母と娘
あれから探し回ってようやく見つけた椿は、意外なところに佇んでいた。
偶然通りかかって見つけたから良かったものの普通こんなところに居るなんて思わない。
やっぱり彼女との間に運命的なものでもあるんじゃないかと思いながら、こっそり近づいていく。
「椿みーっけ」
「っ!?、日向さん?」
呼びかけると彼女は勢いよく後ろを振り返って、驚いた顔をしていた。
「どうしてこんなところにいるの?」
「以前、瑠美さんにこっそり教えて貰ったことがあるんです。
……ここにはお母さんの大切な人が眠ってるんだよって。
だから、もしかしたらこの墓地のどこかにお父さんが眠ってるのかなと思って、来てみたんです」
「そうなんだ」
そっと近づいて椿の隣に並ぶ。
もしかしたら逃げられるんじゃないかって思ってたから、ちょっと安心した。
「お父さんの名前を知らないので、探しようがないんですけどね。
でも、この墓地のどこかに居るんだと思うと寂しさが紛れるんです」
「椿……」
母親に捨てられたと思い込んでいる彼女は、とても悲しそうで寂しい目をしていた。
そんな彼女を見ているのは辛くて、今すぐ何かしてあげたくて、でも自分に出来ることなんて思いつかなくて。
無力な自分は、ただ隣に居てあげることしかできない。
母親ではない私が何を言っても彼女に届くことはないと思うから。
今、彼女を心から笑顔にして幸せにすることが出来るのは、彼女の母親だけだ。
私は椿に気付かれないようにこっそりと携帯を操作して、この場所をあの人に知らせる為にメールを送る。
……あとは、早く来てくれることを願うのみ。
「私、独りになっちゃいました」
「……そんなことないよ」
「いいんです、もう。はっきりと解りましたから」
「いーや、解ってない」
「………………」
「少なくとも、私がいるし」
「っ!」
「なんてね」
照れ臭くなって、苦笑をする。
そんな私を椿は驚いたように見つめていた。
「日向さん」
私の服の裾をぎゅっと握り締めて、潤んだ瞳を向けられる。
悲しみに染まっている彼女の瞳は儚げだけれど、すごく綺麗だった。
その美しい瞳を見つめていると、吸い込まれそうで不意に胸が高鳴ってしまう。
って、何を考えているんだろう私。
こほん、とわざとらしく咳をして得体の知れない感情を誤魔化した。
さてこれから何を話そうかと考えて、自然と出てきた言葉は自分でも思ってもみないものだった。
「ねえ、人は死んだらどうなると思う?」
「えっ?」
唐突な私の質問に呆気にとられた顔をしている。
自分で言っておいて、なんて暗い質問なんだと思う。
墓地に居るから雰囲気に呑まれてつい口走ってしまったのだろうか。それとも別の理由か。
もっと元気付けるような明るい話題にすれば良かったと思っても、今更遅い。
それでも椿は真面目な顔で少し考えてから、彼女らしい答えをくれた。
「ええと、天国か地獄のどちらかに行くんでしょうか?」
「んー、どうだろうね」
人は死んだらその魂は何処に行くのか。
色々な国、宗派などで考え方は様々なものがある。
死後のことは亡くなった人のみが知ることができるけれど、死んだ人は二度と語ることが出来ないから、誰にも解らない。
私は死んだあと地獄にも天国にも行かず、すぐに新しい生命として母の胎内に宿り生まれてきた。死ぬ以前の記憶を持って。
他の人がどうなのかはわからない。私と違って天国や地獄に行ったのかもしれないし、黄泉の国や天に還ったりした人もいるのかもしれない。
結局、私は死んでも死後の詳しい事は解らなかったわけだけど。
「じゃあ、輪廻転生って信じる?死んだ人が同じ魂を持った違う人間になって再び世に生まれてくる人のことなんだけど」
「生まれ変わり、ですか」
「うん」
「……わかりません。例え同じ魂を持っていたとしても、その人はもう亡くなった方とは違う別の人間だと思いますから。でも」
少し間をおいて、不意に優しい顔になる。
「もし大切な人が亡くなって、その人が生まれ変わってこの世に生まれて再び出会えたのなら……それはとても素敵な事だと思います。だから、私は信じたいです」
「………そっか」
彼女の答えを聞き、じんわりと心が温かくなって、引っかかっていた何かが取れたような感じがした。
「日向さんは信じてるんですか?その、生まれ変わりを」
「………そうだね。生まれ変わって、良かったって思ってる。今の家族に出会えて、陽織や椿や瑠美にも会えた。どうして前世の記憶を持ったまま転生したんだろうってずっと悩んでたけど……この町に来てもう、そんなのどうでもよくなった。ううん、記憶を持って生まれてきて良かったって、今は心からそう思える」
「え?日向、さん…?」
「冗談」
おどけた様に笑って、椿の柔らかい頬を人差し指で突っつく。
「あ、あのっ、わっ、わ」
「おぉ~椿の頬っぺたは柔らかくて気持ちいいなぁ」
ふにふにふに。
あまりにも気持ちよくて止め時に困ってしまう。
ふにふにと突っついていると、徐々に彼女の頬が赤くなってきたのでそろそろ潮時かと判断し、指を引っ込めた。
「も、もう、日向さん!」
「ごめんなさい」
母親に叱られた子供のように素直に謝る。
私がつい溢してしまった言葉は冗談だと思ってもらえたようだ。
本当のことを隠していたいわけじゃないけど、やっぱり知られるのは少し恐いので黙っておこう。
それに……『早瀬日向』として彼女の傍に居れることを十分幸せだと思えるから。
「日向さん」
「なに?」
「傍に、いてくれますか?」
「もちろん喜んで。それにね……っ!?」
人の気配を感じたので身体ごと後ろを振り返ってみると、予想していた人物とは違う人物がそこにいた。
隣に居た彼女も私に習うように振り返って、はっと息を呑んだ。
そこに立っていたのは、線の細い男性。
「貴方は……」
「……………っ」
「初めまして、かな。ええと、そっちのキミが椿ちゃんだよね」
人の良さそうな笑顔を浮かべてこっちに近づいてくる。
椿はこの男のことを知っているのか、緊張した面持ちで彼を見つめていた。
私も意外な人物のご登場に、動揺を隠せない。
「そうです…けど」
「なるほど、やっぱり彼女に似ているね」
笑ったまま細められた目が、恐ろしいモノのように見えて、体が震えた。
このままこの男と椿を一緒に居させることは危険だ。
どうしてこんな時にこの男がここに居るんだろう。
「貴方は……この間、町でお母さんと一緒にいましたよね」
「うん?あぁ、見られていたのか…それは困ったね」
男は言っているように困っている風には見えない。
椿が言っていた母親と一緒にいた男とはこの人のことだったのか。
「お母さんと、どういう関係なんですか?」
「ただならぬ仲ってところかな」
微妙な言い回しをして、からかうように言った。
その態度が不快だったのか、母親と関係ある人物が気に食わないのか、椿は顔をしかめた。
「私は、真面目に聞いています」
「はは…そういう顔をしていると、本当に似ているなぁ」
椿の棘のこもった言葉を気にもせず、彼は相変わらず楽しそうに笑った。
「椿、行こう」
「え、でも」
「知らないおじさんと関わらないほうがいいよ。この辺りは変質者が多いっていうし」
私は彼女の手を引っ張って、この場から離れようとする。
すると男は笑いながら私達を逃がさないように前に立って道を塞いだ。
「変質者はひどいな~。ま、一応、キミのお母さんと知り合いだから安心してよ」
「変質者はみんなそう言うんですよ」
「……キミ、面白いね。椿ちゃんのお友達かな」
その名を気安く呼ぶなと言いたいのを我慢して噛み締める。
「そうだけど」
「悪いけど椿ちゃんと大事な話があるんだ。帰るならキミだけ先に帰ってもらえる?」
「椿が心配なのでそれは出来ない相談です」
「はは、そんなに信用ないのは悲しいな。それに俺はこれでも――――」
「黙ってて下さい」
「!?」
「………………」
お前にそれを言う資格なんてない。椿に会う資格さえもない。
私が男を睨みつけていると、笑っていた男の表情が神妙なものに変わった。
「………キミは知ってるのか?」
もちろん知っている。
本当はこの男の姿も見たくないし、声だって聞きたくない。
もう二度と会いたくないと思っていた人間だ。
「日向さん?」
態度のおかしい私を不安そうな顔で見ている椿に、笑顔を繕って大丈夫だと言う。
「ふぅん…随分と手回しがいいな。流石は旧家に連なる秀才のお嬢様だ。こんな子供まで利用しているとは思わなかった」
「…………」
「まあ、こんな子供に何か出来るとは思えないけどね」
そう言ってまた余裕の笑みを浮かべた。
私は椿を守るように、これ以上アイツに椿を見せないように彼女の前に立つ。
「なんかキミを見ていると、馬鹿なあの子のことを思い出すよ…こうして彼女を守っていたっけなぁ」
「お前は逃げ出したくせに」
「っ!?」
低く呟くと、驚愕の表情で私の顔を見る。その顔に先程までの余裕はなく、酷く狼狽していた。
「お前っ、今なんて………!?」
逃げるように後ずさりをし、けれど私からは目を離さない。
「別に、陽織からは何も聞いてないから」
感情を込めずただ淡々と言葉を紡ぐ。
「じゃあ何でお前は知っているんだっ!?一体どこまで知っているっ!!」
「さあ?私が全てを知ってるなんて、言った?」
「……………っ!?」
悔しそうに顔を歪めた男は、熱くなっていた自分に気付いたのか、息を吐いて冷静さを取り戻したようだった。
「………ちっ、予定外だったな。すんなり上手くいくと思っていたんだが」
聞こえないように呟いたのだろうが、しっかりと私の耳には届いていた。
何を企んでいるのかしらないが、思い通りにさせない。
椿も、陽織も、私が守る。
「椿っ!!!」
「お母さん……」
ようやく駆けつけた陽織は、男の存在に気が付いて顔色を青く変化させた。
そしてすぐに男を鋭く睨みつける。
「どうしてここにっ!!!」
「おっと、お母さんの登場だ。それじゃあ椿ちゃん、お話はまた今度ね……陽織も」
私たちの横を通って、男はこの場を去っていった。
その後姿を私と陽織は黙って見送る。
「お母さん、あの人は………」
「貴女は知らなくてもいいことよ…」
平坦な声で言っているが、内心は動揺しているに違いない。
私も、込み上げてくる怒りや後悔を抑えるのに必死だった。
「……そうですよね。私には、関係ないことですよね…」
俯いて、消え入りそうな声を出した彼女は痛々しかった。
「椿……」
「でも、私は知りたいです」
「…………」
「本当のことを知るのは恐いけれど、聞かずに後悔するのは嫌です。だから、お母さん……本当のことを教えて下さい。受け入れる覚悟は出来ているつもりです…」
伏せていた顔をあげ、母親の瞳を真っ直ぐ見ている椿の表情は決意に満ちている。
そんな娘の表情を見て、悲しげだけどほんのわずかな微笑を母親は浮かべていた。
「今まで貴女に何もしてあげられなかったのに、強く真っ直ぐ育ったわね……。赤口のご両親と瑠美ちゃんのおかげかしら」
目を細めて、誇らしげに自分の娘を眺めた。
「知らないほうが幸せな事もあるわ。それでも知りたい?」
「……お母さんが私のことを疎ましいと思っていても、どうでもいい存在だと思われていても、私はお母さんのことが大好きです。何があろうと、大好きです」
その言葉を受けて、陽織は重い溜め息を吐いた。
「あの男は…………貴女の父親よ」
「……え」
「…………………」
「再婚相手じゃ、なかったんですか?それにお父さんは死んだって……」
椿は自分が思っていた真実と違って、動揺している。
その様子を見て陽織は、続きの言葉をいい出せないでいた。
どう伝えれば良いのか解らないのかもしれない。
「同じことよ。確かに貴女はあの男との間に出来た子供だけれど、私はあの男を父親と呼ぶつもりも認めるつもりもない」
「どうして……」
「それは………」
言い淀んで言葉に詰まる。
長い間隠してきたことを打ち明けるのは、決意と勇気のいることだ。
椿は話の続きを催促することなく、陽織が話すのを黙って待っていた。
「あの男は、私が愛した人じゃないから」
「………………」
「そして、貴女を守るどころか見捨てて逃げた男よ。そんな男が父親だなんて、貴女に伝えられるわけがない」
忌々しそうな顔を隠すことなく、吐き捨てるように言う。
それだけであの男の事をどう思っているのかが良く解った。
「それじゃあ、ここのお墓に眠っているお母さんの大切な人って……」
「ああ……あの男に代わって貴女と私を守ってくれた“彼女”のことね」
近くにあったお墓の前に近づいて、目の前にある墓石を見た。
その墓石には『赤口家之墓』と刻まれている。
「赤口……もしかして、瑠美さんの……」
「ええ、このお墓は瑠美ちゃんのお姉さんが眠っているの」
陽織は墓石から目を離すことなく、静かに話す。
気丈に話しているようだったが、声が掠れていているように聞こえた。
彼女はそっと慈しむように墓石を撫でてから少しの間、目を閉じる。
そして、決意したように口を開いた。
「……私は、貴女を産むつもりはなかった」
「っ!?」
隣に居る椿の身体から力が抜けていくのがわかったので、慌てて支えた。
自分の親からあんな言葉を聞けば、誰だってショックを受けるに決まっている。
陽織は閉じていた目を薄く開いて、懺悔するように言葉を紡ぐ。
「私には自信がなかった。育てる自信も、守って、愛してあげられる自信も。
生んでも幸せにしてあげることが出来ないと思っていた。それは、今も変わらない」
「じゃあ!じゃあどうして私を生んだんですか!?そんなの、無責任すぎます!」
「……この人が、私と椿を命をかけて守ってくれたから」
目の前にある墓石の横側に刻まれた名前を、ゆっくりと指先でなぞっていく。
「私には幼馴染みがいたの。どこか抜けていて、時間にルーズで、馬鹿で、でも優しくて
臆病に見えて芯は誰よりも強い、そんな人だった」
昔の事を思い出しているのか、ここではないどこか遠くを見ている目だった。
「身篭ったことを誰にも言うつもりはなかったけれど、弱い私は最終的に彼女に甘えてしまった。…彼女は優しすぎるから、全てをかけて守ってくれた」
「……………」
「彼女が命をかけて守り通してくれた命だから、生もうと思った。義務だと思った………でも」
ようやく墓石から目線を逸らして、自分の娘の方へ向けた。
その表情は優しくて、眼差しは温かく、まさしく母の顔だった。
「貴女が生まれた時、嬉しくて涙が零れた。自分の腕の中で眠る貴女を見ていると心が温かくなった。お母さんと呼んでくれる貴女が愛しくて堪らなかったわ。……生んで良かったって、生まれてきてくれてありがとうって思えたの」
「お母さん……」
「大切な幼馴染みを失って生きる意味を失っていた私に、貴女は沢山の幸せをくれたわ」
「でも、大切だからこそ、恐くなった。私には、自信がなかったから。傷つけるのが、失うのが何よりも恐かった。あの人を失ってしまった私は、弱くて、臆病な人間になっていたから。あの人と同じように貴女まで失ってしまう事が嫌だった」
疲れたような、自嘲の笑みを浮かべる。
「貴女から逃げて、自分の気持ちからも逃げて、貴女を知り合いの家に預けた方が最善だと思い込んだ。それが、貴女を更に傷つけるということに気づかずに」
「ごめんなさい……ごめんなさいっ、お母さん」
「椿?」
「私だって逃げてました。お母さんの気持ちを自分で決め付けて信じていませんでした」
「貴女は何も悪くない。全部、意地になって抱え込んでしまっていた私がいけなかったのよ。」
過去の自分を後悔するように、彼女はただ語りつづける。
今まで溜め込んでいたものを惜しむことなく吐き出している彼女は、辛そうだけど清々しい表情だった。
「皆が反対する中……お腹に貴女が宿っていたとき、貴女が生まれてくることを望んでいた人が居るわ」
陽織はお墓の横に刻んである名前を指さした。
椿がそこを覗き込んで、驚いた声を上げる。
「赤口……椿?」
「貴女の名前はこの人から貰ってつけたもの。貴女が生まれるのをまるで自分の子供のように待ち望んでた、私の大切な人の名前」
「この方が、私を、守って……くれたんですか?」
「私が育てる自信がないと言ったら、あの人、「じゃあ私が育てる!」なんて言ったのよ。
自分でも気付いてなかった私の『生みたい』という気持ちを読み取ってくれていたのね。普段は鈍感の癖に、いざというときは鋭いんだから」
呆れたような言い方で、小さくため息をついた。
「私はちゃんと誰かに望まれて生まれてきたんですね…」
「ええ」
「お母さんは、私のこと、産んで良かったって、思ってますか?」
「もちろん」
「お母さんは、私のこと、愛してくれていますか?」
「誰よりも大事なかけがえのない私の娘だと思っているわ」
「そう、ですか。あは、あはは……」
椿はポロポロと溢れてくる涙を拭おうとせず、ただ目の前にあるお墓を見つめ続ける。
その後ろから黙って抱きしめる母親。
「遠回りをしてしまってごめんなさい。許して欲しいとは言わない。
ただ、まだ私を信じてくれるのなら……貴女さえ良ければこれからも傍に居て欲しい」
自分の想いを搾り出したような、震えた声。
「はい、もちろんです。だって、お母さんは何があっても私のお母さんで、ずっと大好きですから」
今までで一番明るい笑顔を見せて、抱きしめている母の腕に自分の手を添えていた。
そんな娘を、陽織は大事な宝物を見るような目で見つめてる。
長い間すれ違っていたお互いの想いがぶつかって、無事に和解できたようだ。
この二人はもう、大丈夫だろう。
微笑ましい親子の光景を背にして、気付かれないようにゆっくりとこの場を去る。
………『部外者』は、邪魔しないように帰るとしよう。
*
抱きしめていた手をゆっくりと解いて、体を離す。
涙を浮かべた愛しい娘の顔を見ると、彼女は照れくさそうに微笑んだ。
こんな顔を見るのはいつ以来だろうか。
今までこの子からずっと逃げていたことを深く後悔した。
いつまでも何も考えずにこうしていられたらと思うが、そういうわけにもいかない。
気持ちを切り替えて、緩んだ気を引き締める。
「椿。私はこれから大切な用事があるの…。だから今日は赤口さんのお家に泊まりなさい。瑠美ちゃんにはもう連絡してあるから」
「え、でも……」
「大丈夫。明日になったらちゃんと迎えに行くわ」
「は、はいっ!わかりました」
寂しそうな顔をしていたが、頭を撫でてあげるとはにかんだ笑顔を浮かべて嬉しそうにしている。
私はこれからこの子を傍で守り、様々な事と向き合っていかなければならない。
「あ、あれ?日向さんがいません」
「…邪魔しちゃいけないと思って帰ったんでしょうね。あの子、とても賢そうだったから」
「そうですか…」
「あの子には迷惑をかけてしまったから、明日にでも2人でお礼に行きましょう」
「はいっ」
「暗くならないうちに、そろそろ帰りなさい」
椿に先に帰るように言って、私は誰も居なくなった墓地にそのまましばらく留まっていた。
毎週来ているのでこの場所の景色は見慣れているはずなのだが、今日はいつもと違う風に見える。
それより……
「遠回りしてしまったけど、ようやくあの子と向き合うことが出来たわ」
静かな墓地にひっそりと佇む彼女の墓石に語りかける。
当然のように、返事は返ってこない。
「見守っていてくれて、ありがとう」
この場所に来てこの墓石を見るたびに、胸が痛むけれど……それでいいと思う。
この痛みは貴女を想っている証であり、私が背負うべき罰なんだから。
涙はずっと流し続けたせいか、ここ数年ほど泣いた記憶はない。
「今日は何も手土産がないけれど、拗ねないでちょうだいね」
いつもなら彼女が好きだったお菓子を持ってきているのだが、今日は勘弁して欲しい。
「あの子、大きくなったでしょう?貴女に初めて見せたのはあの子がまだ小さかった頃だったものね」
彼女が守ってくれた小さな命は、元気に育っている。
親子らしいスキンシップをしてこなかったにも関わらず、素直で優しい性格に育ったのはきっと彼女の妹のおかげだろう。
「今まで、ごめんなさい。遅いかもしれないけど…これからは母親として傍であの子を見守っていくから」
彼女はきっと真剣に怒ってくれて、最後には優しく微笑んで許してくれる。
そんな光景が、簡単に想像できてしまう。
彼女の驚いた顔も、困った顔も、悲しい顔も、笑った顔も、あれから16年経った今でも鮮明に覚えている。
忘れるわけがない。
忘れられるはずがない。
「会いたい……椿」
決して言ってはいけない言葉を口にする。
彼女を死に追いやってしまったのは私だというのに、どの口が言うのだろう。
二度と彼女に会うことも触れることも出来ないのは、他ならぬ自分のせいなのに。
生きていく資格がないと、何度考えただろうか。何度、絶望しただろうか。
胸が張り裂けそうなほどの痛みと、消えることのない喪失感……。
彼女を失ってもこの世に留まっていられるのは、娘の存在があったからだった。
あの子が生まれたその瞬間、息苦しく冷たいこの世界が、暖かく感じた。
娘がいたから、私は今、こうして生きている。
私の未来さえも、あの人は守ってくれたのだ。
それなのに、私は自分のことしか考えずあの子のことをずっと傷つけてばかりで。
本当に、貴女にあわせる顔がない。
「ちゃんと、あの子を幸せにするから。約束するわ」
墓石にそっと口付けをする。
ひんやりとした冷たさが唇から伝わった。
「また……来るわね。今度は、あの子とふたりで来るから」
彼女の墓石をそっと撫でて、携帯を取り出し、履歴に残っていた番号を押した。
数回のコール音の後、不愉快な声が聞こえる。
小さくため息を吐いてすぐに用件を告げた。
*
「ただいまー」
靴を脱いで、家にあがる。
私が帰ってきたことに気付いた母が、奥の部屋からパタパタとスリッパを鳴らして出てきた。
「おかえりなさーい!遅かったわねぇ」
「……ごめん。はい、これ頼まれてたもの」
買い物袋を母に手渡す。
迷子の女の子にあげたチョコレートもちゃんと買い戻したので怒られることはないはずだ。
今日は色々あって疲れたので、さっさと寝てしまおう。正直、体が重くて立っているのも辛い。
部屋に戻るために母の横を通り過ぎようとした時、いきなり腕を引っ張られた。
突然のことだったので、驚いて心臓が跳ねる。
「……お、お母さん?」
「あんた…何かあったの?」
珍しく真面目な顔で聞かれたので、ふざけて答えることは出来そうもない。
「別に、何もないけど」
椿たちのことを言うわけにはいかないので、いつも通りの口調で誤魔化した。
母は悲しそうで寂しそうな、切ない目で私を見る。
なんでそんな顔をするんだろう。
「あんたは昔から、頭が良くて、何でもひとりで出来て……手のかからない子供だったわね」
「可愛げなかったでしょ」
物心ついたときに昔の記憶が戻ってからも、子供らしく振舞ってきたつもりだったが、
やっぱりどうしてもボロが出てしまう。
何でも知っていて教わることなく自分でやってきた私は、
子供の世話を焼きたい両親にとって、さぞ可愛げのない子供だっただろう。
その反動か、小姫が生まれてた時の両親の世話の焼きっぷりは凄まじいものがあった。
おかげで甘やかされて育った小姫は、マイペースで我侭な性格になってしまったが。
「トンビが鷹を生んだって私もお父さんも思ったわねぇ。私もお父さんも馬鹿だったから」
「私も、十分馬鹿だよ」
「あら」
からからと爽快に笑う母の顔を見ていると、安心する。
やっぱり母は笑っている顔が一番だと思った。
「日向はいつも自分ひとりで抱えるんだから、馬鹿だものね」
「…………………」
「そんな捨てられた子供みたいに寂しそうな顔して、何もなかったなんて言うんじゃないわよ」
おでこを指で弾かれる。
強くもなく、弱くもなく、優しい衝撃が頭に響いた。
「もっと甘えなさい。何でも、言いなさい。あ、もしかして忘れてるのかしら?
――私はあんたの母親なのよ?」
唇を尖らせて不満そうに言われる。
忘れてなんかない。お母さんは私のお母さんだって、ちゃんと思ってる。
それなのに。
どうしてさっきまで自分はひとりだなんて、馬鹿なことを考えていたんだろう。
……いや、原因はわかっている。
陽織と椿が仲良さそうにしているのを見て、自分がそこに入ることが出来ないことが寂しくて、悲しかったんだ。
私にそんな資格がないのは解っていても、でもやっぱり悔しくて。
2人を抱きしめるには、手が届かなくて。
今の私には、今の私の居るべき場所があるはずなのに、独りになった気になっていた。
お父さんもお母さんも小姫も、私の傍に居てくれる大切な家族なのに。
私のことを大切に思ってくれる、私の家族がいるのに、独りだと思った自分が許せなかった。
――やっぱり、私は馬鹿だ。
「………私、お母さんの子供に生まれて良かった」
「あたりまえでしょう?私の子供に生まれてきた事を光栄に思いなさい」
「あはは………」
心が、暖かい。
「ありがとう、お母さん。本当に何でもないから、心配しないで」
「…何かあったら、ちゃんと言いなさい」
優しく抱きとめられた。
母に抱かれるのは、久しぶりかもしれない。
「うん」
体が、暖かい。
温もりを逃さないように、母の愛情を十分に堪能する。
「……何やってんの?」
廊下に出てきた小姫が、怪訝な目で私たちを見ていた。
母が手招きをすると、彼女は不思議な顔でこっちに近づいてくる。
ガバッ
「捕獲」
「ちょっ!?お母さんっ!」
「ぐえっ!」
近くに来た小姫は私と共に母にガッシリとホールドされてしまった。
妹は逃げようと必死でもがくが、母はそれを許さない。
「あっはっは~好き好きちゅっちゅ~」
「やーめーてー!!」
「あ~!!暑苦しいし!」
3人で密着しているので息苦しい。
けれど母が楽しそうに笑っていたので、つられて私も笑ってしまう。
嫌そうな顔をしていた小姫も次第に笑い顔になっていく。
ここにお父さんがいたら、もっと楽しかっただろうなと思った。
……あとで、お父さんにメールを送っておこう。
「あれ、小姫太ったんじゃない?」
「ぎゃー!!!お腹摘まないでよぉー!!」
「目指せ、ぽっちゃり系」
「死ねッ!」
私達はしばらく玄関先で騒ぎながら、楽しいひと時を過ごした。