エピソード4 獲物を狩るシェフ
手稲の街並みが寝静まる頃。
三月の札幌の夜風は、まだコートの襟を立てたくなるほど肌寒かった。
「……よし、行こうか」
僕は勝手口の鍵を締め、肩に保冷バッグを掛けた。
目立ちすぎる白いキッチンカー『ハクリュウ』はガレージに置いたままだ。今夜はただの「仕入れ」だから、僕と、足元を音もなく歩くナッツの二人だけで十分だった。
手稲山の旧道から、一般人が近づかない裏ルートを抜けてダンジョンの領域へと足を踏み入れる。
境界線を越えた瞬間、肌を刺すような独特の空気が僕を包み込んだ。
濃密な魔素と、微かな鉄錆の匂い。普通の人間なら息が詰まるようなピリついた空気だが、僕にとっては皮膚に馴染むような、ひどく懐かしくて、どこか居心地の良いものだった。
――しゅぱん。
――ぱしぱし。
暗闇の中、僕の手にある解体用の業物が、闇の中で閃き光を反射して幾度か瞬いた。
「ギ、ヂ……ッ?」
声すら上げる暇もなく、巨大な魔物たちが次々と崩れ落ちていく。
戦いではない。ただの手慣れた「解体作業」だ。
極限まで気配を消し、自然の一部と同化している僕の動きに、魔物たちは自分が死んだことにすら気づかない。恐怖を感じる前に魔脈を断ち切るため、肉に毒素(魔素)が回らず、極上の食材へと変わっていく。
最後に倒れた魔物の濁った瞳に、僕の姿が微かに映っていた。
無駄な動きを一切削ぎ落とし、ただ淡々と命を肉に変えていく僕の姿は、彼らから見れば、ひどく冷酷で美しい殺戮者にでも映っていたかもしれない。
「ブラッティオーガスが一体とラットハウンドが二体、それに人食いピラニアが数匹……と」
僕は切り出した極上の部位を手際よく保冷バッグに収めながら、小さく息を吐いた。
(今日はこの辺りで引き上げるとするか)
そう思い立ち上がった時、脳内にナッツの念話が直接響いた。
『湊、聞こえるか』
「……なるべくなら聞きたくないけどね」
僕は視線を暗闇の奥、さらに深い階層へと続く縦穴の方へ向けた。
そこから微かに、しかし確かな異質の気配――群れで動く狂暴な魔素の匂いが上がってきている。おそらく、昼間に半田さんが言っていたスパイダーウルフの群れだ。
『討伐していくか?』
「いや、最深部からは上がってこないでしょ」
『……奴らの生息地からはずいぶん離れてるな』
「そうだね。今は下手に手を出さずに様子を見よう。仲間を呼ばれても迷惑だし」
僕が肩をすくめると、ナッツは足元で器用に立ち止まり、僕を見上げた。
『いいのか?』
「朱里さんのことだね」
ナッツが何を心配しているのか、僕にはすぐにわかった。
『今日、試験なんだろ』
「魔物の数が多いのが心配だけど……半田さんもいるし、何よりこれくらいで怖がっていたら探索者にはなれないからね」
『意外と厳しいとこあるんだな』
「生きることに関してはね」
僕は静かにそう答えた。
脳裏に浮かんだのは、かつて始原のダンジョンで、泥水をすすりながらただ生き延びることだけを考えていた、昔の自分の姿だった。
どんなに他人が手を差し伸べても、最後に自分の命を繋ぎ止めるのは、自分自身の「生きたい」という意志だけだ。それを知っているからこそ、僕はこれ以上、この夜の闇の中で彼女の試練を奪う気にはなれなかった。
「さあ、帰って朝ごはんの仕込みをしよう」
僕は保冷バッグを担ぎ直し、夜風の吹く西宮の沢へと歩き出した。
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