エピソード8 規則を破るシェフ
カエデの研究所を飛び出した僕は、愛車の『ハクリュウ』を限界まで飛ばして手稲山のダンジョンへと向かった。
僕のスマホに入っている『はくりゅうデリバリー』のアプリには、裏回線が存在する。それは、通常なら電波の届かない次元の歪んだダンジョン内部からでも、位置情報と通信を更新できる特殊な仕様だ。主に、頻繁にダンジョンへ潜るお得意さんの探索者にだけ特別に配布しているものだ。朱里にも、お守り代わりにこっそりとインストールしておいた。
その座標が示す現在地は、中層の最深部――30階層『紅蓮の滝』。初陣の試験で立ち入るような浅い階層では絶対にない。
手稲山ダンジョンの入り口は、探索者ギルド『ARCANA』の職員たちによって厳重に封鎖されていた。今日は実地試験の日だからだ。
車を停め、ナッツを連れてバリケードを抜けようとした僕の前に、見張りの若い職員が立ちはだかった。
「ハクリュウさん、勝手に入られては困ります」
「悪いね、今は急いでるんだ」
「ダメです! 試験中で……」
真面目な職員が制止の声を荒らげた、まさにその時だった。
ゲートの奥、ダンジョンの転送陣から、装備をボロボロにした探索者が一人、弾き出されるようにして転がり出てきた。
「団長、大変だ!」
血相を変えて叫ぶ探索者の声に、入り口付近の空気が一気に凍りつく。
(何かあったみたいだね)
僕が心の中で呟くと、足元にいたナッツも首を低くして、こっそりと念話を返してきた。
(そうだな、急ぐぞ……)
騒ぎを聞きつけ、管理テントから恰幅の良い初老の男が飛び出してきた。ARCANA札幌支部のトップである『団長』だ。探索者の報告を聞いた団長は、目を見開いて叫んだ。
「なぬ! スパイダーウルフが大量発生しただと……!?」
その言葉に、周囲の職員たちが恐怖に息を呑む。
純魔素の影響なのか、カエデさんの危惧していた異常事態が最悪の形で現実のものになっているらしい。
僕は静かに歩み寄り、緊迫する中心部へと声をかけた。
「団長、ちょっといい」
「おぉ、ミナトか。ちょうど良いところに」
顔見知りである団長は、僕の姿を認めるなり、深刻な顔つきの中にわずかな光を見出したようだった。彼もまた、僕がただの弁当屋ではないことを(すべてではないにせよ)知っている数少ない人間の一人だ。
「わかってる、緊急事態なんだね。ダンジョンに入ってもいい?」
「うむ……」
団長が重々しく腕を組んで唸る。
しかし、先ほどの見張りの職員が慌てて制止に入った。
「団長、部外者が立ち入ることは……それに、一般市民がダンジョンには!」
覚醒者『重奏』でなければ、ダンジョンに入った瞬間に次元断裂で命を落としてしまう。見張りの青年が必死に止めるのも当然の規則だ。だが、団長は彼を片手で制した。
「安心せい、適性ならある」
「しかし……!?」
納得のいかない顔をする職員をよそに、僕は小さく息を吐いた。
「わかった。規則を破ったこと謝るよ。ちょっと行ってくる、弁当を待ちわびてる人がダンジョンにいるんでね」
僕は呆然とする見張りの青年に向けて、手に持っていた紙袋をちらりと見せた。
中には、保温材に包まれた温かいお弁当が入っている。
ただそれだけの、ありふれた昼食。
「それじゃ、冷めないうちに行ってくるよ」
僕は紙袋を片手に持ち、もう片方の手でナッツを抱え上げると、混沌が渦巻くダンジョンのゲートへと迷いなく足を踏み入れた。
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