恋なんだし、経験がないので何もかもが解らない。
自分が恋する乙女状態になってるのも無性に気恥ずかしいです…。
こほん、とわざとらしく咳払いをして近くのソファに腰を下ろす。
陽織はしばらく怪訝な目で私を見ていたけれど、諦めたのか再びお見合い写真に目を通していた。
お見合いはしないって言ってるし、だいたい彼女がお見合いするなんて想像できないから心配しなくていいんだろうけど、やっぱり気になってしまう。
大丈夫だと自分に言い聞かせても不安で仕方ない。
淡々と写真を見ている陽織の横顔を、気付かれないようにこっそり盗み見る。
……相変わらずの無表情で何を考えているのか解らないけれど、昔に比べれば随分と柔らかくなった。
まあ、それでも表情に乏しいのは性格的なものなのだろう。
「陽織ってさー」
「何」
「今好きな人とかいるの?」
ゴトンッ!と手に持っていた写真をテーブルに落として、陽織はわなわなと震えながら驚いた表情で私の方を向いた。
え、そんなに驚かなくてもいいのに。
「日向……熱でもあるんじゃないの?」
本気で心配そうな顔された。
私の口から恋愛の話が出たのが余程意外だったらしい。
「いや、熱はないけど。陽織の方が熱あるんじゃない?顔真っ赤だよ」
「そ、それは貴女が変なこと聞くからよ。……どうしたのよいきなり…そんなこと聞いて…」
「んーお見合いするつもりがないってことは好きな人がいるのかなぁと思ってさ」
「別に…わたしはただお見合いする気になれないだけで………」
「…………」
「…………」
彼女はそれ以上何も言わず、私から顔を逸らしてテーブルの上に置いてある幾つかのお見合い写真を整理している。
まとめ終えた写真を全部紙袋に入れてから部屋の隅に置き、席に戻って紅茶を啜っていた。
ずっと沈黙を保っている彼女は、どうやら私の質問に答えるつもりはないみたいだ。
私と同じで恋愛に興味がなさそうな彼女のことだ、この手の話題は恥ずかしいのかもしれない。
……私だって未だに恋だの愛だのは恥ずかしくて、考えるたびに内心悶えてるんだし。
彼女に好きな人がいるのか知りたかったけど、聞きたくない気持ちもあったので答えてくれなくて実はホッとした。
自分で聞いといてやっぱり聞きたくないって……ほんと、今の私はどうかしてる。
「………何」
「何でもない」
私の視線に気付いた陽織が、不機嫌そうな顔でこっちを見ている。
見られていることが落ち着かないらしく、凄く嫌そうだ。
しばらく抗議の視線を向けられていたけど諦めたのか溜息を吐いて顔を背けられてしまった。
ちょっとした仕草の一つ一つが可愛く見えて、なんかもう見てるだけで幸せかもしれない。
思わずにやけそうになるのを必死で我慢する。
私ってこんなにも陽織のことが好きだったんだなぁ。
「……………」
彼女の横顔を見ながら、ふと考えてしまう。
彼女が…もし好きな人がいると答えたら、私はどうすべきなんだろうか、って。
(陽織に好きな人がいるのなら、そんなの、応援するに決まってる)
考えるまでもなかった。選択肢なんて、必要ない。
彼女には誰よりも幸せになって欲しいから。
それに、今こうして陽織の傍に居ることが出来るだけでも幸せだと思う。
本当なら私は17年前に死んでいて、彼女を見ることも、話すことも、触れることもできなかったはずだ。
なのにこうして、再び昔のように一緒に居る。それだけでも十分に私は幸せなんじゃないだろうか。とんでもない果報者なんじゃないだろうか。
陽織が生きて幸せに過ごしてくれていれば、例え出会えなくても、それだけで良かった。
けれどこの町に引っ越してきて偶然また彼女に出会えたから、今度は傍らで見守っていられるだけで良いと思った。
見ているだけで良かったはずなのに。それなのに今、こんなにも近くに居る。
話すことが出来て、触れることだって出来る。
だから、これ以上は望まない。
彼女を好きだって、気付かなければ良かった……なんて、思わない。
誰かを好きになるってことが、どんなに素敵で、辛くて、嬉しくて、暖かいものだって、知ることができたから。
そして、初めて好きになった人が彼女で良かったと心から思う。
色々あったけれど、陽織と出会えて、好きになって、幸せだって思える人生を送れているから。
ソファから腰を浮かせて、陽織が座っているテーブルの方へ近づく。
けれど足がもつれて体が傾いた。
「え」
突然、視界がぐるりと回る。
「日向っ!?」
思考が追いつかなくて、何が起こったのか解らない。
足を滑らせて転んでいる最中だと理解する前に頭に衝撃が加わり、激痛が走った。
「……っ!!!」
最後に甲高い陽織の声が耳に届いて、私の意識はそこでプツリと途絶えてしまった。
*
これは、夢。
小さい頃の、自分だ。
幼い頃の自分は絵に描いたような、やんちゃな子供だった。
怖いもの知らずで、面白そうな場所を発見すると後先考えず一人で忍び込んでいた。
たくさんの資材が置かれた工事現場だったり公園の奥にある不気味な洞窟だったり。
興味を惹かれる場所を見つけて遊んで帰っては、そのたびに親にバレてよく叱られていたっけ。
それでも冒険することを止めず、こりずに自分の知らない場所を見つけては、忍び込んで遊んでいた。
そしてあの日。
公園に遊びに行こうと家を出てすぐのことだった。
家の近くにある小さな森に猫が入っていくのが見えたので、私はすぐに後を追いかけた。
そしていつの間にか猫を見失って、気が付けば森の奥深くまで踏み込んでいた。
こんなに奥の方まで来たことがなかったので、ここがどのあたりなのかわからない。
木々のざわめきや鳥の鳴き声しか聞こえず、昼間なのに辺りは薄暗くて気味が悪かった。
けれどその時の私は、帰り道もわからないのに恐怖とか不安とかを全く感じなくて、ただ、わくわくしていた。
この未知の森を冒険したいと思ったけれど、今までの経験上、帰りが遅くなったら親に怒られてしまう。
なのでとりあえず帰る道を探してから遊ぼうと、生い茂った草木を掻き分けて進んだ。
こういう荒れた場所を進むのは慣れていたので、問題なく歩くことができる。
早足で適当に突き進んでいると、ようやく開けた場所に辿り着くことができた。
辺りを見渡して目に付いたのは一本の大きな木。
吸い寄せられるように近づいてその場に座り、背中を預けた。
ずっと森の中を歩いていて疲れていたのか、暖かい日差しや心地よい木々のざわめきが私を眠りへと誘う。
少しだけ休憩しよう――そう思って私は目を閉じた。
『誰?』
誰かの声が聞こえたので目を開けると、私よりも少し小さい女の子が怖い顔をして立っていた。
目を擦ってよく見てみると、その女の子はとても可愛い…というよりは綺麗と言った方がいいのかもしれない。
サラサラと柔らかそうな長い黒髪にぱっちりと開いた力強い目が印象的だった。
まるで立派なお家に飾ってあるお人形さんのようで自然と目を奪われてしまう。
機嫌が悪いのかその綺麗な顔は仏頂面だったけれど、きっと笑ったらもっと綺麗なんだろうなぁと思った。
私と彼女は、お互いに言葉を発することなく見つめ合う。
これが、私たちのはじまり。
私は彼女と仲良くなりたいと思った。
けど、最初は徹底的に拒絶されていた。
彼女の元へ遊びに行くたびに帰れと言われて追い返されて、何度も落ち込んだ。
それでも諦めずに毎日のように通っていたら、だんだんと彼女の態度が柔らかくなっていって。
次第に話も聞いてくれるようになって、一言二言だけど話し掛けてくれるようにもなって、それがとても嬉しかった。
私よりも年下のはずなのに、彼女は何でも知っていた。色々な事を教えてくれて、たくさんの事を知った。
単なる知識だけじゃなくて、言葉に表せないような大切なものもいっぱいくれた。
そして、いつの間にか彼女の傍に居ることが何よりも楽しくなっていって。
冷たいように振舞っているけど、何度も遊んでいるうちに本当はとっても優しい子だってわかった。
彼女が持ってる本来の優しさに触れて、それがとても心地よくて、嬉しくて。
2人一緒に過ごす日々を積み重ねていくうちに、ソレがかけがえのないものになっていった。
私の一番大切な、女の子。
今思えば、この頃からもう彼女に惹かれていたのかもしれない。
*
「……あれ」
目を覚ますと、まず最初に飛び込んできたのは彼女の不安そうな顔だった。
どうしてそんな顔をしているのかが先に気になったので、陽織の顔が私の視界いっぱいに映っていても取り乱すことはなかった。
起きたばかりのせいで頭が回らないから、しばらく彼女の綺麗な顔をぼーっと眺めていることにする。
そのままずっと見ていたら何だかよくわからない顔をされて睨まれてしまった。
「馬鹿」
「はい」
「大馬鹿」
「おっしゃるとおりで」
何を言われてもしょうがない。
何もないところで転ぶとか情けなくて、すごく恥ずかしい。
間抜けなところを見られて泣きたくなってくる。間抜けなところなんて今まで何度も見られているから今更なんだけど。
……んー、今更といえば、私は今ソファに座っている陽織に膝枕されている状態みたいです。
しばらく寝ぼけてて気付かなかったけれど、頭に当たってる柔らかい感触とか、自分の体が仰向けになってて真上に陽織の顔があるとか、どう考えても膝枕されてますよね。
テーブルにぶつけた頭がズキズキしてるけど、そんなことが吹き飛ぶくらい今の状況がむず痒くてヤバイ。心臓が暴れててとってもヤバイ。
この状況を打破する為に起き上がろうと思ったけれど、緊張で身体が固まってしまって身動きできない。
けっしてこの温かくて柔らかい膝枕をもっと堪能していたいからという邪な理由のせいではない……と思う。うん、そう思いたい。
私が黙っていると、髪の毛をさわさわと撫でられた。それがとても気持ちが良くて、自然と目を細めてしまう。
膝枕という嬉し恥ずかし状態だけど、頭を撫でられると不思議と心が落ち着いてきた。
「頭、どこか痛む?」
「ううん平気」
頭に手をやってぶつけたところを探ってみると、少しだけ膨れている部分があって、触れるとちょっとだけ痛みが走った。
これくらいだったら、明日にはもう治ってるだろう。
「そそっかしいんだから」
「おっしゃるとおりで…」
軽口を言うと、ぺシッとおでこを叩かれた。
ふざけるなって、言いたいのかな。
ぶつけたのは頭だったし、打ち所が悪ければ死んでた可能性だってある。
私が気を失っていた間、陽織はずっと心配してくれていたんだろう。
「ごめんね、心配かけて」
「別に心配してない」
さっきまで不安そうな顔をしていたくせに、そんなこと言っても全然説得力がない。
私が小さく笑うと、陽織は拗ねた表情をして顔をふいっと逸らした。
ふふ、こういうところ昔と変わってないなぁ。
「そういえば、昔の夢を見たよ。陽織と初めて出会ったときのこと」
「…………そう」
私にとって過去は大事な宝物だけど、陽織にとって過去は辛かったことの方が多すぎるから、思い出したくないのかもしれない。
ひょっとしたら私と初めて出会った時のことなんて忘れてるかも。
「初めて出会ったのは……貴女がうちに不法侵入して庭で昼寝してた時だったわね」
「ごめんなさい」
しっかり覚えられていた。
勝手に家に忍び込んだり知らないところで寝たりするなんて、小さい頃の自分はなんて危機感のない子供だったんだろう。
いくら昔のことだからといっても恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
「来るなっていっても来るし、勉強の邪魔はするし、遊びに来たと思ったら一人で寝るし、散々私を振り回してくれたわね」
「すみません」
返す言葉もございません。
あの時は必死だったから、いっぱい迷惑をかけた。
陽織と仲良くなりたくて強引に遊びに行ったし、笑った顔を見たくて色々なことをやった。
優しい彼女は冷たい言葉を吐きながらも私に付き合ってくれたけれど、本当は迷惑だったろうに。
私は昔からずっと、自分のことしか考えてない自己中心的な人間で。
だから―――
「でも、嬉しかった」
「え?」
「ずっと独りで寂しくて、誰か傍に居て欲しいと願ってたその時に、貴女は傍に居てくれた。
どんなに拒絶しても、諦めずに何度も貴女は来てくれた。傍で笑ってくれていた。それがどれだけ支えになっていたか……」
「…………………」
急に真剣な表情になって、信じられないような言葉を口にした。
驚きのあまり何も言えず、そのまま彼女の顔を見ていることしかできない。
私の顔がおかしかったのだろうか、陽織は少しだけ口の端を吊り上げる。
「貴女は、そんなつもりはなかったんでしょうけど……感謝してるのよ、凄く」
「あ、うん…どういたしまして?」
なんだか、照れちゃうな。
陽織の言うとおり自分のことしか考えていなかったから、陽織が感謝する必要はないんだけど。
それでも、彼女の支えになれていたのなら、嬉しい。
「……ん」
陽織の髪が私の顔にかかったので、思わず手を伸ばして彼女の髪に触れた。
触った感触が気持ちよかったので梳くように撫でると、彼女はくすぐったそうに身を捩じる。
調子に乗ってしばらくそのまま触っていても、陽織はされるがままで何も言わない。
なんだろう、悲しいわけじゃないのに、今すごく泣きたい気分だ。
「やっぱり好きだなぁ、陽織のこと…」
「……え?」
無意識に溢してしまった言葉にハッとして、慌てて口元を押さえる。
けれど彼女はしっかり聞いていたようで、戸惑いの表情を浮かべていた。
「い、今、日向………」
「なんでもないです」
「なっ、なんでもないって……最後まで言いなさいよ」
適当にかわしても納得できないみたいで、ぐいっと顔を近づけてきた。
……綺麗な顔のどアップはある意味心臓に悪い。
「遠慮しないで我儘くらい、ちゃんと言って。せめて、私には…」
「………………」
どうして陽織が寂しそうな顔をするんだろう。
そんな顔をして欲しかったわけじゃないのに。
「言っても、きっと陽織を困らせるだけだよ」
「いいから言いなさい」
「………じゃあ、言うけど」
逃げられそうもないので、腹を括って気持ちを伝えることにした。
凄く怖いけれど、ここで自分の気持ちを言わないと、いつか後悔しそうな気がしたから。
「好きになりました」
「……………え?」
――これでもう、後戻りは出来ない。
名残惜しいけれど、彼女の膝からようやく身体を起こして隣に座り、姿勢を正す。
何を言われたのか理解していない陽織の顔を見つめながら、意を決して、次の言葉を紡ぐ。
「陽織のことが、好きってこと。友達とか家族とかの好きじゃなくて、特別な意味で、好き」
「……っ!」
彼女の目が驚きで見開かれる。
そりゃあ、いきなり幼馴染みの女の子に告白されたんだから、驚くよね。
それに……困るよね、こんなこと言われても。
言えた私はスッキリするけど、言われた陽織は戸惑うだけだ。
本当は言うつもりなんてなかったけれど、でも、これはケジメだから。
ずっと引きずったまま彼女の隣にいることは、絶対に駄目だと思うから。
「だけど、私のことなんて陽織は全然気にしなくていいよ。陽織はもっといい人を見つけて、もっと幸せになって欲しいから。
気になる人がいるのなら応援するし、いないのならお見合いするのもひとつの手だよ」
「……何、言って………」
「私はまた陽織に会えて、こうして話せてるだけでも十分幸せだから。陽織はちゃんと自分のことを考えてさ」
「待ち…な、さいよ」
「椿のためにも、やっぱり――」
「日向っ!!!」
「は、はい!?」
急に怒鳴られて、ビクッと肩が跳ねた。
今までにない彼女のすごい剣幕に怯んでしまう。
「どうして一人で勝手に決めて、納得して、終わらせようとしてるのよ!信っじられない!馬鹿じゃないの!?」
「いや、だって…」
「大体どうしてすぐ諦めるのよ!まさか簡単に諦められるような軽い気持ちで好きだって言ったの貴女!?」
「そ、そんなわけない!陽織のことは、すっごい好きだけど……だけど…私のことは、いいよ」
「そうやってすぐ自分のことは後回しにして!一番大事なのは自分の気持ちでしょう!?…貴女は、もっと欲張りなさいよ……っ」
「…陽織」
違うよ。
私はいつだって欲張りで我儘だよ。
私が今一番望んでることは、陽織が幸せになること。
お節介だと思われても、どうしても叶えたい。
私がそう言うと、陽織は首を横に何度も振って、違うと否定する。
「『自分の願い』じゃないのよ、昔から。貴女のそれは『他人の為の願い』なの」
「……………それは、」
違う、とは言えなかった。
今まで他人の為じゃなく、自分の為にやってきたはずなのに。
陽織の言うことを完全に否定できない。
「大体、どうして私の気持ちを無視して話を進めるのよ」
だって聞くまでもないから。
彼女が私のことが好きだなんて、そんなことありえるわけがない。想像もつかない。
陽織は呆れたような、けれど蒸気した赤い顔で、大きく息を吐いた。
「私は……私は、ずっと前から貴女のことが好きだったのに」
「……………」
え?
「……な、何か言いなさいよ…」
何も言わず呆けていると、さらに顔を赤くして恥ずかしそうに顔を伏せる陽織。
一方私は彼女が言ったことがあまりにも予想外で、うまく理解することができなかった。
え、なにこれ、どういうこと?
好きって、私のこと?
「…好きって…え、私?」
「ほかに誰がいるのよ…」
「ほんとに、私?」
「信じられないっていうの?」
「だって……」
「……前にも好きって言ったことあるけれど、貴女は普通にスルーしたわよね」
言われたことあったっけ!?
あ、いや、確かに1年くらい前にそんな言葉を聞いた覚えがあるけど、あれは友人とか家族としてって意味だとばかり。
それにあの時の私はまだ自分の気持ちに気づいてなかったから解る筈もない。
そうだとしても、陽織の気持ちを考えなかったのは申し訳ないと思うけど。
「ご、ごめんなさい」
「あの時は伝わればいいな位に思ってたけれど、別にちゃんと告白するつもりはなかったから。でも、今は…その、“そういうつもり”で、言った…わ」
「う、うん…」
ということは、両思いってこと…だよね。
「…………っ」
自分と同じ気持ちだったと聞かされて、顔が熱くなる。
激しい運動した後のように鼓動が速くなる。全身に鳥肌が立つ。
私はまだ気を失っていて、これは夢なんじゃないのかと思ってしまうほどに現実味がない。
言葉で表現できないほど凄く嬉しいのは確かだけど…。
でも。
「陽織が好きって言ってくれたのは嬉しいよ……でも、さっきも言ったように私なんかじゃ――」
「それ以上言ったら許さないから」
「……………」
強い口調に圧倒されてしまい、次の言葉が出てこない。
陽織は険しい顔つきを悲しいものに変えて、静かに涙をこぼした。
「陽織…」
「わたしがどんな気持ちで長い間ずっと貴女を想っていたか知っているの?どんなに貴女のことが好きか、解るって言うの?
好きな人が死んでもう会えないと思っていたのに、また会えて、叶わないと思っていた想いが通じて、それが今、どれほど嬉しいか……わかる?」
「………」
「それに私の幸せは貴女が決めるんじゃなくて、私が自分で決めるわ」
いつか私が彼女に向けて言った似たような言葉を、今度は彼女が私に言う。
……そう、だったね。私のやっていることは、幸せの押し付けでしかないよね。
「…ごめん、陽織」
彼女の瞳から零れる雫を、そっと人差し指で拭う。
「たとえ貴女が何を言おうと、譲らない。聞いてあげないっ。………私は、貴女が好き…っ……だからっ」
「…うん」
必死で懇願する彼女を見ていると切なくて、胸が苦しくなる。
こんなに……こんなにも、私は彼女に想われていたんだ。
無理に本音を隠して、逆に彼女を悲しませる結果になってしまった。
色々と考えていた自分が馬鹿みたいに思える。難しく考えなくても、よかったんだ。
「陽織」
彼女の名前を呼んで、華奢で温かい身体をそっと抱き寄せる。
それだけで愛おしい気持ちが体の奥底から湧き上がって溢れてくる。
陽織はビクッと身体を震わせて驚いていたみたいだけど、すぐに両腕を背中に回しておずおずと私を抱きしめてくれた。
腕の中にある彼女の温もりが、心地いい。
「ずっと好きでいてくれて、ありがとう」
彼女は長い間ずっと私のことを想っていてくれたと言う。
私が自分の気持ちに気づいていなかった昔から――そして死んでも尚、それでもずっと、ずっと。
決して想いが届かないと知っていても、それでも彼女は想うことを止めなかった。
それがどんなに辛くて苦しいことなのか、それは彼女にしか解らないことだけど、想像するだけで悲しくなる。
私のことなんて忘れてくれて、よかった。
そうすれば、楽になれたはずなのに。
新しい幸せを見つけてくれてよかったのに。
「ありがとう」
でも、どうしようもなく、嬉しい。
嬉しくて感極まったのか、自然と涙が頬を伝っていく。
抱きしめてる状態なので泣いている顔を彼女に見られないのが救いだった。
泣いている自分を悟られないように、もっと強く抱きしめる。
「……貴女が私の幸せを願ってくれてるのなら、私は貴女の願いを叶える。だから……私を幸せにして、日向」
「…うん」
「ずっと傍にいて」
「うん、私なんかでよければ」
「…いい加減自分を卑下するのはやめなさい」
「っえ?」
喉が震えて変な声が出たけれど、彼女は気に留めていないようだった。
泣いてるの、バレちゃったかな?
「私の好きな人を、“なんか”って言うのは、本人だろうと許さないから」
「恥ずかしい台詞だね」
「……黙りなさい」
「あはは」
ああ、やっぱり。
私は彼女じゃないと駄目みたい。
これから先も、死んでもずっと、きっと彼女しか好きにならない。
「陽織」
抱きしめていた身体をゆっくり離してから、お互いの息が届きそうな近い距離で彼女の顔を見つめる。
すぐ近くにある真っ赤な陽織の顔。きっと私の顔も彼女に負けないくらい赤いと思う。
いくら鈍感な私だって今の空気ぐらい読める。ここで間違えたら一生彼女に口をきいてもらえないかもしれない。
あと私に必要なのは、行動する勇気だけ。
のぼせてしまいそうな雰囲気に負けそうになりつつ、私は片手を彼女の頬に滑らせて、もう片方は彼女の手を握った。
何をされるのか理解した彼女は少し戸惑ってから、ゆっくりと目を閉じていく。
彼女に触れた手から緊張が伝わってくる。同じように私の緊張も彼女に伝わっているかもしれない。
それは凄く恥ずかしいけれど、嬉しい。
覚悟を決めて徐々に距離を縮めていく。
なにか物音がした気がするけど、気のせいだろう。
神経を一点に集中させてゆっくりと目を閉じ、震えている陽織の唇へ自分のものを重ねようと近づけていく。
そして触れるか触れないかのところで
「ただいまかえりました」
突き飛ばされました。
「うぉう!」
「日向さんっ!?」
ドンッと勢い良く押されて私は華麗にフローリングの床に倒れこんだ。
受け身をとったのであんまり痛くないけど…急だったから凄くびっくりした……。
持っていた荷物を置いた椿は、床に這いつくばっていた私の元に慌てて駆け寄って上半身を起こしてくれる。
陽織の方に目を向けると、彼女はソファの上で荒くなった息を一生懸命に整えていた。
「大丈夫ですか?」
「平気!全然平気!おかえり椿、早かったネ!」
誤魔化そうと咄嗟に私を突き飛ばしたのはいいんだけど、もっと優しく引き剥がしてくれても良かったと思う。
突き飛ばした張本人を睨みつけると、目を逸らされた。
「もう、一体2人で何をしてたんですか?」
「「別になにも」」
2人同時に答えて、怪しさが増した。うぅ、気まずい。
けれど椿は不思議な顔をして首を傾げただけで、それ以上何も聞いてこなかったから上手く誤魔化せたのだろう。
安心したので2人同時に息を吐いた。
「えっと、椿は夕飯の買い物に行ってたんだっけ?」
「はい。今日はシーフードカレーを作るつもりで材料を買ってきたんですけど…カレーでいいですか?」
「もちろん。あ、私も作るの手伝うよ」
腕をまくって床に置かれた荷物を拾い上げると、すかさず椿に奪い取られてしまう。
「日向さんはお母さんとゆっくりしてて下さい」
「え、でも」
「この前は日向さんが作ってくれたので、今日は私が作ります」
ニッコリと極上の笑顔で言われてしまっては何も言えず、言われた通りゆっくりすることにした。
とりあえず、陽織が座っているソファに腰掛ける。やたら静かで間が持たないので、テレビでもつけようかなぁ…。
「……………」
「なんでしょう、陽織さん」
隣から刺さるような視線を感じて、耐え切れず声をかけてみる。
ちらりと表情を盗み見ると、とても不機嫌そうな顔をしていた。
「日向って……椿に甘いわよね。すぐデレデレするし、やたら過保護だし」
「そ、そうかな?だってほら、椿っていい子だし優しいし……それに陽織の子供だから私にとっても大事な子供?みたいな?」
「……なによ、それ」
苦し紛れの言い訳に不服そうだったけれど、顔をほんのり赤らめて顔を逸らした。
怒ってるのか照れてるのか、よくわからない。…少なくとも機嫌は治ったみたいだけど。
「たまには…料理、手伝ってこようかしら」
「ちょっと待った」
ソファから立ち上がって台所に行こうとする陽織の腕を、慌てて掴む。
「な、何よ」
「いや…陽織は座っててよ。やっぱり私が手伝ってくる」
「貴女は椿に止められたじゃない。それともなに、私に料理をさせたくないの?」
「……………」
「どうして目を逸らすのよ」
陽織は器用で何でも出来る人だけど、人間だからもちろん苦手なことだってある。
その苦手なモノのひとつが、料理だ。
何を作らせても出来上がるのは食べ物と呼べるものじゃなくて、調理の手順を一から教えても不思議な事に失敗してしまうほどの腕前だ。
陽織の作った手料理なら残さず食べたいとは思うけど、以前無理して食べて地獄を見たからなぁ…。
あの時のことは、思い出したくもない。
「手伝うぐらいなら大丈夫でしょう?」
「うう…不安だ」
「そんなに心配なら貴女も台所に来て見てればいいじゃない」
「はいはい、そうするよ」
私もソファから立ち上がる。
今日の晩御飯を謎の物体にしないようにちゃんと見張っておかないと。
あれ……そういえば3人で台所に立つのは初めてかもしれない。
「日向」
「ん?」
名前を呼ばれたので、彼女の方を向く。
陽織は私の傍に寄ってきていきなり両手で顔を挟んだかと思うと、額に素早く口付ける。
ほんのわずかな間だったけれど、柔らかい感触が額から伝わってきて、その部分が熱くなった。
……キスは嬉しかったけど、なんでおでこ…?
「大好き」
普段滅多に見せない蕩けるような笑顔で、普段言わない言葉を言われれば、顔が赤くなるのもしょうがない。
不意打ちされた不満はあるけれど、嬉しかったのも事実なので何も言えない。
まあ細かい事はどうでもいいやと思ってしまうのは、惚れた弱みというやつだろうか。
まだやっぱり自分でいいのかって不安はあるけど、それ以上に好きって気持ちが強いから、きっと大丈夫。
「私も、好きだよ」
恥ずかしいけれど、彼女に倣って私も自分の気持ちを伝える。
すると彼女は、満足そうに笑ってくれた。
私が大好きな彼女の幸せそうな笑顔。
ずっと見ていたい、そして、守りたいと思う、その表情。
つられて私も笑みを浮かべる。
私たちは、お互い真っ赤な顔で笑い合う。
――今この瞬間が、まるで夢のようだった。




