第九話 あなたの日誌を、毎日読んでいる
公聴会から三日が経った。
ヴィンダール子爵の司法調査が始まり、商会の帳簿が押収されたという話がギルドに届いた。クラウスがそれをセイラに教えてくれたとき、少し申し訳なさそうな顔をした。
「エルンスタット嬢、嵐のとき私が動かなかったことは……」
「結果的に軍の勧告で船は戻りましたから」とセイラは言った。「クラウスさんの立場では動けなかった。それは分かっています」
「あなたが一人で動いてくれた」
「記録を読んだだけです」
クラウスはしばらくセイラを見てから、「ありがとうございます」と言った。
その日の夕方、ラースヴがギルドに来た。
最近は毎日来る。視察の期間をとっくに過ぎているが、軍艦はまだ港に停泊したままだ。副官が何か言いたそうな顔をしているのをセイラは時々見かけるが、ラースヴは気にしていないようだった。
「今日は何を調べている」とラースヴは言った。
「来年の八月の嵐の傾向です。過去十五年のデータから、来年の発生確率を出しています」
「もう次の備えを考えているのか」
「灯台の問題が解決しても、嵐は来ます」
ラースヴは椅子を引き、セイラの隣に座った。
「見せてくれ」
セイラはノートを開いた。ラースヴが数字を追う。
しばらくして、ラースヴが言った。
「一つ、確認していいか」
「はい」
「あなたはいつまでここにいるつもりか」
セイラは少し驚いて手を止めた。
「特に決めていません。居心地がいいので」
「王都に戻る予定は」
「今のところはありません。父から催促の手紙が来たことはありますが、まだ返事をしていなくて」
ラースヴはノートを見たまま言った。
「あなたにしてほしいことがある」
「何でしょうか」
「王国の海事院に、気象分析の部門を新設したい。あなたにそこを任せたい」
セイラはラースヴを見た。
「私を、ですか」
「あなたの分析は正確だ。感情で動かず、数字だけを見る。それが必要だ」
「でも私は魔力がありません。公式の気象士ではありません」
「魔力は要件に入れない。実績を要件にする」
「実績といっても、まだ一ヶ月足らずで」
「難破事故の原因を特定し、公聴会で証明した。十分な実績だ」
セイラはしばらく考えた。
「提督……ラースヴ、一つ聞いていいですか」
「何だ」
「なぜ私にそこまでしてくれるんですか」
ラースヴは少し間を置いた。
「あなたの日誌を、毎日読んでいる」
「え?」
「最初にギルドで会った日、あなたが席を外した間に、テーブルに置いてあったノートを見た。一ページだけ。その日から、あなたが記録を更新するたびに読んでいた」
「……許可を取っていなかったんですか」
「そうだな」ラースヴはわずかに視線を逸らした。「それは謝る」
セイラは少しの間、ラースヴを見た。
この人は、最初から自分の数字を見ていた。笑わなかった。魔力がないと蔑まなかった。ただ、数字を読んだ。
「怒っていないのか」とラースヴが言った。
「怒っていません」とセイラは言った。「読んでくれていたなら、よかったと思います」
ラースヴはセイラを見た。表情は相変わらず静かだが、目が少しだけ違う気がした。
「海事院の件、考えてくれるか」
「はい。考えます」
「急かさない。ただ……」ラースヴは少し間を置いた。「あなたがここにいてくれると、海が安全になる」
セイラは窓の外を見た。
夕日が港を染めている。灯台が光り始めている。今夜も正しく、規則正しく。
「海が安全になる、というのはいい理由ですね」とセイラは言った。
「そうだろう」
「では、前向きに検討します」
ラースヴはうなずいた。
二人はまた並んで、それぞれの記録を読んだ。
窓の外で波の音がした。
その夜、セイラは父への手紙を書いた。
「しばらくレイヴンにいます。やることができました」
それだけ書いた。
理由を詳しく書く必要はない。数字が示していることをやるだけだ。
ノートに今日の記録を書き込んだ。気温、気圧、風向き、灯台の点滅間隔。
そして一行だけ追加した。
「海事院、検討中」
窓の外で、灯台が光っている。
正しく、規則正しく。
誰かが消さない限り、この光は海を守り続ける。
セイラはノートを閉じた。
明日も、記録を続ける。




