今も昔も、変わらずにある
「あの子、お母さんに会えて嬉しそうでしたね」
ふたり並んで帰り道を歩いていると、彼女はぽつりと呟くように言った。
「うん、そうだね」
あの子が母親と再会できた時に見せた表情は、私たちが一緒に居た時には見れなかった満面の笑みだったし。
母親も必死に探していたんだろう、自分の子供に会えた時の表情から安堵や喜びが伝わってきた。
きっと仲のいい親子なんだろう。
「………………」
「椿?」
ふと彼女の様子が気になって隣を見ると、何の感情も篭っていない無表情な顔をしている。
その顔があまりにも幼馴染みにそっくりだったので、不意に胸を掻き毟られるような痛みが襲った。
「羨ましいです、仲が良さそうで……」
あの親子と自分の環境を比べたのだろうか………彼女は寂しそうに笑う。
そんな顔をして欲しくないのに、私は何を言えばいいのかわからなくて黙っていた。
「そういえば日向さんのお父さんは単身赴任中でしたよね」
「あ、ああうん、仕事でロシアに行ってる。私たちが引っ越すときに一度帰る予定だったらしいけど、急に仕事が入ったとかで結局まだ向こうにいるみたい」
「……寂しくないんですか?」
「うーん、お母さんとか、小姫がいるからそうでもないよ?まあ、お父さんがいないの慣れてるし」
そう言った後で、お父さんがこの事を聞いたら泣くかもしれないなーと思い苦笑した。
お父さん、見た目は恐いけど意外と親馬鹿な人なんだよね。
「椿はお父さんいないんだよね?」
遠慮気味にそう言うと、彼女は首を振って力なく笑った。
「気にしないで下さい。……父は私が生まれる前に死んだと母に聞きました」
「そう、なんだ」
「それ以外は何も教えてくれないので、父がどんな人だったのか全然知らないんです。
私もあまり知りたいとは思いませんし……知りたくないといえば、嘘ですけどね」
もしかしたら椿は父親がどんな人物だったのかということよりも、
何も語ってくれない母親のことを気にしていて寂しいのかもしれない。
もちろん父親のことも気になっているのだろうけど。
「………あっ」
椿が驚いた顔で何かを見つめていたので、私も彼女が見ている方を向いてみた。
視線の先には椿に良く似た女性が立っている。
「お母さん」
「椿」
噂をすればなんとやら。
椿の母親は彼女の名を呼んで、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「どうして、こんな時間にこんなところに……仕事じゃないんですか?」
「今日は仕事を早退してきたの。家に帰る途中だったのだけど…ちょうど良かった、貴女に話があるのよ」
「話、ですか」
椿の表情がみるみる翳っていく。
どうやら彼女は話の内容を察しているのか、聞きたくないようだった。
母親の方は表情を変えず、娘をじっと見ているだけだ。
すると今気付いたかのように私のほうを見た。
「……あなたは、お隣の」
「早瀬日向です。あの、大事な話みたいなので、お先に失礼します」
「ごめんなさいね」
「それじゃあ椿、またね」
「…………はい」
消えそうな声で応えてくれたけど、彼女の目線は地面を向いていた。
少しだけ迷って、私は2人に背を向けて歩き出す。
…このまま私は帰ってしまっていいのだろうか。
何か、言うべきじゃないんだろうか。
――彼女たちの為に。
あの母娘に何かを言える資格を持ってる人間じゃないってのは理解しているけど、でも、だからといって放っておけない。
幸せになってほしいと想った気持ちは、死ぬ前も、今も、変わらず自分の中に在るのだから。
足を止める。
そして振り返り二人のもとへ戻ろうとした、その時
「聞きたくないっ!!!!」
初めて聞く、椿の悲痛な叫び声が響いた。
涙を浮かべて、酷く辛そうな表情で、苦しそうだった。
「椿、話を―――」
「解ってます。私が邪魔なんですよね?いいです、私は、一人でも大丈夫ですから。だって、今までも、独りでしたから」
吐き捨てるように言葉を紡ぎ出す。
抑えられない感情が溢れ出ているようだった。
「勝手に、お母さんの自由に、して下さい。私は反対も否定もしません。ただ、従うだけです」
「!!?」
彼女は恐ろしいほど無表情のまま、笑った。
同じ。
同じだ。
彼女と似ているなんて、違う、これは。
そう、あの時の彼女と全く同じ。
「………っ」
「椿!」
「椿、待って!!」
もう話すことはないと言わんばかりに椿は勢いよく走り去ってしまった。
いけない、すぐに追いかけないと見失ってしまう!!
彼女を追おうと足を動かしたところで、微動だにしない彼女の母親のことが目に入った。
表情を伺うと、やはり表情は変わらない。
けれど、よく見れば歯を食いしばっているのがわかった。
……………。
私は――――
ここで立ち止まっていると彼女を見失ってしまう。
呆然と立っている彼女が気になったけれど、振り切るように背を向けて、椿を追うために全力で走ることにした。
*
彼女に追いつこうと精一杯走っているつもりなのに、未だに追いつけず、姿を見失わないようにするだけで一苦労だった。椿は見かけによらず運動神経はいい方なのかもしれない。うう、私、結構走りに自信あったんだけどなぁ。持久力はないけど。
「椿ーーストップー!!」
余裕がないのか何も聞こえてない様子で、名前を呼んでも気づいてもらえず、やはり追いつくしか方法はないようだ。それでも少しづつ距離は縮まっているので、諦めず追いつづける。
追いかけっこを始めてどれ位経っただろう……体力が尽きたのかようやく彼女は止まってくれた。荒くなった息を必死に整えようとしている彼女の後ろに止まって、私も息を整える。
どうやら彼女は私が後ろに居ることに気づいていないみたいだったので、落ち着くのを待って話しかけてみた。
「椿」
「っ!!?」
びくっと肩を揺らして、恐る恐るこちらを振り向いた。
私の顔を見て、怯えていた椿の表情がどこか安堵したものに変わったのでホッとする。
そろりとゆっくり歩いて近づいて、話しやすい位置に立つ。
彼女の方を見ても目を合わせてくれないのが少し悲しい。
「えーと、うん。その、椿がひとりになりたいって思ってるのはわかるんだけど」
「……………」
「でも、だからって放っておけない。椿は私にとって大切な……友達だから」
「日向さん」
「一方的で、迷惑かもしれないけど、力になりたい。話したくないことは聞かないつもりだったけど、独りで抱え込むのは良くないから」
「………っ」
「お願いだから、今は椿の傍に居させて欲しい」
彼女の震える手を優しく握って、微笑む。
「どう、して」
「うん?」
「だ、だって、まだ、私たち出会ってからそんなに経ってないじゃないですか?私も、日向さんもお互いのこと、まだ全然知らないじゃないですか」
「……うん、そうだね」
「どうして、そんな私のために、こうして一緒に居てくれるんですか?」
「んー、難しく考えないで、ただ単純に力になりたいって思った。駄目かな?こんな理由じゃ」
「え、ええっと、その、あの、」
「それに、椿ひとりの為だけじゃないから」
「?」
また繰り返してしまうんじゃないかって、思った。
恐くて、後悔したくなくて。
今度は間違いたくないから、もう迷わない。
一度死んだけれど、生まれ変わってもう違う人間だけど、私は2人の為に何かしたい。
私は、何があろうと『私』なのだと今更気付いたから。
「――幸せになってほしい。笑って過ごして欲しい。ただそれだけ」
その為だったら、私は――
「……っ」
ポロポロと彼女の瞳から透明な雫が零れていく。
溢れる涙が次々と頬を伝って地面へと落ちていった。
綺麗な涙だなぁ……なんて思ってしまったことを彼女に告げたら怒られるだろうか?
ハンカチをポケットから取り出して彼女の涙を拭ってあげる。
それからしばらく彼女が泣き止むまで、何も言わず黙って傍に居た。
……悩みを話してくれないなら無理には聞かないけど、だからといってそのまま静観するわけにはいかない。
そう、今度ばかりは。