第三話 三年前の難破事故
レイヴンに来て十日が経った。
セイラの日課は決まっていた。朝に気圧計を読み、風向きを確認し、空を見る。昼にギルドか港を歩いて情報を集める。夜に記録をまとめ、灯台の点滅を計る。
毎日同じことをしていると、少しずつ見えてくるものがある。
今日は晴れる。明日は雨になる。あさっては風が強い。
数字はそう言っている。
ギルドに通ううちに、顔見知りが増えた。
受付のクラウスは三十代の実直な男で、最初は警戒していたが、セイラが毎日来ても何かを売りつけようとしないと分かると、少しずつ話すようになった。
「またですか、エルンスタット嬢」
「過去の記録をもう少し見せていただけますか。十二年前から十五年前あたりの」
クラウスは棚から古い帳簿を出してきた。
「何を調べているんですか」
「難破事故のパターンです」
「パターン?」
「事故が多い年と少ない年があります。その差が何によるのかを調べています」
クラウスは少し考えた顔をした。
「嵐の大きさじゃないんですか」
「それだけじゃないみたいです」
クラウスはまた少し考えてから、「三年前のことを調べているなら、ヨルンに話を聞いてみてください」と言った。
「ヨルン?」
「元漁師です。三年前の大事故で船を失って、今は港の倉庫番をしています。あの事故のことは、ギルドの記録より本人のほうが詳しい」
ヨルンは倉庫の隅に小さな椅子を置き、そこで帳簿を眺めていた。六十代で、右手の指が二本ない。昔の怪我だという。
「三年前の八月の事故のことを聞かせてください」
セイラが言うと、ヨルンは帳簿から目を上げた。
「なぜ」
「調べていることがあって」
「あんた、貴族の娘だろう。なんでそんなことを」
「数字が気になるので」
ヨルンはしばらくセイラを見ていた。それから、ゆっくり口を開いた。
「あの夜は嵐だった。大した嵐じゃなかった。俺は二十年海に出ていたが、あの程度の嵐で座礁するはずがなかった」
「でも事故が起きた」
「灯台の光が消えていた」
セイラは手を止めた。
「消えていた?」
「いつもは規則正しく光っている。あの夜だけ、途中から光が止まった。俺たちは岩礁の位置が分からなくなって……」ヨルンは右手を見た。「三人死んだ。俺は指二本で済んだ」
「灯台の光が消えた原因は」
「嵐で設備が壊れたと言われた。ギルドもそれで納得した」
「あなたは納得しましたか」
ヨルンは答えなかった。
答えないことが、答えだった。
宿に戻ってテーブルに記録を広げた。
三年前の八月十四日。難破事故発生。死者三名。
そしてオットーの気象台の記録。その夜の気圧、風速。確かに嵐だが、記録上は中程度だ。
前の借り人の日誌。八年前の同じ時期に「灯台の光、いつもと違う」という記述。
セイラは年表を作り始めた。
過去十五年分の難破事故。月と日付。死者数。その夜の気象データ。
並べてみると、はっきりした。
事故が起きた夜のほとんどは、中程度以下の嵐だ。大きな嵐の夜には、むしろ事故が少ない。
なぜか。
大きな嵐の夜は、船が最初から港に戻る。出ていかない。だから事故が起きない。
中程度の嵐の夜は、船が油断して出ていく。そしてある条件が重なったとき、事故が起きる。
その条件が、灯台だ。
セイラはもう一度年表を見た。事故が起きた年は、全部で七回。そのうち五回が八月の第一週から第三週の間に集中している。
そして気象台の記録が抜けている年、オットーが「風が強くて外に出られなかった」と言った年と、事故の年が三回重なっている。
偶然ではない。
セイラは窓の外の灯台を見た。
今夜も規則正しく光っている。
でも、誰かが意図的に光を消すことができるとしたら。
そしてそれを知っている人間が、この町にいるとしたら。
セイラはノートに書いた。
「灯台の光が消えた夜に、事故が起きている可能性がある」
可能性、と書いた。まだ証拠がない。数字は傾向を示しているが、証拠ではない。
証拠を集めるには、もう少し時間がかかる。
セイラは気圧計を見た。明日は晴れる。
調べる時間は、ある。




