第四話 冷血提督、現れる
海軍の船が港に入ってきたのは、レイヴンに来て三週間目の朝だった。
軍艦は交易船より一回り大きく、帆に王国の紋章が入っている。岸壁に人が集まり始めた。珍しいことらしい。
「何かあったんですか」とセイラはヘルガに聞いた。
「海軍提督が来たんだろう。年に一度か二度、港の視察に来る」
「提督?」
「ラースヴ・フォン・ハルドル。王弟殿下だよ。冷血提督って呼ばれてる」
セイラは港の方を見た。
「冷血、というのは」
「笑わないから。怒鳴らないから。何考えてるか分からないから」ヘルガは肩をすくめた。「でも仕事は正確だって聞く。不正を見つけたら容赦しないとも」
セイラはその日の朝の記録をつけ、いつも通りギルドへ向かった。
ギルドの前に、見慣れない男が立っていた。
三十代前半だろうか。黒い軍服に、短く切った暗い金髪。背が高く、表情がない。目だけが静かに動いていて、港全体を観察しているように見えた。
その隣に副官らしき男が立ち、何かを耳打ちしている。提督はうなずくでも首を振るでもなく、ただ港を見ていた。
セイラはギルドの入り口をすり抜けようとした。
「そこの女性」
声をかけられた。
振り返ると、提督がセイラを見ていた。
「はい」
「毎日ここに来ているそうだが」
セイラは少し驚いた。自分のことを把握しているとは思わなかった。
「記録を調べています」
「何の記録を」
「気象と、難破事故の記録です」
提督はセイラを見た。表情は変わらない。
「令嬢が難破事故を調べる理由は」
「数字が気になったので」
短い沈黙があった。
「名前は」
「セイラ・フォン・エルンスタットです」
提督はそれ以上何も言わなかった。視線を港に戻し、また静かに立っていた。
セイラはギルドの中に入った。
その日の午後、セイラが記録を書き写していると、ギルドの扉が開いた。
提督が入ってきた。副官は連れていない。一人だった。
クラウスが慌てて立ち上がる。
「ラースヴ提督、ようこそ。何かご入用でしょうか」
「難破事故の記録を見たい」
「かしこまりました。何年分をご覧になりますか」
「過去十五年分」
クラウスが棚から帳簿を運んでいる間、提督はセイラの隣のテーブルに座った。
セイラは自分の作業を続けた。
しばらくして、提督が言った。
「何を書いている」
「年表です。難破事故の日付と、その夜の気象データを並べています」
「見せてもらえるか」
セイラは少し考えてから、年表を提督の方に向けた。
提督はそれを見た。一分ほど、黙って見ていた。
「事故の夜は中程度以下の嵐が多い」
「はい」
「大きな嵐の夜には事故が少ない」
「大きな嵐の夜は船が出ないからだと思います」
また沈黙。
「この抜けているデータは何だ」と提督は気象台の記録が空白になっている箇所を指した。
「気象台の記録が欠けている日です。観測者が外に出られなかったと言っていました」
「欠けている日と、事故の日が重なっているものがある」
「三回、重なっています」
提督はセイラを見た。
「気づいていたか」
「はい」
「なぜ報告しなかった」
「まだ証拠がないので」
提督はまた年表を見た。
「灯台だな」
セイラは少し驚いた。同じ結論に、こんなに早く辿り着くとは思わなかった。
「そう思っています」
「確証はあるか」
「ありません。まだ傾向だけです」
提督は年表をセイラに返した。
「続けてくれ」
それだけ言って、提督は自分の帳簿を開いた。
セイラも自分の作業に戻った。
二人並んで、しばらく無言で記録を読んでいた。
不思議と、居心地が悪くなかった。
夕方、提督が立ち上がった。
セイラも荷物をまとめようとしたとき、提督が言った。
「なぜあなたの予測は外れないのか」
唐突な問いだった。
「何のことですか」
「王都で嵐を予測した。誰にも信じてもらえなかった。でも当たった」
セイラは提督を見た。
「調べていたんですか」
「あなたがここに来た経緯を確認した」
セイラは少し考えてから答えた。
「データを読んでいるだけです。気圧、風向き、雲の形、過去の記録。それを重ねると、かなりの精度で予測できます」
「魔力なしで」
「魔力は関係ありません。数字に魔力は要りません」
提督はセイラを見た。何を考えているのか、表情からは読めない。
「明日も来るか」
「はい」
「では明日も話を聞かせてもらう」
提督はそれだけ言って、ギルドを出た。
セイラは窓の外を見た。
港に停泊している軍艦が、夕日を受けて赤く光っていた。
冷血提督、とヘルガは言っていた。
でもあの目は、数字を正確に読んでいた。
それだけで、セイラには十分だった。




